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人体実験
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「た……ください……」
何かの声が僕を眠りの世界から引き上げた。
耳で聞くというよりは脳に直接働きかているような声が響く。
「……すけて……さい」
身体が動かない。
これは……金縛り?
指ひとつ動かせない中、声が頭蓋骨の中で反響する。
「たすけてください……」
目を閉じていても感じられる頭上からの存在感。
身体全体、爪先にまで重石を置かれているような不自由さの中、やっとの思いで目をこじ開けると、枕元で僕の顔を誰かが覗き込んでいた。
虚な目、青白い顔。
白い服を着た薄幸そうな女性だ。
ふらふらと倒れそうになりながら僕の顔を見つめている。
いつ僕の顔に倒れ込んできてもおかしくない。
僕は気が気でなかった。
「助けてください。このままでは死んでしまいます」
僕はこの人を知らない。
あなたは誰?
その一言が言えずにもどかしかった。
「むしろ、死んでしまった方が楽かもしれません。あんな気持ちの悪いものに……」
白い女性は顔を覆って啜り泣いた。
「ちが……ちが……」
ちが……?
「血が足りない!」
白い女性が取り乱した。
悲鳴を上げながら頭を大きく振り、何か嫌な考えを振り切るように身体を揺らすさまは、儚く簡単に崩れてしまいそうだった。
「お願い、助けてください」
女性が再度懇願する。
近くでスルガが威嚇する声。
異変を察して、僕を守ろうとしてくれているのだろう。
スルガに怯えたのか、女性は煙のように静かに消えた。
そして僕の意識は遠く落ちていった。
こんなことが三日ほど続いた。
「煌君、顔色悪いよ。寝不足?」
一切心配していないような口調で奨君が言う。
前回の訪問から一週間後の今日。
龍治さんとの約束の時間の五分前、僕達は一度学校から帰宅し、駅に集まった。
「なんか僕も取り憑かれたっぽい」
ため息を吐きながら答える。
「寝ていると、枕元に真っ白い女の人がいるんだ」
「煌君、取り憑きやすそうだもんね」
他人事だと思って適当に受け流す奨君に文句を言っていると、水鈴ちゃんがずんずんと近づいてきた。
「パジャマ持ってきた。行くよ」
そして三人でマンションに向かった。
「持ってきました。何か分かりますか?」
水鈴ちゃんはテーブルの上にパジャマを出した。
そして龍治さんの反応を不安と恥ずかしさが入り混じったような顔で見ていた。
パジャマには確かに襟や裾に血のような赤茶色の染みがついている。
「ちょっとあんまりジロジロ見ないでよ」
水鈴ちゃんが僕と奨君を睨みつけた。
僕は慌てて目を逸らしたが奨君はお構いなく観察していた。
「悪いけど、少し調べるから借りるよ」
龍治さんはパジャマを丁寧に畳んで紙袋に入れた。
「それ、どうするんですか?」
「専門家に調べてもらうんだよ。俺じゃ分からないから。預けるのに抵抗があるなら、血のついた襟元の一部を切り取って持っていくけど」
「いや、大丈夫です! そのまま持っていって下さい」
水鈴ちゃんは照れ隠しで大きな声を出した。
まあ、自分の寝巻きを色々な人に見られるのは恥ずかしいよな、と心中お察しする。
水鈴ちゃんの用事が終わったところで、僕は自分の事を切り出した。
「実は僕も取り憑かれたみたいです」
僕は枕元に白い女の人が現れて助けを求められることを説明した。
龍治さんは頷きながら真剣に聞いてくれた。
そして顎に手を当てて考え込み、暫くして口を開いた。
「そっちはとりあえず保留。また出たら教えてくれ」
そんな!
僕は梯子を外されたような気分になり、縋るような目で龍治さんを見た。
「僕もうあんな怖い思いしたくないですー」
「大丈夫。殺されないから」
「えええ……」
僕が目で不安を訴えていると、インターホンが鳴った。龍治さんが対応する。
「わりい、この間のお客さんがまた来た」
龍治さんは部屋を出ると、暫くしてから、この間の病人の旦那さんを伴って部屋に戻って来た。
困惑の表情を浮かべ、眉間に皺を深く刻んでいる。
「今お茶を淹れますから座っていてください」
旦那さんとは対照的に、龍治さんは淡々としている。
「あの、あれから妻は急激によくなったんですが……」
旦那さんは立ったまま、恐る恐るという様子で話した。
僕達がいることを一切気にかけていない。
いることにすら気付いていない可能性がある。
「小動物の霊が栄養を奪っていたみたいですね。祓ったので大丈夫ですよ。元気になって良かったですね」
お茶の用意をしながら龍治さんは答える。
「俺の身体に何も起こらないです」
旦那さんはかなり動揺しているようで、眉毛が八の字になっている。
そんな旦那さんに対し、龍治さんはあっけらかんと言い放った。
「何も起こりませんよ? 起こった方がいいんですか?」
空気が固まった。
その場にいた全員が唖然とした。
「え……? 俺が妻の身代わりになって死ぬんじゃないんですか?」
「俺は名前を書くと言っただけで、身代わりを出せと言った覚えはないですよ」
旦那さんは驚きのあまり何も言えなくなっていた。
僕達全員が、狐につままれたような顔をしていた。
僕達が唖然としていると、旦那さんは大きな声を上げて泣き崩れた。
「俺は……生きていられるんですか?」
「はい」
「最近、妻と喧嘩ばかりで、離婚も考えていたんです……でも、自分が死ぬと思ったら、頭が妻と息子のことでいっぱいになって。ずっと一緒にいたい、別れたくないって、そればっかり考えて……」
旦那さんは嗚咽を漏らしながら、自分の中の言葉を少しずつ紡いでいった。
「妻も、俺に死んでほしくないって言ってくれて、それが嬉しくて……」
こぼれ落ちる言葉が、少しずつ温かさを帯びていく。
彼の強張っていた心がほぐれていく。
柔らかい空気が僕達を取り巻いた。
龍治さんはお茶とティッシュを旦那さんの前に置いた。
「ご家族、お大事になさってください」
旦那さんはその後も取り留めのない言葉を吐き出した後、お礼を言って帰っていった。
その表情には来た時の悲壮さはなく、幸福と安心感が感じられた。
何かの声が僕を眠りの世界から引き上げた。
耳で聞くというよりは脳に直接働きかているような声が響く。
「……すけて……さい」
身体が動かない。
これは……金縛り?
指ひとつ動かせない中、声が頭蓋骨の中で反響する。
「たすけてください……」
目を閉じていても感じられる頭上からの存在感。
身体全体、爪先にまで重石を置かれているような不自由さの中、やっとの思いで目をこじ開けると、枕元で僕の顔を誰かが覗き込んでいた。
虚な目、青白い顔。
白い服を着た薄幸そうな女性だ。
ふらふらと倒れそうになりながら僕の顔を見つめている。
いつ僕の顔に倒れ込んできてもおかしくない。
僕は気が気でなかった。
「助けてください。このままでは死んでしまいます」
僕はこの人を知らない。
あなたは誰?
その一言が言えずにもどかしかった。
「むしろ、死んでしまった方が楽かもしれません。あんな気持ちの悪いものに……」
白い女性は顔を覆って啜り泣いた。
「ちが……ちが……」
ちが……?
「血が足りない!」
白い女性が取り乱した。
悲鳴を上げながら頭を大きく振り、何か嫌な考えを振り切るように身体を揺らすさまは、儚く簡単に崩れてしまいそうだった。
「お願い、助けてください」
女性が再度懇願する。
近くでスルガが威嚇する声。
異変を察して、僕を守ろうとしてくれているのだろう。
スルガに怯えたのか、女性は煙のように静かに消えた。
そして僕の意識は遠く落ちていった。
こんなことが三日ほど続いた。
「煌君、顔色悪いよ。寝不足?」
一切心配していないような口調で奨君が言う。
前回の訪問から一週間後の今日。
龍治さんとの約束の時間の五分前、僕達は一度学校から帰宅し、駅に集まった。
「なんか僕も取り憑かれたっぽい」
ため息を吐きながら答える。
「寝ていると、枕元に真っ白い女の人がいるんだ」
「煌君、取り憑きやすそうだもんね」
他人事だと思って適当に受け流す奨君に文句を言っていると、水鈴ちゃんがずんずんと近づいてきた。
「パジャマ持ってきた。行くよ」
そして三人でマンションに向かった。
「持ってきました。何か分かりますか?」
水鈴ちゃんはテーブルの上にパジャマを出した。
そして龍治さんの反応を不安と恥ずかしさが入り混じったような顔で見ていた。
パジャマには確かに襟や裾に血のような赤茶色の染みがついている。
「ちょっとあんまりジロジロ見ないでよ」
水鈴ちゃんが僕と奨君を睨みつけた。
僕は慌てて目を逸らしたが奨君はお構いなく観察していた。
「悪いけど、少し調べるから借りるよ」
龍治さんはパジャマを丁寧に畳んで紙袋に入れた。
「それ、どうするんですか?」
「専門家に調べてもらうんだよ。俺じゃ分からないから。預けるのに抵抗があるなら、血のついた襟元の一部を切り取って持っていくけど」
「いや、大丈夫です! そのまま持っていって下さい」
水鈴ちゃんは照れ隠しで大きな声を出した。
まあ、自分の寝巻きを色々な人に見られるのは恥ずかしいよな、と心中お察しする。
水鈴ちゃんの用事が終わったところで、僕は自分の事を切り出した。
「実は僕も取り憑かれたみたいです」
僕は枕元に白い女の人が現れて助けを求められることを説明した。
龍治さんは頷きながら真剣に聞いてくれた。
そして顎に手を当てて考え込み、暫くして口を開いた。
「そっちはとりあえず保留。また出たら教えてくれ」
そんな!
僕は梯子を外されたような気分になり、縋るような目で龍治さんを見た。
「僕もうあんな怖い思いしたくないですー」
「大丈夫。殺されないから」
「えええ……」
僕が目で不安を訴えていると、インターホンが鳴った。龍治さんが対応する。
「わりい、この間のお客さんがまた来た」
龍治さんは部屋を出ると、暫くしてから、この間の病人の旦那さんを伴って部屋に戻って来た。
困惑の表情を浮かべ、眉間に皺を深く刻んでいる。
「今お茶を淹れますから座っていてください」
旦那さんとは対照的に、龍治さんは淡々としている。
「あの、あれから妻は急激によくなったんですが……」
旦那さんは立ったまま、恐る恐るという様子で話した。
僕達がいることを一切気にかけていない。
いることにすら気付いていない可能性がある。
「小動物の霊が栄養を奪っていたみたいですね。祓ったので大丈夫ですよ。元気になって良かったですね」
お茶の用意をしながら龍治さんは答える。
「俺の身体に何も起こらないです」
旦那さんはかなり動揺しているようで、眉毛が八の字になっている。
そんな旦那さんに対し、龍治さんはあっけらかんと言い放った。
「何も起こりませんよ? 起こった方がいいんですか?」
空気が固まった。
その場にいた全員が唖然とした。
「え……? 俺が妻の身代わりになって死ぬんじゃないんですか?」
「俺は名前を書くと言っただけで、身代わりを出せと言った覚えはないですよ」
旦那さんは驚きのあまり何も言えなくなっていた。
僕達全員が、狐につままれたような顔をしていた。
僕達が唖然としていると、旦那さんは大きな声を上げて泣き崩れた。
「俺は……生きていられるんですか?」
「はい」
「最近、妻と喧嘩ばかりで、離婚も考えていたんです……でも、自分が死ぬと思ったら、頭が妻と息子のことでいっぱいになって。ずっと一緒にいたい、別れたくないって、そればっかり考えて……」
旦那さんは嗚咽を漏らしながら、自分の中の言葉を少しずつ紡いでいった。
「妻も、俺に死んでほしくないって言ってくれて、それが嬉しくて……」
こぼれ落ちる言葉が、少しずつ温かさを帯びていく。
彼の強張っていた心がほぐれていく。
柔らかい空気が僕達を取り巻いた。
龍治さんはお茶とティッシュを旦那さんの前に置いた。
「ご家族、お大事になさってください」
旦那さんはその後も取り留めのない言葉を吐き出した後、お礼を言って帰っていった。
その表情には来た時の悲壮さはなく、幸福と安心感が感じられた。
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