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【番外編】夫婦の時間-1-

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「皆さん! 休憩にいたしましょう」

 侍女のメルが執務室へお茶を運んでくる。

「今日のお茶請けは奥様のお好きなカヌレですよ」

 奥様とは無論、マリアナのことだ。イーサンと結婚して三か月と少し、まだ奥様呼びには慣れていない。

「ええ、メル、ありがとう。とても美味しそうね」

 続きはあとにしようと、書棚から取り出そうとした本をいったん戻す。

「いい香りだね」

 イーサンはマリアナの後ろに立つと、背中から抱きしめ、チュッと音を立ててつむじにキスをした。

 その香りとはカヌレの焦がしバターなのか、マリアナのつけている香水なのかわからないが、こんなところでベタベタするのは照れくさい。身をよじって離れようとするが、腰に回された手にがっしりとホールドされ、少しも動かない。

「もう、みんながいるのに」

 マリアナが小声で諫めようとすると、メルが遮る。

「全然、構いませんよ! そのままいちゃラブしてください。どうぞご遠慮なさらず!」

「わかっていると思うけど、決して遠慮しているわけじゃないの」

「まあまあ。ご結婚前みたいに、お互い好きでしょうがないのに、一生懸命に距離をとろうとするのを見てジリジリするよりも、ずっと精神衛生上いいですから」

 メルがカヌレを取り分けながらニコニコ顔で言うと、ウォルターも優雅な手つきで紅茶を注ぎつつ大きく頷く。

「ようやく収まるところにようやく収まってくださって、使用人一同、安堵しております」

 これまでそんな風に見られていたなんて恥ずかしすぎるとマリアナは赤面したが、周囲の了解を得られたとばかりにイーサンはうなじにもキスを落とした。

 とはいえ、結婚前と変わったことと言えば、名前ではなく奥様と呼ばれるようになったこと、間借りしていた二階の客室から三階のイーサンの主寝室の隣に部屋を移したこと、それだけだった。

 公爵夫妻は結婚後は本館に引っ越すように言ってきたが、最低でも一年間は北館での暮らしを続けると、イーサンが頑として譲らなかった。結局は、若夫婦をそばに置きたくて仕方ない公爵夫人を、新婚期間くらいは好きにさせてやろうと公爵が宥めてくれたらしい。

 ただ、次期領主となれば、今までのようにランタナ商会やそれに付随する事業の事ばかりやっているわけにいかない。爵位を譲られたあとは、当然ながら領地経営が主な業務となる。その時に事業をそっくり任せられる人材を育成していく必要がある。

 一方、マリアナも将来のタウンゼント家の女主人として、社交界に人脈を作っていかなければならなくなった。公爵夫人に付いてお茶会や読書会など婦人たちの集まりにも少しずつ参加し始めている。

 公爵夫人はマリアナをいたく気に入り、娘ができたようで嬉しいと舞い上がっていた。まるで実の娘のような溺愛ぶりで、観劇だ、買い物だとちょくちょくマリアナを連れ出していた。あまりに頻度が高いので、結婚前より二人の時間が減ったとイーサンがクレームを入れたくらいだった。

 正確に言えば、義理の娘ならアダムの妻のシンディがいたわけだが、嫁と姑の間には海溝よりも深い深い溝があったらしく、公爵夫人としては娘にカウントしないらしい。

 マリアナも公爵夫妻が大好きになっていた。息子夫婦の意志を尊重し温かく見守ってくれる義父と、貴族社会に慣れていないマリアナを細やかにフォローしてくれる義母。二人の優しさは、深海の家族と会えない寂しさを忘れさせてくれた。

 そんな義父母が時おり暗い表情をするときがあった。理由は想像がつく。もう一人の息子、アダムの事だろう。

 マリアナたちには何も言わないが、どうにかアダムを連れ戻せないか、手を尽くしているようだった。

 何もなかったかのように受け入れては家臣たちにも示しがつかない。罰を与えるつもりはない、せめて形だけでも謝罪するように伝えても、アダムにはまるでその気はないらしく、再三再四の呼びかけにも応じることはなかった。

 アダムから後継者の座を奪い、領地から叩き出すことはマリアナの復讐の最終目的であった。あの顔だけが取り柄の、高慢ちきな下種男の無駄に高いプライドを木っ端粉砕してやるつもりだった。

 だからといって、こんな形で家族が分断されるのは望んでいない。しかし、イーサンと結婚したとはいえ、マリアナは部外者だ。ただ黙って成り行きを見守るしか出来なかった。



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