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第7話 海藻ハンドクリーム

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「シェルカメオは高額で売れますが、ひとつ作るのに時間がかかるし、お金持ちしか買えません。もっと量産できて平民でも買えるような新商品があったらいいと思いませんか?」

「それは、もちろん思う。が?」

「では、厨房へお越しください」

 北館の厨房の大きな調理台にドンと置かれた銅製の鍋は黒いドロドロの液体で満たされていた。

「これは?」

「緑藻、褐藻、紅藻などの海藻を煮込んだものです。お肌にいい成分がたくさん含まれているんですよ」

「えぇっ? これにですかぁ?」

 引き気味のメルが眉間にしわを寄せ、疑わし気な視線をマリアナに送る。後方で見守るケイトも表情には出さないが同じ気持ちのようだ。

 しかし、イーサンはシャツの袖をまくり上げると、躊躇なく右手を突っ込んだ。好奇心旺盛で、なんでも自分で試してみなければ気が済まない性格がこういうところでも現れる。

 浸すこと数分、用意されていた水で手を洗い流し、ハンカチで丁寧に水分をふき取った。

 イーサンは目の高さまで手を挙げると、手の甲、手のひらを眺め、両手をこすり合わせた。

「なるほど」

「お肌の感じはいかがですか?」

「右と左で全然違うな。滑らかになった」

「ええ!」

 反応したのは侍女の二人だった。さっきはあんなに嫌がっていたのに、肌の調子が良くなったと聞いて今度は迷わずに手を入れる。

「すごい! すべすべ!」

「これではあまりに見た目が悪いので、エキスだけを抽出して化粧品を作ります。美肌効果はもちろんですが、髪に使うと艶が出るんですよ」

「海藻にこんな効果があるなんて知りませんでした!」

 オーレスン王国では海藻は海の雑草のようなものだ。毎日、大量の海藻が浜辺に打ち上げられるが、それらは全てゴミになっている。

「東国では食材になっているのよ。生のままサラダにしたり、スープの具材にしたり。天日干しで乾燥させて保存食にしたりね。髪にもお肌にもいいと女性が好んで食べているの」

「へえ、世界にはいろいろな食文化があるんですね」

「そこで、新商品、海藻を使った化粧品の開発提案書です。見ていただけますか?」

「工房をひとつ再生させた君の提案なら喜んで拝読しよう」

 マリアナが提案書を差し出すと、イーサンは恭しく掲げるように受け取った。


 ランタナ商会が懇意にしている化粧品工場へさっそく話を持ち込むと、すぐさま工場長と開発責任者が北館にやってきた。

「まずは、低価格のハンドクリームを作りたいと思います。海藻成分という得体のしれないものに大金は出したくないでしょう。気軽に試せる価格のものから始め、認知されたころに美容液など高級志向の化粧品を販売します。美容液が定番化したら、男性向けにヘアエッセンスを商品化します」

 開発者から質問が飛ぶ。

「どうして男性向けの物を後発で出すのでしょうか?」

「それは女性に比べて、男性の方が新しいものに対して保守的だからです。お菓子でもドレスでも、女性の流行がくるくる変わるのに比べ、男性の物は変化が少ないでしょう?」

「そう言われるとそうですね」

「もう一つは宣伝効果です。女性に愛される商品は自然と男性の注目を集めます。男性に売りたいならお金をかけて宣伝するより、女性の愛用品になってもらうほうが効率がいいんですよ」

 マリアナはあっけらかんと答えた。



「届きましたよ!」

 化粧品工場から北館の空き部屋へ大量の荷物が運び込まれた。

 頑丈な紙の箱をあけると完成したばかりの海藻ハンドクリームがきれいに並んでいた。真珠のような光沢のある真白のつややかなクリームが、海をイメージした水色の瓶に入れられている。

「では、ケイトさん、メル、作戦開始です!」

 完成したばかりの海藻クリームは試供品として、メルの姉と妹がそれぞれ仕えている伯爵家と子爵家、ケイトの娘が女官をやっている王宮へ届けられる。さらにメルの姉妹の友人たちの奉公先にも贈られる段取りがついている。

 使用人たちの横のつながりを使った口コミ作戦である。

「ウェルナー伯爵邸には三ケース、ジャンダル子爵家は二ケース、と。王宮は四ケースで足りますか?」

「そうですね、余裕があれば倍は欲しいところです」

「では、十ケースにしましょう。王都はメインの市場になるのですからどーんと先行投資しないと」

「マリアナさん! ターナー男爵家とフェロー辺境伯家へはいくつ出せますか?」

「二ケースずつ送るわ」

「了解です!」

 送り先ごとに宛名をつけ、手紙を添える。

 その様子をイーサンは手持ち無沙汰で眺めていた。

「本館の分は僕が持っていこうか?」

「何を言っているんですか。駄目に決まっているでしょう」

 ウォルターがイーサンの手から箱を取り上げる。

「イーサン様に気を使って正直な感想が聞けなくなります。ここは使用人に任せてください」

 行先の決まったハンドクリームは馬車の荷台に積まれた。数日のうちに屋敷勤めをしている侍女たちの手元に届くだろう。

「細工は流々仕上げを御覧じろ、ですね」

 マリアナはふふっと満足そうに微笑んだ。


 侍女や下働きは手を酷使する。

 しかし、荒れた手で主人の前でお茶を淹れたり、支度を手伝ったりするわけにいかない。美しい手を保つことは重要であり、手指の手入れにはいつも注意を払っている。だから、肌にいいものについては貪欲に取り入れようとする。手入れにはちみつを使うのが一般的だが、高価なため少量しか使えない。

 そこに海藻ハンドクリームの登場である。

 大量にサンプルを送ったのは、とにかく試してもらうためだ。海藻エキスという未知の成分には当然ながら抵抗があるだろう。しかし、いちど良いものだと認めてしまったら手放すことはできなくなる。

 品質には自信はある。使わせることさえできれば勝算はあるとマリアナは踏んでいた。

 新しいハンドクリームは、安価なのにはちみつと同じくらい肌がしっとり潤うと評判は上々だった。もっと試供品がもらえないかと問い合わせの手紙が北館に届くようになった。

 そして、とうとう福祉に手厚いというメルの姉が仕えるウェルナー伯爵家から、使用人たちがいつでも使えるよう常備したいと大量発注があった。

 噂の広がるスピードはとてつもなく早い。高位貴族のウェルナー伯爵家が太鼓判を押したうえ、王都では王宮の侍女たちが愛用していると話題になり、市井の娘たちも真似をしたがるようになってきた。王都や領都の化粧品店に卸すようになったところ、売れ行きは上々だった。

 そして侍女たちの愛用品の話は、美容に敏感な貴族の令嬢たちの耳にも当然入る。海藻成分ハンドクリームの質の良さが知れ渡ったところで、貴族をターゲットにした高級美容液をランタナ商会の店舗で発売した。町娘や侍女たちには手の届かない高級品というコンセプトは上流階級の心をくすぐり、令嬢たちは先を争って買い求めた。


 ハンドクリームと美容液はわずか三か月で一年分の売り上げ目標額を達成する。そして生産が追いつかないと化粧品工場から北館へ嬉しい報告が連日のように届くのだった。

 しかし、これはまだ少し先のお話。
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