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第6話 瑪瑙工房-2-

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「お時間があったら瑪瑙の工房へいらして下さい」そうマリアナから申し出があったのは昨日のことだ。

 自由にしてくれてかまわないとは言ったものの、この数日間、何をやっていたのかは気になる。

 馬車を出させ工房へ向かうと、工房長とマリアナが出迎えた。

「イーサン様、ご足労ありがとうございます」

 早速、工房の応接スペースに通される。

 テーブルに置かれたベルベット地のアクセサリートレイには、いくつものブローチが並べられていた。

 マリアナはそのうちの一つを手に取り、イーサンに手渡す。

「こちらをご覧ください」

 チョコレートのような深みある茶色の背景に、立体的な肖像画のような白い女性の横顔が彫られている。イーサンの知っているカメオとは重さも艶も違う。

「これは瑪瑙ではないな」

「はい。シェルカメオといいます」

「シェル? 貝なのか?」

「こちらはマンボウガイでつくりました」

 マリアナは白と茶色の大型の巻貝を指さした。

「シェルカメオは西のフレゼリシア大陸では一般的で、女性に大人気のアクセサリーです。ただ、エルマーレ王国の王都のガレリア地区にカメオ職人が集中し、現在ではそこが百パーセントのシェアを誇っています。それなので、ほぼフレゼリシア大陸だけで消費され、他の大陸に輸出されることはほとんどありません」

「なるほど。領内で制作すればカールスタード大陸で唯一の工房になるというわけか」

「それどころか、本場のフレゼリシア大陸に勝る武器もあるのです」

 マリアナが手に取ったのはピンクとオレンジが混ざり合った厚手の貝殻だった。

「これはコンク貝?」

「はい。コンク・シェルは特に色合いが美しく、これで作られたシェルカメオは大変高値が付きます。しかしエルマーレ王国では制作できません。というのも、コンク貝は昔は世界中で採れたのですが、食用に乱獲されフレゼリシア大陸周辺の海ではほぼ絶滅してしまったのです。しかし、このタウンゼント領のアゼル湾には数多く生息しています。量産できるようになれば、本場のエルマーレへ逆に輸出することもできますよ」

 マリアナはトレイから一つのカメオをとるとイーサンに差し出す。

「この領域のものは特にピンク色が濃いクイーンコンクシェルと呼ばれる大型のものです。目の肥えた貴族にも満足いただけるクオリティでしょう」

 咲き誇るバラを濃縮したような上質なピンク色。たしかに、瑪瑙では出せない、柔らかく華やかな色合いだ。

「イーサン様に見せていただいた瑪瑙細工を見て思いついたんです。貝より瑪瑙の方が固く加工が難しいので、ここの職人たちの彫刻の腕ならシェルカメオも作れるとは思いましたが、予想以上の出来上がりでした」

 採掘された瑪瑙のうち、カメオに出来るような美しい縞模様のものは全体の1割にも満たないほどに少ない。だから瑪瑙で作られたカメオは希少で、買うことができるのはほんの一握りの貴族だけだった。

 海に恵まれたオーレスン王国ならシェルカメオを量産することも可能だろう。おのずと価格も抑えられるから、数多くの人々が購入することができるようになる。

 マリアナは別のアクセサリートレイを手に取った。

 ぱっと見はパールネックレスのようだが、純白ではなく、白とピンクが混ざり合った愛らしい色合いをしている。そして真珠の照りとは違う、つやつやとした光沢がある。

「とても可愛いでしょう? これもコンク貝です。カメオに出来なかった部分は無駄にせずビーズにして糸を通し、ネックレスやブレスレットに加工します。真珠ほど高価ではありませんから、カジュアルな装飾品として若い女性にも使ってもらえるのではないでしょうか」

「マリアナ、これは君が一人で考えたのか?」

「はい。といっても、わたしは知っていることをお話ししただけで、実現してくださったのは職人の皆さんです」

「そうですよね?」工房長に微笑みかけると、工房長は嬉しそうに頷く。

「公子様、こちらのお嬢さんのおかげで新たな活路を見出せそうです。ぜひ、シェルカメオを作らせてもらえないでしょうか」


 副会頭を務めるイーサンから正式にゴーサインが出され、ランタナ商会からシェルカメオが新商品として大々的に発売された。

 人気のモチーフは海の女神アムピトリーテーで、芸術性のある美しいアクセサリーなうえに幸運のお守りになると買い求める人が店舗に詰めかけた。

 イーサンの提案で、王都の貴族向けの二号店では受注生産を行うことになった。本人がモデルになるか、姿絵を持ち込むかすれば、オリジナルのカメオを製作できる。若いころの姿を残したい貴婦人や、自らの肖像を妻や恋人に持たせたい紳士たちから注文が殺到した。

 一度は解雇した職人を呼び戻したうえ、さらに雇い入れたが、生産が追い付かず予約が一年先まで埋まるほどの人気商品となった。

 お洒落に敏感な年ごろの娘たちは新たなアクセサリーには目がない。コンクシェルのビーズで作られたネックレスやイヤリングは、街のブティックで手ごろな価格で入手できるとあって、ちょっとした流行になった。

 そんな折、工房長が北館を訪ねてきた。

「あなたのおかげで多くの職人が救われました。我々からのせめてものお礼です」

 マリアナに差し出された小箱の中には、女性の横顔が彫られたピンクのカメオが収まっていた。

「これは、わたし……ですか? とても嬉しいです。ありがとうございます」

 イーサンは工房長とマリアナのやりとりを静かに見守っていた。

 伝統ある瑪瑙工房を廃業にするのは忍びなかった。素材こそ瑪瑙から貝に変わったが、またいつか瑪瑙の需要が高まるかもしれないその時まで職人の技術をつないでゆくことができる。

「君に助けられたよ。ありがとう。感謝している」

「そんな、もったいないお言葉です」

 マリアナは言いにくそうに口ごもる。

「それで、あの、秘書の仕事についてなのですが」

 その様子にイーサンの心臓が跳ねた。

――――辞めたいのだろうか

 本館の通用口で出会った時は下働きの娘だというから、この先ろくな職などないだろうと思った。だから強引に北館こちらに連れてきた。

 しかし、マリアナの語学力、商売の知識があれば、どんなところでも雇ってくれるだろう。貿易関連の商会なら引く手あまたのはずだ。女一人が生きていけるだけの金を稼ぐことなど難しいことではない。

「もし、お許しいただけるなら、ランタナ商会の事業にもっと関わらせていただけなかと」

「え?」

「手紙の代筆とか書類整理が嫌ではないんです。それもこなしたうえで、もっとイーサン様のお役に立ちたいのですが、どうでしょうか?」

 マリアナは不安げな瞳でイーサンを見上げている。

「もちろん。僕の方からお願いしたいくらいだ」

「ありがとうございます。頑張ります」

 ホッとしたように微笑むマリアナを見ながら、安心したのはこちらのほうだとイーサンは言いたかった。

 おそらく彼女の価値はこんなものではない。決して手放してはいけないと確信にも似た予感があった。


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