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#75 庸子と刹那と永遠と敦美 ―それぞれ―

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よう、今日は永遠とわちゃんの家、行く予定ある?」

 永遠さん宅で一週間ほど頑張った勉強合宿を終えて以降、実は会っていない。メッセでは彼女含めグループのみんなとちょくちょくやりとりはしていたものの、流石に毎日のように会うのも良くないかなと、会うのを控えていたのだ。

 それよりも家族母親とはいえ、ここは私の自室でプライベートな空間なのだから、せめてノックもしくは声かけくらいはしてほしい。いくら言っても改善されないから、いつしか言うことすら放棄していた。
 そもそも不意に開けられたところでやましい事も物もないけど、勉強などで集中している時にこれをやられると、流石にドキリと心臓が跳ねるので正直やめてほしい。

「ううん、特に約束してないけど。どうして?」
「勉強合宿で随分お世話になっちゃったから、お礼になるかわからないけど、お野菜渡してほしいのよ」

 私の家では祖父母が結構な規模で家庭菜園をしている。種類も様々で、今まで永遠さんにはトマトやナス、ニラなんかをお裾分けしてきた。彼女は好き嫌いがないようで、どれをあげても『すごく美味しかった』と喜んでくれた。どんな料理で食べたとか、いつ食べたとか、それは饒舌に話してくれて、その度に『あげてよかった』と温かい気持ちになった。

「ちょっと待って。聞いてみる」

 すかさず勉強の手を止め、傍に置いたスマホに持ち替える。
 永遠さんはもう起きているだろうかとスマホの左端に注視すれば、申し訳なさそうな大きさで10:32を表示していた。

【永遠さん今日これから時間ありますか】

 彼女のレスを待つ間、母に届ける野菜を聞くと、ピーマンと枝豆だと言った。いずれも渡したことのない野菜。きっと彼女も喜んでくれるはずだ。というより彼女に会う口実ができたのだ。むしろ喜ぶべきは他ならぬ私である。

【いま永遠Z Zの手伝いしててスマホ見れてないかも】
【だけどだいじょぶだと思う】

 なぜかツナちゃんからレスが飛んでくる。
 おそらく彼女は今日も永遠さんの家にお邪魔してるのだろう。というか彼女はいつ自宅に帰っているのか。言葉悪く言えば、ほとんど毎日入り浸っているんじゃないだろうか。

【これからそちらにうちの野菜を届けようかと。だいじょぶですか】
【ピーマンと枝豆です】
【りょーかい。今から伝えてくる。みずぎ持ってきてね。ねんのため】

 水着!? ……あぁ、屋上のプールだ。勉強合宿中、一日だけみんなで掃除したことを思い出す。最初はちゃんと掃除してたけど、ツナちゃんがホースを振り回した途端、みんなして遊んでしまって、結局水を張り始めたのが夕方になったっけ。でも、真夏の太陽の下、あんなふうに濡れるのも気にせず遊んだのは小学生以来だった。だからつい私もはしゃいでしまった。

「お母さん。永遠さん大丈夫だって」
「じゃあ準備しちゃうわね。お母さんにもよろしく言ってちょうだいね」
「うん、伝えておくよ」

【はーい。お昼くらいには着くように出ます】

 簡単なレスを飛ばし、さてと外出の準備に取り掛かる。

 勉強机もそのままに、タンスから水着を取り出す。さっと日焼け止めを塗り軽く髪を整え、頭上に広がる容赦ない日差しに少々恐怖を覚えながらも自転車を飛ばす。前カゴで踊る野菜たちをお供に、一路彼女の家に向かった。

 ✳︎          ✳︎          ✳︎

「おーい永遠ぁ、いるー?」
「……あれ? どうしたのツナ、わざわざ降りてきて」
「いや、水槽いじってるだろうからスマホ見れてないんじゃないかと思って。今からヨーコさん来るってさ。なんか野菜持ってくるみたい」
「? あー、おうちで育ててるやつかなぁ」
「絶対そうでしょ? ちなみにピーマンと枝豆だってさ」

 今日、というか今日私は永遠の家にいた。今日、永遠はZZズィーズィーのお店の手伝いで、入荷したての商品を店奥の……なんて言ったっけ。そうそう、トリートメントタンクに移す作業を朝からしてるんだった。私にはよくわからないけど、販売水槽にいきなり入れるんじゃなく、何日か店奥の水槽で様子を見て、病気なんかがあれば治療して万全の体調にしてから売るらしい。そのおかげか『アクアリウムビリー』の販売魚は健康で落ち死ににくいと評判なんだって。

 とまぁそれはそれとして、今はヨーコさんの野菜だ。

 ヨーコさんの野菜、私も食べたし料理もしたけど、どれも新鮮な上に美味しくてびっくりした。育てたヨーコさんのおじいちゃんとおばあちゃん、只者じゃないな。セレブが行きそうなスーパーで売ってるお高めのブランド野菜にも負けてないんじゃない?

「初めてもらう野菜だけど楽しみだね。何時ごろ来るって言ってた?」
「お昼くらいってメッセあった。ふむふむピーマンと枝豆か……枝豆は普通に塩茹で……ピーマンは……」
「ピーマンは?(ワクワク)」

 永遠は私がメニューを考えてる時、必ず目を爛々と輝かせて答えを待っている。
 そもそも私が料理を究めてやろうと思ったきっかけこそ、目の前の最愛の親友、永遠の笑顔を見たいからだった。初めて料理を振る舞ったのは小学五年生、だったかな。まぁ料理と言っても冷蔵庫のストックで作った何の特徴もないザ・チャーハンだったけど、永遠、美味しいおいしいって言っておかわりまでしてたっけ。懐かしい。

「メインでいくなら青椒肉絲チンジャオロース、豚バラピーマン、肉詰め。添え物だったら無限ピーマン、煮浸し、じゃこ炒め、あたりかなぁ。どーする?」
「うーん、どれも悩ましい……ママに聞いてみな――」
「あー、レイちゃんにはもう聞いた。本命青椒肉絲、次点肉詰めだって」
「一応じじにも聞いてみようかな。ちょっと待ってて」

 タタッと店奥に小走りしながら消え去る永遠。ほんと彼女の家族は仲がいいな。でもなぁ、そこに今――父親が足りない。彼女に足りないピースに、少しでも私がなれているのなら。だから私は彼女に今日も美味しい夕食を作るのだ。

「じじも私も青椒肉絲が食べたい。それでいい?」
「もちろん。じゃあ足りないのは……筍とパプリカか。オッケー、今から買ってくる。スープはワンタンでいい?」
「うん! お願いします。お金持ってる?」

 そういうと思って、既にレイちゃんには買い物のお財布は持たされてる。お金の準備も怠りない。大きめのがまぐちを無言で見せて、ニコリと口角を上げ、店を飛び出した。

 ✳︎          ✳︎          ✳︎

「さて、あと二袋……もう……ちょい」

 まるでゴミ袋といった大きさの厚手のビニール袋の一つに手を掛ける。しかしこれはゴミ袋じゃない。まずその色は透明で、中には大量の水と、そして今朝入荷した魚が入っている。
 おかげでそれなりというかかなり重いんだけど、中身は大事な。生き物を商品っていうのはちょっと気が引けるけど。

 手に取った袋の中には、赤と青のメタリックなラインが綺麗な小型魚、ネオンテトラが落ち着きなく泳ぎ回っていた。

 この魚は、いないお店を探す方が難しいってくらいにポピュラーな魚で、安価で育てやすいところもある人気の小型美魚。詳しくない人でも知ってるんじゃないかな。
 とはいえうちの店のネオンテトラは他所他の店とは一味違う。通常、この魚は圧倒的にブリード、つまり養殖個体が入荷のほとんどを占める。でも、我がアクアリウムビリーではネオンテトラは常にワイルド、つまり現地採集個体しか扱わないのだ。
 これはじじのこだわりで、養殖個体と現地採集個体では明らかに体色の深みが違う。色の層が厚いっていうのかな。体の奥底から色を放ってる、そんな感じ。なのでうちの店のネオンテトラは、他所の店よりほんのちょっと割高である。にもかかわらずコンスタントに捌ける隠れた人気生体なのだ。

 それが袋に200尾入っている。これをまず大きめのバケツに水ごと移してから、空き水槽の水をエアチューブを使って点滴のように少しづつ落としていく。これがいわゆる『水合わせ』という行為で、まずはこれをしないと話にならない。この魚は、こんな小さいのに地球の裏側の南米から長旅をして、うちの店にやってきたのだ。人間でも海外の生水を飲んだら具合が悪くなるんだから、はるかに小さい魚にとって、水合わせは非常に大事なこと。

 そして最後の一袋に手を掛ける。これもネオンテトラ同様の小型魚で、プンティウス・ゲリウス。これはネオンテトラと違って生息地はインド。黄色ベースに黒い斑点がいくつか散りばめられた綺麗なコイの仲間。これも水草に合いそうな可愛い魚だ。

と、偉そうに言ったものの、実はこれは悠さんの受け売りで、うちの店で扱うのは初めてなのだ。この魚は悠さんのリクエストで入荷したらしい。なので私も見るのは初めての魚。それが袋に50尾。数が少ないのは、まずはうちの店で売れるのかどうかを試すため、お試しで入荷してみたのだ。

 悠さんは今日は急用ができて店に来ていない。本当なら私がやっている作業水合わせは彼の仕事だったんだけど、そういう理由で今日は私がやっている。
 まぁ悠さんが店に来るようになる前は私がやってたことだし、いいんだけどね。

 プンティウス・ゲリウスもバケツに移して同じく水合わせを仕込み、レジへと移動。置いてあったスマホでメッセの確認をすると、ツナの言った通りヨーコさんからメッセが……あれ? 新規で一件、ヨーコさんからだ。

【でんしゃの人身事故て足止め。一時間ほど奥れます 13じくらいに】
【なりそです】

 ヨーコさんらしからぬ誤字脱字。彼女はメッセのテキストも比較的丁寧で、簡潔かつわかりやすいのに。よほど焦っていたのかな。

【だいじょぶです。ピーマンと枝豆ありがと】
【おみせで待ってるね。暑いから気をつけて】

 こうレスを返せば、すごい勢いで彼女からレスが戻ってくる。

【了解です。日傘があるので大丈夫】

 うん、彼女らしいわかりやすいテキストに戻ったね。
 13時くらいにヨーコさんご来店、と。ふとお店の時計に視線を移せば11:35。まだ時間に余裕があるから少しのんびりするかと丸椅子に腰を下ろせば、

【おじさんいる?】

 と、あっちゃんからレス。じじを『おじさん』と呼ぶのは私の周辺ではあっちゃんくらいだ。まぁ元々お店のお客さんだったわけだし、おじさんと呼ぶのも分からないでもない。私も行きつけのハンバーガー屋さんのご主人のこと、おじさんって呼んでるしね。

【うん。今わたしもお店にいるよ。じじに用?】
【かぶとむしいっぱい採れたから店に持ってくって】
【伝えてくれる?】

 カブトムシ?
 あー、そういえば夏祭りで子供たちに安く売るってじじ言ってたっけ。
 じゃあ店奥にいるじじにと振り返れば、いつの間にか店内に戻っていて、あっちゃんの伝言を伝える。

「ふむ、わかった。で、数はなんて言ってる?」
「ちょっと待って。聞いてみる」

【伝えました。何匹いるかって】
【20ペアプラスオス7。ノコギリクワオス10】

 え……そんなに? つまり……総数57匹!? そんな数、うちの店、受け入れられるの? というか、今あっちゃんの家にはそんないっぱいカブトムシとノコギリクワガタがいるってことになるわけで……親御さんに何か言われたりしないのかな。

「思ってた以上に多いが、まぁ大丈夫だ。プラケ虫かごもゼリーも充分用意してるからな」
「それならいいけど……でもそんな数、あっちゃんどうやって持ってくるんだろ?」

 数匹ならともかく、57匹でしょ? ビニール袋だと限界あるよね。
 するとじじは得心するようにふむふむと頷いた。

「うーん。おそらくだがそのくらいだと衣装ケースあたり、だろうなぁ」
「そ、そうなんだ。へー、衣装ケース……でも、衣装ケースってそこそこの大きさだと思うんだけど、一人で持ってこれるものじゃないよね?」
「まぁ衣装ケースだからな」

 でも、あっちゃん本人が持ってくるって言ってるんだから、何かしらの方法があるんだろう。
 じじの了承も取ったので、スマホをポンポンとタップする。

【おkです。暑いので気をつけて。それと午後にヨーコさんくるよ】
【ツナもいるよ】
【もろもろりょーかい。わたしもそのくらいに行く】
【はーい。待ってます】

 最後にみんなで会ったのは何日振りかと指折り数えれば六日ぶりだ。
 二人とも夕食食べていくかな。ツナの青椒肉絲、美味しいんだよね。

 さてそろそろ水合わせも頃合いかな。店奥の魚たちを水槽に移動させないと。今回の入荷魚を一見した限り、病気は出てないようだから、メチレンブルーかな。メチレンブルーっていうのはポピュラーな病魚薬で、主に白点病、尾ぐされ病、水カビ病に効く。うちの店では入荷魚にはまずこれだ。まぁ今回はおまじない程度に入れておこう。魚種によっては薬品耐性が低い種類もいるから万能、ってわけじゃないけど。

 ようやく作業もひと段落ついて、次は軽く店内の掃除に取り掛かる。今日も穏やかに、しかもお友達も来る素敵な一日、八月五日のお昼前。外に目をやれば、午後はもっと暑くなりそうな日差し。

 そんな一日に、まさかの波乱が押し寄せることになるとは、この時は夢にも思わなかった。
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