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#16 永遠と終三と広大と悠久 ―Malpulutta kretseri―

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「で、今日はどうした?」
「はい。懐かしくて来ちゃいました。それと……『メダカ』を買いに」

 聞けば、同居してる緑鳥みどりさんの旦那さんが経営する『キッチンリトルガーデン』のテラス席に、夏に向けての準備の一環でメダカが必要らしい。

「メダカ? ネオンテトラじゃなくて、か?」
「はい。ネオンだと冬は外飼いできませんから」

 うん、確かに。南米原産のネオンテトラじゃ越冬できないもんね。でも、なんでテラスなんだろう。店内じゃないんだ。

「睡蓮鉢をいくつか置いて、姫睡蓮ヒメスイレン茶碗蓮チャワンバスを育てようかと。で、そこにメダカを入れたくて」

 姫睡蓮? 茶碗蓮? って何。睡蓮・蓮は知ってるけど。

「普通のより、小さいんです。あ、茶碗蓮は改良品種なので、本来は大きいんですけどね。結構可愛いんですよ、花も綺麗ですし」

 ふむふむ。姫睡蓮、茶碗蓮か。なんか楽しそう。今度『キッチンリトルガーデン』、行ってみようかな。ここから歩いて15分くらいだし、久々に食べてみたいな、あの店のご飯。中学にあがったお祝いに、ママに連れてってもらってからご無沙汰だもんね。

「そういえば終三しゅうぞうさん。イトメってまだありますか?」
「あぁイトメか。もうあれは採集業者が減っちまってなぁ。もううちじゃ扱ってないんだ。そもそもそれほど売れるモンじゃないしな」

 イトメ? と頭をかしげると、イトミミズのことですよと悠さんが教えてくれた。ちなみに西の方ではアカコ、っていうそうですよという予備知識を添えて。
 なんでそんなこと知ってるんだろう。茶碗蓮にしてもそうだし。

「じゃあ普通の人工飼料にします。終三さん、メダカは15匹ください」
「了解。しかし惜しいなぁ。はる坊がもう魚殖やさないなんてな」
「そういえば、さっき殖やしてほしい魚がいるって言ってましたけど、何の種類ですか? 終三さん」

 それはこっちにいるぞと、じじに促されて店の奥に三人で移動する。一方、コーちゃんは俺には無関係と自分の作業に戻っていった。勤勉だねコーちゃん。
 
 移動したそこは『バックヤード』と呼んでる場所で、入荷したての魚の調子をあげてから表の販売水槽に移動させるという目的の、いわば『魚の保養所』といったところ。販売目的の場所じゃないから照明も少し暗めで、静かな環境が維持されている。そしてこの場所は繁殖して殖やして販売、つまり『自家繁殖個体』を育てる役割もある。

 あ、ちなみにここには私が好きで飼ってる魚を入れてる水槽、つまり『私の水槽』も置いてもらってたりする。とはいえ、毎日はさすがに世話ができないから、夕方学校帰りにちらっと様子をみたり、餌をあげてる。

 一方のゆうさんは、かつてここにも入ったことがあるようで、きょろきょろしては懐かしんでいた。
 少しだけ綻ぶ顔の悠さんに、何故か目が離せない。

「こいつなんだけどよ」

 と言って腰ほどの高さに設置された水槽をじじが指差す。それは小さな水槽で、水は紅茶色に染まり、近くで見ないと何がいるのか全くわからない。

 身長の高い悠さんは、汚れるのも気にせず、濡れた床に膝をついて水槽を覗き込む。すると、何がいるのかわかったようで、

「なるほど……『マルプルッタ』ですか」
「はる坊、さすがにわかるか」

 二人はお互いの顔を見て通じてるようだけど、私『マルプルッタ』がなんなのかわからない。初めて聞いたよそんな魚。

 私の様子を察した悠さん、少しハスキーな落ち着いた声音で話し始めた。

「これは、スリランカにのみ生息する一属一科の魚で、いわゆる『ラビリンスフィッシュ』の仲間です。学名は『マルプルッタM a l p u l u t t aクレッセリーk r e t s e r i』。今では入手困難な魚なんです。終三さん、よく手に入りましたね」
「おう、知り合いの同業がな、譲ってくれたんだ」
「俺も実物を見るのは初めてですよ」

 ふむ。そんなレアな魚なら私も見なくちゃ、と悠さん同様に膝をついてそこを覗く。しかし見れば見るほど茶色い水だ。水槽内には、素焼きの小さい植木鉢を縦に割った(というか切った?)ものが伏せて置かれていて、『植えなくても育つ水草』が浮くでもなく沈むでもなく漂い、ポコポコとスポンジフィルターが動いている。

 というか、そんな魚まで知ってるとか、悠さんどれだけマニアなの。

 と、ちょっと不躾な妄想をしてると。

 ……いた! これが『マルプルッタ』なんだ。おお、小さくて可愛いね。茶色い水だからよくはわからないけど、黄色をベースに、ところどころに斑紋があって、それが青く光ってる。背鰭の先がピンと伸びてて、動きもなんか優雅というか、活発に泳がない魚のように思える。そんな魚が数匹泳いでいた。

 しばらくその魚たちに魅入っていると、後ろでは、調子は悪くないんだがとか、GHの問題ですかねとか、よくわからない話を二人は続けてた。

「確か生息地はブラックウォーターじゃないって、文献で見た記憶があるので、まずはクリアウォーターのままpHとGH……導電率も下げてみましょう。あと、素焼きでもいいかもですけど、一応自然由来の……ココナッツシェルにしてみましょうか」
「! ってことは……はる坊、やってくれるのか!?」
「はい。さすがにうちではできないので、間借り的にここでやる、ならですが」
「悠さん……大丈夫なんですか?」
「大丈夫……とは?」

 はて、自分で聞いておいて「大丈夫」ってなんだ? どうして私、こんなこと。

「仕事のことなら大丈夫です。俺、家で仕事してますから。それに『キッチンリトルガーデンうちの店』も、隔日の手伝いですから、その合間にここに来て、まぁ……どうにかなると思います」
「どうにかなる、か。相変わらずだなはる坊」
「相変わらず……?」

 子供の頃から、いつも最後にはどうにかなる、そしてどうにかしちまうんだとじじは笑って、横の悠さんはなんかバツが悪そうな佇まい。

「じゃあ、今度俺の道具、少し持ち込みますので」
「おうわかった。楽しみにしてるぞ」

 なんかこういう時の『男同士』っていいなって思う。なんの駆け引きもないというか、損得勘定がないというか。

「おーい。こっちもう終わったぞー」

 あ。悠さんに夢中でコーちゃんのこと忘れてた。


◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯


ラビリンスフィッシュとは、エラの部分に空気呼吸のためのラビリンス(迷宮)器官がある魚の総称で、ベタの仲間、グラミーの仲間、などが一般的です。また、ブラックウォーターとは、流木や枯葉などに含まれるフミン酸やフルボ酸などの成分が水に溶け出して、透明な茶褐色~黒褐色になった水のことを指します。フミン酸やフルボ酸は酸性物質であるため、pHが酸性に傾きますから、一般的な熱帯魚の多くが好む水質になるのです。さらに言えば、GHとは総硬度のことで、カルシウムイオン(Ca++)とマグネシウムイオン(Mg++)の合計量、導電率とはどれだけ電気を通す水なのか、を表す指標です。一般的な熱帯魚はpH、GH、導電率がいずれも低い水質に生息する種が多く、これらをコントロールすることで、よりよい状態で飼育ができたりします。が、普通に飼育する際にはほとんど気にすることがない数値で、悠久が敢えてそこを指摘したのは、それが「繁殖目的」、つまり現地の水質により近づけたいからこその発言なのです。
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