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罪
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全てが模倣のようだ。新しいものを作り出しても過去にあるような気がしてならない。無意識に触れたのではないかと、盗んでしまったのではないかと、馬鹿馬鹿しいことを考える。
同じ、人なのだから同じようなものを生み出すことだってあるだろうに、本当に馬鹿馬鹿しい。
だが、音楽にしろ美術にしろ、文学にしろ、どこか似てしまうことを私は嫌う。それは、昔の経験からかもしれないし、単に神経質だからかもしれない。いや、神経質だから昔のことをいつまでも引きずっているのか。
【昔のこと】
中学の美術の授業で、私と同じ風景を描いた男の子がいた。色だけは僅かに違ったが、真似しなければこうはならないだろうというほど全てがそっくりだった。
書くものが被ることはあっても配置全てが一致することなどあり得ないだろう。富士山に、水面に映る逆さ富士、桜の木の枝に留まる鳥、舞う花びら、水面に映る鳥、テーマは自由だったからそもそも、一つ被ることも珍しかった。なぜ、全ての大きさまで同じなのだろうか。富士山を縦に色分けするところまで同じなのだろうか。色を変えるとして、横にグラデーション、とかでもなく、キッパリとした縦割りは珍しいと思うのだが。なぜ、二羽の鳥の位置まで同じなのだろうか。定番だからだろうか。全てが怪しい。なぜ明暗までそっくりなのだろうか。なぜ、なぜ、なぜ。彼は私の目の前の席に座っていた。普通の教室と違い、美術室の机は向かい合う形であり、見放題というわけだ。見たのだろうと、私の中では確定事項になった。私が無意識に真似したなどあり得なかった。あれだけ、ノートに案を書き殴っていたのだから。ならば私が「過去」、つまり初めである訳だから堂々としろと思うだろうが、私はできなかった。彼のが本物だと思った訳でもなかった。ただ、自分のも本物とは言えないような気がした。班のみんなで見せ合うとその場の空気が固まった。普段ならずけずけ言いそうな彼は気にしてるそぶりこそ見えなかったものの、その空気を無視したまま言及することはなかった。提出期限が迫り、破り捨てたくなる衝動を抑えて出した。すると、彼の作品だけが先生に金色のシールを貼られ、職員室前の、外部からの来客用の扉の横に飾られた。ああ、私は「模倣」にすら負けたのだ、と馬鹿馬鹿しくなり、飾られずに返却されたその絵を破り嗚咽した。悔しいとか、そんな簡単な感情じゃなかった。ぐちゃぐちゃの感情で、細かく破れたそれをゴミ箱に入れてビニールの紐を縛った。そして珍しく「私が捨ててくるよ」と言い、ベランダの他のゴミを集めると足を突っ込むだけで履けるサンダルで外に出た。外と言ってもマンション内だが。私のマンションでは毎日何のゴミでも出せる場所があり、1日でも早く捨ててしまいたかった私には好都合だった。家にあればまた開けて繋げてしまうかもしれないから。
たった一回の経験が私の中ではいつまでも黒く残った。きっと私は模倣しても彼のように選ばれはしない。ただ、ずるで真似した彼が選ばれたなら、それを初めに考えた私の方が優れているのだと思おうともした。しかし、私は選ばれなかったのだ。
私は陰湿な人間だ。彼はサッカー少年でいわゆる陽キャだった。彼は真似したことなど忘れているのではないか、と考えるとやはり馬鹿馬鹿しく思う。
模倣で評価されたことは彼の中では罪悪感などではなく成功体験になっているのではないか。
私はあの時した嫌な思いを他人にさせたくない、そう思うと手が進まない。
いつだか弟が言った。「姉ちゃんはほんと不器用だよね、いつまでも引きずってそんなんじゃさww」年齢の割に的を射てるようで私は少しだけ感心した。少しバカにしたような言い方まではっきりと覚えている。言いかけて終わるのは弟の癖だ。やはり私は不器用で生きにくいようだ。10年ほど前の楽しいことは覚えていないのに、その言葉はたびたび思い出すのだから。
そんな弟の宿題も私がやれば入賞したりする。他の人のも。
押し付けられたら発揮する才能でもあるのか?
私自身が選ばれた事は一度もなかった。私の何がいけないのか。
いつからか、「大人からの好感度の高い生徒」が選ばれるのではないかと思い始めた。
まあ、それら小中学校の話であり高校大学ともなれば違ったのだろうな。
私は高校入学してからすぐに鬱になり行けなくなってしまった。
元々人付き合いが不得意で浮いてばかりの人生に疲れたのだ。
こんな存在でももっと才能があれば違ったのだろうか。
それは言い訳で努力が足りなかったのだろうか。
苦しい。
そうして沈んだ時に限って模倣犯の彼は、あの作品など捨ててるのではないか、とかくだらないことを思い出し考える。もしくはなんとなく捨ててないだけで大事になどしてはないのだろうな、と。勝手な妄想だが、断定するような考え方をしてしまうのは私の悪い癖だ。
まあ、どうでもいいか。私には才能もなければ努力する気力すらないのだから。
人を恨み、そのせいにばかりして自分に向き合うことから逃げている。罪。
彼は真っ当に大学生やら社会人やらしているだろう。
不登校になって親を泣かせ、未だに引きこもって働きもしない金食い虫の私は、彼のせいにすることが楽なんだと思う。
全てのことで利用されて踏み躙られきた。
勉強だってそう、芸術だってそう、みんなと少しでも仲良くなりたくてがんばっていただけなのに。
結局私のコンプレックスは、「人間関係」なんだろうな。
それさえましなら、搾取されず通常の人間関係を築いて、見くびられて大切な物を汚されることもなかっただろう。
性格だけは大きく変えられない。今後も同じような人生が続く。
同じ、人なのだから同じようなものを生み出すことだってあるだろうに、本当に馬鹿馬鹿しい。
だが、音楽にしろ美術にしろ、文学にしろ、どこか似てしまうことを私は嫌う。それは、昔の経験からかもしれないし、単に神経質だからかもしれない。いや、神経質だから昔のことをいつまでも引きずっているのか。
【昔のこと】
中学の美術の授業で、私と同じ風景を描いた男の子がいた。色だけは僅かに違ったが、真似しなければこうはならないだろうというほど全てがそっくりだった。
書くものが被ることはあっても配置全てが一致することなどあり得ないだろう。富士山に、水面に映る逆さ富士、桜の木の枝に留まる鳥、舞う花びら、水面に映る鳥、テーマは自由だったからそもそも、一つ被ることも珍しかった。なぜ、全ての大きさまで同じなのだろうか。富士山を縦に色分けするところまで同じなのだろうか。色を変えるとして、横にグラデーション、とかでもなく、キッパリとした縦割りは珍しいと思うのだが。なぜ、二羽の鳥の位置まで同じなのだろうか。定番だからだろうか。全てが怪しい。なぜ明暗までそっくりなのだろうか。なぜ、なぜ、なぜ。彼は私の目の前の席に座っていた。普通の教室と違い、美術室の机は向かい合う形であり、見放題というわけだ。見たのだろうと、私の中では確定事項になった。私が無意識に真似したなどあり得なかった。あれだけ、ノートに案を書き殴っていたのだから。ならば私が「過去」、つまり初めである訳だから堂々としろと思うだろうが、私はできなかった。彼のが本物だと思った訳でもなかった。ただ、自分のも本物とは言えないような気がした。班のみんなで見せ合うとその場の空気が固まった。普段ならずけずけ言いそうな彼は気にしてるそぶりこそ見えなかったものの、その空気を無視したまま言及することはなかった。提出期限が迫り、破り捨てたくなる衝動を抑えて出した。すると、彼の作品だけが先生に金色のシールを貼られ、職員室前の、外部からの来客用の扉の横に飾られた。ああ、私は「模倣」にすら負けたのだ、と馬鹿馬鹿しくなり、飾られずに返却されたその絵を破り嗚咽した。悔しいとか、そんな簡単な感情じゃなかった。ぐちゃぐちゃの感情で、細かく破れたそれをゴミ箱に入れてビニールの紐を縛った。そして珍しく「私が捨ててくるよ」と言い、ベランダの他のゴミを集めると足を突っ込むだけで履けるサンダルで外に出た。外と言ってもマンション内だが。私のマンションでは毎日何のゴミでも出せる場所があり、1日でも早く捨ててしまいたかった私には好都合だった。家にあればまた開けて繋げてしまうかもしれないから。
たった一回の経験が私の中ではいつまでも黒く残った。きっと私は模倣しても彼のように選ばれはしない。ただ、ずるで真似した彼が選ばれたなら、それを初めに考えた私の方が優れているのだと思おうともした。しかし、私は選ばれなかったのだ。
私は陰湿な人間だ。彼はサッカー少年でいわゆる陽キャだった。彼は真似したことなど忘れているのではないか、と考えるとやはり馬鹿馬鹿しく思う。
模倣で評価されたことは彼の中では罪悪感などではなく成功体験になっているのではないか。
私はあの時した嫌な思いを他人にさせたくない、そう思うと手が進まない。
いつだか弟が言った。「姉ちゃんはほんと不器用だよね、いつまでも引きずってそんなんじゃさww」年齢の割に的を射てるようで私は少しだけ感心した。少しバカにしたような言い方まではっきりと覚えている。言いかけて終わるのは弟の癖だ。やはり私は不器用で生きにくいようだ。10年ほど前の楽しいことは覚えていないのに、その言葉はたびたび思い出すのだから。
そんな弟の宿題も私がやれば入賞したりする。他の人のも。
押し付けられたら発揮する才能でもあるのか?
私自身が選ばれた事は一度もなかった。私の何がいけないのか。
いつからか、「大人からの好感度の高い生徒」が選ばれるのではないかと思い始めた。
まあ、それら小中学校の話であり高校大学ともなれば違ったのだろうな。
私は高校入学してからすぐに鬱になり行けなくなってしまった。
元々人付き合いが不得意で浮いてばかりの人生に疲れたのだ。
こんな存在でももっと才能があれば違ったのだろうか。
それは言い訳で努力が足りなかったのだろうか。
苦しい。
そうして沈んだ時に限って模倣犯の彼は、あの作品など捨ててるのではないか、とかくだらないことを思い出し考える。もしくはなんとなく捨ててないだけで大事になどしてはないのだろうな、と。勝手な妄想だが、断定するような考え方をしてしまうのは私の悪い癖だ。
まあ、どうでもいいか。私には才能もなければ努力する気力すらないのだから。
人を恨み、そのせいにばかりして自分に向き合うことから逃げている。罪。
彼は真っ当に大学生やら社会人やらしているだろう。
不登校になって親を泣かせ、未だに引きこもって働きもしない金食い虫の私は、彼のせいにすることが楽なんだと思う。
全てのことで利用されて踏み躙られきた。
勉強だってそう、芸術だってそう、みんなと少しでも仲良くなりたくてがんばっていただけなのに。
結局私のコンプレックスは、「人間関係」なんだろうな。
それさえましなら、搾取されず通常の人間関係を築いて、見くびられて大切な物を汚されることもなかっただろう。
性格だけは大きく変えられない。今後も同じような人生が続く。
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