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低学年の陽夜
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桜が舞っている。長袖を着るには暑すぎるが、半袖を着るにも寒すぎる、そんな季節。私、竹本陽夜は自分の身長より一回り大きな門の前に母と一緒にポーズをとって立っていた。今日は入学式。友達はできるだろうか。勉強にはついていけるだろうか。私は、数々の期待と不安を胸に、その門をくぐった。
「えっと……あ!私1組だ!」
「あら、ほんと。下駄箱は……あら?ひよ、一番乗りじゃない?」
「え!やった!やった!」
1年1組の教室に一番乗りで入る。決して誰かと競っているわけではなかったが、一番になれたという事実に、当時の私は勝ち誇っていた。母と隣同士で自分の席に着く。春の日差しが入り込んできて、私の足元を照らす。暖かい。次第に眠くなってきて、私が母の膝に頭を乗せようかと少し傾いた時だった。
「あっ……」
後ろの方からすごく小さくて大人しそうな、でもどこか芯のある声を聞いた。このクラスの子かと思い振り返ると、つり目で小柄なポニーテールの女の子がその子のお母さんと思しき人の後ろに隠れて立っていた。第一印象は、まるで私みたいだな、と思った。
自分をしっかりと持ってはいるけれど、それを他人には見せられない。そんなところが似ているなと思った。
「は、初めまして、私、竹本陽夜」
「あ……初めまして、私は、笹原美優」
小学生に入って初めての友達ができた。その事実が嬉しくて、母が隣にいることなんて忘れて私と美優は2人の世界に入った。
二人で遊んだりもした。お互いの家に行ったり、公園で遊んだり。でも、時が経つにつれ、私達は他の友達と一緒に居るようになり、二人で遊ぶことはなくなっていった。小学生に入って2ヶ月がたった。私には美優の他に2人の友達ができた。いつも3人で遊んでいたけれど、なにか寂しかった。友達がいるのにこれ以上を望むなんてわがままだって、幼いながらに理解していたつもりだった。
それでも、その頃の限界というものがあったのだろう。
「休みの日に3人で遊びたい」
小学1年生だった私達からしたら、休みの日に友達と出かけるなんて夢みたいな話だった。私は3人で休みの日に公園で遊んだり、誰かの家でまったり過ごすことを想像して、ワクワクしていた。
でも返ってきた返事は、私が思っていたものとは違った。
「ごめんね、バイオリンとピアノのお稽古があるの」
「私も、ピアノと塾が……」
悲しかった。でも、それと同時にすごく驚いた。
私もその頃は木曜日に英会話を習っていたから、習い事というものにはとても親近感があった。けれど、私がしている習い事は英会話の一つだけ。複数の習い事をこなす、ましてや、休みの日にまでそれがあるなんて考えたこともなかった。そんな大変なスケジュールを難なくこなす2人を尊敬しながらも、やはり遊びたかったという気持ちもあった。
「そっか」
その2人とは、学校帰りにも一緒に遊んだことがなかった。というより、私は美優以外の女の子と遊んだことがなかった。美優が少し羨ましかった。沢山の友達に囲まれて、学校が終わったら公園で皆で遊ぶ。家で宿題をして本を読んでいるだけの私とは大違いだった。
私も公園でみんなと遊びたい。その想いが日に日に増していき、ついに私は男の子達に声をかけた。
「あの……私も一緒に遊びたい」
この頃の男の子は男女の壁というものを知らないようで、すぐにいいよと言ってくれた。嬉しくなって足早に家に帰り、母に友達と公園で遊んでくると伝えると、ほっとした様な顔で
「いってらっしゃい」
と言ってくれた。公園に着くと、男の子達はまだ来ていなかったようで、私はブランコに一人座って彼らを待っていた。
10分、いや、20分くらいたっただろうか。彼らは一向に来ない。
場所を間違えてしまったのか、それともまだ家に帰っていないのか、私はだんだん不安になってきた。けれど、みんなの家なんて知らない。私は、ここでもう少し待ってみることにした。
30分後、結局彼らは来なかった。まだ自転車を持っていなかった私は、とぼとぼと歩いて、でももしかしたらと思い少し振り返りながら家へ帰った。
遊びに行ってくると家を出たのは午後3時、とぼとぼと家に帰ってきたのは午後4時だった。母は早かったねと台所で迎えてくれた。
それがとても温かく感じられて、その笑顔がとても綺麗で、私は一言
「うん、でも楽しかったよ」
と言った。
おばあちゃんやおじいちゃんも帰ってきて、4人で夕食をとる。ここの食卓はとても賑やかで毎日が楽しい。今日の学校のことや欲しい本のこと、今日のお風呂は誰と入るかなんてことも沢山話した。
おじいちゃんもおばあちゃんもまだ定年にしては若すぎるので精一杯働いてくれている。だから夕食はいつも母が一人で作っている。たまに私も手伝ったりしていたが、手元がおぼつかなくて危ないので、あまり包丁は持たせて貰えなかった。
そんな母の料理を二人は美味しい美味しいと食べている。それを見て私も美味しい美味しいと口に料理を運ぶ。母はとても嬉しそうだった。その日は母の嬉しそうな顔が沢山見れて、私も嬉しかった。
ドタキャンされたことは、もうどうでも良くなっていた。
次の日学校へ行くと、昨日約束を守らなかった男の子達がやってきた。
「ごめん、母さんが家で勉強しろって……」
「僕は塾があるの忘れてて……」
そうだったんだ、じゃあ仕方ないね。そう思い、
「気にしないで、また遊ぼ」
とだけ言って私は席に着いた。そっか、勉強か。勉強なら仕方がない。それよりも、まだ小学一年生なのにみんな大変だなと、私は他人事のようにみんなを見ていた。
今日も授業が終わり、校庭に地域ごとに班で整列して帰る。私たちの小学校では、小学2年まではこれをしなければいけない校則がある。
当時はめんどくさいとも思ったが、今は必要なのだとわかる。
まだ小さい私たちが、一人でちゃんと帰れるなんて学校側も、家族側も思わないのだろう。何かあった後じゃ遅い。みんな、自分の子供が大事なんだ。お母さんもお父さんも、自分の子供が可愛いのだ。
……私も、お父さんがいたら。良くない。私には大切にしてくれる人が沢山いるのだから、お父さんなんか居なくたって、別に平気だ。私はその日も寂しくなる気持ちを抑え込んで班の隅で静かに下を向いて帰った。
「……あれ?」
気がつくと、またみんながいなくなっている。もうこれで1週間目だ。
私が下を向いて歩いているから、きっとみんなは話しかけづらいのだろう。自分たちの世界に入り込んで、周りも見れずに、さっさと歩いて帰ってしまう。でも、この頃はまだ小学一年生だ。そこまで頭が回るわけでもあるまいし、仕方がないと言ったら仕方がない。それに、みんなの歩幅に合わせられなかった私も私で悪いのだ。
友達って難しいと、この時にまた再確認をした。
夏休みに入る前、私たちは遠足へと出かけた。1年生は6年生とペアになって近くの公園へ行くらしい。私はワクワクした。いつもとは違う場所で遊んで、いつもとは違う人と話して、いつもとは違う空気を吸って、いつもとは違う道を歩く。いくつもの「いつもとは違う」が積み重なった遠足という行事は、幼い私からしたらまるで人生の一大イベントのようなものだった。お菓子は300円までと先生に言われ、クラスの男の子達が、バナナはおやつに入りますかと王道の質問を投げかけている。みんなも遠足と言われ少し浮かれているのだろう。当日になると、みんなは前よりいっそうそわそわとして校庭へと集まる。勿論私もそわそわしている。今日は特別な日なので、いつもと違う髪型をして、いつもよりもオシャレな服を着てきた。6年生のペアの人に可愛いと褒めてもらえるだろうかと少しドキドキもしていた。公園までの道のりでは、6年生の人が1年生と手を繋いで歩いてくれるそうで、私はペアの人が誰になるのかワクワクしていた。
「あ、貴方がひよちゃん?」
鈴のような透き通った声が聞こえた。振り返ると、私の倍の身長があるのではないかと疑うくらい大きなお姉さんがいた。とても美人で、惚れてしまうかと思った。
「そうだよ!!」
「そっか、よろしくね。私はみどりって言うの」
みどりちゃん。みどりちゃん。とても素敵な名前だと思った。字はどうやって書くのだろう、苗字は?名前の由来はなんなのだろう。私はこの人のことがもっと知りたくなった。公園に着いてからは時間が経つのがあっという間に感じられた。気がつけばもう3時になっていて、学校に戻る時間だった。学校へ戻ると、班は解体され、みどりちゃんとは離れ離れになってしまった。もう会えないのかもしれないという絶望感が押し寄せて、1人で少し泣いた。それを担任の先生に見られてしまい
「大丈夫。学校のどこかでまた会えるよ」
と励ましの言葉を掛けられたのは少し恥ずかしい思い出。
夏休みが明け、二学期が始まった。始業式から1週間ほどしたある日、私は1人で図書室に来ていた。前まで仲の良かった友達も、今では二人の世界に入っている。遠足が終わってからというもの、私は色んなグループを転々としていた。けれども、どこも私のいる場所ではなかった。私はそのグループにはいらない存在だった。それからは孤立して、こうして昼放課には一人で図書室に来るようになった。本を借りていたその時、向かいの図書室からみどりちゃんが出てくるのが見えて、私は急いで上靴を履いてみどりちゃんの前に出た。
「あ、みどりちゃん」
そう言うとみどりちゃんは私の方を向いてこういった。
「え、誰だっけ」
わかっていた。期待なんてしてはいけないと。遠足で少し話しただけで、別に仲良くなった訳では無い。そんなことは小学一年生でもわかっていた。それでも、みどりちゃんは違うと信じていたかった。
「あ、ごめんなさい……」
私は押し寄せてくる悲しみの波を抑え込みながら、足早に借りた本を手にして教室へと戻った。教室に戻り席に着いて本を見ると、手汗をかいてしまっていたようで、本に少し水滴がついていた。私はその水滴を持っていたハンカチでそっと拭き取り、1人絵本を読み始めた。教室にはトランプやらパネルブロックなどで遊んでいる子達の声が響き渡る。誰も一緒に遊ぼうなんて声を掛けてこない。私も声を掛けに行かない。でも、それで良かった。1人の方が気が楽だから。それで良かったんだ、きっと。
二学期が終わり、三学期が始まると、先生や五、六年生は卒業式の準備で大忙しだった。私もいつかあんな風になる日が来るのだと思うと、とても想像がつかなかった。私はあんな風にかっこいい人になれるのだろうか、私もいつか、あんな風に、と、私はだんだん先輩という存在への憧れが強くなっていった。
1年生の課程が全て終了し、6年生が卒業した。私たちは春休み真っ只中だ。公園へ行けば、友達が沢山集まって何かをしている。私はそれを遠目に見つめながら祖父と2人で市民プールへ通う。春休みは友達と遊ぶことなんて1度もなかった。たったの1度も。
時は過ぎ、2年生になった。うちの学年は2クラスのため、クラス替えがあった。今年こそは友達が出来るかなと少しワクワクしていたけれど、そんな期待はすぐにかき消される。クラス発表の紙を見ても、去年の合わないグループの子達ばかりが集まっていた。私の入るグループは今年も見つからないまま新しい学年がスタートした。
2年生の思い出は嫌なことばかりだった。孤立するだけではなく、色んなグループから故意的に仲間はずれにされるようになり、影で悪口を言われるようになった。遠足だって校外学習だって話しかけてくれるのは先生や他学年のお兄さんお姉さんばかりだった。そんな中、一際目立つ女の子が目に入った。その子は、隣のクラスの希夜ちゃんだった。あの子は1年生の時に同じクラスだったが、あまり話したことは無かった。ただ周りの子がきよちゃんきよちゃんと集まっていくのを羨ましそうにしてみているだけ。きっと私が行っても腫れ物のようにしか扱われないと思った。けれど、彼女に対する羨ましさは日に日に増していった。私と彼女では天と地ほどの差がある。きっとこれからも仲良くすることは無いのだろうと悟った。そんな、嫉妬や諦めにまみれた1年だったが、先生だけは私のことを見てくれていた。軽い嫌がらせを受けていると先生は母に言ってくれた。こんな先生は滅多に居ないんだよと母は後で教えてくれた。私は、この先生は信じてもいいのだと思えた。来年が楽しみになった。また、この先生が担任がいいなと思った。…………その先生は、次の年に異動となった。
3年生になり、私はだんだん1人に慣れてきた。まだ悪口やら仲間はずれやらに耐えられるほどの耐性はなかったが、それでも、ズル休みはしないほどに私は強かった。3年生の冬頃、担任の先生が朝の会に遅れてやってきた。珍しいな、なんて思いながら、私は姿勢を整える。すると先生は少し声を震わせながらまっすぐと私たちを見つめてこう言った。
「皆さんにお話があります。……この前、希夜ちゃんのお母さんが病気で亡くなってしまいました。希夜ちゃんはお葬式のため今日はお休みですが、しばらくしたら学校に来ると思うので、みんないつも通り接してあげてね。お母さんの話は当分はやめてあげてください」
お母さんが亡くなった。考えただけで怖かった。お父さんがいなくて、お母さんまでもが私を置いていってしまう、想像もしたくなかった。それと同時に、今までの希夜ちゃんに対する私の印象も変わりつつあった。今まで、友達に囲まれて、まるで今がとっても幸せで、悩みなんて全くない、そういう風に見えた希夜ちゃんは、実は影でお母さんを失ってしまうかもしれない絶望やら悲しみやらと戦っていたのだと思うと、私の考えはどこまで浅はかで、汚かったか思い知らされた。周りを見るとみんなは自分の母親が亡くなったかのようにぼろぼろと涙を流していた。
数日が経ち、希夜ちゃんが学校へとやってきた。みんなは先生に言われた通り、いつも通りに接していた。そんな希夜ちゃんのところに、一人の女の子がやってきて、遊びに誘っていた。希夜ちゃんはそれを承諾したのか、少し嬉しそうにしていた。そしてこっちをちらっと見て、希夜ちゃんと女の子がこちらへとことこと向かってきた。何故だろう。いや、頭の中では思っている。これが遊びの誘いだったらいいなと。私も遊びに誘ってくれるのかもしれないと。でも、今まで話してこなかった子を、いきなり誘うわけがない。そう思いなおした。
「ねぇひよちゃん。良かったら今日、3人で一緒に遊ばない?」
「えっと……あ!私1組だ!」
「あら、ほんと。下駄箱は……あら?ひよ、一番乗りじゃない?」
「え!やった!やった!」
1年1組の教室に一番乗りで入る。決して誰かと競っているわけではなかったが、一番になれたという事実に、当時の私は勝ち誇っていた。母と隣同士で自分の席に着く。春の日差しが入り込んできて、私の足元を照らす。暖かい。次第に眠くなってきて、私が母の膝に頭を乗せようかと少し傾いた時だった。
「あっ……」
後ろの方からすごく小さくて大人しそうな、でもどこか芯のある声を聞いた。このクラスの子かと思い振り返ると、つり目で小柄なポニーテールの女の子がその子のお母さんと思しき人の後ろに隠れて立っていた。第一印象は、まるで私みたいだな、と思った。
自分をしっかりと持ってはいるけれど、それを他人には見せられない。そんなところが似ているなと思った。
「は、初めまして、私、竹本陽夜」
「あ……初めまして、私は、笹原美優」
小学生に入って初めての友達ができた。その事実が嬉しくて、母が隣にいることなんて忘れて私と美優は2人の世界に入った。
二人で遊んだりもした。お互いの家に行ったり、公園で遊んだり。でも、時が経つにつれ、私達は他の友達と一緒に居るようになり、二人で遊ぶことはなくなっていった。小学生に入って2ヶ月がたった。私には美優の他に2人の友達ができた。いつも3人で遊んでいたけれど、なにか寂しかった。友達がいるのにこれ以上を望むなんてわがままだって、幼いながらに理解していたつもりだった。
それでも、その頃の限界というものがあったのだろう。
「休みの日に3人で遊びたい」
小学1年生だった私達からしたら、休みの日に友達と出かけるなんて夢みたいな話だった。私は3人で休みの日に公園で遊んだり、誰かの家でまったり過ごすことを想像して、ワクワクしていた。
でも返ってきた返事は、私が思っていたものとは違った。
「ごめんね、バイオリンとピアノのお稽古があるの」
「私も、ピアノと塾が……」
悲しかった。でも、それと同時にすごく驚いた。
私もその頃は木曜日に英会話を習っていたから、習い事というものにはとても親近感があった。けれど、私がしている習い事は英会話の一つだけ。複数の習い事をこなす、ましてや、休みの日にまでそれがあるなんて考えたこともなかった。そんな大変なスケジュールを難なくこなす2人を尊敬しながらも、やはり遊びたかったという気持ちもあった。
「そっか」
その2人とは、学校帰りにも一緒に遊んだことがなかった。というより、私は美優以外の女の子と遊んだことがなかった。美優が少し羨ましかった。沢山の友達に囲まれて、学校が終わったら公園で皆で遊ぶ。家で宿題をして本を読んでいるだけの私とは大違いだった。
私も公園でみんなと遊びたい。その想いが日に日に増していき、ついに私は男の子達に声をかけた。
「あの……私も一緒に遊びたい」
この頃の男の子は男女の壁というものを知らないようで、すぐにいいよと言ってくれた。嬉しくなって足早に家に帰り、母に友達と公園で遊んでくると伝えると、ほっとした様な顔で
「いってらっしゃい」
と言ってくれた。公園に着くと、男の子達はまだ来ていなかったようで、私はブランコに一人座って彼らを待っていた。
10分、いや、20分くらいたっただろうか。彼らは一向に来ない。
場所を間違えてしまったのか、それともまだ家に帰っていないのか、私はだんだん不安になってきた。けれど、みんなの家なんて知らない。私は、ここでもう少し待ってみることにした。
30分後、結局彼らは来なかった。まだ自転車を持っていなかった私は、とぼとぼと歩いて、でももしかしたらと思い少し振り返りながら家へ帰った。
遊びに行ってくると家を出たのは午後3時、とぼとぼと家に帰ってきたのは午後4時だった。母は早かったねと台所で迎えてくれた。
それがとても温かく感じられて、その笑顔がとても綺麗で、私は一言
「うん、でも楽しかったよ」
と言った。
おばあちゃんやおじいちゃんも帰ってきて、4人で夕食をとる。ここの食卓はとても賑やかで毎日が楽しい。今日の学校のことや欲しい本のこと、今日のお風呂は誰と入るかなんてことも沢山話した。
おじいちゃんもおばあちゃんもまだ定年にしては若すぎるので精一杯働いてくれている。だから夕食はいつも母が一人で作っている。たまに私も手伝ったりしていたが、手元がおぼつかなくて危ないので、あまり包丁は持たせて貰えなかった。
そんな母の料理を二人は美味しい美味しいと食べている。それを見て私も美味しい美味しいと口に料理を運ぶ。母はとても嬉しそうだった。その日は母の嬉しそうな顔が沢山見れて、私も嬉しかった。
ドタキャンされたことは、もうどうでも良くなっていた。
次の日学校へ行くと、昨日約束を守らなかった男の子達がやってきた。
「ごめん、母さんが家で勉強しろって……」
「僕は塾があるの忘れてて……」
そうだったんだ、じゃあ仕方ないね。そう思い、
「気にしないで、また遊ぼ」
とだけ言って私は席に着いた。そっか、勉強か。勉強なら仕方がない。それよりも、まだ小学一年生なのにみんな大変だなと、私は他人事のようにみんなを見ていた。
今日も授業が終わり、校庭に地域ごとに班で整列して帰る。私たちの小学校では、小学2年まではこれをしなければいけない校則がある。
当時はめんどくさいとも思ったが、今は必要なのだとわかる。
まだ小さい私たちが、一人でちゃんと帰れるなんて学校側も、家族側も思わないのだろう。何かあった後じゃ遅い。みんな、自分の子供が大事なんだ。お母さんもお父さんも、自分の子供が可愛いのだ。
……私も、お父さんがいたら。良くない。私には大切にしてくれる人が沢山いるのだから、お父さんなんか居なくたって、別に平気だ。私はその日も寂しくなる気持ちを抑え込んで班の隅で静かに下を向いて帰った。
「……あれ?」
気がつくと、またみんながいなくなっている。もうこれで1週間目だ。
私が下を向いて歩いているから、きっとみんなは話しかけづらいのだろう。自分たちの世界に入り込んで、周りも見れずに、さっさと歩いて帰ってしまう。でも、この頃はまだ小学一年生だ。そこまで頭が回るわけでもあるまいし、仕方がないと言ったら仕方がない。それに、みんなの歩幅に合わせられなかった私も私で悪いのだ。
友達って難しいと、この時にまた再確認をした。
夏休みに入る前、私たちは遠足へと出かけた。1年生は6年生とペアになって近くの公園へ行くらしい。私はワクワクした。いつもとは違う場所で遊んで、いつもとは違う人と話して、いつもとは違う空気を吸って、いつもとは違う道を歩く。いくつもの「いつもとは違う」が積み重なった遠足という行事は、幼い私からしたらまるで人生の一大イベントのようなものだった。お菓子は300円までと先生に言われ、クラスの男の子達が、バナナはおやつに入りますかと王道の質問を投げかけている。みんなも遠足と言われ少し浮かれているのだろう。当日になると、みんなは前よりいっそうそわそわとして校庭へと集まる。勿論私もそわそわしている。今日は特別な日なので、いつもと違う髪型をして、いつもよりもオシャレな服を着てきた。6年生のペアの人に可愛いと褒めてもらえるだろうかと少しドキドキもしていた。公園までの道のりでは、6年生の人が1年生と手を繋いで歩いてくれるそうで、私はペアの人が誰になるのかワクワクしていた。
「あ、貴方がひよちゃん?」
鈴のような透き通った声が聞こえた。振り返ると、私の倍の身長があるのではないかと疑うくらい大きなお姉さんがいた。とても美人で、惚れてしまうかと思った。
「そうだよ!!」
「そっか、よろしくね。私はみどりって言うの」
みどりちゃん。みどりちゃん。とても素敵な名前だと思った。字はどうやって書くのだろう、苗字は?名前の由来はなんなのだろう。私はこの人のことがもっと知りたくなった。公園に着いてからは時間が経つのがあっという間に感じられた。気がつけばもう3時になっていて、学校に戻る時間だった。学校へ戻ると、班は解体され、みどりちゃんとは離れ離れになってしまった。もう会えないのかもしれないという絶望感が押し寄せて、1人で少し泣いた。それを担任の先生に見られてしまい
「大丈夫。学校のどこかでまた会えるよ」
と励ましの言葉を掛けられたのは少し恥ずかしい思い出。
夏休みが明け、二学期が始まった。始業式から1週間ほどしたある日、私は1人で図書室に来ていた。前まで仲の良かった友達も、今では二人の世界に入っている。遠足が終わってからというもの、私は色んなグループを転々としていた。けれども、どこも私のいる場所ではなかった。私はそのグループにはいらない存在だった。それからは孤立して、こうして昼放課には一人で図書室に来るようになった。本を借りていたその時、向かいの図書室からみどりちゃんが出てくるのが見えて、私は急いで上靴を履いてみどりちゃんの前に出た。
「あ、みどりちゃん」
そう言うとみどりちゃんは私の方を向いてこういった。
「え、誰だっけ」
わかっていた。期待なんてしてはいけないと。遠足で少し話しただけで、別に仲良くなった訳では無い。そんなことは小学一年生でもわかっていた。それでも、みどりちゃんは違うと信じていたかった。
「あ、ごめんなさい……」
私は押し寄せてくる悲しみの波を抑え込みながら、足早に借りた本を手にして教室へと戻った。教室に戻り席に着いて本を見ると、手汗をかいてしまっていたようで、本に少し水滴がついていた。私はその水滴を持っていたハンカチでそっと拭き取り、1人絵本を読み始めた。教室にはトランプやらパネルブロックなどで遊んでいる子達の声が響き渡る。誰も一緒に遊ぼうなんて声を掛けてこない。私も声を掛けに行かない。でも、それで良かった。1人の方が気が楽だから。それで良かったんだ、きっと。
二学期が終わり、三学期が始まると、先生や五、六年生は卒業式の準備で大忙しだった。私もいつかあんな風になる日が来るのだと思うと、とても想像がつかなかった。私はあんな風にかっこいい人になれるのだろうか、私もいつか、あんな風に、と、私はだんだん先輩という存在への憧れが強くなっていった。
1年生の課程が全て終了し、6年生が卒業した。私たちは春休み真っ只中だ。公園へ行けば、友達が沢山集まって何かをしている。私はそれを遠目に見つめながら祖父と2人で市民プールへ通う。春休みは友達と遊ぶことなんて1度もなかった。たったの1度も。
時は過ぎ、2年生になった。うちの学年は2クラスのため、クラス替えがあった。今年こそは友達が出来るかなと少しワクワクしていたけれど、そんな期待はすぐにかき消される。クラス発表の紙を見ても、去年の合わないグループの子達ばかりが集まっていた。私の入るグループは今年も見つからないまま新しい学年がスタートした。
2年生の思い出は嫌なことばかりだった。孤立するだけではなく、色んなグループから故意的に仲間はずれにされるようになり、影で悪口を言われるようになった。遠足だって校外学習だって話しかけてくれるのは先生や他学年のお兄さんお姉さんばかりだった。そんな中、一際目立つ女の子が目に入った。その子は、隣のクラスの希夜ちゃんだった。あの子は1年生の時に同じクラスだったが、あまり話したことは無かった。ただ周りの子がきよちゃんきよちゃんと集まっていくのを羨ましそうにしてみているだけ。きっと私が行っても腫れ物のようにしか扱われないと思った。けれど、彼女に対する羨ましさは日に日に増していった。私と彼女では天と地ほどの差がある。きっとこれからも仲良くすることは無いのだろうと悟った。そんな、嫉妬や諦めにまみれた1年だったが、先生だけは私のことを見てくれていた。軽い嫌がらせを受けていると先生は母に言ってくれた。こんな先生は滅多に居ないんだよと母は後で教えてくれた。私は、この先生は信じてもいいのだと思えた。来年が楽しみになった。また、この先生が担任がいいなと思った。…………その先生は、次の年に異動となった。
3年生になり、私はだんだん1人に慣れてきた。まだ悪口やら仲間はずれやらに耐えられるほどの耐性はなかったが、それでも、ズル休みはしないほどに私は強かった。3年生の冬頃、担任の先生が朝の会に遅れてやってきた。珍しいな、なんて思いながら、私は姿勢を整える。すると先生は少し声を震わせながらまっすぐと私たちを見つめてこう言った。
「皆さんにお話があります。……この前、希夜ちゃんのお母さんが病気で亡くなってしまいました。希夜ちゃんはお葬式のため今日はお休みですが、しばらくしたら学校に来ると思うので、みんないつも通り接してあげてね。お母さんの話は当分はやめてあげてください」
お母さんが亡くなった。考えただけで怖かった。お父さんがいなくて、お母さんまでもが私を置いていってしまう、想像もしたくなかった。それと同時に、今までの希夜ちゃんに対する私の印象も変わりつつあった。今まで、友達に囲まれて、まるで今がとっても幸せで、悩みなんて全くない、そういう風に見えた希夜ちゃんは、実は影でお母さんを失ってしまうかもしれない絶望やら悲しみやらと戦っていたのだと思うと、私の考えはどこまで浅はかで、汚かったか思い知らされた。周りを見るとみんなは自分の母親が亡くなったかのようにぼろぼろと涙を流していた。
数日が経ち、希夜ちゃんが学校へとやってきた。みんなは先生に言われた通り、いつも通りに接していた。そんな希夜ちゃんのところに、一人の女の子がやってきて、遊びに誘っていた。希夜ちゃんはそれを承諾したのか、少し嬉しそうにしていた。そしてこっちをちらっと見て、希夜ちゃんと女の子がこちらへとことこと向かってきた。何故だろう。いや、頭の中では思っている。これが遊びの誘いだったらいいなと。私も遊びに誘ってくれるのかもしれないと。でも、今まで話してこなかった子を、いきなり誘うわけがない。そう思いなおした。
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