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第16話 ドゥーンとトワイライト
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「ギシ」
どこか虫めいた音が口から漏れるのは、聞けば彼特有の笑い声らしかった。
俺が今いるのは、「妖狐の森」南西部、巨大魔獣に対する最終防衛ラインとして設定された位置の一歩手前にある、巨大樹の枝上だ。
はるか西に位置する「無言の底沼」、その方向に目をやれば、まるで休息をとるように顔をふせ、肩を呼吸によって上下させている恐竜型の巨大魔獣がいる。
脚を破壊され、総攻撃を跳ね返したのち、少々の距離を進んだ上で魔獣は、まるで眠るようにしてその進撃を止めた。
このまま眠っていてくれたならどんなにいいだろう、とも思うが、それは行動パターンとしては一週間前からすでに報告がなされているものだった。
長くとも一時間。
あるいはもっと早く、この魔獣は活動を再開するだろう、というのが、討伐隊に同行していた魔獣行動学者の意見だったのだ。
「ギ、シ」
俺の隣、ルルドの観光名所「還らず橋」よりも太い枝に、共に体重を預けるのは、序列二十二位のランカーギルド、「第八ヴィシャス」のギルドマスターである、コクランという名の男性獣人だった。
「さっきから何笑ってンだよ」
俺は、魔獣を見据えながら組んでいた腕を解き、狼に似た、しかし実際はその近縁種の血を継いでいるのだという獣人・コクランへと、怪訝な顔を向ける。
コクランの服装は、どこか作業員じみたベストとカーゴパンツという、ある意味で開拓者らしからぬものだった。
そのうち上半身を覆うベストは、コクランの体毛と同じ闇色であるため存在感がなく、しかもどうしたことかサイズが合っていない。
豊富な体毛を上から押さえつけるように羽織られたベストは、どこか無理やり服を着せられた小型犬の様相を思い起こさせた。
コクランが、また例の笑い声を滲ませながら俺の言葉に応じる。
「ギ、シ。いやぁお前、随分、嫌われた、モンだなぁ、と。思って、なぁ。ギシシ」
言葉の内容こそどこか喧嘩腰だが、笑うたびに細められる目、大袈裟に釣り上げられる口端は、どこかアニメのキャラクターを思わせた。なんだこいつかわいいな。
「何、だ、その菩薩のような、笑みは」
「言ったら多分怒るから言わねェ」
俺はため息を吐きながら、先ほどのコクランの言葉に応じた。
「確かにな。残る『虹』武装持ちと残存戦力による、巨大魔獣への一斉攻撃。トワイの野郎の到着を待たずして配置についたわけだが……俺とコンビ組んでくれるヤツは、あンただけだった」
「そもそ、も。あんた、どうして、この作戦に組み込まれたん、だ? その獣王武装、使えないん、だろ?」
「……トワイの進言だよ。あいつ、余計なこと言いやがって」
トワイいわく、この森への到着は、およそ二十分後になるとのことだった。
普通であればトワイの到着を待つところだが、トワイが二十分後と言えば、それはぴったり「二十分後」なのだ。
そのことは「黄昏」のメンバーであれば誰もが理解している。
ゆえに、トワイの到着と同時に作戦を始められるよう、先んじて最終攻撃のメンバーの人選と、配置が行われることとなったのだった。
その際に俺は、「いや、この獣王武装はまだ俺には使いこなせる代物じゃなくてな……すまないが作戦はこれ抜きで立ててくれ」と、ナイスな誤魔化しを披露し、前線から離れようとしたのだが、
『何を言う。ドゥーンがいなければ始まらないだろう。お前が抜けるなら俺も抜けるぞ』
トワイがそうのたまった瞬間、キャスリンがやけに太いロープと猿轡を用意し始めたので、仕方なく前線への同行を了承したのだ。
「まあ、中央の突撃班にはノエルとレイもいるし。『虹』持ちも、北には『ガルガンダ・クルーズ』、東には到着次第トワイ、そしてここにあんた。滅多なことにはならねェだろう」
「……まあ、それは、そうだろうけど、よ」
コクランは、顎に手を当て、どこか愛嬌のある疑問顔をつくる。
「わからない、な。どう見てもあんた、普通の、人間種だ。圧も気配も、特段何も、感じ、ない」
そんなあんたが、
「どうして、第四位、『暮れずの黄昏』のナンバーツーなんて、張れてたん、だ? それに、『黄昏の勇者』、に、そこまで言わせる、のも、わからない」
俺は答えた。
「コネと人脈」
「ギ、シ! それは、まあ」
俺の言葉を聞いたコクランは、そう言って笑う。
信じる信じない、というよりは、楽しいからいいか、といった、そういう塩梅だ。
その時、コクランが唐突にこんなことをきいてきた。
「あんた。うわさ、を、知ってるか」
「うわさ?」
「『不滅の魔女』」
それを聞き、俺は思わず頬を引き攣らせそうになった。
「いわく、『虚構領域』で1000年を生きる、不老不死の、女魔術式使い。いや、実際、女かどうかは、わからないが、まあとにかくめっぽう、強い、らしい。本当に『虚構領域』で、暮らしてる、ってのなら、当然、だが」
「……都市伝説の一種だろ? 非ィ現実的すぎンのもどうか、っつうお手本だ」
「俺も、そう思う。『不滅』とか『不死』とか、眉唾、だしな。だが伽物語として、は、面白い」
コクランは言う。
「かつて、『不滅の魔女』は、王家に仕えて、いたらしい。そしてその時の『魔女』は、魔力を持たない、『椿葉』、だった、とか」
だが、
「100年前。『魔女』は、魔獣を落とされたこの大陸に、再び現れた。そしてその時には、『魔女』は、稀代の魔術式使いになっていた、と」
それは、この大陸にいくらでもある、都市伝説の類だ。
浮遊大陸。氷でできた島。見たものの正気を奪う大樹。王都路地裏の怪談。
そんな、十把一絡げの物語、時には絵本の題材にされるような、誰もが「作り話」だと理解しながら語り継ぐ、ナーサリー・ライムだ。
俺は言う。
「それがどうしたってンだ?」
「いや。ただ、強い、ってのは、わからないモンだな、と」
そう言ってコクランは、またギシシと笑い、
「俺は、期待する。お前、は、確かに普通の人間、だが。『何か』を持ってる。そうでなきゃあ、今、この場にいることも、『黄昏の勇者』に、あそこまで言わせることも。ない、だろう、から」
「……あんたが俺とコンビ組んでくれたのは、それが理由か?」
コクランは、いや? と首を横に振った。
「それは、あんた、が。どうにも、余りそうな気配、だったんで、な」
「……いいヤツだな、あんた」
俺の言葉を受け、コクランはまた、ギシシ、と笑った。
》
十分後。
俺の待機する樹上より西側、山のように地面から生えた影が、しかし唐突に鳴動した。
……早いな。
まるで大地が盛り上がるように。
まるで鯨が浮上してきて海面を突き破る時のように。
あまりにも巨大すぎるその姿が、なおその体高を増大させて。
立ち上がる。
再動する。
そうしてから最初に魔獣がとった行動は、
「────────────…………!!!!!!!」
正面へと向けた、裂帛の咆哮だった。
音が、衝撃波を伴って全方位へと渡った。
森が震え、大地がめくれ、雲が吹き飛び、夜空には三つの月が映えるだけとなる。
俺たちの配置と作戦は、森を超えて歩いて来る魔獣を抑え込みつつ、横合いから、「虹」等級の武装による攻撃を浴びせかけるという、至極シンプルなものだった。
眼下、魔獣の進撃方向と正面からカチ合う森中には、「暮れずの黄昏」の主力を始めとした、強力な「開拓者」たちが揃っている。
今までの作戦では、「虹」を含めた全ての戦力は、魔獣の抑え込みと「削り」に多くのリソースを割いていた。
その時点では、「なんとしても成し遂げるべし」とされた最優先課題に、「魔獣の歩みを少しでも抑える」というものがあったからだ。
だがしかし、今回の作戦では、魔獣の歩みを止めることはせず、周囲からの攻撃と正面からのカチ合いに重点を置いていた。
もはや削ることはしない、と。
ここで仕留めきることを前提とした、超攻撃シフトだった。
「────…………!!!」
魔獣が歩む。
大地が揺れる。
その一歩が森を踏み、地殻を押し込み、大陸を揺らし、音は空気を伝い、どこまでも渡っていく。
魔獣が、前線──俺たちが「最終防衛ライン」と定めたポイント──へと到達した。
まず放たれたのは、森の中央部から魔獣へと照射された、光の束だった。
波のような怒涛が、魔獣の体を正面から打撃した。
》
魔獣がさまざまな攻撃の波濤にさらされ、その体をわずかに強張らせた。
だが、それだけ。
その歩みを止めることも、致命的なダメージを負わせることも出来てはいない。
だが、
「……トワイはまだ来ていないが!」
「ここいら、が、最高潮、だな……!」
そう言ったコクランが、俺の横で両腕を広げる。
するとその体から、じゃらり、と、鉄の擦れと重なりの音が響いた。
鎖だった。
》
体毛に覆われたコクランの両腕には、極太の鎖が巻き付けられていた。
右の手首から始まり、右腕を巻き、背中を通って左側へと通る。
鎖の色は、夜闇にも、コクランの体毛にも映える銀の色。
物語に登場する狼男は銀製の武器に弱いと聞くが、それを思うとなんとも皮肉な光景だった。
「お、まえ、ドゥーン。何か、余計なこと、考えてるんじゃ、ないだろうな」
「……別に、何も」
「言っとく、が、俺は、狼じゃない。コヨーテだ。そこのところ、間違える、な」
だから銀は大丈夫、という根拠にもならない気がするが、俺は黙って頷いた。
コクランが叫ぶ。
「『虹』等級獣王武装! 名は、『カオス』! 空間をつなげ、支配し、あらゆるものを、その大口の中に、仕舞い、込む……!」
次の瞬間、大型魔獣の頭上に、空間の歪みが生じた。
夜の闇の中、まるでコーヒーに落としたミルクのように、同じ色をした闇が空を雑多に塗りたくる。
そこから、下方向へと顔を出したものがあった。
直径500メートルを下らない、大岩であった。
》
獣王武装「カオス」による一撃が、魔獣の脳天を打撃した。
独立した異空間から取り出された大岩が、その大質量をもって、魔獣の体を押し潰さんとしたのだ。
魔獣が張ったバリアのような能力は、おそらく概念的な意味での「反射」であるとの仮説が立てられていた。
受けたダメージをその場で反射するだけでなく、攻撃自体を遡ってトレースし、その威力の結果だけを、的確に攻撃主へと還元する。
もしも仮説が正しいのなら、この「カオス」による一撃は、おそらく有効だ。
この獣王武装の能力自体は、攻撃結果に関わらない。
あくまでダメージは、大岩が落下したことによる質量爆撃なのだから、「反射」の対象にはならないはずなのだ。
それを証明するように、大岩を落とされた魔獣の頭が、百メートル近い規模で急落した。
大岩の落下は、遠目に見るとスロー再生のような緩慢さで。
しかし実際には、落下の加速を十分以上に威力に乗せて。
恐竜のようなフォルムをもった魔獣が、腰を折り、背を丸め、乗せられた重量に対抗するように両足が大地を踏み締め、しかし、
「グ」
岩の重量に耐えかねたかのように、魔獣の喉が音を鳴らした。
先の咆哮とはまるで違う、それは魔獣がもつ本来の声音なのだと、そう強く思わせる、生きた叫声。
しかし、さすがにそのまま魔獣の体を押しつぶしてしまうことはかなわず、大岩は魔獣の体の横へと滑るように、森への落下軌道をとった。
だが、
「『カオス』!」
コクランがまた叫んだなり、大岩の落下先に、また闇色の歪みが出現する。
スロー映像のごときまま、大岩が闇に呑まれ、忽然と姿を消して、
「おかわり、だ、ぜ……!」
コクランが腕を振り、体に巻きつけた鎖がまたじゃらりと音を鳴らす。
再び大岩が、魔獣の頭上から出現した。
》
大岩の爆撃は、コクランの腕の振りだけ回数を重ね、順調に魔獣へのダメージを蓄積していった。
合間合間に森の中央部から放たれる攻撃もまた、勢いを失うことを知らないかのように、その激しさを増していく。
これならば、トワイの到着を待つまでもない。
そういう楽観すら脳裏を掠めるほど、作戦は順調に進んでいるかに思われた。
だが、
「……んー……」
俺は、樹上から見渡す戦場の光景に、何か違和感を感じていた。
違和感、と言っても、はっきりしたものではない。
ただ、何かが噛み合わない。
何かが気持ち悪い。
言い現しようのない、座りの悪い、どうにもこのまま終わりそうな気がしない、しかし根拠も確信もない、奇妙な感覚。
とにかく、違和感だ。
それを俺は、「いつものように」感じ取っていた。
「なァ、コクラン」
コクランが、俺の呼びかけに腕を振りながらこたえる。
「な、んだ、ドゥーン……! これ、見た目より、神経使う、んだぞ……!」
そう話す間にも大岩は、空間に放り出され、魔獣を打撃し、下に落ちる前に受け止められ、という手順を無数に繰り返している。
「お手玉みてェだなァ」
「なぜ、知って、いる……!『カオス』の、訓練に、お手玉を、使っていたことを……!」
「マジでお手玉かよ……」
ともすれば街ひとつ潰してしまえそうな「獣王武装」だが、その訓練風景のなんと牧歌的なことか。だとすれば今後は、ふたつみっつと増やしていくつもりなのだろうか。
いや、今はそんなことはどうでもいい。
「じゃなくてさ。コクラン、あの魔獣の能力、本当に『カオス』で封じられてると思うか?」
「あ!? そりゃ、そう、だろう……! 今、俺が、反撃を受けていないことが、何よりの証拠、だ!」
確かに、先の戦いではほとんどの獣王武装が即時復帰不能のダメージを負う、という大失態を晒していた。
それに比べ、コクランの「カオス」が成し遂げつつある戦果の、なんと大きなことか。
ともすればこのまま押し切れてしまうかもしれない。
そんな楽観は、俺だけでなく、きっとこの戦場にいる誰しもが抱いているだろう。
だが、
「──は!?」
その時だった。
絶好調で腕を振り回していた、コクランの鎖型「虹」等級獣王武装、「カオス」が。
音を立てて、バラバラに砕け散ったのだ。
》
「やっぱなァ」
そう言って俺は、携帯使い切りタイプの念話術式符を取り出し、森林中央部隊の人員へと連絡をとった。
『何よぉ!』
「マティーファか。いいかよく聞け? 一回しか言わねェぞ。できるならメモをとれ。ああでも忙しいか。録音の術式は使えっか? トーマスがいるなら心配ないかもしれンが、万が一俺の言葉を忘れてしまったなら」
『早く言いなさぁい!』
それはそうである。
「コクランの獣王武装がやられた。岩、そのまま森に落ちるから退避しろ」
『は、早く言いなさいよ馬鹿なのあんたぁ!!!』
念話が切れ、術式符がひとりでに燃え尽きる。
「あー、もったいねェ。あと一分くらいは会話できたのに」
「……お前、が、誰ともコンビを組まれなかった理由、が、わかったぞ、今」
そうか? と俺が応じる先、コクランは、砕けた鎖の残骸を身に纏わせたまま、息を切らせてその場にへたり込んでいた。
コクランが、大きくため息をつきながら言う。
「はぁーーーーーーー……。やられた、ぜ。概念、反射。まさか、俺の方まで、貫通して、くるとは」
「もはや呪いの領域だなァ」
「俺の、攻撃が、最初の方、通っていたのは」
「……通ってなかった、ってことじゃねぇのかな」
見れば、夜の森中、先ほどまで大岩をしたたかに受け続けていた巨大魔獣が、何事もなかったかのように、歩みを再開していた。
「……何もかもが規格外。ダメージは通らねェし、下手に攻撃すれば『反射』がくる」
「……本当に、この国、もう、終わりなんじゃ、ねぇのか」
本当にそうかもしれん。
と、そう思った時だった。
その声は、唐突に戦場へと響き渡った。
「ドゥーーーーーーーーーーーーーーーン!!!」
それは、森の東側。魔獣の進行する、その正面方向から渡ってきた。
》
その声の発生源は、俺がいる森の南西から、ちょうど北北東方向にあたる位置だった。
そちらからこちらへと、これでもかと声を張り、呼びかけて来るものがあったのだ。
「いや、何キロ離れてると思ってンだ……」
「そういう、術式? 闘気、法? か?」
「いや知らん。怖……」
「うーむ、これが、ランク、一桁の壁……」
いや、あれはアイツが規格外なだけだから、あまり参考にしない方がいい。
ともあれ、北北東方向から(なぜか)届いてきた声の方へと、俺は顔を向ける。
無論、姿は見えない。夜なのとは関係なく見えない。
だが、俺がそちらへと顔を向けた、そのタイミングをはかったように。
声は、再びこちらへと語りかけてきた。
「ドゥーン!!! きたぞ!!! 俺もきた!!!」
その声音には、隠しようもなく喜色が満面に現れていて。
「前代未聞の大魔獣!!!『照覧領域』に突如現れた破滅の足音!!! だが大丈夫だ!!! あれがいかなる力を持っていようとも、大丈夫だ!!!」
その声は、当然ながら戦場の全てへと届いている。
そのことを知ってか知らずか、トワイは言った。
「俺とお前なら、やれる!!! だからドゥーン!!! お前の力を貸してくれ!!!」
そう。
「────いつものように!!!」
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