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90.世のお母様方に問いたいこと
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「グレッグ、チェイス。今帰りました」
しんと静まりかえった部屋の隅で丸くなり眠っているチェイスとその手を握りしめたグレッグは微動だにしていません。まるで初めて会った頃のようです。
ターニャは無表情ですがこちらはかなり腹を立てていますね。
「ターニャ、少しお腹が空いたんだけどお茶とおやつを持ってきてくれないかしら?」
小さく頷いたターニャが部屋を出るのを見届けた後わたくしはソファに腰かけてグレッグに話しかけました。
「今日注文したお花の種と苗は三日後に届くんですって。セルゲイ爺ちゃんにどこに植えるのか聞きに行かなくちゃね。
そう言えばお野菜の苗も入ってたわ。どんなお花が咲くのか調べてみなくちゃ」
独り言を呟きながら子供部屋の小さな本棚に向かいました。僅かばかりの本が並ぶそこはグレッグの聖域のひとつで、わたくしは利用を許された数少ない名誉会員です。
少し厚みのあるそれは長年子供達に愛用され傷があり擦り切れています。
「ナスってこんなお花が咲くのねすごく可愛いわ。あとは⋯⋯」
のんびりとページをめくっているとグレッグ達のいる辺りから小さな声が聞こえてきました。
「リィ、ちて、チェチュねてから、おくうごけない、チェチュ、まもうからちょばにいるもん」
本を置いてグレッグの方を見ると青ざめた顔に涙の跡がいっぱいです。思わず飛びついて抱きしめたくなりましたが驚かさないようにゆっくりと近づき、二人から少し離れた場所に座って両手を広げました。
暫くわたくしとチェイスの顔を見比べていたグレッグが胸に飛び込んできました。
「リィ、こあかった、チェチュ、まもった⋯⋯なまかないの、いっぱいないてたの、とああてたの⋯⋯えーんてちてたの、ちゅれてたれる、やだなの、リィ、いないやなの」
「そうか、グレッグはチェイスを守ったのね。きっとすごくカッコよかったわね。チェイスも間違いなく『お兄ちゃん、大好き』って思ってたわね。
わたくしもグレッグが大好きよ」
「うん、リィちゅち、なまかだもん、チェチュちさいからおくがまのるの」
「チェイスはまだ小さいからグレッグが守ったのね。グレッグはチェイスのヒーローだわ」
「⋯⋯いーろ?」
「そう、困った人を助けるかっこいい人のことをヒーローって言うの」
「おく、いーろぉ、かっくいい」
「じゃあ、かっこいいヒーローはお顔を拭いておやつの準備を手伝ってくれるかしら? ターニャが戻ってくるまでの競争ね」
「うん、きょ~と~ちゅるもんね、ターニャまてないもん」
「ええ、ターニャには負けないわよ~」
ターニャが準備していた濡れたタオルをグレッグに渡してから小さなテーブルをチェイスの近くに運びました。
「おくはぁ、おいちゅはこむね~、チェチュはねてうから、おいちゅはいっこ⋯⋯リィのクッチョンもおくたんと~!」
試練を乗り越えたヒーローは今までで一番はっきりと話せています。この様子だと『さしさせそ』と『らりるれろ』が言える日も近そうです。
椅子に座ってソワソワしながら待つグレッグの話が止まりません。
「ターニャ、まけね~、おくおなかぺったんの⋯⋯おぱなみたいし~、ぐうっていうち~、じいちゃ、いーろぉちってう?」
ターニャ、急いで下さい。グレッグが寝ちゃいそうです。
「おやつを食べてお昼寝してから、セルゲイ爺ちゃんに『ヒーロー』のお話聞いてみましょうね」
「うん⋯⋯あ! ターニャ、まけね~、おくのかちも~ん」
「やられた~! 次は負けないからね~」
「いーろぉは、まけないかなね~」
半分寝かけているグレッグに林檎とバナナを少し食べさせてベッドに運びました。勿論隣にはチェイスも。
「リィ、いっちょ、いいの⋯⋯」
胸をキュンとさせるセリフを吐いてグレッグが眠りに落ちていきました。
「あのクソ野郎達はどうなりました?」
「お父様がコテンパンにして下さるはず。わたくしも鼻に一発やっちゃったわ」
ターニャが目と口を大きく開いて固まりました。ふふ、わたくし『できる子』でしたでしょう?
外が暗くなるまで寝続けた二人はそれ以来わたくしの後ろをずっとついてくるようになりました。『まるでカルガモの親子ですね』と言われていますが、これはこれで中々大変ですの。
困るのはご不浄とお風呂、着替えもですね。
お風呂は子供達が寝てからにして着替えは起きるまでに済ませますが、ご不浄の最中にドアの前で泣き叫ぶチェイスとドアを叩きながら名前を呼び状況を屋敷中に知らせるグレッグには悩んでしまいました。
『いやぁぁぁ! リィィィィ』
『リィィィ! おくもぉ! おくもおちっこなのぉ、いっちょちたいのぉぉぉ!」
『リィィィ! もうでた!? またならおくもいでてぇ』
子供の声って本当に遠くまで響くんです。その声で『只今お花摘みの最中です』と公言しているようなものですから、その頃はお茶を飲む勇気もなくなりました。
世のお母様方にどうされているのかお聞きしておくべきでした。
この恨みが向かう先と言えば勿論キャンベル辺境伯です。わたくしの祈りが通じたのか、わたくしの怒りに恐れをなしたお父様の差金か⋯⋯。
現在のキャンベル辺境伯夫妻は『只今ざまぁ祭り開催中』ですわ!
しんと静まりかえった部屋の隅で丸くなり眠っているチェイスとその手を握りしめたグレッグは微動だにしていません。まるで初めて会った頃のようです。
ターニャは無表情ですがこちらはかなり腹を立てていますね。
「ターニャ、少しお腹が空いたんだけどお茶とおやつを持ってきてくれないかしら?」
小さく頷いたターニャが部屋を出るのを見届けた後わたくしはソファに腰かけてグレッグに話しかけました。
「今日注文したお花の種と苗は三日後に届くんですって。セルゲイ爺ちゃんにどこに植えるのか聞きに行かなくちゃね。
そう言えばお野菜の苗も入ってたわ。どんなお花が咲くのか調べてみなくちゃ」
独り言を呟きながら子供部屋の小さな本棚に向かいました。僅かばかりの本が並ぶそこはグレッグの聖域のひとつで、わたくしは利用を許された数少ない名誉会員です。
少し厚みのあるそれは長年子供達に愛用され傷があり擦り切れています。
「ナスってこんなお花が咲くのねすごく可愛いわ。あとは⋯⋯」
のんびりとページをめくっているとグレッグ達のいる辺りから小さな声が聞こえてきました。
「リィ、ちて、チェチュねてから、おくうごけない、チェチュ、まもうからちょばにいるもん」
本を置いてグレッグの方を見ると青ざめた顔に涙の跡がいっぱいです。思わず飛びついて抱きしめたくなりましたが驚かさないようにゆっくりと近づき、二人から少し離れた場所に座って両手を広げました。
暫くわたくしとチェイスの顔を見比べていたグレッグが胸に飛び込んできました。
「リィ、こあかった、チェチュ、まもった⋯⋯なまかないの、いっぱいないてたの、とああてたの⋯⋯えーんてちてたの、ちゅれてたれる、やだなの、リィ、いないやなの」
「そうか、グレッグはチェイスを守ったのね。きっとすごくカッコよかったわね。チェイスも間違いなく『お兄ちゃん、大好き』って思ってたわね。
わたくしもグレッグが大好きよ」
「うん、リィちゅち、なまかだもん、チェチュちさいからおくがまのるの」
「チェイスはまだ小さいからグレッグが守ったのね。グレッグはチェイスのヒーローだわ」
「⋯⋯いーろ?」
「そう、困った人を助けるかっこいい人のことをヒーローって言うの」
「おく、いーろぉ、かっくいい」
「じゃあ、かっこいいヒーローはお顔を拭いておやつの準備を手伝ってくれるかしら? ターニャが戻ってくるまでの競争ね」
「うん、きょ~と~ちゅるもんね、ターニャまてないもん」
「ええ、ターニャには負けないわよ~」
ターニャが準備していた濡れたタオルをグレッグに渡してから小さなテーブルをチェイスの近くに運びました。
「おくはぁ、おいちゅはこむね~、チェチュはねてうから、おいちゅはいっこ⋯⋯リィのクッチョンもおくたんと~!」
試練を乗り越えたヒーローは今までで一番はっきりと話せています。この様子だと『さしさせそ』と『らりるれろ』が言える日も近そうです。
椅子に座ってソワソワしながら待つグレッグの話が止まりません。
「ターニャ、まけね~、おくおなかぺったんの⋯⋯おぱなみたいし~、ぐうっていうち~、じいちゃ、いーろぉちってう?」
ターニャ、急いで下さい。グレッグが寝ちゃいそうです。
「おやつを食べてお昼寝してから、セルゲイ爺ちゃんに『ヒーロー』のお話聞いてみましょうね」
「うん⋯⋯あ! ターニャ、まけね~、おくのかちも~ん」
「やられた~! 次は負けないからね~」
「いーろぉは、まけないかなね~」
半分寝かけているグレッグに林檎とバナナを少し食べさせてベッドに運びました。勿論隣にはチェイスも。
「リィ、いっちょ、いいの⋯⋯」
胸をキュンとさせるセリフを吐いてグレッグが眠りに落ちていきました。
「あのクソ野郎達はどうなりました?」
「お父様がコテンパンにして下さるはず。わたくしも鼻に一発やっちゃったわ」
ターニャが目と口を大きく開いて固まりました。ふふ、わたくし『できる子』でしたでしょう?
外が暗くなるまで寝続けた二人はそれ以来わたくしの後ろをずっとついてくるようになりました。『まるでカルガモの親子ですね』と言われていますが、これはこれで中々大変ですの。
困るのはご不浄とお風呂、着替えもですね。
お風呂は子供達が寝てからにして着替えは起きるまでに済ませますが、ご不浄の最中にドアの前で泣き叫ぶチェイスとドアを叩きながら名前を呼び状況を屋敷中に知らせるグレッグには悩んでしまいました。
『いやぁぁぁ! リィィィィ』
『リィィィ! おくもぉ! おくもおちっこなのぉ、いっちょちたいのぉぉぉ!」
『リィィィ! もうでた!? またならおくもいでてぇ』
子供の声って本当に遠くまで響くんです。その声で『只今お花摘みの最中です』と公言しているようなものですから、その頃はお茶を飲む勇気もなくなりました。
世のお母様方にどうされているのかお聞きしておくべきでした。
この恨みが向かう先と言えば勿論キャンベル辺境伯です。わたくしの祈りが通じたのか、わたくしの怒りに恐れをなしたお父様の差金か⋯⋯。
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