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第一章

71.うっかりには要注意

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 部屋に逃げ込んだグロリアは『バフン』とベッドに飛び込んだ。

「あっ! マズい」

 着ているドレスが水浸しで煤まみれになっているのを忘れていたグロリアは慌ててベッドから飛び降りたが、既に布団やカバーは黒っぽいシミと水でひどい有様になっていた。

(仕方ない⋯⋯《レディーレ戻す》)

 グロリアが名前をつけたこれは物の状態を少し前に戻すもの。部屋を氷漬けにしてしまった時に思い出せていればとても活躍してくれたはずなのにパニックになり忘れ去られた可哀想な護符。

 魔術でいつも部屋を水浸しにするグロリアが考えついたダブルバインドの護符は破壊を意味する《ハガル》と復活の《イス》を使った物で、1分程度しか戻せないが何度も何度もお世話になっている優れもの。

(トリプルバインドや魔法円を使えるようになればもっと時間が延ばせるはずだけど、今のところはこれで十分。それよりも⋯⋯)

 今回の最大の失敗は護符の管理の甘さで人に迷惑をかけた事。あのメイドはこの部屋に落ちていた護符を、意味はわからないまま拾って持っていたのだろう。

 ドレスを着替えながら、自身のしでかしたことの重大性に恐れをなした。『あのメイドが怒られなければいいけど』と溜息をついた。

(人の部屋のものを勝手に持っていかないでって言いたいけど、片付け忘れてた私も悪いし。あれは何って聞かれたら困るから何も言えないしね。
まさかクビとか減給とか言われたらどうしよう)



 ポーチから取り出した護符の端に黒や茶の丸い跡があるのは多分火の粉が散った跡だろう。

(大騒ぎになったけど怪我人とかいなかったことだけは感謝しなくちゃ)

 着替えが終わってもう一度ベッドに倒れ込んだグロリアは何か大切なことを忘れているような居心地の悪さを感じていた。

(きっとジェイソンの様子が変だったからね。いつもは声をかけると『面倒だ!』って顔に書いてあったのに、さっきは⋯⋯うーんと、なんだろう。なんか変だったんだよね。
なにか疑われてるとか詮索されてるみたいな意味深な感じで話すし。それと妙にギラギラした目が侯爵みたいで気持ち悪かった。
ジェイソンはぼや騒ぎになったせいで動揺していて、さっき見たような話し方とか態度が本当のジェイソンだって事かも)

 非常事態に陥った時こそ人は本音が出るからと結論づけたグロリアは皺が寄って焼けこげのある護符を眺めた。

 これは数日前に魔導具対策用に書いた護符の一つ。変化の《エオー》と、発現の《ケン》が使われている。

(ケンの文字には松明の意味もあるから『火』がついたんだね。シーツを乾かそうとして風魔法を使おうとしたら火が出たって言ってたんだっけ⋯⋯。私がやると豪快な焚き火になりそうだけど、あのメイドはちょうど良い範囲を狙えてた⋯⋯それって、使う魔力の量が違うかイメージ力のせい? うーん、羨ましいかも)



『なんか違う魔法が⋯⋯乾かないから風の魔法を使ったのに、なんでか火が出て。私、火の属性魔法は使えないはずなのに』



 メイドの震える声を思い出したグロリアが慌てて起き上がった。

(火の属性が使えないのに火が出たのはアリだけど、風の魔法の代わりに火が出たって事? あの時窓から下を見下ろしてシーツが燃えているのを見たけど⋯⋯風が出ていたようには見えなかったよね。
魔法と魔術だから混ざり合わないのは当然だけど⋯⋯。もしかしてだけど、魔法を打ち消して魔術が発動したとか?)

 グロリアは急いで机に向かいノートを出して新しいページを開いた。

(可能性としてあるのは⋯⋯
1、魔術が魔法を打ち消した。だとしたらその理由は?
2、魔力を魔術が使ったから魔法が不発になった。それなら一度に魔力溜まりから使用できる魔力量には制限があるとか?
3、優先順位がある。
4、魔術と魔法は同時に行使できない。ランダムになるとか?
うーん、色々理由が考えられそう。その他に考えられるとしたら⋯⋯)

 食事も忘れて机に向かい可能性を書き出していたグロリアの部屋のドアが深夜近くになってノックされた。


 コンコンコン⋯⋯コンコンコン⋯⋯


(ん? 誰か来た⋯⋯《サーチ》⋯⋯ジェイソンだ)

 慌てて机の上のものを全てポーチにしまい机の下も確認してドアを開けた。

「夜分に失礼致します」

 そこには予想通り小脇に毛布を抱えたジェイソンが立っていたが、料理の乗ったトレーを持っていたのは完全に予想外だった。

「お食事をお持ち致しました。宜しいでしょうか?」

「え? あ、はい」

 料理が部屋に運ばれたことなど今まで一度もなかった。以前ならお腹を空かせた時は厨房に忍び込んで林檎やパンなど手の届くものを貰ってきていたが、最近はポーチに幾つか入ってるから気にもしてなかった。

 ホカホカと湯気の立つスープや焼き立てのパンの匂いが漂い、チキンとハーブの香りもしている。

 机に並べられたそれを見てグロリアが不安そうにしているとジェイソンが頭を下げた。

「今日はかなり冷え込んでおります、温かいうちにお召し上がり下さい」

 ボヤを消しとめたお詫びなのだろうと思いながら椅子に座りスプーンを手にした。スープを口にして空腹に気づいたグロリアは、隣に立つジェイソンのことを忘れて食事に集中した。

(美味しい⋯⋯食堂で食べるよりずっと美味しいかも。次からここに自分で持ってこようかな。それができたら嬉しいかも)


 この家ではほとんどお目にかかったことのないデザートまで堪能した後、漸くジェイソンの存在を思い出した。

「ごめんなさい、思ったよりお腹が空いてたみたいで」

「どうぞお気になさらず。夕食をお持ちするのが遅くなり申し訳ありませんでした。それに⋯⋯今までは食堂にお見えになられなかった時にお声をおかけすることもお食事をお持ちすることもせず、大変申し訳ありませんでした」

 執事として優秀な(伯爵談)ジェイソンだがグロリアが『役立たず』に認定されてからはいつも慇懃無礼な態度か不満がありまくりだとはっきり分かる態度ばかり。

(それが突然食事を運んできた上に謝罪? 頭下げた? 怖い怖い怖い⋯⋯絶対無理! ボヤ消しただけでこの変わりようって、あり得ないんですけど!?)

「あ、特に気にしてなかったので」

 顔を上げたジェイソンはホッとしたように柔らかな笑みを浮かべていた。

(すんごい嘘くさいけどね! 新人の俳優が『テメェは普通に笑えんのか!!』って監督に怒鳴られるレベルで気持ち悪い。
やっぱりジェイソン変だよ~。ボヤを消しとめただけなのにこんなに態度が変わるっておかしくない?
あーもー、予想外の出来事は苦手なのにぃ。この後どうすればいいのか分かんない⋯⋯)

 チラチラとジェイソンの様子を横目で見ながら食器を端にまとめているとジェイソンから驚きの声がかかった。

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