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第五章

27.目標を決めた人は

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 その頃、行方をくらましていたネルズ元公爵の居場所が判明したと連絡が入った。

 ネルズ元公爵は爵位を長男に譲ってからは、公の場所に出てこないだけでなく、居場所も不明のままだった。

 タイラーの元には何年も姿を表していないが、支援は続いている為生存しているのは間違いないと思う。

 現公爵は、問い合わせに対しのらりくらりと返答するばかりで、使用人達も口が硬く突破口さえ掴めなかった。

『特殊な病に罹り隔離した方が良いと⋯⋯どうかご容赦下さい』



「どこにいらっしゃったの?」

「ハーバント子爵領です。領地の外れにある狩猟小屋で炭焼きをしておられました」

 ネルズ公爵家とハーバント子爵家には繋がりはなく、子爵はネルズ元公爵が炭焼きに扮しているなど知らないよう。

「それじゃあ分かんないはずだぜ。公爵が炭焼きとは驚きだな」

「行ってくる。間違いなくネルズ元公爵様がお持ちだわ」

 秘密にしたい事がないのなら、炭焼きになどなっていないはず。重労働で大気汚染と健康被害が問題視されている炭焼きは、底辺の平民仕事だと言われている。ネルズ元公爵の趣味は楽器演奏で、大切な手や指を傷める仕事に興味を持つはずがない。

(間違いないわ、そこまでして守りたいものは、マクベス先王の遺志とタイラー様)




 ハーバント子爵領は目立った特産品もなく、質素倹約を旨として暮らす、貴族の中では珍しい誠実な人柄だと噂されている。高齢の子爵夫妻は平民と結婚した息子と同居し、領民に混じって畑仕事をする事もあると言う。

 ネルズ元公爵がいるのは子爵領の端にある山の中。舗装されていない道を騎馬で山に向かうと、砂埃が舞い上がった。

 山裾で馬を降り獣道に近い道らしき坂を登っていくと、慌てて逃げ出した鳥が飛び立ち、足元をざわりと動く何かに息を飲み込んだ。

(本当にこの道で合ってるのかしら)

 不安になるのは人の通った気配がないから。それでも、意を決して登っていくと空気に煙の匂いが混じり始めた。



 煤けた小屋が住居なのだろうが、大きさから考えて一間限りのよう。木のつっかい棒をして窓が開いているので、近くにいるのは間違いない。

 壊れないと良いけどと思いながら少し傾いだドアを叩いた。

「こんにちは、どなたかいらっしゃいませんか?」

(出入り口はここしかなさそうだから、待ちましょう)

 ドアが見える位置にある木にもたれて、ネルズ元公爵との根比べをはじめた。

(山の中なんて初めてだわ。煙の臭いがなければ、空気も美味しそう。水はどうしてるのかしら? 近くに川がある時は音がするんじゃな⋯⋯)

「こんな山の中になんのようだね」

 小屋の裏から出てきたのは人相がわからないほど、煤で真っ黒になった老人だった。継ぎの当たったチュニックを着て、ベルトの代わりに紐が腰に巻いてある。

 一度も指を通した事がないような逆立った髪、カサカサに乾いた肌と唇。しっかりと手入れされていた手と指は、節くれ立って傷だらけだった。

「初めまして、エレーナ・オルシーニと申します。元エレーナ・ビルワーツと申し上げた方が良いのかもしれませんが。ビルワーツだったのは5歳までですし、エリオット・オルシーニ様を本当のお父様のように思っておりますから」

「あんたが誰でも興味はない。さっさと帰れ、仕事の邪魔になる」

 そのまま踵を返していなくなるのかと思ったが、いつでも動けるように片足を少し引いた状態で微動だにしない。

(わたくしがいる間は目を離さないつもりね。それはとても助かるわ)



「では、お話しできる時間までお待ちします。お手伝いできるのはお部屋のお掃除とか食事作りくらいです」

「はーっはっは、あんたがこの小屋の掃除? そんな傷一つない手で? 囲炉裏に火も付けれんくせに」

「見た目より長く生きてますの。5歳の時には、アパートさえ借りられれば一人暮らしをするのに⋯⋯と溜め息をつきました。家事全般には自信がありますわ」

「そうか、よく分かった。もうすぐ日が暮れる、さっさと帰れ」

 穏やかな性格でマクベスの父王が逝去した後、エロイーズ王妃派に苦言を呈し領地に籠った貴族の一人。議員としての務めは果たすが特に発言する事もなく、表向きはいつも中立を保っていた。

「この世には不思議な事は多くあります。音楽に造詣が深く、楽器を嗜まれていた方が炭焼きをする。もっと不思議なのはわたくしが18歳でループし、5歳に戻っていた事ですわ。
再来年の3月にランドルフとジュリエッタが馬車の事故で死亡。エドワードが王に即位し、数ヶ月後にソフィー・ライエンが側妃候補になります」

「ソフィーは王太子妃にな⋯⋯」

 ネルズ元公爵が口を滑らせた。ソフィーが王太子妃に内定したのは、まだ公にはされておらず、山奥に隠れていても最新情報は届いているらしい。

「ええ、その通りですわ。王太子妃に内定致しました。わたくしが5歳の時、歴史を変えたせいかもしれません。
ループ前は、アメリア様が落馬事故で逝去され、公国はセルビアスから侵略戦争を仕掛けられましたの。わたくしは父親に虐待された挙句、エドワードの王太子妃にされて、生き地獄としか言えない暮らしを致しました。側妃候補になったソフィーにバルコニーから突き落とされたのが死因ですわ。

わたくしの人生が大きく転落しはじめたのは、アメリア様の落馬事故だと考え、それを阻止する為に策を練り、侵略戦争を未然に防いでオーレリアに参りました。
それ以降、所々歴史が変わっておりますけれど、大きな流れは変わっていないようです。
いずれにせよ、托卵王の息子エドワードが即位してしまいます。

わたくしが生まれる前から中途半端に残り、膿を吐き出し続けている悪魔を、潰しに行こうと思っておりますの。4カ国一斉に」

「何故、アメリア様と呼ぶ?」

「ネグレクトという言葉をご存知ですか? 虐待の一つです。なので、アメリア様はアメリア様、わたくしとは無縁の方ですの。
アルムヘイルの国民を捨てた方ですし、中途半端で殻に篭られたわけですし」

「⋯⋯」

「残るピースはあと一つ。ランドルフが托卵王である証拠ですの。それがなくとも、皇帝の正式文書も帝国第二皇子の手紙も押さえてありますから、追い詰められます。
その上で、強制的に再検査させれば良いと思いますけれど、マクベス先王が亡くなられてから既に長い時間が経っております。遺品に疑義ありと言われては面倒だなと思いまして、ネルズ元公爵閣下からお借りできないかと。
マクベス先王が大切なものをお預けになられるとしたら、絶対の信頼を寄せておられたネルズ元公爵閣下しかないと愚考致しました」

「は、はは⋯⋯随分と元気な方だ。その様子だとタイラー第一王子殿下の居場所まで突き止めておいでのようだな」

「はい、もしタイラー第一王子殿下が王への道をお望みならば、堂々のご帰還のお手伝いを致したく存じます。
ただ、托卵王を親族纏めて処分した後のアルムヘイルの舵取りは、これ以上ない程めんどくさい⋯⋯険しい道だと思われますので、おすすめはできませんが」

「無理矢理王宮にお連れするつもりはないと?」

「タイラー第一王子殿下と比べるのも烏滸がましいのですが、わたくしはビルワーツを捨てる道を選んだ身でございます。領民の暮らしに不安がなかったお陰ではありますが、そのわたくしが人に道を押し付けるなど、出来ようはずもございません」












 エドワードの婚約パーティーの1ヶ月前⋯⋯。

 タイラーは擦り切れた麻のシャツと継ぎの当たったズボンを履き、木を削って新しい木剣を作ろうとしていた。

 騎馬でやって来たのは成人前の女性だが、念の為に腰に下げていた短剣を手に構えた。

「先触れもなく訪れましたご無礼をお許しください。また、許可なくお声がけ致したことも、重ねてお詫び申し上げます。
お初にお目にかかります、エレーナ・オルシーニでございます。エドワード王太子の婚約パーティーにて、アルムヘイル王家を潰します事をご報告に参りました。
訳あって離籍致しましたが、元はビルワーツ侯爵家の嫡子でございました。現在はオーレリア魔法大国にて暮らす一学生でございます」

 短剣を前に物おじすることもなく、カーテシーをしたエレーナは、頭を下げたまま声がかかるのを待った。

「丁寧な挨拶痛み入る。頭を上げてくれ。どうやら、誰かと間違えておられるようだな。私には何のことやらさっぱり分からない」

「誠に勝手ながら、わたくしの要件はご報告のみ。これにて御前を下がらせていただきます。お時間をいただき、心よりお礼申し上げます」

 もう一度頭を下げてから、本当に帰ろうとするエレーナにタイラーは度肝を抜かれた。

(そのまま帰る? 嘘だ⋯⋯きっと引き留められるのを待っている)

 木を削る作業に戻り、いつ振り返るかとチラ見しているうちに、エレーナの乗った馬は麦粒程の大きさになってしまった。

(マジか、本当に帰ったのか?⋯⋯エレーナ・オルシーニ。オーレリアのオルシーニ公爵家の養女だな。一体なんのつもりだ? 本気で国を相手にするはずがない)



 ここ数年は週に一度物資の補給に馬車が来るだけで、タイラーが話す相手は老いぼれた馬のみ。

「なあ、あれは一体なんだったと思う?」

 公爵から見捨てられたわけではないと知っている。届く補給物資には、いつもタイラーの好物や果物が入っており、菓子の包み紙の間に手紙が入っているのだから。

 見慣れた文字に安堵のため息が漏れた。公爵と一緒に使った暗号を紐解くと、いつものように気遣う言葉が現れた。

 腹を出して寝ていないか、人参もちゃんと食べているか⋯⋯まるで子供に言うような言葉も書かれている。

(国は益々混迷を極めているようだな。税は5割をとうに超えているのに、さらに課税するなど、死ねと言うようなものではないか⋯⋯)

 公爵に最後に会ったのがいつだったか⋯⋯。

(エレーナ・オルシーニの事が知りたい。あの話が本当なら⋯⋯)

 陽の光を弾くような眩いプラチナブロンドと、真っ直ぐ人の心のうちを見透かすような翠の目。まっすぐに伸びた背や細い身体からは、溢れんばかりの力強さと信念を感じた。

(目標を定めた人と言うのは、あのような目をしているのかもしれないな)



 ネルズ元公爵の手紙を何度も読み返したタイラーは、僅かな荷物を纏めて住み慣れた我が家を後にした。



 いざという時に公爵と決めていた屋敷に向かった。

「仕事を探しております。左の足には古傷がありますが、腹は丈夫ですし、人参も食べられます」

 少し恥ずかしい合言葉を屋敷の使用人に伝えると、裏口から入るように言われた。厨房の横の倉庫から地下に降りると、見たことのある顔が待っていた。

「お久しぶりでございます。ご健勝でおられたようで安心致しました」

「さっそくだが、話を聞かせてもらえないか? エレーナ・オルシーニにもう一度会って話を聞きたい」

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