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第四章

06.祖父母の命日に

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 ほぼ1か月の間、心穏やかに今後の人生設計を立てていたエレーナの部屋にジェイクが飛び込んできた。

「エレーナ様、アメリア様が落馬されて大怪我を!」

「どうして! まさかお一人だったわけでは⋯⋯」



 コンサバトリーでの話し合いの後、マーカスは2回エレーナを訪ねてきた。1回目はエレーナの知る情報を再確認するため、2回目はレイモンド達の命日の前日となる昨日。

『何とかゴリ押しして許可をいただいたから、俺の他に3名の護衛がつく』

『落馬事故の可能性が高いと言われてはいましたが、確か馬は見つかっておらず原因は特定されていません。どうかくれぐれもお気をつけて。この国と国民のためにアメリア様のご無事をお祈りしております』

『アメリア様⋯⋯お母様とは呼ばないのかな?』

『アメリア様はアメリア様ですわ』



 出かける前は不満そうにしていたアメリアは、墓のある丘が近付いてくるとマーカス達と少しずつ話をするようになった。

『前後を護衛に守られてると、大物になった気分だわ』

『公王ですから大物に決まってますよ』

『ふふっ! 今日はみんなでお茶会にしましょう。たまにはそれも良いかも』



 冷たい風が吹き抜け木の葉が舞い散る丘に着くと、シートやお茶の準備を護衛のオリバーに任せ、ダイヤモンドリリーとアップルパイの箱を抱えたアメリアは墓に向けて歩き出した。

 長い時間墓の前に座っていたアメリアは1年間の報告を終えて、マーカス達の元へ帰ってきた。

『お帰りなさい。後で俺達も挨拶に行かせていただいても構いませんか?』

『勿論! このメンバーが揃って顔を見せたらお父様もお母様も喜んでくださるわね』

 アメリアの機嫌が治った理由はメンバー全員が、レイモンドが最も信頼していた者達だったから。

 マーカス・オリバー・ルイ・ジョーンズ。仕事を無理矢理片付けて来たせいで、4人の目の下にはクマが育っているが、上機嫌のアメリアを見れば疲れがどこかに飛んでいく。

 冬の澄んだ空気の中アメリア達の笑い声が響くたびに、呑気に草をはんでいた馬が顔を向けて耳をひくつかせた。



「事件が起きたのは帰り道で、アメリア様の馬が突然暴れ出して落馬されたそうです」

 事故現場にダイヤモンドリリーが落ちていたことから、行きに何かが起きるのだと思い込んでいた。

「それでお怪我のご様子は?」

「意識不明で治療中だそうです。後、助けようとしたマーカス様も怪我されたとか。病院に行くご準備を! メイドを呼んでまいります」

 呼び止めようと伸ばしたエレーナの手がそのままの形で止まった。

(病院にわたくしが? 目を覚まされた時、わたくしが目の前にいたらアメリア様は不快な思いをされるかも⋯⋯でも、少し離れたところでご回復を願って帰るだけなら大丈夫かしら)



 ジェイクが声をかけたのが誰だったのか分からないが、ミセス・ブラッツがメイドを連れてやってきた。

 クローゼットを開けて延々と時間をかけて品定めした後、取り出したのは飾りがあまり付いていない若草色のワンピース。シンプルなAラインで、襟に生成色のレースがついている。

「長い髪をひとつに結んで、ワンピースと同色の細いリボンをつけなさい。わたくしは⋯⋯ニール⋯⋯いえ、準備してまいります。終わったらここで待っていなさい、いいですね! 決して部屋から出てはなりません。
全くなんてことかしら⋯⋯すぐに相談⋯⋯失敗⋯⋯それと⋯⋯」

 ミセス・ブラッツの去り際の呟きは切れ切れにしか聞こえず、機嫌が悪いように感じたのは、アメリアの怪我を心配しているからなのか、自身の立場を心配しているからなのかよく分からなかった。

 傷んだ髪をひとつの三つ編みにし終わるとメイドは何も言わず出て行き、することがなくなったエレーナはぼんやりと秘密のノートの入った引き出しを眺めた。

(歴史が変わったのか、それとも変えられないのか判断がつかないけど、今日を乗り越えられたらきっと⋯⋯あ、靴がないわ。いつものでいいわね)





 ループ後、初めて乗った4頭立ての紋章付きキャリッジは、スプリングが効いていてほとんど揺れず驚くほど乗り心地がいい。

 侯爵家から宮殿までは馬車で30分程度。大通りを走り緩やかな山道を登ると、白い大理石の宮殿が見えてきた。

(凄い、これをたった2年で建てたなんて。アメリア様の行動力とビルワーツの財力、オーレリアの助力もありそうだわ)

 白い大理石が輝く3階建ての宮殿は、ルイ15世様式またはロココ様式と呼ばれる優美で雅やかな佇まいで、夕闇が迫るこの時間になっても多くの人が出入りしていた。

 正面中央の馬車回しに馬車を停める許可が降りたのは、ビルワーツ侯爵家の家紋のお陰だろう。綺麗にプレスされた制服を着た衛兵が守る正面の入り口から、エレーナ達は宮殿の中へ足を踏み入れた。

 金で縁取られた白い壁はストゥッコ化粧しっくいを使い、流線的で不規則に湾曲したロカイユ装飾が施されている。大きな窓と明かりの灯ったシャンデリアの灯りで、寄木細工の広い廊下はより広く感じられ、コツコツと響く靴の音が妙に大きく聞こえた。

 点在する家具はカブリオールレッグ猫脚と呼ばれる、曲線の脚を持った繊細な装飾が施されたもので統一され、花が飾られた花瓶以外にも多種多様な青を使ったセーヴル焼の作品が並べられている。

 飾られている絵画は田園や森など豊かな自然の中を散策したり、愛を語らう上流階級の男女の日常を描いた同じ時代のもので統一されていた。



 宮殿に併設された病院に行くには、いくつも並んだドアの前を通り過ぎ、宮殿の左端まで行くという。案内する護衛の後をジェイクが続き、その後ろのエレーナは短い足を懸命に動かしていた。

「エレーナ様、さっさと歩いて下さい! 間に合わなかったらどうしてくれるおつもりですか?」

 エレーナの後ろを歩いていたミセス・ブラッツが耳元で呟いて腕をつねってきた。

「⋯⋯(うっ!)」

 子供に慣れていない衛兵も、状況がどうなったのかが心配で頭が回っていないジェイクも、イライラしているミセス・ブラッツも足の長さが違いすぎると気付いていない。

「エレーナ様でいらっしゃいますか? お迎えにあがりました、わたくしはジョーンズと申します」

 横の通路からやって来た年配の紳士はミセス・ブラッツの前に割り込みながら、エレーナに声をかけてきた。

(全く、ジェイクは何を見ているのですかね⋯⋯本当に成長しない奴で困ります。後でしっかり言い聞かせお仕置きしなくてはなりませんね)

 後ろを振り向いたエレーナはジョーンズの狙いに気付き、少し上がった息を整えながら笑みを浮かべた。

「エレーナです、迎えにきてくださってありがとうございます。初めて参りましたので、衛兵に案内していただいておりました」

 廊下では誰が聞いてあるかわからないので、下手なことは口にできない。

「それはよろしゅうございました。ここからまだずいぶん距離がございます。宜しければジェイクに手伝わせたいと思いますが、如何でしょうか」

「それは助かります。身長の違いでご迷惑をおかけしそうでしたの」

 やっとジョーンズとエレーナの話の意味に気付いたジェイクが、腰をかがめて両手を伸ばしてきた。

「気が急いておりまして、失礼いたしました。お身体に触れても宜しいでしょうか」

「ええ、手数をかけます。よろしくね」

 抱きあげられたエレーナがホッと息を吐くと、ジェイクが小声で『気付かなくて申し訳ありません』と呟いた。

「さあさあ、早く参りましょう。こんなところで時間がかかっている間にアメリ「ミセス・ブラッツ! 控えなさい」」

「は! な、何を言っているのです! わた、わたくしは⋯⋯」

「ミセス・ブラッツ、ここには多くの方が出入りしておられます。家政婦長と言う立場のあなたに、その意味が分からないとは思えませんが?」

 いつも下を向いてばかりのエレーナに叱責され、ミセス・ブラッツが目を見開いて言い返しかけたが、エレーナは家政婦長より立場は上で言い返すなどもっての外。

 ジェイクに抱っこされている状態だが、エレーナが使用人を叱責するのは次期当主として当然の事だった。

 誰が聞いているか分からない公の場所で、アメリアの名前を出すなど許されることではない。アメリアが怪我をした事を知られれば、何が起きるか分からないのだから。

(半年後のディクセン・トリアリア連合王国の侵略が、早まる可能性だって考えられるわ⋯⋯既に宮殿内に手を伸ばしているのは間違いないと思う。それをマーカス様にお伝えしなくてはならなかったのに⋯⋯)

「エレーナ様、流石ビルワーツ侯爵家の後継者様でございます。そのお年で周りへの配慮に気付かれるとは、感服いたしました。では、参りましょう」

 無言で睨みつけるミセス・ブラッツは後で仕返しをしてくるはず。それが分かっていても、言うべき時は言わなくてはならない。

(慣れはしないけれど、痛みには強いの。ループ前も今回もね)



 屋敷の中でお山の大将になるのは放置できても、公では通用させてはならない。

(今後も同じ事を繰り返すなら、何か方法を考えなくては危険だわ。ことが大きくなってからでは遅いもの)

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