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第三章 

06.アメリアの覚悟

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(もう賽は投げられたのだから、進むしかないのは分かってるわ。でも、さっさと奴を殺っておきさえすれば⋯⋯)

 敵の攻撃に合わせて魔導具による攻撃を続け、明け方に駐屯地のどこかしらで爆発を起こす。

 銃は水浸しで食糧庫は黒焦げ、方法が分からないまま攻撃に翻弄されるクレベルン兵士の士気は下がる一方で⋯⋯。

 2日後、クレベルン王国兵が引き上げはじめたのを確認し、彼等の駐屯地で重要書類を発見したアメリアは、その書類を胸に王宮に転移した。











 その後の悪夢を、アメリアはぼんやりとしか覚えていない。

 セレナの横で膝をついたレイモンドは、妻の手をしっかりと握りしめ、隣に頭を休めるような姿勢で発見されたと言う。

「右手がセレナ様の頭に触れていたのは、髪を撫でておられたのだろうと思います」

 目を赤くしたマーカスが呟いた。

 背後から首を一閃されたレイモンドと、生死の境を彷徨いながら、かろうじて生きながらえていたセレナは、同時に息を引き取った⋯⋯アメリアはそんな気がしたのを、なんとなく覚えている。

 マーカスが席を離れたほんの短い間の凶行で、犯人はすぐに発見された。

 王宮医師の下で5年前から医師見習いとして働いていた、真面目で人当たりの良い青年。

「ビルワーツ侯爵を残しておくのは危険だと⋯⋯クレベルン王国の指示でした」



 アメリアに報告するマーカスは何日も寝ていないらしく、別人のように痩せ細り頭を下げたまま微動だにしない。

「毒物混入と今回の犯行のどちらも、私の責任です」

 ビルワーツの兵を纏める責任感の強いマーカスは、長年レイモンドの右腕を努めてきた。危険な王宮に向かう最愛のセレナを任せられると思うほど、レイモンドが信頼していた部下。

(マーカスのせいじゃないわ。全ては国とビルワーツが、情報収集の遅れをとったから)

 クレベルン王国がランドルフに接触した時点で、殺るべきだった。クレベルン王国が長い時間をかけて、王国と王宮に侵入していた事に気付かなかった。ハザラス達の動向に気付かなかった⋯⋯。

 言い出したらキリがないほど、後悔が膨れ上がる。



 ふらふらと部屋を出ようとするアメリアを、不安に思ったマーカスが声をかけた。

「どこへ行かれるのですか?」

「⋯⋯ランドルフを殺る。今まで躊躇していたのが間違いだったの」

 アメリアの細い腕を、マーカスの日に焼けた大きな手が掴んだ。

「いけません! 今動くのは危険です」

「離しなさい、奴を殺らなければ間に合わない!」

 暴れるアメリアを羽交締めにしたマーカスが懸命に説得した。

「アメリア様のお気持ちは分かります。でも、ビルワーツ領にはアメリア様が必要です。レイモンド様とセレナ様のお言葉を覚えておいでですか!?
あの場所はビルワーツしか治められない。アメリア様がいなくなれば、どうなるかご存知でしょう!!」

『アメリア、しっかりと覚えておきなさい。この場所にビルワーツがいる意味を⋯⋯』

 莫大な富は神の悪戯、醜悪な欲望を引き寄せるのは悪魔の呪い。決して交わらせてはならない。



「レイモンド様とセレナ様をビルワーツにお連れしなければ⋯⋯お屋敷に帰りたいと望んでおられるはずです。お二人がお気に入りの丘で、花を摘んで差し上げましょう。アメリア様の歌を聞きたいと思っておられるはずです」

 くずおれかけたアメリアをマーカスが抱き止めた。



 ランドルフが部屋から出たと知ったマーカスは、即座に全員をビルワーツ領に移動させる準備をはじめた。

(王宮にこのまま留まれば、アメリア様の命が危ない。奴等が、唯一のビルワーツを見逃すはずはないんだ。本当なら真っ先にお帰りいただきたいのに⋯⋯)

「セレナ様から、結界の魔道具を預かっております。使用人をビルワーツに連れ帰る手配をしてから、タウンハウスを封鎖します。
転移の魔導具は持って戻りましょう。残しておけば奴らに利用されかねません」





「アメリア嬢、王宮内に不審者が入り込んでいる事に気付かず、大変申し訳ありませんでした」

 侍従長とデクスターが頭を下げたが、アメリアは返事をする気にもなれず、窓の外をぼんやりと眺めていた。

「例の手紙についてでございますが⋯⋯お帰りになられる前に、こちらへお渡しくださいませんか?」

「⋯⋯父が敵に討たれた後、情報がわたくしの元へも侯爵領にも届かないようにと、マーカス達を牢に入れておられたとか。邪魔だと仰せになられたと聞き及び⋯⋯お目汚しにしかなっていなかったのだと、漸く理解できましたの」

(二度と王宮など見たくない⋯⋯)

「マーカス殿や兵士の方々を牢へ入れるよう指示した者は捉えております。非常事態でその、統率が取れておらず⋯⋯心から反省しております」

(もっと早く切り捨てるべきだった)

「それで、手紙の所在なのですが⋯⋯」

 頭を下げた侍従長の隣で、デクスターが少し身を乗り出した。

あの男ランドルフを助け出せたこと、さぞお喜びの事でしょう。お祝いを申し上げる気にはなれませんが、かつてのような帝国に振り回されていた国を取り戻したいと思っておられたとは思いもせず」

(ビルワーツは甘すぎたの)

「そのような事はございません! マクベス陛下のなされた偉業を、我等は守り抜く所存でおります」

「左様ですか⋯⋯詰めが甘く先を見通す力もない、臆病で敵に対峙する勇気も、決断する判断力もない。素晴らしい臣下と後継者をお残しになられました」

(お父様とお母様が『頼む』と仰ったの。領地と領民を守れ⋯⋯わたくしに残ったのはその言葉だけ)

 怒りも痛哭もなく淡々と事実だけを述べていくアメリアは、感情のないビクスドールのようで取り付く島もない。

「ランドルフ殿下の即位を防ぐ為には、王位簒奪を企てた証拠が必要なのです(即位を防げなかった時には、あの手紙はこの国を混乱に陥れる。危険な火種をビルワーツに握られたまま領地に篭られては⋯⋯)」

「アメリア嬢、今のお言葉は聞かなかったことに致します。このままではビルワーツ侯爵家と侯爵領に不測の事態が起きるのは間違いありません。アメリア嬢おひとりで全てと戦えるとお思いなら、それは甘すぎるお考えです。
あの手紙をお渡しいただければ、必ずお守りするとお約束いたします⋯⋯どうか!」

(不測の事態⋯⋯守る⋯⋯約束?)



 初めてアメリアの目に冷たい⋯⋯見た事もない程、冷たい光が宿った。

「王国の言葉を信じるほど、わたくしが愚か者だとお思いですの? 帝国の次はクレベルン王国に尻尾を振る⋯⋯早々に寄生先を見つける手腕には感動しておりますわ。そう言えば、ディクセン・トリアリア連合王国の武闘派部族達もおられました。
次の御代に強力な後ろ盾を狙っておられるのでしょうが、期待外れにならぬようお祈り申し上げます。帝国の支援を狙って縁を結ばれた結果を覚えているのは、わたくしだけかもしれませんもの。
己の手を汚さず利だけを欲しがる方々のとる策は、似たり寄ったり⋯⋯。エロイーズ、ランドルフ、メアリー⋯⋯全員が生き残っていますもの。帝国の支援は今後も続くかもしれませんし、それを狙って処罰されなかったのでしょう?
机上の空論、泡沫の夢、穴のむじなを値段する⋯⋯本当に哀れで下劣な方々」

(愚かで欲まみれ⋯⋯情をかける必要なんてない)

「ビルワーツ女侯爵として申し上げます。ビルワーツ侯爵領と領民に手を出すならば、徹底抗戦いたします。例え4国を相手にすることになろうとも、ビルワーツが膝をつく事はありません。
お探しの物を見つけに来られても、決して手に入れられないと申し上げておきましょう。
先を読み常に準備を怠るなとは、お父様とお母様の教えですの。浅はかな方々が策略を巡らせておられると予想できた段階で、各国に公表する手配は済ませております。
ビルワーツ侯爵家の今後については、いずれ正式文書にてご連絡申し上げますが、ご安心くださいませ。
王家とはこれまで以上に縁薄く、王国内に木の葉が落ちたとしても、当家では瞬き一つ致しませんわ」

「そ、それは国を離反するという意味でしょうか? ビルワーツ侯爵領は連合王国と隣接し、我が国を離れれば守る者がおりません。そのような危険な考えはおやめなさい!」

「歴代の当主の記録にもわたくしの記憶にも、守っていただいた覚えがありません。
寄付・支援金・貸付金と強請られるばかりで、連合王国の侵攻を防ぐ為に、兵士どころか小麦一粒送っていただいた事はございません。
領地を差し出せ、資産を渡せと仰るばかりの王国は、ご自分達が勝手に縁を繋がれた帝国からでさえ、守ろうとしませんでした。
お父様はわたくしなどよりもお優しく寛大な方でしたから、そのような扱いを受けても、この国を思っておられましたが、その結果を目にして、わたくしは考えを改めましたの。
搾取するしか脳のない方々とは、袂を分つべきだと」

 小娘だと侮っていたわけではないが、両親を亡くした今なら懐柔できると思っていたのだが、侍従長達は何も言い返すことが出来ず、アメリアの怒りに火をつけただけ。

「クレベルン王国が無能ランドルフを助けた理由を、お考えになられるべきだと教えて差し上げますわ。長年計画した目的は手に入らず、結果は無能を助けただけ⋯⋯クレベルン王国がこの国に援助する理由が見つかるとよろしいですわね」

 侍従長とデクスターは、手紙を手に入れることができないまま部屋を辞した。



 ランドルフが即位を宣言したが、アメリアの予想通りクレベルン王国は気配さえ見当たらない。

「戴冠式と同時にジュリエッタを王妃とし、盛大な結婚式をあげる。すぐに準備をはじめるのだ!」







 結界魔法で包まれた侯爵家のタウンハウスは、今もなお王都の貴族街に堂々と建っている。ありとあらゆる者達が侵入を試み、様々な方法で手に入れようと試行錯誤を重ねたが、成功した者は一人もいない。

 華麗なる『羽ペン屋敷』は、ビルワーツ侯爵家の怒りを無言で伝えるモニュメント。

『ビルワーツ侯爵家に手を出すことなかれ』

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