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91.まさか、最終目標は工作員!?

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 モルガリウス侯爵家執事のジェファーソンと言えば本業の執事以外に諜報員としても一流だとジェロームが話してくれた。

「ラルフ殿やデュークに情報戦で勝てないのが分かって固まってたから相当悔しかったんじゃないかな。
それが今では敬愛する先輩とか乗り越えるべき山のような感じになってる。二人がこっそり話してるのを聞いたら目から鱗が落ちるよ」

「その二人に鍛えられるのってなんだかすごく大変そう」

「最終的には二人にもラルフにも勝てるくらいまで頑張るつもりだから」

(ジェロームはどこを目指してるのかしら)

 ジェロームの宣言に遠い目をしたシャーロットだったが、それはともかくとして暫くの間はモーリーやロージーが手伝いに来てくれるのがとても心強い。



 ロージーが贈り物の中から運んできた布をキラキラと目を輝かせてテーブルの上に広げた。

「これはもしかして、西洋更紗ですか?」

 木版や銅版を用いて生産されたこの生地は『ジュイの布』と呼ばれる伝統的なプリント生地で、人物を配した田園風景のモチーフや花が散りばめられた楽しいデザインが有名。

「ええ、間違いないわ。流石お義母様だわ。ドレス以外に小物やカーテンにも使えるのよね」


 布を広げ『凄い初めて見た』と興奮気味のロージーとシャーロットが騒いでいると、背後から楽しそうな声が聞こえてきた。

「こりゃまた、大変そうじゃなあ」

 驚いて振り向くと花束を抱えたデュークを従えたラルフがテラスから入ってくるところだった。

「お祖父様! どうやって入っていらっしゃったの!?」

「おお、まだ言っておらなんだの。引っ越し祝いに地下トンネルを掘っておいたんじゃ」

「「……は?」」


 
 公爵家とラルフの屋敷の間には二軒の屋敷が建っている。その下にトンネルを掘るのは法律違反だと蒼褪めたシャーロットに、ラルフが満面の笑顔でサムズアップした。

「心配せんでよいぞ。シャーロットが公爵位を継ぐと決めた頃には、周りの屋敷はみな買っておいたからのぉ。家賃収入が入るのがちと面倒で、出来ればシャーロットにそ……」

「無理! これ以上資産が増えるのは困りますから。それから周りの屋敷って仰いました?」

 シャーロットの有無を言わせない迫力の拒否にラルフが苦笑いを浮かべ、後半の質問は聞こえないふりをした。



「……貧乏になったと仰っておられませんでしたか?」

 ラルフの暴挙に思わず口を出したジェロームが、手に持っていた絵画を執事に渡してやって来た。

「ん? それくらいの金ならまだ残っておるぞ? 好きなことくらい好きなように出来ねばつまらんからの。今どきの貴族なんぞ見た目ばかり気にしおって、金欠の奴らばかりじゃから話を持っていったら大喜びしておった」

 間にあるのは侯爵家と伯爵家がそれぞれ一軒ずつ。その周りの家の土地も買ったのならば下手するとオルセムス公爵家が含まれている可能性もある。

(オルセムス公爵家の夫人は気難しいって有名なのに⋯⋯大丈夫なのかしら)

 ウルグス弁護士が土地のみの購入の打診をするとどの家も二つ返事で快諾したという。

 ふふんと得意満面で笑うラルフの無茶振りにかなり慣れてしまったシャーロットとジェロームは目を合わせて頷いた。

『『聞かなかったことにしよう』』

 規格外の詐欺師は相変わらず規格外の資産家のままだった。

「いずれ金を貯めたら売ってくれと言ってくるかもしれんが、その時には別のトンネルを掘るかの」



 トンネルの出入り口は公爵家とラルフ邸のそれぞれの厩舎の奥に設置したという。

「一体いつそんな工事をしたの? 全然気づかなかったわ」

 もしかしたらと思いアルフレッドをチラ見すると爽やかな笑顔が返ってきた。

(やっぱり⋯⋯)



 それから数日後、ラルフはデュークを伴って突然旅に出てしまった。

『暇つぶしにに新しい国を覗いてくるから家はまかせる。管理してもらう駄賃に離れを立てておいた』

 ラルフの屋敷を元々そのつもりで設計したのには気付いていた。この国にはない防犯設備で厳重に守られているのに閉じ込められたような閉塞感がなく、それでいて人目を気にせずいられるように高い塀や樹が配置されている。二階のバルコニーが全て屋根付きなのも夜を部屋で過ごせない時のシャーロット用。大きな窓と高い天井の部屋、陰ができないように配置された常設のランプ。

(逃げておいでとは一言も仰らないけど、いつでも避難できる場所が準備されてて⋯⋯お祖父様らしいわ)


 いくつかの部屋のバルコニーにはいつでも庭に降りられるように手すり付きの階段があったのを見たジェロームが眉間にしわを寄せた。

『これからはソックスのところに逃げ出さなくても大丈夫なのに⋯⋯』


 ソックスの馬房の隣には簡易な棚が設置され丸めた厚手のマットと毛布やクッションが収められていた。ベッドとしても使えそうな巨大なベンチはマットを置くとちょうどいいサイズで、ソックスの横に潜り込んでも隣で寝ても大丈夫なようになっていた。

(初めて見た時から気付いてた。お祖父様はこの屋敷が私の不安を全部包み込んでくれるように作ってくださったんだって)

 派手な音がしない噴水はキラキラと輝きながら水をまき散らし、花壇にはあまり匂いの強くない花ばかりが並んでいる。


 どこに行ったのかもいつ帰ってくるのかも分からないが、時折旅先から手紙と一緒に現地の特産品や名産品が送られてくる。

 その中にアンディエンヌと呼ばれる模様のある綿織物、木版捺染や手描き更紗、シネなどがあった。

 シネは、『シネ・ア・ラ・ブランシュ』と呼ばれる軽い素材の絹織物で水彩画のようにぼかした文様の織物が特徴的な布。

「これはシネの中でもポンパドゥール・タフタですって。これを使ってデイドレスを作ったら素敵だけど時間がないわ」

「だったらテレサを呼んだら? デザインだけ考えて後を任せればいいんじゃないかな」




 最近のシャーロットは小さな愚痴をこぼす事がたまにある。ジェロームはそれが少しずつ距離が縮まっているように感じられて嬉しい。

(俺にもっと甘えて我儘言ってくれたらいいんだけどな)



「明日時間が取れそうなんだけどラルフ邸の離れに行ってみないか? 忙しすぎて駄賃代わりに建ててくれた離れをまだ覗いてなかっただろ?」

「賛成! あのお祖父様のプレゼントでしょう? もしかしたら面白い仕掛けでもあるんじゃないかってずっと気になってたの」

 シャーロットとジェロームは地下通路を通りラルフの屋敷にやって来た。

 綺麗に清掃された厩舎を出て庭から屋敷を眺めると、明るい日差しに照らされているにも関わらずラルフの屋敷はどこかひんやりと感じさせるような静けさに包まれていた。

「誰も住んでいない屋敷ってすごく寂しそうに見えるのね」

「確かに。ブラウニーがどこかで泣いてるのかもしれないな」

 ブラウニーは家に住み着き家人のいない間に家事を済ませたり家畜の世話をする小精霊の一種。

「だったら後で管理人さんブラウニーにおやつを供えておかなくちゃね」

 ジェロームは『お祖父様の家なら小精霊が住んでいても不思議じゃないわね』と言いつつ楽しげな笑い声を上げたシャーロットの右手をしっかりと握りしめた。

「俺を置いいてけぼりにして一人でブラウニー探しに行かないでくれよ。今日は久しぶりのデートなんだからな」



 シャーロットとジェロームが手を繋いだままのんびりと屋敷の裏に周ると、そこには葡萄の蔓の絡まった立派な楡が植えられていた。

「いつの間にこんなものを植えたのかしら? ジェロームは知ってた?」

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