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72.嘘の下手なマリアンヌ

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 二冊目は女子収容所内での報告書だったがそれを読むのはやめておいた。

(シャーロットの悩みの大半はここに書かれているけど、それは本人が話すのを待つべきだよなぁ。
それよりも⋯⋯ここまで人と関わらずきたなんて驚きを通り越して、レアな生き物みたいな⋯⋯馬車の中のアレは⋯⋯過剰反応じゃなくて⋯⋯⋯⋯えっ? まさか、理解できずにただの虐めか揶揄いだと思ったとか)

 ガバッと立ち上がったジェロームはコーヒーテーブルに脛を思い切りぶつけた。

「あっ、ぐふっ!」




 バロック様式で建てられた狩猟小屋⋯⋯狩猟用の宮殿は大きな池が取り囲んでおり、芝の植えられた広々とした庭園と森には野鳥や野うさぎなどもやってくる。
 左右対称の城が人工の池に映る昼と盛大に焚かれた薪で輝く夜の華やかさが自慢のこの宮殿は現在も増築中だと言う。

 趣向を凝らした3つの大広間はそれぞれ別の趣で飾られ、国王が最も気に入っている大広間には大鹿の角が飾られ装飾性の高い家具でまとめられている。

 王妃はロココ調の家具で纏められた女性らしい大広間がお気に入りで、控えの間にはシェーズ・ロングソファや長椅子の一種であるデュシェーズ・ブリゼも置いてある。
 昼の社交に続いて行われるパーティーの合間の休憩に使われるこれは、スツールと二つのベルジェール安楽椅子を連ねたような形をしている王妃のこだわりの逸品。



「毎年馬車が渋滞するから、少し遅れて行きましょう」

 モルガリウス侯爵家の馬車の一台目にはエカテリーナとマリアンヌが侍女を伴って乗っている。二台目の馬車に乗ったシャーロットは隣に座るジェロームを無視して窓から外を覗いていた。

(どうしてご当主様は今日この馬車に乗るのかしら? 昨日までのようにエカテリーナ様達と乗れたら良かったのに⋯⋯そう言えば、爵位を返上されたから呼び方変えなくちゃ変ね。うーん、なんで呼ぼうかしら)


 エカテリーナの指示で馬車のスピードを遅らせた為、シャーロットの苦行は長引いている。と言うのも、先日からジェロームがまた行儀良く接するようになったから。こうして馬車に乗っていても揶揄うこともなく、常に一定の距離を空けてくれる。

 礼儀正しく接してくれるのはとてもありがたいと思う反面、変化の理由が分からず不気味でもあった。

(コロコロ対応を変えられたら私の神経がもたないわ)


 狐狩りには同行しない予定でアーサー達へのお礼の手紙も認めてあったと言うのに、マリアンヌのおねだりに負けてしまったのが悔しい。

(あれは絶対エカテリーナ様の指示だと思うわ)

『新しいドレスを着て注目されたら不安で粗相してしまいそう。でも、王妃殿下とお約束したし⋯⋯胃が痛くて夜も眠れないの』

 とても血色の良いマリアンヌがうつむき加減で呟いた。

『テレサをお連れになれば大丈夫ですわ。何があっても彼女とロージーなら対処できますもの』

『パーティーの最中は二人とも連れ歩けないのよ。わたくし一人で海千山千の妖怪⋯⋯ご婦人に囲まれてしまったら⋯⋯ 質問とかされたらお返事できなくてパニックになりそうで。今から胃が痛くて堪らないの』

(お食事もしっかりと召し上がられてるようですし⋯⋯なんて言えないわよね。ご当主様なら切り捨てればいいんだけど、マリアンヌ様を送り込んでこられるなんて)

 マリアンヌの嘘くさい演技に絆されたわけではないが、彼女の夫のアンドリューがまだ帰ってきていないのが自分のせいだと思うと強く断れなかった。

『⋯⋯⋯⋯わたくしがお側におります』

『ありがとう! ジェファーソンに確認しておくわね』

 意見を翻す暇もないほどのスピードで走り出したマリアンヌの背中が達成感で舞い上がって見えた。

(悔しいけど、ジェファーソンは間違いなく準備万端整えてると確信してるわ)




「疲れたかい? 良かったら少し横になるといいよ」

「では遠慮なくそうさせていただきますわ。ご令息様は寂しがってるソックスに乗られては?」

「いや、座席からシャーロットが落ちないように支えてあげるよ。膝枕とかもありかな?」

「なしですわね」

「だよなぁ、まあ将来へ向けての野望ということで」



 昨日までマリアンヌの惚気を聞かされ続けたシャーロットは、本人的には相当な情報通耳年増になっているつもりだった。

(『馬車で膝枕』は聞いてないから、そう言う意味ではないわね。
でも、転げ落ちたりとか危険じゃないのかしら。それに頭って重そうだから足が痛くならないのかしら)


 男性陣が狐狩りをしている間の社交だけでなく夜はそのままパーティーがある。滞在期間は一週間で狐狩り自体は二日目と最終日前日に行われ、それ以外は様々なゲームや遠乗りを楽しむらしい。

「年に一度の長期休暇に近いって言う人もいるけど、毎日社交して休日だと言えるのはある意味強者だよ」

「ええ、三日目には叫び出すか追い出される自信がありますわ。早ければ二日目の夜かも」

 宮殿で顔を合わせた貴族達がどんな反応をするのか不安でたまらないシャーロットは、無駄に背筋を伸ばして座り長旅を必要以上に辛くさせていた。

「大丈夫だよ。もしそうなったら二人でコテージに移ろう」

「コテージって?」

「本来は農民や労働者の住居の事なんだけど、この宮殿の西の森の中には趣向を凝らした建物がいくつか作られてるんだ。
もし大勢の貴族に囲まれて疲れそうなら、そっちに移動する方法もあるんだ」

「⋯⋯それはすごく魅力的な話だわ。必要に迫られた時だけ社交に参加できるって事ですの?」

「あ、うん。そんな感じかな」


 言葉を濁したジェロームが目を逸らした。

「何を隠しておられるのかしら?」


 このコテージは大勢で集まった社交の最中に少人数で楽しみたい貴族が利用することが多い。特に親しい友人と静かにお茶を楽しんだり、内密の打ち合わせをしたり。

 その他に他人の目を気にしないで二人きりになりたい新婚カップルか家族限定で宿泊が許可されている。

(ここに泊まるイコール熱愛カップルだって言われるんだよな)



 コテージは、庶民やジェントリ 下級地主層達は家族だけで人の目を気にせず暮らすと知った王妃殿下の発案で作られた。
 メイド達なしで暮らすのは無理だがそれに近い状態で過ごしてみたい。周りにいるのは最低限の使用人だけで、家族だけで過ごす時間を体験してみたい⋯⋯。


 王妃の願いを聞いた国王は狐狩りの時に毎回一日だけコテージで過ごすようになった。勿論、厳重な警備は外せないが家族が小さな部屋に集まって夕食を楽しむのも悪くないと言っているらしい。

「えーっと、泊まれるのは家族限定なんだけど問題ないかなぁと」


「問題ありありですわ。⋯⋯離婚届にサインしたんですもの」

 アレコレと自分に言い訳をしながら離婚届のことを口にしてこなかった二人は中途半端な状態が続いている。



(父上達が戻って来るか狐狩りが終わるまでに何とか話し合いたいんだよな)

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