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44.最後の切り札

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「⋯⋯そんなものはない⋯⋯そう、そんな馬鹿げたハッタリなんかに騙されるものか!!」


「収容所を出てから、様々な種類のストールやフィシューを考案しましたの。残念な事にわたくしはそれがなくては外出もままなりませんでしたから」

 肩にかけていたフィシューを外しチャールズ王子に背中を向けると、シャーロットの襟足には高い詰襟ならかろうじて隠せるだろうがそれ以外では隠しようがない酷いケロイドがはっきりと見えた。

「ひぃっ!」

「なんと醜い⋯⋯」

「いやぁ、な、何あれ!」

 貴族の令嬢や夫人なら絶対に人目に晒したくない傷をシャーロットは堂々と見せつけた。
 近くにいて傷が見えた男性達は目を背けて口を覆い、気を失った夫人や令嬢が親族や婚約者に抱えられて会場の隅に後ずさっていった。

(流行病じゃあるまいし移ったりしないわ。だから見せたくなかったのに)

「酷く爛れて凸凹になっておりますでしょう? 首から背中まで広がっておりますから寝屋にいたのがわたくしならばチャールズ王子殿下が気付かなかったなど絶対にあり得ませんわ。
目を瞑っていても暗闇でも誤魔化せない程の傷になっておりますから。
これをご存知なかった王子殿下がいくらわたくしとの逢瀬を言い立てても通用しませんの」



 ジェロームの屋敷でもモルガリウス侯爵家でも最後の最後まで入浴の手伝いを断り部屋を出る時はストールを使い続けていた。

(今日は多分コレが必要になるはず⋯⋯)


 ロージーに風呂に連れて行かれた時覚悟を決めて傷を晒したが彼女は全く動じた様子がなかった。

『醜いでしょう? 触りたくなければ無理しないでね』

『初めてお髪を整えさせていただいた時から気付いておりました。どなたにも申し上げてはおりませんが、このお屋敷の方々は全く気にされないと思います』

 淡々と髪を洗うロージーの優しさにシャーロットの心が少し晴れていった。

『⋯⋯そうね、この屋敷の方々はそう言う方達だわ』

『はい、アーサー様達もあちこちにございますが気にしているご様子はございません。戦いに打ち勝った勲章だそうでございます』

 アーサーが酔うと毎回一つずつ傷の説明をはじめるので使用人は全部空で言えるほどだとか、夫婦喧嘩した後寝ているアーサーの傷を使ったエカテリーナの落書きが見事だったとか⋯⋯。

『使用人の中ではお腹の傷を使った泣き顔が一番人気でした』

 強面で大柄なアーサーが軍服を着た迫力ある姿を見た使用人達は笑い転げたと言う。

『何しろ強力なインクでしたので全然消えなくて、いくら威厳のあるお姿で立たれてもその下にある涙まで描かれた大きな泣き顔が思い出されて』



 周囲からの嫌悪感や拒絶に怯みそうになったが、ロージーが教えてくれた立派な体躯に描かれた泣き顔を思い出すと自然と緊張がほぐれていった。ジェローム達の方を見る勇気はなかったが、腕に添えられた手が誰の物かはすぐにわかった。

「な、なんでテレーザはこの事を言わなかったんだ!? 知ってれば醜いお前なんかに関わったりしなかったのに!」


 収容所に入ったばかりの頃、ほんの僅かな傷でも貴族令嬢としては問題になると知っている貴族嫌いの先輩収容者につけられた傷。それがこんな時に役立つなんて⋯⋯。

『たった2年で出所だってさ、でも前科持ちでこの傷じゃあ真面な仕事どころか娼婦にもなれやしない。収容所にいる間は飯が食えたのにって思い出しながら死んでいくしかないんじゃね?』

 今でも背中が痛んで真夜中に目覚めることがある。そんな時はゲラゲラと笑う彼女達の声が部屋中に響いている気がして窓を開けてベランダに逃げ出してしまう。

 傷はもう痛まないのだと何度も自分に言い聞かせているが、あの時の恐怖が痛みまで思い出させてしまうのだ。

(だから夜は嫌いなのよね。思い出したくないものが色々追いかけてくるから)


「テレーザは知らないんですもの。これは女性収容所で新人虐めの一環としてつけられた傷ですから知りようがありませんわ」


「くそっ! こんな小国の女なんかに馬鹿にされて我が国が黙っていると思うなよ! 私が連絡すればこんな国など地図上から消えてなくなる。なんなら属国にして全員奴隷堕ちさせてやってもいいんだからな!」

「ほう、理由もなく悪辣なお楽しみの為だけに我が義娘を愚弄し辱めた上に開戦の宣言をされるとは。
では、我がモルガリウス侯爵家はこの国から離脱し国を立てましょう。
その上で、チャールズ王子殿下と貴公を守る方々を一族郎党に至るまで皆殺しにして差し上げましょうぞ」

「コレは困りましたのう。エルバルド王国随一の武力を誇るモルガリウス侯爵家が我が国から離脱する理由を作られて、チャールズ王子殿下もただで済むとは思われまい?」

「た、たかが侯爵家ではないか? こんな小国の侯爵家風情をソルダードの王族より上に扱うなどあり得ん!!」

「では、ソルダートの国王がどのようなお考えか分かるまでチャールズ王子には客室でゆるりとしていただこうかの。
さて、我が国も急ぎ会議を開かねば⋯⋯余は徹底抗戦を望む侯爵家を全面的に支える所存じゃ」


「そんな! ソルダートの軍に攻められては我が国など敵うはずがございません!」

「王子殿下の余興だったのでしょう!?」



「相手が大国ならば何をされても黙っておれと? 此度のようになんの瑕疵もない者が、王族の悪辣な遊びの為だけに弄ばれた。それを見逃せと申すか?
余の治世はそれ程に脆弱なものであると?」

「それは⋯⋯」

「このままチャールズ王子殿下に帰国していただきましょう。に、二度と我が国にお越し頂かぬよう念書をいただけば良いのではありませんか!?」

「そ、そう。それが宜しいかと存じます」


「余の決断に異を唱える者とは袂を分けるしかあるまい。運が良ければソルダート王国の元でチャールズ王子が仕事を与えてくれるやもしれんな」

 裾を翻した国王が背を向けて歩き去って行くのを貴族達が呆然として見つめていた。


「シャーロット、貴女が手にしているフィシュー⋯⋯後でゆっくりと見せていただけるかしら? 作りかけのテーブルクロスの完成前に姿を消したら許しませんからね」

 シャーロットは思わず振り返ってエカテリーナを見た。

 悪戯が成功したような顔をしたエカテリーナが小さくサムズアップするのを見て肩をガックリと落とした。

(陛下が戻ってこられた訳が分かったわ。なんというか、エカテリーナ様の戦略って怖すぎる)




 チャールズ王子は客室に軟禁され隣国へは詳細を記した書状が直ぐに準備される事になったが⋯⋯。


「我が義娘を衆人の前で辱めたのですから、と責任を取っていただかねば。あのような輩を他国へと送り出した王国・王家にも責任もと取っていただかねばなりませんしなぁ」

「もしもの時? 我が侯爵家に全ての責任を押し付けてくださって結構! 出立前にその旨を記した書類を準備致しましょう。その代わり、逆の場合はお覚悟なされる事ですな。
家臣も含め我等の心は固まっておりますのでチャールズ王子の後始末を終えた後、チャールズ王子擁護派の方の後始末も致す所存」

 アーサーが満場一致で伝令役に選ばれた。



 強面のアーサーが巨大な軍馬に跨り大勢の部下を引き連れて居並ぶ様は戦に出陣するのかと誤解されても仕方ないほどで、議会をほぼ捩じ伏せた状態で出立する一団を見送る貴族達の中には絶望に打ちひしがれている者も多かった。

 晴れやかな顔をしているのはエカテリーナ達とその周りにいる者達だけ。その真ん中に立つシャーロットは胸を張り背筋を伸ばし立っていた。

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