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22.花瓶にそんな使い方があったなんて
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「その花瓶でしたらわたくしのお部屋にございます。昨夜盥がわりにお借りしましたの。毎回洗うのは面倒ですから、滞在期間中はこのままお借りしておけると助かりますわ」
「先代様が大切にしておられた花瓶です、それを盗んだんですか!?」
警ら隊に連絡するべきだと騒いでいた男が怒鳴った。
「盥だと申し上げましたでしょう? 昨夜湯をいただく代わりに身体を清める水を運ぶ物が必要でしたの。
中を綺麗にするのにかなりの時間がかかりましたから、毎晩アレをするのはちょっと⋯⋯。ですから、あのままお借りしておければ助かりますわ。
まあ、どうしても返さなければいけないのであれば使っていない桶を一つお貸しいただきたいですわね。ああ、底の抜けたものは遠慮しますね」
「なんてこと、花瓶で身体を?」
「あり得ないわ。気持ち悪い」
「シャーロット、何故メイドに湯を準備させないんだ? 声をかければ湯を運ん⋯⋯」
ジェロームがようやく気付いて溜め息をついた。
「はぁ、今度はメイドか! 一体何がどうなってるんだ!? シャーロットの指示を無視した奴は誰だ!?」
「指示を無視したメイドなどおりませんからご心配なく。このお屋敷のベルは役に立たないのですけれど、それ以外にメイドを呼ぶ方法を存じ上げないだけですの。
ですから、誰も来ていないので指示をした覚えもありませんから」
「アマンダ! メイド長としてこの事態をどう考えているか言ってみろ!!」
「申し訳ございません。ベルには全く気付きませんでした。まさか湯をご所望だとは思わず、今後は十分に注意をさせて頂きます」
シャーロットの行動に腹を立てていたアマンダは反省の色もなくしれっと嘘をつき慇懃無礼な態度で頭を下げた。
(ベルが鳴った時顔を出しておいて『我儘ばかり言われて困る』って旦那様に言えば良かった。まさかこんな非常識な事をするなんて!
前回旦那様は使用人全員を解雇しそうな勢いだったから、この女が非常識だと理解していただかなくてはクビになってしまうのに)
「女子収容所でも誰もが衛生面には気を配っておりましたのよ。朝は顔を洗い、夜は身体を清潔にしますの。貴族の方々のように湯を望めない者であっても、不潔にすれば病気になってしまう可能性は知っております。
収容所では具合が悪くなっても薬や医師の手配ができない事の方が多いのですから、運が悪ければ動けないまま⋯⋯なんて事にもなりかねませんわ。メイド長もそう思われるでしょう?」
「そ、それは」
「では、犯罪者に認定されたわけではないようですし、朝食をいただいてもよろしいかしら?」
階段を降りて堂々と食堂へ向かうシャーロットをジェロームが追いかけた。使用人達はねっとりと恨みがましい目で見つめ、離れたところから彼等の様子をデューク達が無言で見つめていた。
朝食の席ではジェロームが料理の毒味をすると言い張ったが、シャーロットは皮のついたままの果物だけで良いと料理を全て断った。
「昨日の夜のことは申し訳なかった。俺が毒味をすれば大丈夫だから、安心して食事をしてくれ」
「ええ、きっと大丈夫ですわ。ご当主様に間違ったものを食べさせるような使用人はここにはいないと思います。でも、口にするもの全てに気を配っていただくのは申し訳ありませんから。数日のこととは言ってもそのような事を続けていては心労が溜まるばかりで体調を崩してしまわれますわ」
「妻が食事を取れないと思う方がストレスになるよ」
「ちゃんといただいておりますからご心配なく。元々あまりいただきませんの」
皮を剥く前にポケットから出したハンカチで一粒ずつ拭いてから優雅な仕草で葡萄の皮を剥いた。
「この屋敷はもう使用人以外が安心して過ごせる場所ではなくなったみたいだな。準備が出来次第王都に向かおう」
「あちらのお屋敷でも同じ事の繰り返しだと思います。女子収容所の所長である女領主様も古参の服役囚も常々仰っておられました。
ここを出た後も女子収容所帰りだと差別され続け、人として当然と思うような対応でさえ叶わなくなると。
ですから、このお屋敷の使用人の考えはごく普通なのです」
「王都でも同じ状況になったらホテルに泊まる。ここの屋敷の使用人は全て入れ替える!」
「旦那様!!」
「それはお辞めになられた方が賢明だと思います」
「なぜ? 差別意識のないものを雇えばいい。面接の時よくよく調べれば⋯⋯」
「ご当主様が差別意識を持っておられるのに、使用人を変えても意味はありませんわ」
デュークに言われたことと同じ事をシャーロットからも言われ、ジェロームは顔を引き攣らせた。
「俺は⋯⋯」
「責めるつもりはありませんので言い訳はなさらないでくださいませ。
皆さん同じ考えをお持ちで、それは世間一般の方々と同じだと言うだけですもの」
「しかし、結婚したからには円満に暮らす方法を考えるべきだろう?」
「ありがとうございます⋯⋯と、一応言っておきますね。それよりも、心にもない事を無理やり言わせてしまって心苦しいですわ」
「何故そう思う? デュークにもよく似た事を言われたんだ」
「どなたも私がどんな人間なのか知ろうとしないでしょう?⋯⋯何が好きで、何を考えているのか。ほんの僅かも考えておられないからですわ。
女子収容所帰りの女性の扱いを考える方はおられても、シャーロットと言う一人の人間はどんな人なのか考えもしない。
わたくしはシャーロットと言う一個人ではなく収容所帰りの元犯罪者の一人なのです」
言われてみれば確かに⋯⋯。ジェロームはどうすれば真面な結婚生活になるかしか考えていなかった。収容所帰りの女性と暮らすには何が必要なのかを考えるばかりで、シャーロットの事は何も知らないし知ろうとする気もなかった。
「話してもらえないか⋯⋯これから色々話して少しずつでも分かり合っていければいいんじゃないかと思う」
「失敗の経験がない方は途中下車が苦手だそうです。ご当主様もそうなのではありませんか? 順風満帆な人生に初めて起きた瑕疵に戸惑われているだけ。
ご当主様であれば誰もが認める素晴らしい方といくらでもご縁がありますわ。ご家族もご友人や同僚もそれを望んでおられます」
(これもデュークから言われたことと同じだ。確かに、親や自分の地位や肩書きがあればいくらでも縁はあるだろう。でも⋯⋯)
「何故そんなに無理してこの婚姻にこだわるのか不思議でなりませんの、それさえ辞めてしまえばみなさん楽になられると分かりきっているのに。
以前のように信頼できる雇用主と使用人に戻り、みんなが胸を張って仕事をできるのです。わたくしの居場所がここではないだけ。
立派な執事・メイド長・料理長。信頼されるに足る雇用主のご当主様です」
無言の食堂からシャーロットだけが立ち去って行く。いつも通り背筋を伸ばし優雅な佇まいで⋯⋯。
「先代様が大切にしておられた花瓶です、それを盗んだんですか!?」
警ら隊に連絡するべきだと騒いでいた男が怒鳴った。
「盥だと申し上げましたでしょう? 昨夜湯をいただく代わりに身体を清める水を運ぶ物が必要でしたの。
中を綺麗にするのにかなりの時間がかかりましたから、毎晩アレをするのはちょっと⋯⋯。ですから、あのままお借りしておければ助かりますわ。
まあ、どうしても返さなければいけないのであれば使っていない桶を一つお貸しいただきたいですわね。ああ、底の抜けたものは遠慮しますね」
「なんてこと、花瓶で身体を?」
「あり得ないわ。気持ち悪い」
「シャーロット、何故メイドに湯を準備させないんだ? 声をかければ湯を運ん⋯⋯」
ジェロームがようやく気付いて溜め息をついた。
「はぁ、今度はメイドか! 一体何がどうなってるんだ!? シャーロットの指示を無視した奴は誰だ!?」
「指示を無視したメイドなどおりませんからご心配なく。このお屋敷のベルは役に立たないのですけれど、それ以外にメイドを呼ぶ方法を存じ上げないだけですの。
ですから、誰も来ていないので指示をした覚えもありませんから」
「アマンダ! メイド長としてこの事態をどう考えているか言ってみろ!!」
「申し訳ございません。ベルには全く気付きませんでした。まさか湯をご所望だとは思わず、今後は十分に注意をさせて頂きます」
シャーロットの行動に腹を立てていたアマンダは反省の色もなくしれっと嘘をつき慇懃無礼な態度で頭を下げた。
(ベルが鳴った時顔を出しておいて『我儘ばかり言われて困る』って旦那様に言えば良かった。まさかこんな非常識な事をするなんて!
前回旦那様は使用人全員を解雇しそうな勢いだったから、この女が非常識だと理解していただかなくてはクビになってしまうのに)
「女子収容所でも誰もが衛生面には気を配っておりましたのよ。朝は顔を洗い、夜は身体を清潔にしますの。貴族の方々のように湯を望めない者であっても、不潔にすれば病気になってしまう可能性は知っております。
収容所では具合が悪くなっても薬や医師の手配ができない事の方が多いのですから、運が悪ければ動けないまま⋯⋯なんて事にもなりかねませんわ。メイド長もそう思われるでしょう?」
「そ、それは」
「では、犯罪者に認定されたわけではないようですし、朝食をいただいてもよろしいかしら?」
階段を降りて堂々と食堂へ向かうシャーロットをジェロームが追いかけた。使用人達はねっとりと恨みがましい目で見つめ、離れたところから彼等の様子をデューク達が無言で見つめていた。
朝食の席ではジェロームが料理の毒味をすると言い張ったが、シャーロットは皮のついたままの果物だけで良いと料理を全て断った。
「昨日の夜のことは申し訳なかった。俺が毒味をすれば大丈夫だから、安心して食事をしてくれ」
「ええ、きっと大丈夫ですわ。ご当主様に間違ったものを食べさせるような使用人はここにはいないと思います。でも、口にするもの全てに気を配っていただくのは申し訳ありませんから。数日のこととは言ってもそのような事を続けていては心労が溜まるばかりで体調を崩してしまわれますわ」
「妻が食事を取れないと思う方がストレスになるよ」
「ちゃんといただいておりますからご心配なく。元々あまりいただきませんの」
皮を剥く前にポケットから出したハンカチで一粒ずつ拭いてから優雅な仕草で葡萄の皮を剥いた。
「この屋敷はもう使用人以外が安心して過ごせる場所ではなくなったみたいだな。準備が出来次第王都に向かおう」
「あちらのお屋敷でも同じ事の繰り返しだと思います。女子収容所の所長である女領主様も古参の服役囚も常々仰っておられました。
ここを出た後も女子収容所帰りだと差別され続け、人として当然と思うような対応でさえ叶わなくなると。
ですから、このお屋敷の使用人の考えはごく普通なのです」
「王都でも同じ状況になったらホテルに泊まる。ここの屋敷の使用人は全て入れ替える!」
「旦那様!!」
「それはお辞めになられた方が賢明だと思います」
「なぜ? 差別意識のないものを雇えばいい。面接の時よくよく調べれば⋯⋯」
「ご当主様が差別意識を持っておられるのに、使用人を変えても意味はありませんわ」
デュークに言われたことと同じ事をシャーロットからも言われ、ジェロームは顔を引き攣らせた。
「俺は⋯⋯」
「責めるつもりはありませんので言い訳はなさらないでくださいませ。
皆さん同じ考えをお持ちで、それは世間一般の方々と同じだと言うだけですもの」
「しかし、結婚したからには円満に暮らす方法を考えるべきだろう?」
「ありがとうございます⋯⋯と、一応言っておきますね。それよりも、心にもない事を無理やり言わせてしまって心苦しいですわ」
「何故そう思う? デュークにもよく似た事を言われたんだ」
「どなたも私がどんな人間なのか知ろうとしないでしょう?⋯⋯何が好きで、何を考えているのか。ほんの僅かも考えておられないからですわ。
女子収容所帰りの女性の扱いを考える方はおられても、シャーロットと言う一人の人間はどんな人なのか考えもしない。
わたくしはシャーロットと言う一個人ではなく収容所帰りの元犯罪者の一人なのです」
言われてみれば確かに⋯⋯。ジェロームはどうすれば真面な結婚生活になるかしか考えていなかった。収容所帰りの女性と暮らすには何が必要なのかを考えるばかりで、シャーロットの事は何も知らないし知ろうとする気もなかった。
「話してもらえないか⋯⋯これから色々話して少しずつでも分かり合っていければいいんじゃないかと思う」
「失敗の経験がない方は途中下車が苦手だそうです。ご当主様もそうなのではありませんか? 順風満帆な人生に初めて起きた瑕疵に戸惑われているだけ。
ご当主様であれば誰もが認める素晴らしい方といくらでもご縁がありますわ。ご家族もご友人や同僚もそれを望んでおられます」
(これもデュークから言われたことと同じだ。確かに、親や自分の地位や肩書きがあればいくらでも縁はあるだろう。でも⋯⋯)
「何故そんなに無理してこの婚姻にこだわるのか不思議でなりませんの、それさえ辞めてしまえばみなさん楽になられると分かりきっているのに。
以前のように信頼できる雇用主と使用人に戻り、みんなが胸を張って仕事をできるのです。わたくしの居場所がここではないだけ。
立派な執事・メイド長・料理長。信頼されるに足る雇用主のご当主様です」
無言の食堂からシャーロットだけが立ち去って行く。いつも通り背筋を伸ばし優雅な佇まいで⋯⋯。
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