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9.優雅な客寄せ、猿と猫

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「本当にこんな事が役に立つんですか?」

「立つんです」

 ハーヴィーから贈られたアビ・ア・ラ・フランセーズに袖を通したノアは居心地悪そうにクラバットを緩めようとした。

「あら、ダメよ。今日は最上級の紳士でいてくれないと計画が破綻しちゃう」


 コートとブリーチズは揃いの濃い紫のアンカット・ベルベットにガラスの模造宝石と金糸や銀糸で刺繍されている。白い絹紋織のウエストコートが華やかさと軽やかさを添えてノアの端正な顔立ちを引き立たせている。

「コートとウエストコートの揃いの草花柄の刺繍が凄く素敵! 会場中の女性が見てるわよ」

「見せ物小屋の猿になった気分です」

「猿というより珍しい⋯⋯珍獣かしら? 普段眉間に皺を寄せたノアしか知らない令嬢の目に星が輝いてるわ。あっ! 来たわ」



 ハーヴィーが亡くなってからパーティーもお茶会も不参加だったライラは4ヶ月ぶりでリストエル伯爵家のパーティーに参加した。

 久しぶりに纏ったローブ・ア・ラングレーズはクリーム色の絹タフタ。前身頃は二重になったボタン留めのコンペール形式になっていて、ガウンの前あきは共布の縁飾りが飾られ前身頃と袖口の黒のレースのトリミングは喪に服している現れだろうか。

 ライラが思わず声を上げたのはシエナ・アントリム伯爵令嬢が会場入りしたからだった。

「ビクトールは誘い出せたのにシエナ様がいらっしゃらなかったらガッカリしていたところだったわ。さあ、はじめるわよ」

「何をはじめるのかお聞きしてないんですが?」

 不満そうなノアがチラチラと会場を見渡しながらライラの耳元で囁いた。

「俺の立ち位置を説明して貰えないと」

「ふふっ、さっき自分で言ってたじゃない『見せ物小屋の猿』だって。是非注目を集める華麗なになって客寄せしてね」

「⋯⋯ああ、そういう事ですか」

「はい、そういう事です」





 ライラの前で優雅に片膝をついたノアが手を差し出した。

「愚かな護衛にお嬢様のファーストダンスをお願いする名誉をいただけますでしょうか?」

 周りの令嬢達が真っ赤な顔になって悲鳴をあげた。

「今日は特別ですもの。宜しくてよ」

 差し出されたノアの左手にそっと手を乗せフロアを向かうとまるで花道が出来るかのように人が道を開けてくれた。


 背の高いノアは黙っていても目立つ。眉間に皺を寄せていても差し入れが届く上品な顔立ちと成績トップクラスのマナーに令嬢だけでなく妙齢の婦人も顔を赤らめた。

 態と時間を少し遅らせて登場を目立たせたはずだったシエナは会場中が注目する二人を見て眉を吊り上げた。

(また、あの女だわ!!)

 元々ハーヴィーを狙っていたシエナは邪魔なライラを嫌っていた。

(あの女さえいなければハーヴィーとわたくしはとうの昔に婚約していたのに!)

 自分の美しさに見合うのはハーヴィー位だと思っていたシエナは出会いさえあればハーヴィーはライラを捨てて自分の前に跪くと信じていた。

(ハーヴィーがいなくなった途端その弟と婚約してしまうなんて、アレがビクトール? 最低の評判だから気にもしていなかったけれどアレならわたくしのものにしてあげても良いわね。
わたくしの事を知れば猫のように喉を鳴らすに違いないもの)


 音楽に合わせて踊る二人はお互いのことだけを見つめあい、時折ノアが耳元で囁くと花が開くような可憐な笑顔を浮かべるライラ。

「何で素敵なんでしょう」

「あれってノア様よね」

「護衛として付き従ってるわけじゃなかったの?」

(今なんて? ビクトールじゃないのね)



「上手く行ってますか?」

「ええ、予定通り2人とも釣れたみたい。後は二人が同時にやって来てくれるようにタイミングを測らなくちゃ。
それ以外の女性も釣れてるから来週から学園で騒がしくなるかも」

 ふふっと笑ったライラがノアの胸に少し顔を寄せた。

(まさかこんな機会があるなんてね⋯⋯ハーヴィーがケラケラと笑ってそうだわ)



 二人に許される2曲を踊りきり会場の隅でひと息入れているとあちこちから熱い視線が届いてくる。

 ノアが手渡してくれた果実水で喉を潤していたライラはノアの持っているグラスを見て眉を顰めた。

「それ、シャンパンじゃない。ノアだけ狡いわ」

「お嬢様は真っ赤になってしまわれるのでアルコールは禁止です」

「別に酔っ払ったりしないわ。色が変わるだけでお酒は強い方だと思うのに⋯⋯リストエル伯爵は美食家でいらして、お酒もとても良いものを揃えておられると有名なのに」

「はい、とても美味しいです。後で銘柄を聞いておきましょうね。屋敷でなら飲み放題⋯⋯とはいかないか」

 ニヤリと笑ったノアのお腹に猫パンチを喰らわすライラ達は側から見ても仲良く戯れているようにしか見えない。
 周りの人達の殆どが顔見知りで仲の良い人もいるのだが、この後起こりそうな騒ぎに巻き込まれないよう遠くから手を振ってくれた。


 チラホラと見かけていたクラスメイトの中の一人が勇気を出して近付いてきかけたが、ちょうどその時タバサ・ルーカンを腕からぶら下げたビクトールが取り巻きを連れてやってくるのが見えた。

 ライラは小さく首を横に振って危険を知らせノアの方に向き直った。

「ノア、宜しくね」

「はい、船長」



「おいおい、こんな隅で誰かと思えば礼儀知らずで常識のない婚約者殿じゃないか!」

 聞こえよがしな大声に眉を顰められたのにも気付かずビクトールがタバサの耳元に顔を寄せた。

「お前はこんな恥知らずじゃないよなあ」

「当たり前ですわ。婚約者がいながら別の男⋯⋯しかも平民を連れてくるなんて信じられませんわ」

 タバサは今日のパーティーで浮くほど豪奢なドレスを着ているが微妙にサイズが合っていない。

(可哀想に、パーティーに連れてくるならドレスくらいオーダーで仕立ててあげるべきだわ)

「喪中のくせにそんな格好をして恥ずかしいと思わんのか?」

「お言葉ですが、婚約者が変更になったので喪に服すことは禁止だと仰られたのもパーティーやお茶会に参加するよう再三指示をされていたのもターンブリー侯爵家ですわ。
それに今日のパーティーへの参加確認はしてありますの。ご存知でしょう?」

(ターンブリー侯爵は『ライラがパーティーに参加するならビクトールに連絡をしておく』と言っていたのだから)

「それにしても平民とダンスなんておかしいですよねえ」

 まだビクトールを諦めていないのか取り巻きの一人と化しているリリアが横から口を挟んできた。

 早く来てくれないかと願っていたライラの気持ちが通じたのか、ビクトールの取り巻きを掻き分けて声が聞こえて来た。

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