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28.ロクサーナの日々

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「せいじょって何?」

 何年ぶりかでうっかり口を開いたロクサーナ。

(あっ、ヤバい)

 ロクサーナは俯いて両手を拳にして脇につけ、叩かれるのを待った。下手に頭を庇ったりするとお仕置きが益々酷くなると知っている。

(終わるまで何もかんがえない⋯⋯)

 息を鼻から吐いて力を抜くのが一番楽だと知っているロクサーナは、目を瞑ってゆっくりと息を吐き出した。

「えーっと、どうしたんだい? 聖女について聞いたんだっけ。普通は⋯⋯精々聖女見習いのはずで、10歳で既に聖女と判明したのは私も初めてなんだ。で、ちょっと⋯⋯いや、ものすごく驚いてる。
全属性が使えるし、聖女としても魔力が多すぎるくらいで」

 司祭が何を言っているのかさっぱり分からない。普通とか魔力とか⋯⋯ロクサーナに分かるのは目の前の人が『嘘つき』だという事と、今日もパンを貰えないという事だけ。

(ここに来てもう30分くらいかかったかも⋯⋯仕事⋯⋯もう間に合わない。しゃべっても、しかられなかったから、頼んでみようか。たたかれるだけですむかも)

 司祭の話はロクサーナの頭の上を通り過ぎていく。

「あ、あの、仕事にもどってもいいですか?」

「⋯⋯仕事? 修練のことなら今日は休みだと伝えてあったはず。真面目なのはとても良いことだけど、休みの日は休まないとね」

「⋯⋯休みって」

(休みなんて聞いたことない、休むなとはいつも言われるけど⋯⋯休むがわからないし)

「うーん、連絡がうまくいってなかったみたいだね。私からもう一度伝えておくから」

「じゃ、じゃあ、仕事に戻っても良いですか?(ろうかのそうじがとちゅうだし、窓ふきはまだだし、野菜のかわむき⋯⋯今日は芋が多そうだった)」

「今日も仕事をしてたの?」

 こっくりと頷くロクサーナ。

「この後の仕事も決まってる?」

 こっくりと頷くロクサーナ。

(早く終わって、おねがい!)



 アカギレだらけの手、ボサボサの髪、サイズが小さすぎるチュニックは擦り切れて、ほぼ原型をとどめていない。

(この臭いは馬小屋の⋯⋯そう言えば10歳にしては小さすぎないか? ガリガリに痩せてるし。まるで骨だけのアンデットみたいだ⋯⋯確認してみないと、もしかしたらとんでもないことが起きているのかも)

「では、一緒に行こう。仕事はしなくていいから」

「で、でも、あの⋯⋯借金が⋯⋯借金があって、だから仕事しないと」

 チュニックを握りしめてソワソワしてばかりのロクサーナは気もそぞろで、司祭の質問に真面に答えられないでいた。

「えーっと、ロクサーナに借金があるって事かな?」

(5歳で教会に来たんだよな、どうやって借金を作るんだ?)

「ぜんぜん減らなくて『利息』っていうので、増えてばかりだから働かないと⋯⋯今日のパンはもうあきらめたから⋯⋯でも仕事しないといけなくて」

(落ち着いてくれないと全然話が通じない。あれだけの魔力に加えて適性は全属性、聖女なら練度も中級以上か上級のはず⋯⋯そんな事があり得るのか? 仕事って言ってるのが修練の事だよな。いったいどんな修練をしてるんだ?)



 ジルベルト司祭はロクサーナが5歳の時に起こした奇跡を思い出した。

(あり得るかも⋯⋯あれからずっと教会で暮らして、シスターや聖女達と共にいるんだから、魔法の知識も実力もついてて当然か。
それにしても、この身なり⋯⋯一体誰がこの子に何をさせてるんだ!?)

「ロクサーナの部屋に案内してくれるかな、そこで詳しく話をして欲しいんだ。今日は仕事をしなくても大丈夫だから」

「⋯⋯はい」

(司祭さんもきらい。借金が減らないとパンをもらえないのに⋯⋯正義の女神様が見てるなんて嘘⋯⋯神様なんていないのに。
仕事をしてお金をかせがなくちゃ、お腹が空いて眠くて⋯⋯お仕置きがふえるのに⋯⋯)




 ロクサーナは周りの人と目が合わないように顔を伏せたまま、調理場の横を通り過ぎた。

(どうしよう、怒られるかも⋯⋯司祭さんが言い訳してくれるかな。司祭さんの気が済んだら働きますって言えば⋯⋯)

 ようやく目的の地下に降りる階段が見えてきた。

「えーっと、ロクサーナの部屋に案内して欲しいんだけど」

「はい」

 真っ暗な階段に足を踏み入れながらロクサーナが人差し指を前に出すと、指の先に大きな明かりが灯った。

(《ライト》か?⋯⋯無詠唱で光魔法を使った?)

「ここは地下の倉庫だよね」

「はい」

 かろうじて聞こえるくらいの小さな声。迷いなく降りていく小さな背中に違和感ばかりが募っていった。

 階段を降りきり左の壁に沿ってまっすぐに歩いていくと、木箱が天井近くまで積まれている。

「ど、どうぞ」

 ロクサーナの指先の明かりが強くなり、周りの様子がはっきりと見えてきた。木箱と壁の間には大人が両手を広げたくらいの幅が空いている。

 その狭いスペースに木箱が3つ並べて置いてあり、擦り切れた毛布が一枚畳んで置いてあった。

「ここが⋯⋯ここがロクサーナの部屋?」

「はい」

 窓のないスペースは空気が澱み、倉庫の荷物の雑多な臭いがしてかび臭い。

「いつからここに住んでるの?」

「ずっと」

 ジルベルト司祭の元にある資料には、見習い用の4人部屋に住んでいると書かれていた。そこは2段ベッドが2つと勉強机や椅子、服や私物を片付けるクローゼットもついている。

「荷物は⋯⋯着替えとか、私物とか」

「⋯⋯ない⋯⋯です。あっ、ごめんなさい」

 ボソボソと謝ったロクサーナは、端の木箱の蓋を開けて布の塊を取り出して差し出した。布に包まれていたのは、カチカチの黒パンが一つ。

「これは⋯⋯」

「ぬ、盗んだんじゃなくて⋯⋯盗んだのかも」

 古びた布とパンを左手に乗せて、右手を差し出したロクサーナは目をギュッと閉じた。

(流石に痛いはず、傷は治っても、取れた手はくっつかないよね)

「なにを⋯⋯」

「手、切り落とすんですよね。座った方がいいですか?」

「パンを盗んだから手を切り落とすって事?」

 小さく頷いたロクサーナが正座してもう一度右手を差し出した。

「手は切らないから、座って話をしよう。このパンは何のために?」

「⋯⋯仕事が終わらなくて、食事を貰えない日の為に、時々⋯⋯1回だけだったら何とか⋯⋯1日何も食べれないと、水だけじゃ」


 ジルベルトは時間をかけて、ロクサーナの1日のルーティンを聞き出した。

 夜が明ける前に水汲みを終わらせ、表の広場の掃除と馬小屋の掃除が終わるとパンを1つもらう。

 洗濯と薬草採取と草むしりをして、ゴミを集めて埋める。

 窓を磨いて廊下の掃除を済ませて野菜の皮を剥いて、少なくなった水汲みをして薪を運んで鍋や皿を洗い、パンと具のないスープをもらう。

 人のいなくなった調理場で、明日の朝の野菜の準備とパンをこねる。

「で、パンをもらえない事があるんだね。しかも昼食もない」

「仕事が遅いし、失敗したり、間違えたら⋯⋯お水と雑草をこっそりもらって。
お昼はダメだって⋯⋯神様が怒ってるし借金があるから」

「神様が怒ってるって、何故?」

「⋯⋯仕事ができない悪い子だから。お仕置きしなくちゃ。でも多分だけど、私が神様を信じてないからかも」

「神様を信じてない⋯⋯本当に?」

(話してる間もずっと明かりが灯ってる。右手を差し出した時は、ごく自然に左手が光ったし。オドオドしても光は揺るがない⋯⋯確かに、魔力と練度は聖女に相応しいランクだと思う。
これほどの力があるのに神を信じてないとかあるのか? それに、あれほどの仕事量をこなしてたのが本当なら、どうやってここまでレベルを上げたんだろう。修練はいつやる?)

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