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第9章
第17話 袖口と囲い込み
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―――前回までのあらすじ――――――
『蛇使い』の二つ名を持つラチャナに勝利した主人公。
試合が終われば終わったで、今度は門番の仕事が待っている。
――――――――――――――――――
-1-
ラチャナとの試合が終わると、医務室で治療を受けた。
「またこんなボロボロになりやがって……」
治療を担当する冥の教会の神官に呆れられたが、こればかりは仕方がない。
何度も魔法をかけられて完治させてもらうと、少しの休憩をはさんで門番業務に戻ることにした。
そういう約束だったしね。
ただその前に、控室に係員を一人呼んでブラッシングを手伝ってもらった。
試合のおかげで毛並がくしゃくしゃになってる上に、肩口には血がこびりついてるしで、そこらへんは直しておかんと拙いだろう、と。
特に背中の毛並みは一人じゃ整えられん。
手伝ってもらった係員に礼を言って戻ってもらうと、大槌鉾をぶら下げてブルさんの所に急いだ。
「お待たせしました」
「おう、戻ったか。じゃあ悪いがちょっとここ頼むぜ」
門番についた俺と入れ替わりにブルさんが若干背中を丸め気味に戻っていく。
俺も大槌鉾を手に門番業務を始めたが……いや確かにこりゃ冷えるわ。試合の前より確実に気温が下がっているのが分かる。
試合の余韻でまだ体が火照っているからしばらくの間は大丈夫そうだが、明け方近くは酒以外にも何か考えんと辛いだろうな。
・
・
・
というわけで、2回目の休憩をちょっと長めにとらせてもらって懐炉というか温石を準備することにした。
手頃な石があればいいのだがそんなもの都合よくは見つからないので、隣接する倉庫が補修用に積んでるレンガをいくつかちょろまかし、それを適当な大きさに割って焼き石を作った。
割ったレンガを別途調達した布と一緒に食堂の厨房に持ち込み、竈の隅っこで焼いておいてもらおうと料理長に頼んだら、笑いながら許可してくれた。
「見た目は温かそうなのにな」
「幾ら毛皮を着てても、まとっているのが腰布1枚じゃね」
苦笑いで料理長に答えると、ブルさんのことも話して門の所に戻った。
4回分を用意しておいたので次の休憩からは各自一つずつ、入れ替えながら温石として使えるだろう。
「……というわけで、料理長に話してあるんで次の休憩の時に寄ってもらえれば」
「すまんな、助かる」
温石を使ったところで一部分しか温まらないから気休め程度にしかならんが、何もしないよりはマシだと思う。
しかしアレだな、冷えているところに酒を飲むと、トイレが近くなっていかん。
-2-
そんな感じで休憩をはさみながら時間を過ごしていると、久しぶりに呼び出しがかかった。
「この間新しく雇ったディーラーが、どうやら『袖口』をやってるようで」
「袖口か……まぁこの季節だからな」
呼びに来た係員の言葉にブルさんが呟く。袖口ってのは隠語らしいが、俺は初耳だぞ。なにそれ?
俺が不思議な顔をしていると
「詳しいことは大ホールに向かいながら説明する。今は向かうぞ」
ブルさんがそう言って大ホールへと足を向けた。
軍団というブラックジャックに似たゲーム、大小というサイコロのゲーム、そしてルーレットは、テーブルの上をコインが行きかう。
客が負けた場合はテーブルに置かれたコインをディーラーが回収するのだが、その時に負け分のコインをディーラーがくすねる行為を『袖口』と言うそうだ。
袖口に隠しポケットを作り、回収時にそこに高額コインを1~2枚滑り込ませるのがよくある手口なことから、そう呼ばれるようになったらしい。
本来ならカジノに入る金をディーラー個人の物にする行為のため、当然ながら違法(窃盗)行為になる。
勿論カジノ側も目を光らせていて対策や監視もしているのだが、まぁどんな対策・予防策に加えて罰則を定めてもやらかす人間はやらかすもんだ、とブルさんがぼやく。
しかも今は冬でディーラーもキチンと上着を着ている。厚手の生地でしつらえられた上着は隠しポケットを作るのにうってつけのようで、制服が冬服になるとこの手の行為が増えるそうだ。
ブルさんと係員の説明はなおも続く。
この『袖口』の厄介な所は、袖口にコインが入ったほぼ現行犯に近い状態でないと摘発できないところだ。
ディーラーは給料の他に、勝っている客からチップを貰うことが多く、それは正当な報酬の一部として認められている。
袖口に滑り込ませたコインは卓を離れたときに取り出し、客から貰ったチップに混ぜてしまえばもう分からない。
摘発するにはその場でとっ捕まえるしかないが、ゲームの最中にディーラーを取り押さえるという無粋で無様な真似はカジノとしてはしたくない。
妥協案として、問題のディーラーを卓から下げさせ監視をつけた状態でさりげなく連行する、という方法がとられているそうだ。
「ディーラーを連れ出すのは係員がやる。俺たちは無関係を装いつつ問題のディーラーが逃げたり暴れ出さないよう、少し距離をとって歩く。
係員も監視しているが、ディーラーの腕の動きに注意してくれ。不審な動きをするようなら容赦なく捻り上げて構わん」
大ホールの手前でブルさんから指示を受ける。
俺が頷いたのを見て、まず係員が大ホールに入った。
少し遅れてブルさんと俺がわずかに時間をずらして大ホールに入る。
警備員の巡回の体を装ってあちこちの卓に立ち寄って顔を見せていると、先に入った係員が交代のディーラーを連れて問題のディーラーがいる卓に歩み寄った。
ディーラーが交代したのを見て、ブルさんと俺もそれぞれ別方向から距離を詰める。
突然の交代に加えて門番二人が姿を見せたことに問題のディーラーも事態を悟ったのか、動きがぎこちなくなった。
俺も斜め後ろを歩きながら、証拠隠滅でも図るかな?とディーラーの腕の動きを注視していたが、さすがに諦めたのか不審な動きのないまま大ホールの外にとディーラーは連れ出された。
「すみません、ほんの出来心なんです」
周りに人気がなくなったところで、ディーラーが詫びてきた。顔色はもう真っ青で、脂汗も流している。
「言い訳はこれから行く先でするんだな」
係員が冷たい声で言い放つ。
「お願いします、今回が初めてなんです。盗ったコインは返しますからどうか」
「言い訳はこの先で言えと言ったぞ」
なおも謝罪と言い訳を続けようとするディーラーの首を、ブルさんが後ろから鷲掴みにした。
「それ以上口を開くなら、強制的に黙らせてやろうか?永遠にな」
うーん、客が「おいた」をした時はまだ微妙に気遣いがあったが、身内が相手だと容赦がねーな。
俺たち3人に連行される形でディーラーが連れて行かれたのは、揉め事を起こした客を連れ込むOHANASHI部屋よりさらに奥にある小さな部屋。いわゆる折檻部屋か。
連行してきたディーラーを放り込むように部屋に押し込むと、即座に扉を閉めた。
「やれやれ、またトバイさんの機嫌が悪くなりそうだ」
係員がそう言ってため息をついた。
「あのディーラーはもうクビかね?」
予想はつくが、なんとなく聞いてみた。
「袖口をやるようなディーラーなんて雇っていられませんぜ。まぁケジメつけさせられたうえで放り出されることになるでしょうね」
「ケジメと言うと……指を切り落とすとか?」
「さすがにそこまではしねぇよ。両手に見せしめの入れ墨を入れて、適度に痛めつけて終わりだ」
俺の質問にブルさんが答える。指は落とさなくても痛めつけはするのね。
「とはいえ、アイツはもうまっとうなカジノじゃ雇っては貰えんだろう」
「そこそこ腕は良かったし、客あしらいも悪くなかったんですがね」
「入れ墨は袖口と言うか悪さをした証拠になるのか」
「そうだ。だから他の国や街に行っても、入れ墨持ちはカジノから弾かれる。この入れ墨を消すには骨が焼けるくらいまで焼き鏝を当てるか、一度手を切り落として再生させるしかねぇ。
そんな傷、それこそ蘇生に近い治癒魔法か完全治癒薬クラスのポーションを使わんと治りはせんだろう。
入れ墨持ちでも非合法なカジノなら仕方なく雇うこともあるかもしれんが、警戒はされるしそういうところで悪さをしたら……まぁそこで人生が終わるな」
ああ、まぁなぁ……。やっぱりそういう世界なんだな。
俺が納得したのを見て、係員は礼を言って離れていった。
「俺らも戻るぞ。もう少しの辛抱だ」
「うぃす」
ブルさんに促され、冷え込みの一段と増した入口へと戻った。
-3-
カジノの営業時間を終え、トバイ氏の所に日当を貰いに行く。
「おう、来たか」
「ども」
「今日は試合後も警備に出てくれたそうだな。『袖口』が出たと報告を受けたが」
「ええ。ブルさんたちに従って所定?の部屋に連行しときました」
「そうか。ご苦労」
トバイ氏は頷くと、大きくため息をついた。
「どんなに厳重な予防策を講じても、どれほど厳しい罰則を設けても、やらかす奴はやらかすからな。……ったく、この時期は客足だって鈍るのによ」
「そうなんですか?」
俺の見た感じでは、それなりに客は入っていたと思うが。
「寒い時期はどうしても人は動かなくなる。それが夜ともなりゃ尚更だ。分厚く着込んで寒い中出かけるより、家の中でぬくぬく過ごしたいと思う人間も増えるさ」
「そりゃ確かにそうですね」
それに加えて夜になれば、どうしても治安も悪くなる。カジノで勝っても、帰りに強盗に襲われたら意味がない。
そう言ったことを考えると、俺が気付かなかっただけで実際に客足は落ちているのだろう。
でも、兼業剣闘士にして臨時の警備員でしかない俺が気にすることじゃねーけどな。
「……なんか他人事みたいな顔してるな」
じろりとトバイ氏に睨まれた。いや実際他人事なんだが……顔に出てたか。
「客の入りが減れば剣闘士の日当にも絡んでくるんだぞ」
そうトバイ氏は言ってくるが、残念、その脅しは俺にはほとんど意味がないのよね。
剣闘士の日当は確かに定期収入のかなりの部分を占めているけど、貯金があるから一時的に少しくらい日当が減っても大して困らんのよ。
それに近々オイルマッチを売りに出す予定なので、それが順当に売れればぶっちゃけ剣闘士の日当なんざ誤差の範疇な稼ぎになってしまう。
とはいえ、それを正直に言ったら喧嘩になるので、上っ面だけでも困ったような、仕方ねーなと言った顔をしてみせた。
元々ハメられたような形で始めることになった剣闘士だが、この仕事が嫌かと聞かれるとそうでもないんだよな。
たまに入る試合は稽古を続けるいい目標でもあるし、強者ぞろいの剣闘士たちとの試合経験は冒険者稼業にも役に立っている。
試合の度に手に入る日当にも結構助けられた。
大っぴらな建前だけでもそんな理由があるが、これ以外にもう一つ、あまり大きな声で言えない本音の理由がある。
ここの剣闘士たちはそれぞれタイプの違う美形ぞろいだ。剣闘士を辞めて彼女たちとの縁が切れるのは、男としてかなり惜しいのよ。
まぁこちらは見てくれが人外なので、色恋沙汰になる目はないしそう持っていくつもりもないのだが、男の本能というか煩悩的にね。
うん、笑うなら笑って、呆れるなら呆れてくれ。俺としてもそうされる理由だと重々承知しているから。
トバイ氏との間でしばらく沈黙の時間が流れたが、軽くため息をついて口を開いた。
「新たな客寄せの手段はちっと思いつかないですけど、リピーターを増やすと言うか囲い込み?の手段ならないこともないです」
「……なんだその『りぴーたー』とか『かこいこみ』ってのは?」
「『リピーター』ってのはまた来てくれる客のことで、『囲い込み』ってのは客が他所に流れるのを防ぐって意味です。どっちも売り上げ増につながります」
「なるほど、そういう意味か。で、どういう方法があるんだ?」
表情を明るくしたトバイ氏が尋ねてくる。
「手っ取り早いのは、ポイント制による特別なサービスですね。客がコインを買う金額に応じて点数を付けていって、それが一定の点数になったら特典として特別なサービスを提供する、って言えば分かりますかね?常連客や上客だけが美味しい思いをできる、そんな制度です」
「ふむ……だが、常連客や上客が店に優遇されるのはよくあることじゃないのか?」
「まぁそうですけど、客にそう言った優遇をするかしないかは店側の一存で、客から見れば優遇の有無すら知らないことが大半じゃないですか?
このポイント制ってのは、客にあらかじめ特別サービスの内容を教えてしまうんです。『ウチのカジノで〇〇枚のコインを買えば、こういうサービスが受けられます』と全ての客が知っているのが望ましいです」
「……そうか。客がコインを買うときに『特別サービス』という餌をぶらさげることで、少しでもコインを多く買わせようって魂胆だな?
1回の購入じゃ無理でも、過去に買った分に上乗せできるなら客はまた来ようと考えるし、他のカジノに浮気もしにくくなるか」
言い方は悪いが概ね合ってる。伊達にカジノを任されちゃいないか。
「となると、問題となるのは提供するサービスの内容だな」
「そこらへんはお任せしますよ」
「まぁそうつれないことを言うな。案を出した以上は幾つかネタはあるんだろ?オラ素直に吐いちまえよ」
トバイ氏がいやらしい笑みを浮かべて迫ってくる。頼むからやめてくれ。男に迫られても微塵も嬉しくないわ。
「……とりあえず手っ取り早くできそうなのは、コインの購入や払い戻すときのレートや手数料の優遇、ですかね。
あとはバーで飲める酒が無料になったり?他には本店の商会と協力できるなら、そっちで値引きとかの優遇をしてもらうとか。
ああ、特別なレートや倍率を使った、上客だけが遊べるゲームに参加できるというのもありですね」
海外のカジノだと宿泊費や飲食代が無料になったりとかもあるそうだけど、宿泊費無料は観光客が相手だからここの客層的にあまり意味がないし、食事代無料にしてもここは従業員向けの食堂くらいで、客向けのレストランは併設してないのよね。
高級店や人気店と提携して、ということも考えたが、それはそれでリスクや説明が面倒くさい。まぁ近いヒントは出してるので気付くようなら考えてみてくれ。
「ほぅ、それだけのネタがすぐに出てくるか。魔法の碾き臼の二つ名は伊達じゃねぇな」
「褒められてもこれ以上はちょっと出ませんぜ」
「なに、それだけ並べてくれりゃ十分だ。細かいところの詰めは必要だが、やってみて上手くいくようなら今後の試合の日当に加算してやる」
その後、機嫌のよくなったトバイ氏からこの日の日当を受け取り、カジノを後にした。
そういや今日は仮眠をとらなかったな。帰ったらひと眠りするとして、今日の稽古はどうするか……。
日陰に残る霜柱をなんとなくさくさくと踏みながら、徹夜明けの体で帰路についた。
『蛇使い』の二つ名を持つラチャナに勝利した主人公。
試合が終われば終わったで、今度は門番の仕事が待っている。
――――――――――――――――――
-1-
ラチャナとの試合が終わると、医務室で治療を受けた。
「またこんなボロボロになりやがって……」
治療を担当する冥の教会の神官に呆れられたが、こればかりは仕方がない。
何度も魔法をかけられて完治させてもらうと、少しの休憩をはさんで門番業務に戻ることにした。
そういう約束だったしね。
ただその前に、控室に係員を一人呼んでブラッシングを手伝ってもらった。
試合のおかげで毛並がくしゃくしゃになってる上に、肩口には血がこびりついてるしで、そこらへんは直しておかんと拙いだろう、と。
特に背中の毛並みは一人じゃ整えられん。
手伝ってもらった係員に礼を言って戻ってもらうと、大槌鉾をぶら下げてブルさんの所に急いだ。
「お待たせしました」
「おう、戻ったか。じゃあ悪いがちょっとここ頼むぜ」
門番についた俺と入れ替わりにブルさんが若干背中を丸め気味に戻っていく。
俺も大槌鉾を手に門番業務を始めたが……いや確かにこりゃ冷えるわ。試合の前より確実に気温が下がっているのが分かる。
試合の余韻でまだ体が火照っているからしばらくの間は大丈夫そうだが、明け方近くは酒以外にも何か考えんと辛いだろうな。
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というわけで、2回目の休憩をちょっと長めにとらせてもらって懐炉というか温石を準備することにした。
手頃な石があればいいのだがそんなもの都合よくは見つからないので、隣接する倉庫が補修用に積んでるレンガをいくつかちょろまかし、それを適当な大きさに割って焼き石を作った。
割ったレンガを別途調達した布と一緒に食堂の厨房に持ち込み、竈の隅っこで焼いておいてもらおうと料理長に頼んだら、笑いながら許可してくれた。
「見た目は温かそうなのにな」
「幾ら毛皮を着てても、まとっているのが腰布1枚じゃね」
苦笑いで料理長に答えると、ブルさんのことも話して門の所に戻った。
4回分を用意しておいたので次の休憩からは各自一つずつ、入れ替えながら温石として使えるだろう。
「……というわけで、料理長に話してあるんで次の休憩の時に寄ってもらえれば」
「すまんな、助かる」
温石を使ったところで一部分しか温まらないから気休め程度にしかならんが、何もしないよりはマシだと思う。
しかしアレだな、冷えているところに酒を飲むと、トイレが近くなっていかん。
-2-
そんな感じで休憩をはさみながら時間を過ごしていると、久しぶりに呼び出しがかかった。
「この間新しく雇ったディーラーが、どうやら『袖口』をやってるようで」
「袖口か……まぁこの季節だからな」
呼びに来た係員の言葉にブルさんが呟く。袖口ってのは隠語らしいが、俺は初耳だぞ。なにそれ?
俺が不思議な顔をしていると
「詳しいことは大ホールに向かいながら説明する。今は向かうぞ」
ブルさんがそう言って大ホールへと足を向けた。
軍団というブラックジャックに似たゲーム、大小というサイコロのゲーム、そしてルーレットは、テーブルの上をコインが行きかう。
客が負けた場合はテーブルに置かれたコインをディーラーが回収するのだが、その時に負け分のコインをディーラーがくすねる行為を『袖口』と言うそうだ。
袖口に隠しポケットを作り、回収時にそこに高額コインを1~2枚滑り込ませるのがよくある手口なことから、そう呼ばれるようになったらしい。
本来ならカジノに入る金をディーラー個人の物にする行為のため、当然ながら違法(窃盗)行為になる。
勿論カジノ側も目を光らせていて対策や監視もしているのだが、まぁどんな対策・予防策に加えて罰則を定めてもやらかす人間はやらかすもんだ、とブルさんがぼやく。
しかも今は冬でディーラーもキチンと上着を着ている。厚手の生地でしつらえられた上着は隠しポケットを作るのにうってつけのようで、制服が冬服になるとこの手の行為が増えるそうだ。
ブルさんと係員の説明はなおも続く。
この『袖口』の厄介な所は、袖口にコインが入ったほぼ現行犯に近い状態でないと摘発できないところだ。
ディーラーは給料の他に、勝っている客からチップを貰うことが多く、それは正当な報酬の一部として認められている。
袖口に滑り込ませたコインは卓を離れたときに取り出し、客から貰ったチップに混ぜてしまえばもう分からない。
摘発するにはその場でとっ捕まえるしかないが、ゲームの最中にディーラーを取り押さえるという無粋で無様な真似はカジノとしてはしたくない。
妥協案として、問題のディーラーを卓から下げさせ監視をつけた状態でさりげなく連行する、という方法がとられているそうだ。
「ディーラーを連れ出すのは係員がやる。俺たちは無関係を装いつつ問題のディーラーが逃げたり暴れ出さないよう、少し距離をとって歩く。
係員も監視しているが、ディーラーの腕の動きに注意してくれ。不審な動きをするようなら容赦なく捻り上げて構わん」
大ホールの手前でブルさんから指示を受ける。
俺が頷いたのを見て、まず係員が大ホールに入った。
少し遅れてブルさんと俺がわずかに時間をずらして大ホールに入る。
警備員の巡回の体を装ってあちこちの卓に立ち寄って顔を見せていると、先に入った係員が交代のディーラーを連れて問題のディーラーがいる卓に歩み寄った。
ディーラーが交代したのを見て、ブルさんと俺もそれぞれ別方向から距離を詰める。
突然の交代に加えて門番二人が姿を見せたことに問題のディーラーも事態を悟ったのか、動きがぎこちなくなった。
俺も斜め後ろを歩きながら、証拠隠滅でも図るかな?とディーラーの腕の動きを注視していたが、さすがに諦めたのか不審な動きのないまま大ホールの外にとディーラーは連れ出された。
「すみません、ほんの出来心なんです」
周りに人気がなくなったところで、ディーラーが詫びてきた。顔色はもう真っ青で、脂汗も流している。
「言い訳はこれから行く先でするんだな」
係員が冷たい声で言い放つ。
「お願いします、今回が初めてなんです。盗ったコインは返しますからどうか」
「言い訳はこの先で言えと言ったぞ」
なおも謝罪と言い訳を続けようとするディーラーの首を、ブルさんが後ろから鷲掴みにした。
「それ以上口を開くなら、強制的に黙らせてやろうか?永遠にな」
うーん、客が「おいた」をした時はまだ微妙に気遣いがあったが、身内が相手だと容赦がねーな。
俺たち3人に連行される形でディーラーが連れて行かれたのは、揉め事を起こした客を連れ込むOHANASHI部屋よりさらに奥にある小さな部屋。いわゆる折檻部屋か。
連行してきたディーラーを放り込むように部屋に押し込むと、即座に扉を閉めた。
「やれやれ、またトバイさんの機嫌が悪くなりそうだ」
係員がそう言ってため息をついた。
「あのディーラーはもうクビかね?」
予想はつくが、なんとなく聞いてみた。
「袖口をやるようなディーラーなんて雇っていられませんぜ。まぁケジメつけさせられたうえで放り出されることになるでしょうね」
「ケジメと言うと……指を切り落とすとか?」
「さすがにそこまではしねぇよ。両手に見せしめの入れ墨を入れて、適度に痛めつけて終わりだ」
俺の質問にブルさんが答える。指は落とさなくても痛めつけはするのね。
「とはいえ、アイツはもうまっとうなカジノじゃ雇っては貰えんだろう」
「そこそこ腕は良かったし、客あしらいも悪くなかったんですがね」
「入れ墨は袖口と言うか悪さをした証拠になるのか」
「そうだ。だから他の国や街に行っても、入れ墨持ちはカジノから弾かれる。この入れ墨を消すには骨が焼けるくらいまで焼き鏝を当てるか、一度手を切り落として再生させるしかねぇ。
そんな傷、それこそ蘇生に近い治癒魔法か完全治癒薬クラスのポーションを使わんと治りはせんだろう。
入れ墨持ちでも非合法なカジノなら仕方なく雇うこともあるかもしれんが、警戒はされるしそういうところで悪さをしたら……まぁそこで人生が終わるな」
ああ、まぁなぁ……。やっぱりそういう世界なんだな。
俺が納得したのを見て、係員は礼を言って離れていった。
「俺らも戻るぞ。もう少しの辛抱だ」
「うぃす」
ブルさんに促され、冷え込みの一段と増した入口へと戻った。
-3-
カジノの営業時間を終え、トバイ氏の所に日当を貰いに行く。
「おう、来たか」
「ども」
「今日は試合後も警備に出てくれたそうだな。『袖口』が出たと報告を受けたが」
「ええ。ブルさんたちに従って所定?の部屋に連行しときました」
「そうか。ご苦労」
トバイ氏は頷くと、大きくため息をついた。
「どんなに厳重な予防策を講じても、どれほど厳しい罰則を設けても、やらかす奴はやらかすからな。……ったく、この時期は客足だって鈍るのによ」
「そうなんですか?」
俺の見た感じでは、それなりに客は入っていたと思うが。
「寒い時期はどうしても人は動かなくなる。それが夜ともなりゃ尚更だ。分厚く着込んで寒い中出かけるより、家の中でぬくぬく過ごしたいと思う人間も増えるさ」
「そりゃ確かにそうですね」
それに加えて夜になれば、どうしても治安も悪くなる。カジノで勝っても、帰りに強盗に襲われたら意味がない。
そう言ったことを考えると、俺が気付かなかっただけで実際に客足は落ちているのだろう。
でも、兼業剣闘士にして臨時の警備員でしかない俺が気にすることじゃねーけどな。
「……なんか他人事みたいな顔してるな」
じろりとトバイ氏に睨まれた。いや実際他人事なんだが……顔に出てたか。
「客の入りが減れば剣闘士の日当にも絡んでくるんだぞ」
そうトバイ氏は言ってくるが、残念、その脅しは俺にはほとんど意味がないのよね。
剣闘士の日当は確かに定期収入のかなりの部分を占めているけど、貯金があるから一時的に少しくらい日当が減っても大して困らんのよ。
それに近々オイルマッチを売りに出す予定なので、それが順当に売れればぶっちゃけ剣闘士の日当なんざ誤差の範疇な稼ぎになってしまう。
とはいえ、それを正直に言ったら喧嘩になるので、上っ面だけでも困ったような、仕方ねーなと言った顔をしてみせた。
元々ハメられたような形で始めることになった剣闘士だが、この仕事が嫌かと聞かれるとそうでもないんだよな。
たまに入る試合は稽古を続けるいい目標でもあるし、強者ぞろいの剣闘士たちとの試合経験は冒険者稼業にも役に立っている。
試合の度に手に入る日当にも結構助けられた。
大っぴらな建前だけでもそんな理由があるが、これ以外にもう一つ、あまり大きな声で言えない本音の理由がある。
ここの剣闘士たちはそれぞれタイプの違う美形ぞろいだ。剣闘士を辞めて彼女たちとの縁が切れるのは、男としてかなり惜しいのよ。
まぁこちらは見てくれが人外なので、色恋沙汰になる目はないしそう持っていくつもりもないのだが、男の本能というか煩悩的にね。
うん、笑うなら笑って、呆れるなら呆れてくれ。俺としてもそうされる理由だと重々承知しているから。
トバイ氏との間でしばらく沈黙の時間が流れたが、軽くため息をついて口を開いた。
「新たな客寄せの手段はちっと思いつかないですけど、リピーターを増やすと言うか囲い込み?の手段ならないこともないです」
「……なんだその『りぴーたー』とか『かこいこみ』ってのは?」
「『リピーター』ってのはまた来てくれる客のことで、『囲い込み』ってのは客が他所に流れるのを防ぐって意味です。どっちも売り上げ増につながります」
「なるほど、そういう意味か。で、どういう方法があるんだ?」
表情を明るくしたトバイ氏が尋ねてくる。
「手っ取り早いのは、ポイント制による特別なサービスですね。客がコインを買う金額に応じて点数を付けていって、それが一定の点数になったら特典として特別なサービスを提供する、って言えば分かりますかね?常連客や上客だけが美味しい思いをできる、そんな制度です」
「ふむ……だが、常連客や上客が店に優遇されるのはよくあることじゃないのか?」
「まぁそうですけど、客にそう言った優遇をするかしないかは店側の一存で、客から見れば優遇の有無すら知らないことが大半じゃないですか?
このポイント制ってのは、客にあらかじめ特別サービスの内容を教えてしまうんです。『ウチのカジノで〇〇枚のコインを買えば、こういうサービスが受けられます』と全ての客が知っているのが望ましいです」
「……そうか。客がコインを買うときに『特別サービス』という餌をぶらさげることで、少しでもコインを多く買わせようって魂胆だな?
1回の購入じゃ無理でも、過去に買った分に上乗せできるなら客はまた来ようと考えるし、他のカジノに浮気もしにくくなるか」
言い方は悪いが概ね合ってる。伊達にカジノを任されちゃいないか。
「となると、問題となるのは提供するサービスの内容だな」
「そこらへんはお任せしますよ」
「まぁそうつれないことを言うな。案を出した以上は幾つかネタはあるんだろ?オラ素直に吐いちまえよ」
トバイ氏がいやらしい笑みを浮かべて迫ってくる。頼むからやめてくれ。男に迫られても微塵も嬉しくないわ。
「……とりあえず手っ取り早くできそうなのは、コインの購入や払い戻すときのレートや手数料の優遇、ですかね。
あとはバーで飲める酒が無料になったり?他には本店の商会と協力できるなら、そっちで値引きとかの優遇をしてもらうとか。
ああ、特別なレートや倍率を使った、上客だけが遊べるゲームに参加できるというのもありですね」
海外のカジノだと宿泊費や飲食代が無料になったりとかもあるそうだけど、宿泊費無料は観光客が相手だからここの客層的にあまり意味がないし、食事代無料にしてもここは従業員向けの食堂くらいで、客向けのレストランは併設してないのよね。
高級店や人気店と提携して、ということも考えたが、それはそれでリスクや説明が面倒くさい。まぁ近いヒントは出してるので気付くようなら考えてみてくれ。
「ほぅ、それだけのネタがすぐに出てくるか。魔法の碾き臼の二つ名は伊達じゃねぇな」
「褒められてもこれ以上はちょっと出ませんぜ」
「なに、それだけ並べてくれりゃ十分だ。細かいところの詰めは必要だが、やってみて上手くいくようなら今後の試合の日当に加算してやる」
その後、機嫌のよくなったトバイ氏からこの日の日当を受け取り、カジノを後にした。
そういや今日は仮眠をとらなかったな。帰ったらひと眠りするとして、今日の稽古はどうするか……。
日陰に残る霜柱をなんとなくさくさくと踏みながら、徹夜明けの体で帰路についた。
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【アイテムボックス】で魔物の首を、家屋を、オークの集落を丸ごと収納!? 【アイテムボックス】で道を作り、川を作り、街を作る!? ただの収納魔法と侮るなかれ。知覚できるものなら疫病だろうが敵の軍勢だろうが何だって除去する超能力! 主人公・クリスの成り上がりと「進化系ざまぁ」展開、そして最後に待ち受ける極上のどんでん返しを、とくとご覧あれ! 随所に散りばめられた大小さまざまな伏線を、あなたは見抜けるか!?
転生王子の異世界無双
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幼い頃から病弱だった俺、柊 悠馬は、ある日神様のミスで死んでしまう。
特別に転生させてもらえることになったんだけど、神様に全部お任せしたら……
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天草 救人(あまくさ きゅうと)は正義の変身ヒーロー『キルマオー』である。悪の秘密結社イーヴィルとの最期の決戦の時、悪の大首領『ワイズマン』に、キルマオーの超必殺技【キルマオーFストライク】が決まったかに見えたその時だった。
「ワシ独りでは死なん!キルマオーよ、貴様も永遠に時空の狭間を彷徨うがいぃぃぃぃっ!!」
こうして悪は滅び去った。だが、キルマオーもまた、この世界から消えてしまった……。
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基本、コメディ路線です。よろしくお願いします。
『収納』は異世界最強です 正直すまんかったと思ってる
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「ようこそおいでくださいました。勇者さま」
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このままじゃ俺は殺されてしまう。そうなる前にこの国から逃げ出さないといけない。
勇者なら全員が使える収納スキルのみしか使うことのできない勇者の出来損ないと呼ばれた男が収納スキルで無双して世界を旅する物語(予定
私のメンタルは金魚掬いのポイと同じ脆さなので感想を送っていただける際は語調が強くないと嬉しく思います。
ただそれでも初心者故、度々間違えることがあるとは思いますので感想にて教えていただけるとありがたいです。
他にも今後の進展や投稿済みの箇所でこうしたほうがいいと思われた方がいらっしゃったら感想にて待ってます。
なお、書籍化に伴い内容の齟齬がありますがご了承ください。
田舎暮らしと思ったら、異世界暮らしだった。
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突然の異世界転移とともに魔法が使えるようになった青年の、ほぼ手に汗握らない物語。
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感想などお待ちしております。
特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった
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鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。
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第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。
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