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第三話
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王子がまとう柔らかな空気がわずかに揺らぐ。
アヤは何も言わずに首を縦に振った。
「長い話になると思うから座ろうか」
王子は部屋の隅にある椅子を引いてアヤを座らせると、自分も向かい側に腰を下ろす。
そして、机上で手を組むと話を切り出した。
「⋯⋯僕は妹にとって双子の兄ではないんだ」
アヤは唐突に言われたことに理解が追いつかないようでポカンとした表情になる。
「僕は国王が戯れに手を出した侍女が産んだ子供なんだ」
王子はアヤがその意味を解するのを待ってから話を続けた。
「王妃の懐妊で国中が沸き立つ中、自分も妊娠していることを悟った侍女は理由を誰にも告げず実家に戻った。子供はこっそりと産んで養子に出すつもりだった。だけど──」
王子が何かを堪えるような表情で目を伏せる。
「生まれた子供は黒い髪を持っていた」
アヤは一瞬呼吸を止めた。
「密かに報告を受けた王は王宮の隠し部屋でその子供の世話をさせた。そして王女が無事に誕生して、すぐに連れてこられた黒髪の赤子を見た王妃は、ショックのあまり気を失ってしまった」
言葉は途切れ、部屋には沈黙が流れる。
アヤはただ黙ってその静寂を受け入れた。
「⋯⋯側室が許されていないこの国で、国民感情を考えると他に方法がなかった。国王は王妃が双子を産んだことにしたんだ」
王子は責めるようでも悲しむようでもなくただ淡々と告げる。
「国王は僕に血縁者と関わることを禁じ、体が弱いことにして公務に携わることを認めず王宮の隅に追いやった。のちのち妃を召喚しさえすればそれで事足りると思ったみたいだ」
アヤは膝に置いた両手をギュッと握った。
「でも、僕は孤独だったわけではないよ」
王子が安心させるようにニコリと笑う。
「先代王子の妃がとてもよくしてくれたんだ。僕が三歳のときに亡くなったから、薄っすらとしか記憶にないんだけどね。彼女は僕の名付け親でもある」
けれど、ふと、穏やかだった王子の表情に硬さが混ざった。
「僕が彼女の死をきちんと理解していたかはわからない。ただその年は長い長い雨が降ってひどく冷たい夏になった」
王子はどこか思いつめたような表情をする。
「結婚でなくてもいいのかもしれない。ただ誰かに愛されていれば。でもそれを誰に頼めばいいのかわからなかった」
王子はそこまで言い終わると息を吐き、それからいくぶんか語調を和らげて話し始める。
「先代妃は亡くなる前、僕が淋しさを感じないようにいろいろと手配してくれていたんだ。彼のこととかね」
「⋯⋯彼?」
そのつぶやきに王子が意味ありげに笑い、アヤは不思議そうにその笑みを見た。
「あなたに家を押し売りした音楽家だよ」
アヤは驚いて目を見張る。
「僕は彼のことを先生と呼んでいるんだけど。先生は僕がこれからの人生で退屈しないように音楽を教えたんだ。いくつもの楽器を奏でてくれて、僕がピアノの音色を聞きたがったときは」
王子は思い出したようにフッと笑い、
「闇夜に紛れて漆黒のピアノを運び込んでくれたんだ」
と楽しそうに言った。
「僕は毎日何時間もそのピアノを弾き続けた。幸い僕の部屋は王宮の端の端だから、誰に気兼ねする必要もなかったよ。そのうち僕は大きなホールで大勢の人の前で演奏したいと夢見るようになった。何年も何年もそう思ってただがむしゃらに奏で続けて。でもあるとき気付いてしまった」
王子は軽くため息をつく。
「僕がそんな大舞台に立つことを国王は許さないだろう」
アヤはキュッと唇を噛み締めた。
「僕は挫折した気持ちで、でも音楽を辞めようとは思わなかった。僕自身が華やかな舞台に上がることができなくてもいいから、僕の音楽をたくさんの人に聞いてほしい。それから僕はただひたすら曲作りに没頭した。日が昇っている時間のほとんどを作曲に充てていたよ」
そして、王子はアヤに向かっていたずらっぽく笑いかける。
「王立管弦楽団に楽曲を提供しているんだ。最近は王立劇団の舞台音楽も手がけているよ。残念ながら温泉には関わっていないんだけどね」
「⋯⋯え? え? えーーーーー!!」
アヤは両手で口を押さえて驚きの悲鳴を上げた。
「あなたが聞いていたと知って嬉しかったよ」
王子はニコニコと、喜びを隠し切れない様子で笑う。
「⋯⋯ただ、この生き方をずっと続けることはできないと理解もしていた。僕は黒髪王子だから召喚された女性を妃にすることが義務付けられている」
王子は視線を手元に落とした。
「知る人もなく言葉もわからない世界に連れてこられた彼女を、僕は愛して支えてあげなければならない。これまでの生活はきっと一変する。彼女が僕以外にも生きるための拠り所を見つけられるまで、慰めのためだけに音楽を奏でて。⋯⋯そんな日々がどれくらい続くのだろう」
王子が組んだ手にグッと力を込める。
「彼女の方がつらいはずだとわかっているのに考えてしまった。それがどうして僕の利益なのか、なぜ音のない灰色の世界で生きていかなければならないのだと」
王子はそう言った自分を恥じるように顔をゆがめる。
「逃げようとは思わなかったんですか?」
アヤが問いかけると、王子はスッと顔を上げた。
「僕はこの国の人々に生かされてきたんだ。僕の結婚が国民に安寧を与えるのがわかっていて逃げたりなんかしないよ」
その迷いのない眼差しにアヤは動きを止めた。まばたきさえすることなくその瞳に見入っている。
しばらくして、アヤはハッと我に返ると上気した頬を隠すように顔を伏せた。
それを見た王子は優しげに目を細めて言う。
「あなたにもう一つ伝えたいことがあるんだ」
アヤは上目遣いで王子と目を合わせた。
「あなたは僕と会ったことを覚えてないと言っていたけど、僕にとってはかなり衝撃的な出会いだったよ」
「⋯⋯私、何かまずいことを?」
アヤが首をすくめて不安そうに聞く。
「いや、ただ普通に案内してくれたんだ。本当に普通に。黒髪を持たない人にするのと同じように」
はあ、とアヤがよくわかっていないような声を出す。
「先代の黒髪王子が僕にだけ読むことを許した日記があるんだ。王子と妃は共に天文学者だった。前にいた場所と同じようにこの世界にも月と星があって、二人で夜空を見上げることができて本当に幸せだと」
アヤは、なぜこんな話を始めたのだろうというように王子を凝視した。王子はそんなアヤの様子に気付きながらも先を続ける。
「その日記を読んだ日の夜、空を見上げてみたんだ。よく晴れて雲ひとつない空に月が浮かんでいて、数え切れないほどの星が輝いていた。僕はハッとしたよ」
アヤは息を詰めて王子の言葉を待った。
「幾千幾万の星の中にたった一つ浮かぶ月。誰もが、月を見るように僕を見るんだ。星とは違う異質なものとして、自分たちとは違う特殊な存在として。確かな境界線を常に感じていたよ。⋯⋯だから王子の妃は異世界から来なければならなかったんだろう。黒髪に違和感を覚えず、黒髪王子という存在に現実味を感じない」
王子はアヤの瞳をじっと見据える。
「だけどあなたはただ星を見るように僕を見たんだ。数多の星の中の一つとして。他となんら変わらない存在として」
アヤはパチパチとまばたきをした。
「それが不思議で、理由を作ってはあなたに会いに何度か図書館に通ったよ。あなたの態度はいつも変わらず同じだった」
王子の慈しむような眼差しが、急におもしろいものを見るような目に変わる。
「それと、あなたが突拍子もないことを言って同僚を爆笑させている現場に何度か出くわしたんだけど、僕も本の陰で笑いをこらえるのが大変だったよ」
王子は笑いを噛み殺したような声で言うと、呼吸ひとつ分の間を置いてから思いを言葉にした。
「⋯⋯他と同じように見られることに心地よさを感じていたはずなのに、いつしかこの星の名前を知ってほしいと願うようになってしまった。無数の星の中で特別な存在になりたいと」
アヤは驚きのあまり目を見開いたまま固まっている。
「先生は僕の気持ちに気付いていて、あなたに家を売ったと教えてくれたよ。防音室と秘密の入り口も完備だと言われた。もし召喚された娘が気に入らなかったらこっそりあなたの元に通って好きなだけ音楽をすればいいと」
王子は不愉快そうに眉間にシワを寄せた。
「もちろんそんな不実なことをする気はまったくなかった。あなたへの気持ちには今日までに終止線を引いたつもりだった」
王子のアヤを見つめる瞳にいっそう強い光が加わる。
「だけど、あなたがあの仮面を取ったとき、湧き上がった歓喜に僕は思わず叫び出しそうだった。灰色に思えた世界が一気に色づいて、あなたが僕に彩りを与えてくれた」
王子がアヤに微笑みかけた。
「僕の名前はシリウスというんだ。夜空で一番明るく輝く星と同じ名だ」
「⋯⋯私その星を知っていました。その光を見てました」
シリウスとアヤの視線が絡んだ。
アヤが口を開く。
「これからはうちの庭で一緒に夜空を見上げませんか」
シリウスは一瞬驚いた顔をして、次いで溢れんばかりの笑顔を見せた。が、次に続いたアヤの言葉にひどくうろたえることになる。
「温泉にも行きましょうよ。大浴場はなぜか男女別なんですけど、貸切風呂なら一緒に入れますから、髪洗うの手伝いますよ」
「な、な⋯⋯あなたは、何を」
顔を真っ赤にするシリウスを見て、アヤは不思議そうに小首を傾げた。
「え? みんなで川に円になって背中流し合ったり、しません? あれ?」
シリウスはそんなアヤを見て、フッと表情を緩めると肩を震わせ始める。
「あなたは本当におもしろい人だ」
そして、部屋にはこらえ切れなくなったシリウスの笑い声が響いた。
アヤはしばらく困った顔で見ていたが、あきらめたように一緒になって笑い出す。
しびれを切らした館長たちが部屋をのぞきに来ても、二人の笑い声は続いていた。
アヤは何も言わずに首を縦に振った。
「長い話になると思うから座ろうか」
王子は部屋の隅にある椅子を引いてアヤを座らせると、自分も向かい側に腰を下ろす。
そして、机上で手を組むと話を切り出した。
「⋯⋯僕は妹にとって双子の兄ではないんだ」
アヤは唐突に言われたことに理解が追いつかないようでポカンとした表情になる。
「僕は国王が戯れに手を出した侍女が産んだ子供なんだ」
王子はアヤがその意味を解するのを待ってから話を続けた。
「王妃の懐妊で国中が沸き立つ中、自分も妊娠していることを悟った侍女は理由を誰にも告げず実家に戻った。子供はこっそりと産んで養子に出すつもりだった。だけど──」
王子が何かを堪えるような表情で目を伏せる。
「生まれた子供は黒い髪を持っていた」
アヤは一瞬呼吸を止めた。
「密かに報告を受けた王は王宮の隠し部屋でその子供の世話をさせた。そして王女が無事に誕生して、すぐに連れてこられた黒髪の赤子を見た王妃は、ショックのあまり気を失ってしまった」
言葉は途切れ、部屋には沈黙が流れる。
アヤはただ黙ってその静寂を受け入れた。
「⋯⋯側室が許されていないこの国で、国民感情を考えると他に方法がなかった。国王は王妃が双子を産んだことにしたんだ」
王子は責めるようでも悲しむようでもなくただ淡々と告げる。
「国王は僕に血縁者と関わることを禁じ、体が弱いことにして公務に携わることを認めず王宮の隅に追いやった。のちのち妃を召喚しさえすればそれで事足りると思ったみたいだ」
アヤは膝に置いた両手をギュッと握った。
「でも、僕は孤独だったわけではないよ」
王子が安心させるようにニコリと笑う。
「先代王子の妃がとてもよくしてくれたんだ。僕が三歳のときに亡くなったから、薄っすらとしか記憶にないんだけどね。彼女は僕の名付け親でもある」
けれど、ふと、穏やかだった王子の表情に硬さが混ざった。
「僕が彼女の死をきちんと理解していたかはわからない。ただその年は長い長い雨が降ってひどく冷たい夏になった」
王子はどこか思いつめたような表情をする。
「結婚でなくてもいいのかもしれない。ただ誰かに愛されていれば。でもそれを誰に頼めばいいのかわからなかった」
王子はそこまで言い終わると息を吐き、それからいくぶんか語調を和らげて話し始める。
「先代妃は亡くなる前、僕が淋しさを感じないようにいろいろと手配してくれていたんだ。彼のこととかね」
「⋯⋯彼?」
そのつぶやきに王子が意味ありげに笑い、アヤは不思議そうにその笑みを見た。
「あなたに家を押し売りした音楽家だよ」
アヤは驚いて目を見張る。
「僕は彼のことを先生と呼んでいるんだけど。先生は僕がこれからの人生で退屈しないように音楽を教えたんだ。いくつもの楽器を奏でてくれて、僕がピアノの音色を聞きたがったときは」
王子は思い出したようにフッと笑い、
「闇夜に紛れて漆黒のピアノを運び込んでくれたんだ」
と楽しそうに言った。
「僕は毎日何時間もそのピアノを弾き続けた。幸い僕の部屋は王宮の端の端だから、誰に気兼ねする必要もなかったよ。そのうち僕は大きなホールで大勢の人の前で演奏したいと夢見るようになった。何年も何年もそう思ってただがむしゃらに奏で続けて。でもあるとき気付いてしまった」
王子は軽くため息をつく。
「僕がそんな大舞台に立つことを国王は許さないだろう」
アヤはキュッと唇を噛み締めた。
「僕は挫折した気持ちで、でも音楽を辞めようとは思わなかった。僕自身が華やかな舞台に上がることができなくてもいいから、僕の音楽をたくさんの人に聞いてほしい。それから僕はただひたすら曲作りに没頭した。日が昇っている時間のほとんどを作曲に充てていたよ」
そして、王子はアヤに向かっていたずらっぽく笑いかける。
「王立管弦楽団に楽曲を提供しているんだ。最近は王立劇団の舞台音楽も手がけているよ。残念ながら温泉には関わっていないんだけどね」
「⋯⋯え? え? えーーーーー!!」
アヤは両手で口を押さえて驚きの悲鳴を上げた。
「あなたが聞いていたと知って嬉しかったよ」
王子はニコニコと、喜びを隠し切れない様子で笑う。
「⋯⋯ただ、この生き方をずっと続けることはできないと理解もしていた。僕は黒髪王子だから召喚された女性を妃にすることが義務付けられている」
王子は視線を手元に落とした。
「知る人もなく言葉もわからない世界に連れてこられた彼女を、僕は愛して支えてあげなければならない。これまでの生活はきっと一変する。彼女が僕以外にも生きるための拠り所を見つけられるまで、慰めのためだけに音楽を奏でて。⋯⋯そんな日々がどれくらい続くのだろう」
王子が組んだ手にグッと力を込める。
「彼女の方がつらいはずだとわかっているのに考えてしまった。それがどうして僕の利益なのか、なぜ音のない灰色の世界で生きていかなければならないのだと」
王子はそう言った自分を恥じるように顔をゆがめる。
「逃げようとは思わなかったんですか?」
アヤが問いかけると、王子はスッと顔を上げた。
「僕はこの国の人々に生かされてきたんだ。僕の結婚が国民に安寧を与えるのがわかっていて逃げたりなんかしないよ」
その迷いのない眼差しにアヤは動きを止めた。まばたきさえすることなくその瞳に見入っている。
しばらくして、アヤはハッと我に返ると上気した頬を隠すように顔を伏せた。
それを見た王子は優しげに目を細めて言う。
「あなたにもう一つ伝えたいことがあるんだ」
アヤは上目遣いで王子と目を合わせた。
「あなたは僕と会ったことを覚えてないと言っていたけど、僕にとってはかなり衝撃的な出会いだったよ」
「⋯⋯私、何かまずいことを?」
アヤが首をすくめて不安そうに聞く。
「いや、ただ普通に案内してくれたんだ。本当に普通に。黒髪を持たない人にするのと同じように」
はあ、とアヤがよくわかっていないような声を出す。
「先代の黒髪王子が僕にだけ読むことを許した日記があるんだ。王子と妃は共に天文学者だった。前にいた場所と同じようにこの世界にも月と星があって、二人で夜空を見上げることができて本当に幸せだと」
アヤは、なぜこんな話を始めたのだろうというように王子を凝視した。王子はそんなアヤの様子に気付きながらも先を続ける。
「その日記を読んだ日の夜、空を見上げてみたんだ。よく晴れて雲ひとつない空に月が浮かんでいて、数え切れないほどの星が輝いていた。僕はハッとしたよ」
アヤは息を詰めて王子の言葉を待った。
「幾千幾万の星の中にたった一つ浮かぶ月。誰もが、月を見るように僕を見るんだ。星とは違う異質なものとして、自分たちとは違う特殊な存在として。確かな境界線を常に感じていたよ。⋯⋯だから王子の妃は異世界から来なければならなかったんだろう。黒髪に違和感を覚えず、黒髪王子という存在に現実味を感じない」
王子はアヤの瞳をじっと見据える。
「だけどあなたはただ星を見るように僕を見たんだ。数多の星の中の一つとして。他となんら変わらない存在として」
アヤはパチパチとまばたきをした。
「それが不思議で、理由を作ってはあなたに会いに何度か図書館に通ったよ。あなたの態度はいつも変わらず同じだった」
王子の慈しむような眼差しが、急におもしろいものを見るような目に変わる。
「それと、あなたが突拍子もないことを言って同僚を爆笑させている現場に何度か出くわしたんだけど、僕も本の陰で笑いをこらえるのが大変だったよ」
王子は笑いを噛み殺したような声で言うと、呼吸ひとつ分の間を置いてから思いを言葉にした。
「⋯⋯他と同じように見られることに心地よさを感じていたはずなのに、いつしかこの星の名前を知ってほしいと願うようになってしまった。無数の星の中で特別な存在になりたいと」
アヤは驚きのあまり目を見開いたまま固まっている。
「先生は僕の気持ちに気付いていて、あなたに家を売ったと教えてくれたよ。防音室と秘密の入り口も完備だと言われた。もし召喚された娘が気に入らなかったらこっそりあなたの元に通って好きなだけ音楽をすればいいと」
王子は不愉快そうに眉間にシワを寄せた。
「もちろんそんな不実なことをする気はまったくなかった。あなたへの気持ちには今日までに終止線を引いたつもりだった」
王子のアヤを見つめる瞳にいっそう強い光が加わる。
「だけど、あなたがあの仮面を取ったとき、湧き上がった歓喜に僕は思わず叫び出しそうだった。灰色に思えた世界が一気に色づいて、あなたが僕に彩りを与えてくれた」
王子がアヤに微笑みかけた。
「僕の名前はシリウスというんだ。夜空で一番明るく輝く星と同じ名だ」
「⋯⋯私その星を知っていました。その光を見てました」
シリウスとアヤの視線が絡んだ。
アヤが口を開く。
「これからはうちの庭で一緒に夜空を見上げませんか」
シリウスは一瞬驚いた顔をして、次いで溢れんばかりの笑顔を見せた。が、次に続いたアヤの言葉にひどくうろたえることになる。
「温泉にも行きましょうよ。大浴場はなぜか男女別なんですけど、貸切風呂なら一緒に入れますから、髪洗うの手伝いますよ」
「な、な⋯⋯あなたは、何を」
顔を真っ赤にするシリウスを見て、アヤは不思議そうに小首を傾げた。
「え? みんなで川に円になって背中流し合ったり、しません? あれ?」
シリウスはそんなアヤを見て、フッと表情を緩めると肩を震わせ始める。
「あなたは本当におもしろい人だ」
そして、部屋にはこらえ切れなくなったシリウスの笑い声が響いた。
アヤはしばらく困った顔で見ていたが、あきらめたように一緒になって笑い出す。
しびれを切らした館長たちが部屋をのぞきに来ても、二人の笑い声は続いていた。
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