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第二話
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「君は相変わらず本当になんというか⋯⋯。他には? 王子についての君の認識を教えてくれ」
館長がやや投げやりな口調で尋ねると、はい! と妙に威勢のいい返事が飛んできた。
「黒髪王子は国王陛下と王妃様の三番目のご子息で、四番目の紅一点の王女と双子の兄妹としてお生まれになられました。ただお体があまり丈夫ではないためご公務は控えられていると伺っております」
「教科書を読んでいるような回答だな」
「王立の図書館なので、面接で聞かれるかもしれないと思って一通り覚えました」
しれっと答えるアヤに館長が呆れたような顔をする。
「今この場で何が行われているかは理解しているな?」
「はい。館長は今日召喚の儀式で通訳を行うため不在と伺っておりましたので」
館長はうなずくと、後ろを振り返った。
「妃は異世界から来なくても大丈夫なのか」
分厚い本を持った男が進み出てくる。
「はい、記録を見たところ特にそう限定されてはいないようです。王子にとって相応しく有益な女性であるとだけ」
館長はアヤに向き直ると、じっとその目を見つめた。そして、その視線を受けてキョトンとするアヤにゆっくりと静かに告げる。
「召喚された以上、君は黒髪王子の妃になる。異存ないな」
「異存ありません」
迷うそぶりを一切見せず即座に答えたアヤに館長は面食らった顔をした。
「いいのか? いや、確かに決定事項ではあるが⋯⋯、そんなにあっさりで本当にいいのか?」
館長が不安そうに重ねて尋ねる。
アヤは、もちろんです! と言い切った。
「まずは挑戦してみないと何もわかりませんから。食べ物だって口に入れてみなければ美味しいか不味いか好きか嫌いか判断できないじゃないですか。昔、族長の奥さんが作ってくれた料理が──」
それからアヤはこれまで食べたゲテモノ料理についての感想をひとしきり述べていった。
「⋯⋯そうか」
館長は脱力して膝をつく。魔術師の一人が慌てて差し伸べた手を断り、なんとか自力で立ち上がるとまとめに入った。
「⋯⋯黒髪王子の妃は公務をする必要はないが、王子の支えとなることを第一の責務と考え、立派にその務めを果たしてほしい」
この言葉に部屋中の人々は拍手を送ろうと手を上げたが、どこか浮かない顔をしているアヤを見て一斉にその動きを止めた。
「あの⋯⋯そういえば、仕事は続けられますか?」
「⋯⋯は?」
不安そうに紡がれるアヤの言葉に、館長が戸惑いの表情を浮かべる。
「私仕事辞めたくないんですよ。今の職場が好きですし、なにより魅力的すぎる福利厚生の数々!」
アヤは目の色を変え、その素晴らしさをとうとうと語り始めた。
「まず、王立劇団の舞台を優待価格で楽しめるんです! 今上演されているベストセラーを原作とした歌劇の、荘厳なパイプオルガンの響きの中で迎えるクライマックスは涙なくしては見られません!」
アヤは言って目尻をぬぐう。
「そして、王宮の北にこんこんと涌き出る温泉施設の回数券が配られて、仕事の疲れをのんびりと癒すことができるんです! 風呂上がりの一杯は比類なき至宝!」
アヤの喉がゴクリと鳴る。
「さらには、年に一回王立管弦楽団の公演に招待してもらえるんです! 高尚な音楽は肌に合わないと思っていたらとんでもない! 誰よりも先にスタンディングオベーションしましたよ!」
それに、と少し冷静な口調でアヤが続ける。
「私地方出身者のための返還不要の奨学金をいただいていたんです。そのおかげで学校に通えて今の仕事に就けたから、すぐに辞めるなんて申し訳ないんです」
「⋯⋯魔術師長、仕事を続けることは可能だろうか」
館長はアヤの勢いに圧倒されたように、やや仰け反りながら尋ねた。
「王子に関する諸事については陛下より一任されているから、そのように取り計らうことにしよう。彼女は王国語や歴史を学ぶ必要もないから問題ないんじゃないか」
魔術師長の言葉にアヤはホッとした顔になったが、
「まずは王宮に住まいを移す手はずを整えて⋯⋯」
と、続いたところでまた表情を曇らせる。
「あの⋯⋯、今の家に住み続けられませんか?」
「⋯⋯は?」
すでに話はまとまったといった様子で儀式の片付けに着手しようとしていた人々の動きが止まった。
「家、戸建てで買ったばかりなんですよね。中古だったんですけど」
「もう家を買ったのか!?」
館長が勢いよく叫び、一同も目を丸くする。
「それこそあれですよ、特殊な会話ですよ。図書館で案内してたらいきなり、家買わないかって言われて」
アヤが説明していると、どこからか、それって詐欺じゃないのかという声が聞こえてきた。
「私も怪しいと思ったんですけど。でも、その方、亡き先代妃のお抱えの演奏家だった方らしくて、おもしろいおじいちゃんなんですけど。音楽の都に移住するからお世話になったお礼に安く売ってくれるって。お世話した記憶はないんですが⋯⋯説き伏せられて」
館長は開いた口が塞がらないという様子だったが、再度魔術師長に確認を取る。
「そのまま自宅に住み続けるなんてことはできるのだろうか」
問われた魔術師長は渋い顔をして唸った。
「ううん⋯⋯。しかし前例がないからなんとも」
「あの、異世界から来たお妃様は当然家を持っていらっしゃらなかったですし、何かしらの利便性を考慮して王宮に住まわれることになったんですよね。でも私は家がありますし、職場も近いですから、お部屋を用意していただかなくても大丈夫です」
アヤはまず理路整然と力説し、次に相手の感情に訴えるような主張へと変わる。
「だって小さいながらも素敵な我が家なんですよ。壁も厚くてすごくしっかりした作りで、入り口も何ヵ所かあって。庭のベンチに座って吸い込まれそうな星空を見上げながらの一杯。それに家庭菜園も始めたんです。収穫したらお隣さんと野菜パーティーしようって約束してるんですよぉ。もし王子が家を気に入らなかったら別居婚でいいですからぁ」
最後は顔を覆って泣き落としにかかったアヤに、館長と魔術師長は困ったように顔を見合わせる。
その時、カツンと靴音がして壁際にいた誰かが動き出したのを人々の目が捉えた。
その人は、誰もが呆然とした視線を送る中、悠然と歩を進めアヤの前で足を止める。
誰かが近付いた気配と、突然変わった部屋の空気にアヤは恐る恐るといった様子で顔を上げて、そしてさらに見上げるようにして目の前に立つ男を見た。
アヤが目線を横にずらして館長を見ると、声を出さずに口をパクパクと動かしている。
『お う じ』
アヤは理解したという風にコクコクとうなずいて、眼前の男に視線を戻すと口を開いた。
「⋯⋯あなたが、黒髪王子」
「ええ、そうです」
間を置かずに肯定されたアヤは王子をまじろぎもせずに見つめる。
腰の辺りまである長い黒髪は艷やかで、顎に添えられた指は細く長く、手の平は厚い。
アヤはしばらく考え込んでいるようだったが恐らくは思い出せなかったのだろう、曖昧な微笑みを浮かべた。
王子は苦笑して後ろを振り返り、館長と魔術師長に向けて声をかける。
「彼女と二人で話をしてもいいだろうか」
二人はうなずくと一同を引き連れて部屋を出て行った。
「突然のことで驚いているだろう。巻き込んでしまってすまない」
二人きりになった途端頭を下げる王子にアヤはブンブンと手を振る。
「とんでもない! 通過儀礼のバンジージャンプに参加させられたときの方が衝撃でしたから大丈夫です」
本気でそう思っていそうな口ぶりに王子は吹き出し、笑われたアヤは目を瞬かせた。
「あなたは本当に面白い」
王子はひとしきり笑ってそう言った後、柔和な表情は崩さないままに口調を真剣なものに改めた。
「あなたに聞いてほしいことがある」
館長がやや投げやりな口調で尋ねると、はい! と妙に威勢のいい返事が飛んできた。
「黒髪王子は国王陛下と王妃様の三番目のご子息で、四番目の紅一点の王女と双子の兄妹としてお生まれになられました。ただお体があまり丈夫ではないためご公務は控えられていると伺っております」
「教科書を読んでいるような回答だな」
「王立の図書館なので、面接で聞かれるかもしれないと思って一通り覚えました」
しれっと答えるアヤに館長が呆れたような顔をする。
「今この場で何が行われているかは理解しているな?」
「はい。館長は今日召喚の儀式で通訳を行うため不在と伺っておりましたので」
館長はうなずくと、後ろを振り返った。
「妃は異世界から来なくても大丈夫なのか」
分厚い本を持った男が進み出てくる。
「はい、記録を見たところ特にそう限定されてはいないようです。王子にとって相応しく有益な女性であるとだけ」
館長はアヤに向き直ると、じっとその目を見つめた。そして、その視線を受けてキョトンとするアヤにゆっくりと静かに告げる。
「召喚された以上、君は黒髪王子の妃になる。異存ないな」
「異存ありません」
迷うそぶりを一切見せず即座に答えたアヤに館長は面食らった顔をした。
「いいのか? いや、確かに決定事項ではあるが⋯⋯、そんなにあっさりで本当にいいのか?」
館長が不安そうに重ねて尋ねる。
アヤは、もちろんです! と言い切った。
「まずは挑戦してみないと何もわかりませんから。食べ物だって口に入れてみなければ美味しいか不味いか好きか嫌いか判断できないじゃないですか。昔、族長の奥さんが作ってくれた料理が──」
それからアヤはこれまで食べたゲテモノ料理についての感想をひとしきり述べていった。
「⋯⋯そうか」
館長は脱力して膝をつく。魔術師の一人が慌てて差し伸べた手を断り、なんとか自力で立ち上がるとまとめに入った。
「⋯⋯黒髪王子の妃は公務をする必要はないが、王子の支えとなることを第一の責務と考え、立派にその務めを果たしてほしい」
この言葉に部屋中の人々は拍手を送ろうと手を上げたが、どこか浮かない顔をしているアヤを見て一斉にその動きを止めた。
「あの⋯⋯そういえば、仕事は続けられますか?」
「⋯⋯は?」
不安そうに紡がれるアヤの言葉に、館長が戸惑いの表情を浮かべる。
「私仕事辞めたくないんですよ。今の職場が好きですし、なにより魅力的すぎる福利厚生の数々!」
アヤは目の色を変え、その素晴らしさをとうとうと語り始めた。
「まず、王立劇団の舞台を優待価格で楽しめるんです! 今上演されているベストセラーを原作とした歌劇の、荘厳なパイプオルガンの響きの中で迎えるクライマックスは涙なくしては見られません!」
アヤは言って目尻をぬぐう。
「そして、王宮の北にこんこんと涌き出る温泉施設の回数券が配られて、仕事の疲れをのんびりと癒すことができるんです! 風呂上がりの一杯は比類なき至宝!」
アヤの喉がゴクリと鳴る。
「さらには、年に一回王立管弦楽団の公演に招待してもらえるんです! 高尚な音楽は肌に合わないと思っていたらとんでもない! 誰よりも先にスタンディングオベーションしましたよ!」
それに、と少し冷静な口調でアヤが続ける。
「私地方出身者のための返還不要の奨学金をいただいていたんです。そのおかげで学校に通えて今の仕事に就けたから、すぐに辞めるなんて申し訳ないんです」
「⋯⋯魔術師長、仕事を続けることは可能だろうか」
館長はアヤの勢いに圧倒されたように、やや仰け反りながら尋ねた。
「王子に関する諸事については陛下より一任されているから、そのように取り計らうことにしよう。彼女は王国語や歴史を学ぶ必要もないから問題ないんじゃないか」
魔術師長の言葉にアヤはホッとした顔になったが、
「まずは王宮に住まいを移す手はずを整えて⋯⋯」
と、続いたところでまた表情を曇らせる。
「あの⋯⋯、今の家に住み続けられませんか?」
「⋯⋯は?」
すでに話はまとまったといった様子で儀式の片付けに着手しようとしていた人々の動きが止まった。
「家、戸建てで買ったばかりなんですよね。中古だったんですけど」
「もう家を買ったのか!?」
館長が勢いよく叫び、一同も目を丸くする。
「それこそあれですよ、特殊な会話ですよ。図書館で案内してたらいきなり、家買わないかって言われて」
アヤが説明していると、どこからか、それって詐欺じゃないのかという声が聞こえてきた。
「私も怪しいと思ったんですけど。でも、その方、亡き先代妃のお抱えの演奏家だった方らしくて、おもしろいおじいちゃんなんですけど。音楽の都に移住するからお世話になったお礼に安く売ってくれるって。お世話した記憶はないんですが⋯⋯説き伏せられて」
館長は開いた口が塞がらないという様子だったが、再度魔術師長に確認を取る。
「そのまま自宅に住み続けるなんてことはできるのだろうか」
問われた魔術師長は渋い顔をして唸った。
「ううん⋯⋯。しかし前例がないからなんとも」
「あの、異世界から来たお妃様は当然家を持っていらっしゃらなかったですし、何かしらの利便性を考慮して王宮に住まわれることになったんですよね。でも私は家がありますし、職場も近いですから、お部屋を用意していただかなくても大丈夫です」
アヤはまず理路整然と力説し、次に相手の感情に訴えるような主張へと変わる。
「だって小さいながらも素敵な我が家なんですよ。壁も厚くてすごくしっかりした作りで、入り口も何ヵ所かあって。庭のベンチに座って吸い込まれそうな星空を見上げながらの一杯。それに家庭菜園も始めたんです。収穫したらお隣さんと野菜パーティーしようって約束してるんですよぉ。もし王子が家を気に入らなかったら別居婚でいいですからぁ」
最後は顔を覆って泣き落としにかかったアヤに、館長と魔術師長は困ったように顔を見合わせる。
その時、カツンと靴音がして壁際にいた誰かが動き出したのを人々の目が捉えた。
その人は、誰もが呆然とした視線を送る中、悠然と歩を進めアヤの前で足を止める。
誰かが近付いた気配と、突然変わった部屋の空気にアヤは恐る恐るといった様子で顔を上げて、そしてさらに見上げるようにして目の前に立つ男を見た。
アヤが目線を横にずらして館長を見ると、声を出さずに口をパクパクと動かしている。
『お う じ』
アヤは理解したという風にコクコクとうなずいて、眼前の男に視線を戻すと口を開いた。
「⋯⋯あなたが、黒髪王子」
「ええ、そうです」
間を置かずに肯定されたアヤは王子をまじろぎもせずに見つめる。
腰の辺りまである長い黒髪は艷やかで、顎に添えられた指は細く長く、手の平は厚い。
アヤはしばらく考え込んでいるようだったが恐らくは思い出せなかったのだろう、曖昧な微笑みを浮かべた。
王子は苦笑して後ろを振り返り、館長と魔術師長に向けて声をかける。
「彼女と二人で話をしてもいいだろうか」
二人はうなずくと一同を引き連れて部屋を出て行った。
「突然のことで驚いているだろう。巻き込んでしまってすまない」
二人きりになった途端頭を下げる王子にアヤはブンブンと手を振る。
「とんでもない! 通過儀礼のバンジージャンプに参加させられたときの方が衝撃でしたから大丈夫です」
本気でそう思っていそうな口ぶりに王子は吹き出し、笑われたアヤは目を瞬かせた。
「あなたは本当に面白い」
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