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18.心機一転
しおりを挟む人の記憶というものは、ひどく曖昧だ。
思い出そうとすると、その光景は第三者視点で蘇ったりする。それは人が、記憶に想像を加えて補っているせいらしい。
気がつくと、勇は病院の白い天井を見上げていた。
自分がしたことについては、軍の人やら担任の江ノ本やら、いろんな人が来て説明を受けた。処罰については検討中らしいが、才覇学園に退学処分はない。少なくとも高校卒業までの三年間は、この島に閉じ込められるままだろう。
ベッドに横たわり、点滴の垂れる滴を見つめてボンヤリしながら、勇は無気力感に苛まれていた。傍の椅子に腰掛けていた仁が「大丈夫か」と聞いてくる。
「少しは気分、落ち着いたか」
「……腹が痛くて最悪」
仁は「ああ、そう…」と少し困ったような顔をして俯く。自分が女だったと思い出した途端、待ってましたと言わんばかりに初潮が訪れた。下痢みたいな鈍痛がずっと続く上、血は流れっぱなしで寝ていても落ち着かない。
「女ってこんな大変なの……もうやめたいよ」
「うん」
「何、その適当な相槌。他人事だと思ってさあ」
「おまえが男でも女でも、俺には関係ないからな。今までと同じだ」
「……あっそ」
目覚めてから数日は、自分が女だったことを受け入れられなかった。あの七年前の事件が、自分の身に起きたことだと思いたくなかった。でも仁が毎日、見舞いに来てくれて、自分が男でも女でも日常は変わらないと気づいて、少しずつ受け入れられるようになった。
特に仁には、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。今回の件に巻き込んで、怪我をさせたこともそうだけれど。何せ自分は長い間、男だと思い込んでいたものだから――思い起こせば中学時代、色々と面倒をかけた気がする。何年も仁とずっと同じクラスだったのも、今にしてみれば自分が教師達を操っていたとしか思えない。精神安定剤代わりだった仁と、離れたくなかったから。
「仁、ごめんね」
「何が」
「いろいろ、迷惑かけて……」
「今更だろ。それに、謝るとしたら俺のほうだ」
「まーね。いきなりいなくなっちゃってさ」
「それは心配させて悪かったが不可抗力だ。俺が謝りたいのは、長い間傍にいたせいで、おまえの体がどれほど悪影響を受けていたかわからないことについてだ」
変異体の持つ、死の波動。生命力を吸い取るとかいう話だ。
生徒会ですら知らされていない、機密事項の中でも特に極秘の事実。だが今回の騒動の原因は、仁の不在で精神不安定になっていたせいだという恥ずかしい事実が露見したために、勇は特別に国家機密である事情をすべて聞くことが許された。もう一度、同じ騒ぎを起こされてはたまらないと軍も思ったらしい。
「別にどうともないよ。それに今は制御できてるんだろ?」
「抑え方なら真っ先に叩き込まれたが、でも俺だって暴走しないとも限らない。勇だって、思い出したんだろう。俺が七年前、あの男に何をしたか」
「――死んじまえって叫んだら突然倒れて、そのまま死んでたってやつ? あれは、心臓発作のせいって警察も言ってたじゃん」
長い間、思い出せなかった記憶。人が死ぬのを、目の当たりにした記憶。
仁が苦しげに呟いた。
「それは警察が 変異体を知らなかったからだ。俺は人殺しだ」
「悪者をやっつけたなら、ヒーローでしょ」
勇は心からそう思って言った。
「僕達は子供で、向こうは大人だったし……仁がああしてくれなかったら、僕は殺されてたと思う。だから感謝してるし、仁がそのせいで苦しむのは嫌だ。どうしてもっていうなら、僕が忘れるように暗示をかけてもいい」
「バカ言うな。超能力は生命力を消費するって言ったろう。体には負担なんだから、もうやめろ。学校にも行かなくていい」
「学校に行かなくていいって、どういうこと?」
「あの星見とかいう奴の暗示が、おまえのリミッターを外したとはいえ……おまえのESP能力は桁違いに強い、危険人物だってことが判明したわけだ。それなのに学園に通わせて、また似た問題を起こされちゃ困るって上の判断だよ。だいたい、こんな機密事項を知りまくったおまえを、帰せるわけないだろう。去年うちの基地に忍び込んだ学園の生徒だって、機密情報を知られた以上は帰すわけにもいかなくて、こっちの基地で働いてるんだ」
勇はそういうことかと納得した。立ち入り禁止区域に入って、行方不明になった生徒達――殺されたわけじゃなくて、ちゃんと別の居場所を与えられていたのか。
「じゃ……僕も白服を着るの?」
「白服は 変異体を区別するためのものだからな。とりあえずはこれまで通りの制服だろう。基地内で 精神感応の制御訓練を受けることになると思う」
「仁とも毎日会えるの?」
「……俺は俺で訓練があるから」
「でも休みくらいあるだろ?」
仁は「あのな」と言い聞かせるように、重々しく口を開いた。
「 変異体は、他人の生命力を奪い取る波動を出すんだ」
「それはもう聞いたよ」
「一緒にいないほうがいい」
「暴走するかもしれないから? そんなのお互い様だよ。僕だって今回、やらかした」
「おまえは誰も殺してない」
「危ないところだったって聞いたよ。皆を暴走させて、リミッターを外させて、ケガまでさせた」
危険なのは、自分も同じだ。それに七年一緒にいたけど、仁といて疲れたという記憶もない。仁は自分からは少しも生命力を奪ったりしていないと、勇は妙な確信があった。七年前の時といい──たぶん仁が無意識に力を使ってしまうことがあったとしたら、それはたぶん、自衛のため。怖い環境にいた時だけだと思うから。
「これまでも僕は男だっていう暗示を、周囲に撒き散らしてたんでしょ。仮に仁の波動が漏れてたんだとしたら、その暗示は消えてるはずじゃん。でも消えなかったってことは、漏れてなかったんだよ。もしくは……僕がそれを上回るくらい、生命力を使ってたってだけ。どっちみち仁の波動は、僕には関係なかったんだよ」
仮に寿命が縮んでたとしても、自業自得というわけだ。仁が自分のことみたいに苦しそうな顔をする。勇は「あーあ」と溜め息をついた。
「学校の皆には、ちゃんと謝っておきたかったな。こんな迷惑かけて……。星見は友達になってくれたのに、男だって騙したままだ」
「……友達だったんだろ。なら、薄々気づいてたんじゃないか。そうでなくても勘のいい女みたいだし」
「どうかな。気づいてないと思う。だって……」
キスされたことを思い出し、勇は頬が熱くなった。あの時は精神が不安定で余裕がなかったけど、恋の告白をされたことに間違いないのだ。
仁が眉を寄せる。
「なんで赤くなるんだ」
「な、なんでもないよ」
星見のことは好きだ。でも、友達なのか勇としての恋愛感情なのか、その辺りはよくわからない。何しろ自分の精神年齢は、あの小学生の時のまま止まっていたのも同じだ。恋なんてまだ、自分には難しすぎる。
「とにかく僕は、仁と離れる気なんかないから。わかってる? 仁はもう二回も、僕の命を救ってくれたんだよ」
本当なら、自分は八歳の時に殺されている。そして先日の件でも仁が来てくれなければ、生命力を放出し続けてやっぱり死んでいただろう。仁に救われた命なのだから、万が一事故で仁に命を奪われることがあったとしても、恨んだりするわけがない。
「借りくらい返させてよ」
「借りなんて思わなくていい。おまえは友達だから……」
「友達なら、もう会わないなんて言わないよね?」
仁はまだ文句言いたげだったが、黙り込んでしまった。言い返される前に、勇は話題を変えることにする。
「そういえば……あの桐島さんって人が不思議がってたよ。仁は 精神感応能力者じゃないのに、何の装置も使わずに僕の位置を把握してたって」
「ああ……」
「僕も仁が島にいるってわかってたんだ。超能力の効かない 変異体の居場所なんて、把握できるわけないのにさ」
「別に驚くことでもないだろ。昔からじゃないか。どんな人混みで待ち合わせしてても、お互い見つけられるのは」
「だから。超能力のせいでないなら、なんでわかるのかって話だよ」
勇には心底不思議な疑問だったのに、仁は「そんなの…」と取り合う様子もなく答えた。
「まだ解明されてない未知の力があるってことだろ。そもそも超能力ってのは、心の力なんだ。科学なんかで測りきれるもんじゃない」
「適当だなあ……」
でも、そんなものでいいのかもしれない。性別も感情も超能力も、世の中はあやふやなものばかりだ。ムリに白黒つけるほうが難しいんだ。とりとめもなくそんなことを考えていると、生理のせいでまた腹が痛んだ。
「うう……やっぱ痛み止め飲も……」
ベッドサイドに置かれた錠剤に手を伸ばす。軍医が「痛くなったら飲むように」と置いて行ったものだ。薬を口に放り込むと、ペットボトルの水が差し出される。
「ほら」
「……ありがと」
超能力者として生きるのも、女と自覚しながら生きるのも、どっちも同じくらい大変な気がする。学校へ行けなくなった今、星見とまた会えるかもわからないし、これから自分がどんな生活を強いられるのかもわからない。
でも、とりあえず仁が隣にいるから──まあ、なんとかなるだろう。
END
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