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カーリシアン侯爵のお屋敷は広大な敷地の中にある。森も湖もカーリシアン侯爵のものだ。

朝靄の中、車輪を軋ませながら小さな箱馬車が泥道を進んでいた。
箱馬車は、馬よりも小さく、驢馬よりも大きいものが牽いており、その傍に10歳ほどの少女が励ますように付き添っている。

門番は、手紙と指輪を見せられる前から、彼女がカーリシアン侯爵の縁者ではないかと感じていた。
顔立ちが似ていたのだ。
正確には、カーリシアン侯爵の娘であるグレースに。

箱馬車と羅馬は森番に預けられ、少女は屋敷に通された。

寝台に横たわったカーリシアン侯爵は、大切な娘とそれを連れ去った外国人がもうこの世にいないことを知らされた。
少女の頬に手を当て、旅路の労苦を労った。
もうその瞳には、可愛い孫の姿をはっきり映すことも出来なかったのだが。

執事は複雑な気持ちで感動の場面を眺めていた。
カーリシアン侯爵に万が一のことがあったら(それは季節が変わるより早く訪れるだろう)この娘にも何がしか渡されるのだろう。
それを面白く思わない人達がこの屋敷に滞在している。
その時に起きるであろう愁嘆場に気持ちが重くなる。

少女は水差しをしばし見つめ、執事に向き直る。
この薬は誰が届けたのか、と尋ねてきた。

子供が、しかも外国人の癖に、と執事は思うが、顔には出さずに主治医の名を告げた。

少女はカーリシアン侯爵の姪の名前を挙げ、紹介者ではないかと重ねて尋ねた。
執事はすぐには答えず少女を凝視した。

「この薬を飲むのをすぐやめていただきたいの。
本当は、別のお医者様に診ていただくのが一番なのだけれど……。
きちんとした理由がなければおば様方が納得されないでしょうから」

健啖家のカーリシアン侯爵が短期間でここまで弱るのは確かに不思議だった。
しかし、解明されていない難病、と言われるがままに医師の処方に従ってきたのだが。

「きれいな水をたくさん飲んで。
……少しでも効果があればいいのだけれど」

少女は小さな瓶を取り出した。
流石に執事は止めた。
少女に悪意がないとは誰にも言えない。

少女を別室へ案内させ、執事は瓶と薬を見下ろした。
しばし考え、その両方を持って街へ出かける。
懇意にしていた薬の専門家が滞在している宿へ向かう。

「お前さんが俺を頼るなんて、明日は嵐かな」

「そういう冗談はいい。
深刻なんだ」

医師の処方薬は毒だった。
少しずつ飲むことで徐々に衰え、病気にしか見えない、毒だった。
執事は、美しく愛想のいい侯爵の姪を思った。
両親や兄妹などが相次いで病死し、悲嘆の姪を支えていた美丈夫を思った。
あの男は、いつの間にか現れて侯爵の姪の夫となった。

「こっちの瓶はわからないな。
南国の秘薬かい?」

「……わからないならいい。
どのみち、侯爵家は終わりだ」

執事は屋敷に戻り正しいことをした。
カーリシアン侯爵は快方に向かい、侯爵家は終わらなかった。

ごたごたしている間に少女は姿を消していた。
執事は自分の態度を反省した。

秘薬の小瓶は執事の手元にある。
時々、光に翳してみるが、淡い緑に煌めくそれは何も教えてくれない。



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