神様自学

天ノ谷 霙

文字の大きさ
上 下
720 / 812

3月16日 消える力

しおりを挟む
ただいま、と挨拶をしてドアを開ける。おかえり、と奥の方から声が聞こえて来て、ホッと安堵する。そんな当たり前も人であるから得たもので、一歩間違えればあちらの世に渡りかねない私は、それが貴重なものだと改めて思い知った。
楽しかった。楽しかったのに、どうしてだろうか。私の中では感傷が渦巻いていて、吐きそうな程に痛みが回る。
視界の変化に慣れたつもりだった。
けれどそうではないのだろうか。私の中には未だ、"普通"を引き摺っている部分があるのだろうか。
「…っ、ぉ、あ」
気が抜けたように、靴を脱いだ瞬間膝から崩れ落ちる。血を吐くような声が漏れるが、床は何にも彩られていない。目を瞑れば暗闇が回る。苦しくて目を開けば息が荒くなる。
どうして。

"夕音"

何で。

"ありがとう、夕音"

違う、これは。

"縛り付けて、すまない"

"伏見ふしみと同じ運命は、辿らせない"

これは、誰の声だ。
知っている。
私はこの声を、誰よりも聞いていた。
この世に住まう誰よりも、私と繋がっていた神様の声。

「稲荷、様…っ」

やめて。だめ。いかないで。
そんな言葉で縋ろうと手を伸ばしても、目の前には誰もいない。
切れる。ひずむ。消えて行く。
「…恋、音さ…っ」
私の変化に気付いているであろう気配に、声を掛ける。しかし何の返答もない。もう一度名を呼ぶ。返事はない。無意識に胸元に手を当てて叫んだ。けれど力の気配すら、感じなかった。
「…なん、で…?」
私の中から、稲荷様の痕が消えて行く。縋るように、一縷の望みを掛けて手を振り上げ、そして勢い任せに振り下ろした。家の中で消えることになるが、そんなことに構っていられる余裕はなかった。
それなのに、
私の姿が変わらない。
そのまま、出掛けた時のまま、人間の稲森夕音のままだ。
「やめて、行かないで」
石や岩が風化していくように、小さくなった火が揺れるように、私の中にある筈の稲荷様の気配が消えていく。"恋使コイツカイ"としての証が消えていく。

"ヒトの言う『恋』を、私は知ることが出来た"

"夕音が彼の者と心を通じ合わせたからだ"

"通じ合う心を教えてくれたからだ"

"やっと知り終えた"

"だからもう、お主はわたしの為に動かなくて良いのだ"

"わたしの為に、命を擦り減らさなくても良いのだ"

言葉が脳裏に落ちて来る。その意味を理解したくなくて、拒んで、けれど刻まれる痛いほどの言葉に私は成す術がなかった。

"ありがとう、夕音。一方的になって、すまないな"

"お前のこれからに、我が加護が幸を齎すように"

ふわりと、私の胸から光が弾けた。それに手を伸ばすが、もう既に消え失せてしまって。
それが天に還ると同時に、私は神力とも魔力とも言うべきあちらの世の力を、全て失っていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

勝負に勝ったので委員長におっぱいを見せてもらった

矢木羽研
青春
優等生の委員長と「勝ったほうが言うことを聞く」という賭けをしたので、「おっぱい見せて」と頼んでみたら……青春寸止めストーリー。

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

女装とメス調教をさせられ、担任だった教師の亡くなった奥さんの代わりをさせられる元教え子の男

湊戸アサギリ
BL
また女装メス調教です。見ていただきありがとうございます。 何も知らない息子視点です。今回はエロ無しです。他の作品もよろしくお願いします。

♡蜜壺に指を滑り込ませて蜜をクチュクチュ♡

x頭金x
大衆娯楽
♡ちょっとHなショートショート♡年末まで毎日5本投稿中!!

幼なじみとセックスごっこを始めて、10年がたった。

スタジオ.T
青春
 幼なじみの鞠川春姫(まりかわはるひめ)は、学校内でも屈指の美少女だ。  そんな春姫と俺は、毎週水曜日にセックスごっこをする約束をしている。    ゆるいイチャラブ、そしてエッチなラブストーリー。

処理中です...