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42.シュゼー・サフラネク
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シュゼー・サフラネクには身寄りがない。
子供の頃、篤志家だった医者に拾われて、彼の養子になった。
養父はほんとうに善い人だった。彼の息子が二十歳を待たずに亡くなっていたことも、大きく関係していただろう。
養父は小さな村に診療所を開いていた。彼が漕ぐ自転車の後ろに乗せられて往診に出ると、村人たちが良く声をかけてくれたものだ。彼らはシュゼーのことを孫だと思っていたらしく、よく熟れたリンゴを持たせてくれた。
シュゼーが跡を継ぎたいと言うと、養父は喜んでくれたが、村の診療所で一緒に働くことはできなかった。ようやく医者と呼べるようになったシュゼーが村に帰ってくると、入れ替わるようにして養父がこの世を去ったからだ。七十歳を超えていた。
シュゼーは身寄りのない自分を大学まで行かせてくれた恩もあり、養父が愛したこの村を守るつもりでいた。
一等区のように何もかもあるわけではないが、穏やかな良いところだった。見上げるような背の高い木が作る林や、青い渓流の全てに養父との思い出が残っている。
その頃、村を二分する選挙が行われていた。
すぐに立候補者のひとりが、もっと高名な医者を連れてくると村人たちを煽った。
お前のような若造には任せられない。これにはまだ諦めがつく。
だが、お前のせいで先生は死んだのだ、とまで言われたら、筋違いの発言にも口を閉ざすしかなくなる。たかだかこの小さな村を好きにするために、養父の死を利用する人間に尽くせるわけがなかった。
かつて頭を撫でてくれた筈の老人たちに責められるようにして、シュゼーは放逐された。
どこへ行けばいいのか分からなくなってしまった以上、産まれた場所へ帰るしかない。
それで、シュゼーはロワッシィに帰ることにした。シラーと呼ばれていたあの場所へ。
「ロワッシィって、貴族だけの娼館だろ?」
「家の外で産ませた子供を捨てる場所でもあったんだ。
俺が子供だった頃は二十人以上いた」
大人になったシュゼーがロワッシィに帰ると、やはり子供たちがそこらじゅうに放牧されていた。きっと今でも十歳を過ぎれば殺されると、お弔いごっこをさせられているのだろう。
幸い医師免許を持った調教師がいなかったので、華やかな経歴とは言えないまでも、どうにか食べていけるようになった。
一年が過ぎた頃になって、名前の無い男と再会した。三本足の犬を連れていた。
彼の噂だけはロワッシィに帰ってきてから聞き続けてきた。人から預かった奴隷を事故死させ、莫大な借金を背負っている。そのせいで落ちぶれてしまい、人前に姿を現さないのだ、と。
シュゼーは自分の眼で見るまで信じていなかった。子供の頃に出会った彼がそんなことになる筈がない。
……噂は本当だった。
殺されるのを待つだけの家畜に希望を与えてくれた彼は、十数年を経て、金を産むために飼われる家畜になっていた。
希望の果てにあるものを見せ付けられたシュゼーは、彼を憎んだ。
期待させておいて失望させるのは、この世でもっとも酷い裏切りだ。
彼を憎んでおきながら、かといって見ないこともできない、息苦しい一年が過ぎた。
その頃、クレハドールが訓練生として入ってきた。
クレハドールは何故か執拗にシュゼーに絡んだ。友好的な態度を示しながら、その裏には嫌がらせめいた何かがある。心を許せる相手ではないのは明らかだった。
クリスマスの朝、シュゼーに一枚のディスクが贈られてきた。彼がクレハドールに後ろから犯されている動画だった。
子供だったシラーに、彼が黒い鳥の陶器人形──フェーヴをくれたのも、クリスマスの朝だった。そして家畜から人間になるためにロワッシィから出奔したのも。
動画を最後まで観ると、もう殺すしかないと決めていた。
彼に毒を盛って殺し、ロワッシィの教会で葬儀を済ませ、埋めた。弔い客は二百人を超えていただろう。
シュゼーは疑われなかった。ロワッシィに法の手が入ることは誰も望んでいなかったし、医者であるシュゼーが適当に死因をでっち上げれば、それで事は済んだのだ。
というより、誰もが誰かを疑っていたし、誰もが自分はやっていないと言い切れずにいた。
彼とはそういう存在だった。
皆が欲しがるが、独占した瞬間から、今度は自分の手から離れることを恐れておかしくなっていく。
葬儀から一日が経ち、シュゼーが墓を暴くと、やっぱり彼の遺体は消えていた。あのクレハドールなら絶対にやると思っていた。三十時間が過ぎて動き出した死体に、せいぜい驚けばいい。
最後までシュゼーを思い出さなかった彼も。
「フェーヴはその時に返した。ポケットに入れて」
話し疲れたのだろう、シュゼーは深く息を吐き出した。
Aは彼の身体を、自分の方へ強く引き寄せた。脱力していたせいか、あっけなく両腕の中に納まってしまう。シュゼーも特に抵抗はしなかった。
されるがままのシュゼーの唇に噛みつく。
一瞬、腕の中で彼の身体が震えたが、無視した。
「……なんで怒ってんだよ」
「身体に彫るくらいなら、返さなければ良かった。
だからムカつく」
Aはさらに噛みついた。口先でなく、本気で腹が立っていた。
自分にもシュゼーにも共同経営者にも少しずつ腹が立っていたが、一番はらわたを煮え繰り返らせたのは、運命だった。共同経営者とシュゼーが恋人だった方がよっぽどマシだった。身体なり感情なり奪い取ってしまえばいい。
しかし、けれども、過去だけは取り換えが効かないのだ。
「……おい、」
首を噛まれながら、不安げにシュゼーがAを呼ぶ。
確かに、殺すしかないよな、と思った。
子供の頃、篤志家だった医者に拾われて、彼の養子になった。
養父はほんとうに善い人だった。彼の息子が二十歳を待たずに亡くなっていたことも、大きく関係していただろう。
養父は小さな村に診療所を開いていた。彼が漕ぐ自転車の後ろに乗せられて往診に出ると、村人たちが良く声をかけてくれたものだ。彼らはシュゼーのことを孫だと思っていたらしく、よく熟れたリンゴを持たせてくれた。
シュゼーが跡を継ぎたいと言うと、養父は喜んでくれたが、村の診療所で一緒に働くことはできなかった。ようやく医者と呼べるようになったシュゼーが村に帰ってくると、入れ替わるようにして養父がこの世を去ったからだ。七十歳を超えていた。
シュゼーは身寄りのない自分を大学まで行かせてくれた恩もあり、養父が愛したこの村を守るつもりでいた。
一等区のように何もかもあるわけではないが、穏やかな良いところだった。見上げるような背の高い木が作る林や、青い渓流の全てに養父との思い出が残っている。
その頃、村を二分する選挙が行われていた。
すぐに立候補者のひとりが、もっと高名な医者を連れてくると村人たちを煽った。
お前のような若造には任せられない。これにはまだ諦めがつく。
だが、お前のせいで先生は死んだのだ、とまで言われたら、筋違いの発言にも口を閉ざすしかなくなる。たかだかこの小さな村を好きにするために、養父の死を利用する人間に尽くせるわけがなかった。
かつて頭を撫でてくれた筈の老人たちに責められるようにして、シュゼーは放逐された。
どこへ行けばいいのか分からなくなってしまった以上、産まれた場所へ帰るしかない。
それで、シュゼーはロワッシィに帰ることにした。シラーと呼ばれていたあの場所へ。
「ロワッシィって、貴族だけの娼館だろ?」
「家の外で産ませた子供を捨てる場所でもあったんだ。
俺が子供だった頃は二十人以上いた」
大人になったシュゼーがロワッシィに帰ると、やはり子供たちがそこらじゅうに放牧されていた。きっと今でも十歳を過ぎれば殺されると、お弔いごっこをさせられているのだろう。
幸い医師免許を持った調教師がいなかったので、華やかな経歴とは言えないまでも、どうにか食べていけるようになった。
一年が過ぎた頃になって、名前の無い男と再会した。三本足の犬を連れていた。
彼の噂だけはロワッシィに帰ってきてから聞き続けてきた。人から預かった奴隷を事故死させ、莫大な借金を背負っている。そのせいで落ちぶれてしまい、人前に姿を現さないのだ、と。
シュゼーは自分の眼で見るまで信じていなかった。子供の頃に出会った彼がそんなことになる筈がない。
……噂は本当だった。
殺されるのを待つだけの家畜に希望を与えてくれた彼は、十数年を経て、金を産むために飼われる家畜になっていた。
希望の果てにあるものを見せ付けられたシュゼーは、彼を憎んだ。
期待させておいて失望させるのは、この世でもっとも酷い裏切りだ。
彼を憎んでおきながら、かといって見ないこともできない、息苦しい一年が過ぎた。
その頃、クレハドールが訓練生として入ってきた。
クレハドールは何故か執拗にシュゼーに絡んだ。友好的な態度を示しながら、その裏には嫌がらせめいた何かがある。心を許せる相手ではないのは明らかだった。
クリスマスの朝、シュゼーに一枚のディスクが贈られてきた。彼がクレハドールに後ろから犯されている動画だった。
子供だったシラーに、彼が黒い鳥の陶器人形──フェーヴをくれたのも、クリスマスの朝だった。そして家畜から人間になるためにロワッシィから出奔したのも。
動画を最後まで観ると、もう殺すしかないと決めていた。
彼に毒を盛って殺し、ロワッシィの教会で葬儀を済ませ、埋めた。弔い客は二百人を超えていただろう。
シュゼーは疑われなかった。ロワッシィに法の手が入ることは誰も望んでいなかったし、医者であるシュゼーが適当に死因をでっち上げれば、それで事は済んだのだ。
というより、誰もが誰かを疑っていたし、誰もが自分はやっていないと言い切れずにいた。
彼とはそういう存在だった。
皆が欲しがるが、独占した瞬間から、今度は自分の手から離れることを恐れておかしくなっていく。
葬儀から一日が経ち、シュゼーが墓を暴くと、やっぱり彼の遺体は消えていた。あのクレハドールなら絶対にやると思っていた。三十時間が過ぎて動き出した死体に、せいぜい驚けばいい。
最後までシュゼーを思い出さなかった彼も。
「フェーヴはその時に返した。ポケットに入れて」
話し疲れたのだろう、シュゼーは深く息を吐き出した。
Aは彼の身体を、自分の方へ強く引き寄せた。脱力していたせいか、あっけなく両腕の中に納まってしまう。シュゼーも特に抵抗はしなかった。
されるがままのシュゼーの唇に噛みつく。
一瞬、腕の中で彼の身体が震えたが、無視した。
「……なんで怒ってんだよ」
「身体に彫るくらいなら、返さなければ良かった。
だからムカつく」
Aはさらに噛みついた。口先でなく、本気で腹が立っていた。
自分にもシュゼーにも共同経営者にも少しずつ腹が立っていたが、一番はらわたを煮え繰り返らせたのは、運命だった。共同経営者とシュゼーが恋人だった方がよっぽどマシだった。身体なり感情なり奪い取ってしまえばいい。
しかし、けれども、過去だけは取り換えが効かないのだ。
「……おい、」
首を噛まれながら、不安げにシュゼーがAを呼ぶ。
確かに、殺すしかないよな、と思った。
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