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37.あなたにモテたい
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「なぜ、EはあれほどNに執着するのです?
彼が反社会的勢力であると仮定するなら、風俗店で働く筈がありませんよね。Nがいない限りは」
レスターに問われ、Aはどう答えたものかと窮した。ヘタな嘘がレスターに通用するわけがない。困って、結局、誤魔化すことにした。
「そんなに不自然か?
Usualの俺からしたら、レスターがあそこまで共同経営者に心酔してるのも、わりと謎だけどな。ふたりともDomなのに」
へらへらと胡散臭いゴシップ記者のように振る舞うと、彼は明らかに気分を害したようだった。Aはあえて無視する。それから、いかにも白状しますという顔を作った。
「あとは組合への義理だよ。東洋系の相互扶助組合があって、俺が組合を通して、Eにヴォルテールで働いてくれるように頼んだんだ。Eは昔、組合の偉い人に世話になったらしいから」
これは半分だけ本当だ。レッドライト地区はとにかく組合が多い。もちろん東洋系の組合も存在する。ここでは東洋系は少数派だから、助け合わなければ商売を始めてもすぐに潰されてしまうのだ。
それでも一組合が、第三エリアの人間を顎で使えるわけがないのだが。
レスターはいつものように眼鏡のブリッジを押した。彼にとって、この仕草は間を持たせるためのものらしい。
「……まあ、いいでしょう。
私も真面目な仕事をしてるわけじゃありませんが、さすがに荒事は避けたいですしね」
話を切り上げるとレスターは、腕時計で時間を確認した。
「そろそろ一階へ戻りましょうか」
シリアスな話に区切りがついたのでAは安堵し、その当然の反動として気楽な話柄に切り替えたくなった。
ヴァイオレットとセラフィムの決着はついただろうか。
「な、幽霊が出るんだって」
「出てましたね」
「またまた」
Aは笑いながら、ぱたぱたとレスターの腕を叩いた。大体、今は昼間だ。出るわけがない。
何気なくレスターを見上げる。
彼は無表情にAを見返していた。ピンクがかった瞳に訝しむAの顔が映っている。他には何もない。
何も無いのは良くない。何も無い隙間に、想像が勝手に良からぬものを生み出してしまう。真夜中に気づいてしまったカーテンの隙間とか、少しだけ開いたクローゼットの扉とか。
冷や汗が出る。笑みが引き攣った。
「……ウソだぁ、」
有難いことに、本日もキャバレー・ヴォルテールは八割がた席が埋まっていた。
Eが出勤していたらもっと十割を超えただろう。実際、彼を目当てにやってきた客に「しばらく来られないので、予約も目途がつかない」と告げると、明らかに欲求不満を持て余している態で帰っていく。
早まってセルフ首吊りオナニーなどしなければいいのだが。
それにしても、今日は特に新規の客がいつもより多いようだ。
昨日、初めてヴォルテールのレビューを投稿したので、一割くらいは自分の手柄なのではないかと密かに会心の客入りに満足する。大声で自慢して回るにはまだ少し自信が足りないけれど。
「最近マスター、雰囲気変わったね?」
カウンター席の古参客が、グラスを磨いていたAにそう言った。
正確にはマスターではないのだが、営業中はカウンターの中にいることが多いので、客からそう呼ばれることが多い。きっと共同が付くとはいえ、一応の経営者であるなんて思ってもみないだろう。
パブの親父にも一等区民みたいだとケチを付けられたのを思い出しつつ、Aは曖昧な笑みを返した。
「それって良い意味?」
「もちろん」
客が隣に座る自分の連れを肘で小突く。連れの方は、スタウトグラスで顔を隠すようにして何度か頷いた。ブルーグレイの髪に一筋だけ入った赤いメッシュが印象的だ。こちらは初めて見る顔だ。古参客に連れてきてもらったのかもしれない。
「……コマンド貰えたら、嬉しいかも」
店内のBGMにかき消えてしまうくらいの、気弱な主張だった。
Aはビアサーバーの合間を縫って、バーカウンターに身を乗り出した。メッシュの客と出来るだけ間近になるよう、目線を合わせた。なるべく優しく微笑んだつもりだが、もしかしたら子供を宥める大人みたいな顔になってしまったかもしれない。
「俺Domじゃないから、似合わないコスプレみたいになっちゃう。ごめんね」
やんわりと辞退する。酔っ払いはこういう投げっ放しみたいなリクエストをするものだ。
だが、メッシュの客はじっとAを見つめてくる。
切実な期待がさらに高まっているような気がして、Aは弱り、振り切るために追加オーダーを頼むか、メニューを差し出して逃げた。ちょうど手元のフードが少なくなっていて助かった。
ふたりがメニューを覗き込んだので、Aは小さく息を吐く。
Domかそうでないかくらい、Subなら見分けがつくものだと思っていたのだが、どの分野もそうであるように、ダイナミクス性にも音痴がいるらしい。さぞかし生き辛いことだろう。
「お奨めは?」
「サラダか野菜のスティックかな。少し割高になるけど、今日は運良く水耕栽培の新鮮なのが入ったから」
Aがメニューを指さすと、古参の客が不満の声を上げた。本気でそう思っているわけではなく、揶揄うような調子だ。
三等区では生の野菜は敬遠されがちだ。ファームから流通される野菜は一等区、二等区と順に降りてくる。その過程で野菜は傷む前にぐだぐだに煮込まれペースト状となって、三等区にたどり着く。野菜は火を通さないと食べられないもの、とすら思われている節がある。
かくゆうAも一等区で生野菜を口にするまでは、そう思っていたひとりだ。ペーストの野菜や冷凍の肉とは違う、顎が喜ぶような食感が楽しい。
けれど若者に勧めるなら、半分の値段の肉の方が良かったかもしれない。Aだって生野菜の美味さに目覚めたからといって、揚げた肉と縁を切るわけではないし。
「じゃあ、いつものにしようか?」
「これにします」
メッシュの方が、Aの言葉を遮るようにして言った。指こそメニューを指しているが、彼の眼は真っ直ぐにAを見てくる。
ますます困った。彼が指さすメニューはAが薦めたもので、どうにかして気に入られようという一抹の媚びみたいなものを感じた。
古参の客も「マジか」と軽く驚いている。
Aは気が付かないふりをして、厨房にメニューを通した。その後はさらに客が増えてきたので、ドリンクを作るので手一杯になってしまった。
ようやく閉店の時間になり、Aはぐだぐだとバーカウンターのスツールに崩れ落ちてしまった。立ち仕事はそれなりに慣れているが、さすがに今夜は忙しかった。足の感覚がない。
モップを片手にしたクレハドールが、ちょっかいをかけに来る。
「さっきの見てましたよ。モテ期じゃないですか?」
「違うだろ……」
Aは自分のためにハイボールを作って呷った。安いスコッチウイスキーだが、こういうときに飲む炭酸割りは応えられないものがある。
モテたい相手にモテたいというのは、我が儘なんだろうか。鼻に抜けるヨーチン臭が、否応なしにシュゼーを連想させる。
「でも分かる気するなー」
「何が?」
ひとりで納得しているクレハドールに、「俺にも」とねだられグラスを取り出す。
「ヴォルテールのDomって、全員、圧が強いじゃないですか。ヴィクトルやNはビギナー向けかもしれないけど体格が良いから、超初心者にはちょっと恐く感じちゃうかもですね」
「……なるほど」
観光客の案内役もやるAは、分かる気もした。Aの体格ならあのメッシュの客だって本気になれば逃げられるだろう。
Subはセーフワードで守られているとはいえ、それを口にするまえにDomからGlareを当てられればどうしようもない。比較的、害の少ないUsualで慣らし運転したいという要望も、潜在的にあるのかもしれない。
「それにAは可愛いですけど、近づくのも恐れ多いって感じじゃないですしねー」
「いい加減にしろよ、お前、ほんと」
「親しみやすいタイプって誉め言葉ですって」
Aが拳を振り上げる真似をすると、クレハドールは高い声を上げて笑う。この前、素行不良がバレてベソをかいていたくせに、メンタルの強い男だ。鏡を見ればそれだけで、自己肯定感がアップする人間ならではの生態なのかもしれない。
クレハドールと戯れていたAは、尻のポケットでシュゼーからメッセージが来ているのに気づくのが遅れてしまった。
彼が反社会的勢力であると仮定するなら、風俗店で働く筈がありませんよね。Nがいない限りは」
レスターに問われ、Aはどう答えたものかと窮した。ヘタな嘘がレスターに通用するわけがない。困って、結局、誤魔化すことにした。
「そんなに不自然か?
Usualの俺からしたら、レスターがあそこまで共同経営者に心酔してるのも、わりと謎だけどな。ふたりともDomなのに」
へらへらと胡散臭いゴシップ記者のように振る舞うと、彼は明らかに気分を害したようだった。Aはあえて無視する。それから、いかにも白状しますという顔を作った。
「あとは組合への義理だよ。東洋系の相互扶助組合があって、俺が組合を通して、Eにヴォルテールで働いてくれるように頼んだんだ。Eは昔、組合の偉い人に世話になったらしいから」
これは半分だけ本当だ。レッドライト地区はとにかく組合が多い。もちろん東洋系の組合も存在する。ここでは東洋系は少数派だから、助け合わなければ商売を始めてもすぐに潰されてしまうのだ。
それでも一組合が、第三エリアの人間を顎で使えるわけがないのだが。
レスターはいつものように眼鏡のブリッジを押した。彼にとって、この仕草は間を持たせるためのものらしい。
「……まあ、いいでしょう。
私も真面目な仕事をしてるわけじゃありませんが、さすがに荒事は避けたいですしね」
話を切り上げるとレスターは、腕時計で時間を確認した。
「そろそろ一階へ戻りましょうか」
シリアスな話に区切りがついたのでAは安堵し、その当然の反動として気楽な話柄に切り替えたくなった。
ヴァイオレットとセラフィムの決着はついただろうか。
「な、幽霊が出るんだって」
「出てましたね」
「またまた」
Aは笑いながら、ぱたぱたとレスターの腕を叩いた。大体、今は昼間だ。出るわけがない。
何気なくレスターを見上げる。
彼は無表情にAを見返していた。ピンクがかった瞳に訝しむAの顔が映っている。他には何もない。
何も無いのは良くない。何も無い隙間に、想像が勝手に良からぬものを生み出してしまう。真夜中に気づいてしまったカーテンの隙間とか、少しだけ開いたクローゼットの扉とか。
冷や汗が出る。笑みが引き攣った。
「……ウソだぁ、」
有難いことに、本日もキャバレー・ヴォルテールは八割がた席が埋まっていた。
Eが出勤していたらもっと十割を超えただろう。実際、彼を目当てにやってきた客に「しばらく来られないので、予約も目途がつかない」と告げると、明らかに欲求不満を持て余している態で帰っていく。
早まってセルフ首吊りオナニーなどしなければいいのだが。
それにしても、今日は特に新規の客がいつもより多いようだ。
昨日、初めてヴォルテールのレビューを投稿したので、一割くらいは自分の手柄なのではないかと密かに会心の客入りに満足する。大声で自慢して回るにはまだ少し自信が足りないけれど。
「最近マスター、雰囲気変わったね?」
カウンター席の古参客が、グラスを磨いていたAにそう言った。
正確にはマスターではないのだが、営業中はカウンターの中にいることが多いので、客からそう呼ばれることが多い。きっと共同が付くとはいえ、一応の経営者であるなんて思ってもみないだろう。
パブの親父にも一等区民みたいだとケチを付けられたのを思い出しつつ、Aは曖昧な笑みを返した。
「それって良い意味?」
「もちろん」
客が隣に座る自分の連れを肘で小突く。連れの方は、スタウトグラスで顔を隠すようにして何度か頷いた。ブルーグレイの髪に一筋だけ入った赤いメッシュが印象的だ。こちらは初めて見る顔だ。古参客に連れてきてもらったのかもしれない。
「……コマンド貰えたら、嬉しいかも」
店内のBGMにかき消えてしまうくらいの、気弱な主張だった。
Aはビアサーバーの合間を縫って、バーカウンターに身を乗り出した。メッシュの客と出来るだけ間近になるよう、目線を合わせた。なるべく優しく微笑んだつもりだが、もしかしたら子供を宥める大人みたいな顔になってしまったかもしれない。
「俺Domじゃないから、似合わないコスプレみたいになっちゃう。ごめんね」
やんわりと辞退する。酔っ払いはこういう投げっ放しみたいなリクエストをするものだ。
だが、メッシュの客はじっとAを見つめてくる。
切実な期待がさらに高まっているような気がして、Aは弱り、振り切るために追加オーダーを頼むか、メニューを差し出して逃げた。ちょうど手元のフードが少なくなっていて助かった。
ふたりがメニューを覗き込んだので、Aは小さく息を吐く。
Domかそうでないかくらい、Subなら見分けがつくものだと思っていたのだが、どの分野もそうであるように、ダイナミクス性にも音痴がいるらしい。さぞかし生き辛いことだろう。
「お奨めは?」
「サラダか野菜のスティックかな。少し割高になるけど、今日は運良く水耕栽培の新鮮なのが入ったから」
Aがメニューを指さすと、古参の客が不満の声を上げた。本気でそう思っているわけではなく、揶揄うような調子だ。
三等区では生の野菜は敬遠されがちだ。ファームから流通される野菜は一等区、二等区と順に降りてくる。その過程で野菜は傷む前にぐだぐだに煮込まれペースト状となって、三等区にたどり着く。野菜は火を通さないと食べられないもの、とすら思われている節がある。
かくゆうAも一等区で生野菜を口にするまでは、そう思っていたひとりだ。ペーストの野菜や冷凍の肉とは違う、顎が喜ぶような食感が楽しい。
けれど若者に勧めるなら、半分の値段の肉の方が良かったかもしれない。Aだって生野菜の美味さに目覚めたからといって、揚げた肉と縁を切るわけではないし。
「じゃあ、いつものにしようか?」
「これにします」
メッシュの方が、Aの言葉を遮るようにして言った。指こそメニューを指しているが、彼の眼は真っ直ぐにAを見てくる。
ますます困った。彼が指さすメニューはAが薦めたもので、どうにかして気に入られようという一抹の媚びみたいなものを感じた。
古参の客も「マジか」と軽く驚いている。
Aは気が付かないふりをして、厨房にメニューを通した。その後はさらに客が増えてきたので、ドリンクを作るので手一杯になってしまった。
ようやく閉店の時間になり、Aはぐだぐだとバーカウンターのスツールに崩れ落ちてしまった。立ち仕事はそれなりに慣れているが、さすがに今夜は忙しかった。足の感覚がない。
モップを片手にしたクレハドールが、ちょっかいをかけに来る。
「さっきの見てましたよ。モテ期じゃないですか?」
「違うだろ……」
Aは自分のためにハイボールを作って呷った。安いスコッチウイスキーだが、こういうときに飲む炭酸割りは応えられないものがある。
モテたい相手にモテたいというのは、我が儘なんだろうか。鼻に抜けるヨーチン臭が、否応なしにシュゼーを連想させる。
「でも分かる気するなー」
「何が?」
ひとりで納得しているクレハドールに、「俺にも」とねだられグラスを取り出す。
「ヴォルテールのDomって、全員、圧が強いじゃないですか。ヴィクトルやNはビギナー向けかもしれないけど体格が良いから、超初心者にはちょっと恐く感じちゃうかもですね」
「……なるほど」
観光客の案内役もやるAは、分かる気もした。Aの体格ならあのメッシュの客だって本気になれば逃げられるだろう。
Subはセーフワードで守られているとはいえ、それを口にするまえにDomからGlareを当てられればどうしようもない。比較的、害の少ないUsualで慣らし運転したいという要望も、潜在的にあるのかもしれない。
「それにAは可愛いですけど、近づくのも恐れ多いって感じじゃないですしねー」
「いい加減にしろよ、お前、ほんと」
「親しみやすいタイプって誉め言葉ですって」
Aが拳を振り上げる真似をすると、クレハドールは高い声を上げて笑う。この前、素行不良がバレてベソをかいていたくせに、メンタルの強い男だ。鏡を見ればそれだけで、自己肯定感がアップする人間ならではの生態なのかもしれない。
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