Sub専門風俗店「キャバレー・ヴォルテール」

アル中お燗

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34.欲望の街で生まれた男

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 抑制剤の在庫が切れた。シュゼーのところへ買いに行かなくてはならない。この間のこともあり顔を合わせ辛いのだが、そんなことも言っていられない。ヴォルテールのDomたちは一様にDom性が強いのだ。
 抑制剤なしで野放しにしていたら、Subのひとりふたりを囲い込むだけならマシな方で、最悪、村が出来てしまう。だから抑制剤の供給を怠るな、とレスターから警告されている。
 大袈裟なと思う一方、やりかねんとも思ってしまうところが、彼らの恐ろしいところだ。

 いつものように裏道を抜け、シュゼーの診療所へ辿り着く。
 診療所のドアは、いつも来る者を拒まないかのように開いている。始めは不用心だなと呆れていたが、今日はその開放感がありがたい。

「ドクター」

 診察室へ足を向けると、シュゼーはデスクの上で両脚を組み、スマホで音楽を聴いていた。
 誰もいないのをいいことに、イヤホンもヘッドホンもしていない。音楽の激しさもあり、普段以上にガラが悪い。診察室は至ってまともだけに、BGMの治安の悪さが悪目立ちしている。
 まともな患者なら、すぐさま踵を返してしまうに違いない。
 彼はAの気配に気づくと、閉じていた眼を開けた。

「うわ、なんだよその眼」

 今日のシュゼーは片方が赤で、片方が黒だった。毒蛇の警戒色を思わせるどぎつさだ。

「どうでもいいだろ。
 今日は抑制剤か?」

 気だるそうに椅子から立ち上がると、シュゼーは薬品棚から抑制剤のセットを引っ掴む。
 なんとなく手つきが粗い。もしかして機嫌が悪いのだろうか。シュゼーはいつもフラットな態度で接してきただけに、物珍しく映る。
 Aは意外な気持ちで、棚を漁るシュゼーの白い背中を見つめた。
 白衣を身に纏っていながらも、彼のスタイルの良さが手に取るように分かる。細いけれど、痩せているのではなくギュッと筋肉を圧縮させた細さだ。

「ほら、十五セット。金を払ったらさっさと帰れ」

 医者に求めているのは技能であってサービスではないにしても、いくらなんでも邪険な態度だった。
 Aはコートのポケットの中でスマホをいたずらに弄んだ。
 この時間を長引かせるためだけに、わざわざ知っている情報を質問した。

「……あのさ、この間のSub、どうなった?」
「一等区の施設にブチ込んだ。あとは本人次第だ」

 シュゼーが「早く金を払え」と目で要求してくる。眼の色が強いせいで、強制力が増しているように思える。だが、Aがもじもじして、一向にポケットの中から手を出そうとしないのを訝しんだらしい。髪よりやや濃い金色の片眉がひょいと持ち上がった。

「なんだよ」
「え、と」

 Aはシュゼーと自分のポケットとを交互に見て、言葉に詰まった。
 貴族を相手にベッドに誘う決心はついたのに、どうして町医者に連絡先の交換を言い出すことはできないのだろう。
 我ながら意気地がない。「なんのために?」なんて言われてしまったら、多分、三か月は引きずってしまう。
 ポケットの中で手汗を拭う。
 出直して機嫌の良さそうな日を狙う? いや、それをするにはもう遅い。シュゼーがAの異常を察して、今にも椅子から腰を浮かしそうになっている。
 俯いた顔が熱い。

「お前、熱あるんじゃないか?
 計ってみろ」

 うそ。機嫌悪いのに優しい……。
 感動して差し出された体温計を受け取ったはいいが、Aははたと気づいてしまった。脇に挟むにはボタンを外さなければならない。意中の相手の目の前で、セックスを連想させる動作なんて、出来るわけがない。恥ずかしすぎる。

「む、ムリ、」

 知らず、息が弾んでしまう。

「見られたくない痕でもあんのか?
 気にしねえよ、医者だぞ」

 シュゼーは肩を竦めると、Aのコートのボタンに手をかけた。手際よくコートの前が開き、躊躇なくシャツに取り掛かる。
 彼にしてみれば服を脱がせるのも人体を解剖するのも、大した違いはないのだろうが、Aからしてみれば堪らない。けれど悲しいかな、金縛りにあったかのように抵抗もできず、されるがままだ。

 近い。顔が近い。
 Aは心の中だけで悲鳴を上げた。
 近いだけでなく、顔が良い。派手な髪色やピアスにばかり目がいって気づかなかった。髪を落ち着いた色に染めてピアスを外したら、ノーブルな印象を抱いただろう。
 もっと近づいて欲しくて襟元を掴んで引き寄せたくなる一方、両手でシュゼーを突き飛ばしてしまいたくもなる。
 近くても遠くても納得いかない相手なんて、これまで居たことがない。彼が初めてだ。
 自分の衝動がまるで制御できない。

 シュゼーは上からみっつボタンを外すと、混乱中のAの手から体温計を取り上げた。
 今、彼の目の前にボタンみっつ分とは言え、素肌が晒されているのかと思うと死んでしまいそうだ。つまり喉元、鎖骨、胸の上の部分だ。羞恥心で全身がガチガチに固くなってしまう。

「腕」

 指示に操られるようにして腕を上げると、体温計が差し込まれた。先端の部分が冷たく、「ひゃ、」と高い声が出てしまった。
 こんなことならシャワーを浴びてから来れば良かった、とAは自分の体臭が気になり後悔した。ひどい辱めを受けた気分だ。

「口開けろ」
「……ムリ、」
「……お前、いい加減にしろよ」

 シュゼーの声が一段下がったので、Aは泣く泣くパカリと口を開けた。薄い木のヘラのようなものが、ぐいと舌を押したので嘔吐えずきそうになるが、Aには別のものを連想させた。
 恥知らずの発想に下腹部に熱が灯る。

「咽喉は腫れてないな。
 体温は……少し高いか。薬が要るほどじゃないな。念のため、暖かくしておけ。
 お大事に」

 Aの動転ぶりにも気付かず、シュゼーは背を向けて再び椅子に座ってしまった。当然、服のボタンだってそのままだ。いや、留めて欲しいわけではない。そうされたらそうされたで、茹だった頭がおかしな回転を始めるのは間違いない。

「あ、あの、」
「なんだよ」

 シュゼーが鬱陶しそうに脚を組む。
 さっさと出て行って欲しいだろうことが、ありありと感じ取れる。

「この間の、あの人、俺のパトロンだけど、そういう意味じゃないから」
「そうか」

 彼はこちらを見ないまま、興味なさそうに返す。
 本当に興味がないのだろうか。Aは上目遣いにシュゼーを見やる。あの夜、彼はセシルを見て「パトロンかよ」と鼻を鳴らせたのだ。気に入らないものが視界に入ったと言わんばかりで、Aは否定したかったのだが間が悪かった。
 それで、なんでかこの妙なタイミングで言い訳をしなくてはならない羽目になってしまった。

「仕事するのに場所が必要になって、あの人に、保証人を頼んだだけだから、本当にそれだけで、」
「だから、セックスはしてませんって?」

 ビクッと身体が震える。
 シュゼーの声色には明らかに険があった。
 しどろもどろの説明になってしまったが、結局はそういうことだ。
 シュゼーはいつの間にか、こちらを向いていた。赤と黒の眼が真っ直ぐにAを見つめてくる。まるで尋問でも始めるかのような威圧感だ。

「お前の後ろに複数人のDomの気配を感じる。お前、Domの囲われ者だろ?」
「ち、」
「だが、お前が何を飯の種にしてようが、診療所にいる以上はみな等しく患者だ。安心しろ」

 安心とは、何に対する安心なのだろう。
 Aはなんだか足元が危うくなる感じに捕らわれた。
 けれど、両手を手枷で戒められ、吊られて、つま先立ちのままでいることに比べたら、まだ温くもあるとすぐに思い直す。

 患者としてここに来たわけではないし、みんなと平等だなんて絶対に嫌だ。
 特別に扱って欲しい。世界で一番特別が良いのだ。Aの服のボタンを外したなら冷静でいて欲しくないし、首筋にキスマークでもあろうものなら顔色を変えて嫉妬して欲しい。
 きっとDomであるシュゼーの特別はSubがなるのが相応しいのだろう。けれどAだって鞭を我慢できるし、多分犬にだってなれるし、貞操帯を付けられても文句を言わない。
 指をくわえてシュゼーの特別が出来るのを見ているのが嫌なら、先手を打つしかないのだ。

「ドクター」
「まだ何か?」
「連絡先、交換して」

 顔とセリフが合ってない、と彼は思っただろう。
 Aもそう思う。完全にガンを付ける形になってしまった。



 Aはご機嫌で帰途についた。
 ポケットのスマホにはシュゼーのアドレスが入っている。ほわほわと脳だけ先に春が来たみたいだ。
 はあ? と怪訝な反応こそしたが、Aが脳内でシミュレーションしていたよりずっと簡単に彼は応じてくれた。いっそ、躊躇っていた時間がバカみたいに思えるくらい呆気なく、だ。
 第一エリアに入った時だった。ポケットが振動した。
 教えられた通り通話に出るとEだった。

「スマホありがと。Eが身分証、用意偽造してくれたんだろ?」
『ああ。
 それよりお前、今、外だな? これから出歩くときはNを連れていけ。面倒なことになりそうだ』
「じゃあしばらく店には来られないな。わかった」

 話しながら、Aは辺りを見回した。無邪気な観光客に、彼らを誘い込む客引き。第三エリアへの通行証であるバッチを付けている者は見当たらない。
 いつもと変わらないが、Eがそういうならこれからそうなるのだろう。

「あのさ、この前、どっちか選べって言ったじゃん。
 俺、決めたよ」

 Aはニッと挑発的に笑った。

「両方とも手に入れる」

 スマホの向こうで、Eは満足気に笑ったようだった。
 程度の差こそあるが、どちらも同じくレッドライト売春地区で生まれ育った者同士なのだ。
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