Sub専門風俗店「キャバレー・ヴォルテール」

アル中お燗

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23.縛り首十三階段 あるいは溺愛強化週間(4)

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 Aは寝不足気味で出勤した。
 昨晩、店を閉めてから帰ってきた後、例の夢のようなホテルで、

「それでは旦那様、ごゆっくりお休みくださいませ」

 と、執事がシェードランプを消し退出してからも、Aはまるで眠れずに広すぎるベッドの中でころころと寝返りを打っていた。
 なんだかふわふわした気分が、Aの身体をフライパンで炒められる具材のように落ち着かなくさせた。

 早いところ眠ってしまわなくては仕事に差し障る、と危機感を抱く。眼を閉じる。落ち着かなくて寝返りを打つ。やはり落ち着かない。寝返りを打つ。シェードランプの明かりを点ける。サイドテーブルに置いたコインを手に取る。金属の冷たい感触を確かめる。

「…………」

 ふわふわ、ふわふわする。余計に眠れなくなる。
 自分でも浮かれていると分かっているが、Nに褒められたのが嬉しいのだ。それは、電撃的な喜びではなく、むしろ逆の、時間が経てば経つほどに実感を伴ってやってくる喜びだった。
 いつの間にか口元が綻んでいるのに気づき、明日の仕事のことを考えて気を引き締め直す。また目を閉じて──。
 その繰り返しだった。

 こういうとき車で送り迎えして貰えるのは助かる。後部座席はあまりにも広く、ベッドの代わりとして上出来だ。備品置き場で眠れなくなってしまったらどうしようか。

 Aはしみじみ贅沢という毒を実感する。
 椅子に座っていれば、執事とメイドが頭のてっぺんからつま先まで整えてくれるし、食事だって待っているだけで用意される。至れり尽くせりだ。
 ナイフとフォークの使い方について口を出されるのと、その後で拍手でもせんばかりに誉めちぎってくるのには、少し辟易してしまうが。

 執事とメイドのことを考えながら、事務所に続く廊下を歩いていると、Eが従業員控え室から出てきた。

「……ああ、」

 彼はAと目が合うと、何かを思い出した顔をした。そしておもむろにAの頭をくしゃくしゃにかき混ぜた。
 Eは、長く男らしい節くれた指に、三つの指輪をしていた。宝石こそ抱いていないが、それぞれ意匠を凝らした彫金が施されている。
 女の指輪と違って、男の指輪はアクセサリーではない。権力の証だ。せっかく整えてもらった髪形を台無しにされても、目の前にチラつかされるのがこれでは文句も引っ込んでしまう。
 だが、

「可愛い、可愛い」
「褒め方が雑すぎる!」

 引っ込んだ文句が、うっかり形を変えて飛び出てしまった。
 Aの突っ込みに、Eは立ち去るのを中断する。面倒くさそうに肩を竦めた。首を僅かに傾けたせいで、一筋の黒髪が額にかかった。

「ちゃんと褒めてやっただろう」
「どこがだ! もっと心を込めろ!」

 珍しくAは食い下がった。絶対にこいつから褒められてやる、と妙な意地が出る。Nに褒められて味を占めてしまったのかもしれない。頭の冷静な部分でそう思った。
 その一方で、EはAの知る限り、共同経営者に並ぶ上等なDomでもある。彼に認められたいと思うのは、人間として当然のことではないだろうか。

「…………」

 彼は真顔になった。
 大抵の美形は真顔になると、造作の良さから人形のような印象が強くなる。が、彼はそうではなかった。
 真顔のEは爬虫類の眼差しをしている。
 人形の瞳は、観察者に都合の良い幻想を抱かせる隙間がある。だが、爬虫類の瞳に広がる荒野の名は無関心だ。

「俺が心から可愛いと思う相手は一人しかいない」

 Aは絶句した。
 これほど素っ気なく、一切の脈を期待させない文句があるだろうか。

 しかし、それだけに人を渇望させる魅力がある。その一人に選ばれたいという射幸心、その一人に選ばれたという選民意識。
 金と権力を持った男から一途に想われて、心がぐらつかない人間はそうそう居ないだろう。居るとしたら、世間知らずの苦労知らずだ。

「に、二次性で、そういう関係になると、なんだ……」

 Aはたじろいだ。
 そして悪いことには、同じセリフを言われてみたいとまで思ってしまった。

 脳が記憶の中から消毒液と漂白剤の匂いを蘇らせて、鼻孔をいっぱいにする。左右で色素の違う瞳がAを捉え、薄い唇がゆっくりとさっきの言葉をなぞる。
 想像すると、頬に血が昇った。眼の前がぐらぐらと揺れる。

「俺、Usualだから、そういうの全然、」
「男と女なら、それだけで上手くいくと思ってるクチか? 冗談だろう」

 大きく溜息を吐かれて、Aは口を噤んだ。

 Eの言いたいことは分かる。母と、母が連れ込んだ男たちはろくでもない別れ方を繰り返してきた。DomとSubの関係だって、磁石のS極とN極のように単純ではない。人間なのだから。分かるが、胸にわだかまったものを上手く言語化できない。
 二次性を持つ者同士には、なにか特別な運命めいた繋がりがあるように思えてならないのだ。

「……でも、……」

 Aは焦る。早く発言しなければと思う。はやく意見を述べなければ、Eが背を向けて立ち去ってしまう気がする。だが、考えれば考えるほど空回ってしまう。

「……き、気になる人が、できたかも、です、」

 結果、Eと出会った頃の口調に戻った。

 こんがらがった頭では、核心だけを突くなんて真似はできない。一から順に、時系列で話をするしかなかった。
 逃がさないよう、Eの手を握り込む。手汗でびっしょり濡れていたが、気にしている余裕はまるでなかった。

「お前が」

 さすがにEにも意外だったらしい。彼の驚いた声を初めて聞いたかもしれない。
 とても顔を上げられない。汗が吹き出る。

 長い付き合いの相手に、今まで見せたことのない一面を晒すのが、こんなにも勇気のいることだとは知らなかった。
 Aにはプライベートがなかったからだ。

 意外なことに、Eが手を握り返してきた。それもA以上の力強さだ。

「階段の前に行くぞ」
「え、」

 低く唸るような声だった。
 強く手を引かれ、戸惑う。

 絶対に上がらないと思っていた首が、反射的に上向いてしまった。羞恥より、怒らせたのかという不安が上回る。だが原因が分からない。
 見上げるEの横顔は、昔より大人びてシャープになっていた。Nを紹介されてから、久しく見ない角度だった。

 Aは階段の前に引き立たせられた。

「お前の相手はDomだな?
 イエスなら一段登れ」

 ヴォルテールに階段はひとつしかない。二階に続く十三階段だ。Domたちの専用のプレイルームに続く階段を、客は登るも降りるも自分の意思で決めなくてはいけない。
 期待する者は駆け上がり、臆する者は引き返す。

 Aはぐ、と息を飲み、一段登った。

「先に言っておくが、」

 ぎゅっとAの手を握る力が強くなった。切り揃えられ、形を整えらえた短い筈の爪が手のひらに食い込む。じわりと血が集まり、熱くなるのを感じた。

「俺は昨日、Nにお前の話を散々聞かされて、機嫌が悪い。今もお前を鞭で打つ理由を探している。
 それでも十三段登り切ったら、褒めてやる。
 当然、引き返す自由も認めよう」

 Aは発作的に、一段下にいるEを振り返ろうとした。だが、できなかった。ただの八つ当たりじゃないかと思ったが、そんなことを考えること自体が罪に思われてならない。

「お前は髪だの服だのを変えられて、それを褒められて満足か? 都合の良い、言いなりになっているだけだとは思わないか?
 A。お前の今までの人生は、連中に否定されるためだけにあったのか?
 イエスなら一段登れ。ノーなら降りても良い」

 登らせるために問われているようなものだ。
 Aは目を見開いたまま、息を弾ませる。

 登り切ったら最後、いたぶられるのは分かっているのに、Eの声には熱狂させる力がある。諸手を挙げて火の中に飛び込ませるような、飛び込んだ先にそれだけの報いがあると錯覚させるような。
 パブで出会った共同経営者と同じだけの力だ。

 あの力が欲しくて、

「っっ!」

 一気に十二段まで駆け上がる。たった十二段の階段を登るのに、髪が汗でびっしょり濡れた。

 Aは覚悟に息を弾ませたまま、Eを振り返る。
 心臓があの時と同じように激しく鼓動している。

「どうしてNに首輪を贈らないのか、教えろ。
 イエスなら一段登れ!」
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