Sub専門風俗店「キャバレー・ヴォルテール」

アル中お燗

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14.所有権の在り処(1)

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 Aは早々に、従業員控え室の長椅子に掛けていたNの膝に縋った。
 内心では彼の客のことを馬鹿にしていたので、絶対に頼るものかと決めていたのだが、心が折れてしまったのだ。

 昨夜の凌辱から一夜明け、まだ毛布に包まっているところに二度目の襲撃を受けた。シャワールームに連行される道すがら、Aは激痛に悲鳴を上げた。朝勃ちを兆したペニスが貞操帯に邪魔されたせいだ。

 貞操帯は金属製で、ふたつのパーツで出来ている。
 ひとつはペニスを包むカゴ状のパーツだ。排尿できるように先端に穴が開いている。
 ふたつめがリング。このリングとカゴでボールを挟み、錠前を取り付ける。
 カゴは強制的にペニスを下向かせる形になっているから、当然、勃起するだけで激痛が走る。

 貞操帯は着けっぱなしだと臭ってしまう。

「鍵の所有者が洗ってあげなきゃね」

 そう言ってセラフィムは貞操帯の錠を外し、丁寧に貞操帯を洗浄した。それだけなら良かったのだが、彼はAのペニスまで洗い始めたのだ。例の寸止めを二度ほど繰り返して。しかも今度は本当に寸止めまでで、イかせても貰えなかった。
 Aはまたもや昨夜の男に羽交い絞めにされながら、泣かされる羽目になったというわけだ。
 まだ耳にセラフィムの高笑いが響いている気がする。

「ひどい……、ひどい……、あんな、もう皆、大っ嫌いだ……。」

 こんなことが一週間も続く。Aはすっかり、セラフィムの傍若無人ぶりに恐れをなしてしまった。やっと勃起の収まったペニスを、再び貞操帯に押し込められそうになったときには、本気で逃げ出そうかと思ったくらいだ。
 勃たせないように、と思えば思うほど、ペニスを強く意識してしまう。

 おまけに、貞操帯自体も不便極まりない。
 まず立ち小便ができない。いちいちズボンと下着を下ろして、女のように便座に座らなければならないのだ。手間も時間もばかみたいにかかる。
 前空きのある下着は、もはや意味を成さない。
 セラフィムが二度寝しに帰ると言いがてら、Aに寄越した女物の下着の意味がやっと分かった。もちろん、履こうとは微塵も思わないが。

「そうか、大変だったな」

 AはNに頭を撫でられながら、さらに泣き言を繰り返した。

「現在進行形で大変なんだよぉ」
「話してみろ」
「立っておしっこしたいぃ」
「そうだな」
「しゃせいしたい、もう、すんどめ、やだ、」
「つらいな」
「う、うぅ……」
「ほら」

 いよいよ本格的に泣き出したAの口に、チョコレートが放り込まれた。安物ではないらしく、すぐに咥内の熱でとろりと溶けてしまう。
 こいつ、菓子で誤魔化されると思ってるのか? 子供じゃあるまいし。
 AはむかついてNの人差し指に噛みついた。
 実際は子供以下の醜態だし、根気強く宥めてくれてる相手にやることではない。ただの八つ当たりだった。

「っん、」

 Nの指が咥内で融けたチョコレートを絡め、上あごの内側を撫でた。奥から手前、手前から奥。時おり円を描いて、嘔吐えずかないようゆっくりと動く。

「ァ、」

 身体がそわそわする。唇、いや顎自体の締まりが緩くなってしまう。口の端から垂れそうになった唾液を指が掬い、また咥内を掻きまわす。
 チョコレートを纏わせた指を舌が追う。指自体に味があるわけでもないのに、上あごの内側をトロトロと撫でられていると、何故かそうなるのだ。
 今まで身体のどこを触られても、ここまで力の抜けてしまう部分はなかった。

「もうひとつ、要るか?」
「いりゅ、」

 たっぷりの唾液を含んだまま、舌足らずにAは強請った。
 咥内も鼻孔もチョコレートの甘さで充満している。このまま薄れていくのは勿体ない。真冬の早朝に毛布を取り上げられるようなものだ。まだこの甘ったるい空気に微睡んでいたい。
 Nの指がチョコレートを摘まみ上げた。
 Aは首を伸ばして指ごとしゃぶり上げる。指と舌の合間でチョコレートがとろける。一層、濃い香りが広がる。
 ふわふわと温かい多幸感に、脳みそが包み込まれているようだ。

「よしよし」
「ン、」

 頭を撫でられているらしい。
 つぅ、と眼の端に溜まっていた涙が一筋流れた。
 どうして泣いていたのかさえ、思い出せない。
 頭を撫でられる感触と、しゃぶっている指の存在だけが全てだ。
 頬を胸に摺り寄せる。鼓動が聞こえてくる。
 唇が「お」の形に開く。

 着信音がけたたましく鳴り響いた。

「!?」

 Aは夢から醒めた。
 心臓が縦に振られたかのような動きをした。
 慌てて周囲を見回す。
 至近距離で見上げるNの顔に仰天をした。
 膝に頭を乗せていた筈なのに、いつの間にかソファに乗り上げていた。Nの胸に頭を預けて抱き抱えられていた。しかも赤ん坊のように指をしゃぶっている。

 ずるり、と長い指がAの口から引き抜かれた。もはやチョコレートの色はない。かわりにA自身の唾液でたっぷりと濡れて、糸を引いている。
 ザッと血の気が引く音が聞こえた。

「悪い、出掛ける用ができた」
「……ぜんぜん」

 申し訳なさそうなNに、ぎくしゃくと首を左右に振る。ぜんぜんどころか、一刻も早く立ち去って欲しかった。そしてAの愚行を一から十まで一切合切、忘れて欲しいとさえ願った。

「また後で話を聞こう」
「あッ、ありがと……」

 つい声が裏返ってしまう。
 控え室のドアが閉まり、Aはひとりきりになった。
 引いた筈の血の気が、今度は急上昇してくる。
 旧知の相手の指を、ふやけるまでしゃぶってしまった。恥ずかしすぎる。セラフィムから受けた凌辱とはまた別種類の羞恥だ。

 セラフィムのときは抵抗できなかったと言い訳が効くが、Nは違う。Aが嫌だ言えば止めただろうし、逃げ出すことくらい容易だった。AはUsualだからDom性に抗えなかったなどということもない。
 Aが元々持ち合わせた性癖だとでもいうのだろうか。アレが。
 自分が何を口走ろうとしていたのか自覚すると、絶望するしかなかった。
 死にそうだ。
 過去に死にたいと思ったことはあるが、これほどまでにバカバカしく、しかし深刻な理由をAは思い出せない。

 唯一救いがあるとするなら、Nは口外するような性格じゃないということに尽きる。
 赤面を隠すためにAは両手で顔を覆った。これまで恥の多い人生を歩んできたが、一気に恥の部分が濃ゆくなってきている。

「……?」

 何か物音が聞こえた気がする。
 部屋を見回すと、Nが閉めた筈のドアが小さく開いている。
 そこから顔を覗かせていたのは、クレハドールだった。
 見られていた。
 Aは瞬間的に理解してしまった。

「……お、お前、……い、いつから……」
「Nのために淹れたお茶が、冷めちゃうくらいです」

 クレハドールは今にも、指をさして大爆笑せんばかりだ。もともとの肌が白いから、必死で笑いを堪えているのが顔色で分かる。

「お、お前を殺して、俺も死ぬ……」
「待って、待ってくださいよ。ふふっ。そんな、あの程度のことで、ふふっ、」

 彼はちょっと待てとハンドサインして、Aに背を向けてひとしきり腹を抱えて笑った後、やっと「もう大丈夫です」と爽やかな笑みを見せた。

「もうってなんだよ、少しは遠慮しろ!」

 支えにしていたワゴンを揺らし過ぎたせいで、クレハドールの制服の裾に紅茶のシミが出来ている。

「まあまあ。
 それより、Nの後をつけましょうよ」

 また突拍子もないことを言い出した。
 Aは彼の意図が読めずに、困惑する。だが、ヴァレンタインの時と同じように、ふざけているわけでもないようだ。冗談のようなことを本気で言ってしまえるのが、クレハドールなのかもしれない。

「何のために?」
「気になる人のことは、全部知っておきたいじゃないですか」

 ストーカーなのだろうか。あるいはプライバシーの概念を、この二十年で学んでこなかったか。
 いずれにせよ、どんな美人でもストーカーは嫌だ。知人に近づけたくない。

「休みにレッドライト地区を案内してくれるって、約束しましたよね? 行った先に、たまたまNがいただけですよ」

 詭弁だとは思ったが、この無軌道で恐れ知らずの若い男が何をしでかすか、監視しておかないのもまた不安だ。
 現に、彼の瞳は何かを企んでいる。
 Aは戸惑いながらもクレハドールの提案に頷いた。言外に脅され、屈したも同然だった。
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