Sub専門風俗店「キャバレー・ヴォルテール」

アル中お燗

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5.E

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 Aはレッドライト地区の外れに診療所を構えている医者のところに顔を出して抑制剤を受け取った。この街で純正品を手に入れるにはここで買うしかない。

 絆創膏、アンプル、アルコール綿、注射針、注射器。これで一揃いだ。
 打つ場所は問わない。どこに打っても効く。

 Domは自分で打つ者が多いが、SubはパートナーのDomに打ってもらいたがる傾向が強い。DomもSubの欲求をコントロールするのは自分の役割としている者が多いから、自然と抑制剤を打つにもプレイの要素が付きまとう。

 ヴォルテールの客からも、抑制剤を打ってもらいたいというリクエストは多い。
 脚の付け根や首筋というのは序の口で、頭のおかしいのになると性器や眼球への注射を頼まれる。
 注射されるところを録画するオプションも人気だ。見栄えがするよう、透明の薬液に着色料でどぎつい色を付ける。

 無害で抑制剤の効きを阻害しない着色料があるか、医者に尋ねたとき、彼は意図が掴めないとばかりに顔を歪めた。

 まだ二十代半ばを過ぎたくらいの若い医者は、髪を殆ど白に近い金髪にブリーチしていた。両耳に山ほどピアスを開けていて地肌が見えない。知性を疑わずにはいられない姿だった。
 ところがこの軽薄そうな医者、常に酒とヤニの臭いを漂わせたヤブ医者の代わりにレッドライト地区に来て以来、随分と評判が良い。混ぜ物ナシの薬を処方してくれるとか、くっつかないと諦めていた指がくっついたとか。

 実際、以前は出どころが怪しかった抑制剤も、彼に変わってからちゃんとした純正品になった。売春街では季節を問わず性病のバーゲンセール中なので、ケチの売春組合からも金一封を包んだらしい。
 人は見かけによらないものだ。
 Aは抑制剤の代金を支払うと、丁寧にカバンに仕舞い、ヴォルテールへの帰途についた。

 従業員控え室のドアを開けると、Eが長椅子に座って本を読んでいた。自分でも持て余しているだろう、長い脚が高々と組まれている。本はNのプレイルームで見たことがあるやつだった。

「なに? 今日は早くない?」

 動揺のあまり声が上擦ってしまった。まさか昨日のセラフィムプロデュースの飾り窓の件について、Aを三角木馬に乗せに来たのではないだろうな、と冷や汗が背筋を伝う。
 なにしろ、Eはヴォルテールでも屈指のハードプレイを得意とするDomなのだ。怒らせたら死ぬより恐い目に合わされる。

 ヒヤヒヤしていると、ローテーブルにコーヒーカップがみっつ置かれているのに気が付いた。どれも口を付けた後がある。
 Aは口をへの字に曲げた。
 もしかして、名目上の経営者であるAの不在に代わって、来客の相手をさせてしまったのだろうか。そんなAの心中は、モロに顔に出ていたらしい。尋ねるより先にEが口を開いた。

「客のパートナーに怒鳴り込まれた」
「は!?」

 パートナーが風俗に行って、いい顔をする人間はそうそういない。それもヴォルテールはSubを相手にした店だから、当然パートナーはDomということになる。一般的にDomは自分の所有物にものすごく執着すると言われている。

「おかげで痴話げんかの仲裁をさせられたぞ」
「……そ、それは、ごめん、ほんとに」

 Aは素直な気持ちで頭を下げた。その辺は経営者兼黒服であるAの領分だ。ひとしきり謝ると、今度は好奇心が頭をもたげてきた。

「……後学のためにどう言って帰ってもらったのか、教えて貰って良い……?」
「呼吸コントロールを体感させてやっただけだ」

 首絞めじゃん。純度百〇〇%、混じりっけ無しの暴力じゃん。
 突っ込みたかったが、自分に非がある分、Aは何も言えず無力な小動物のようにプルプル震えるしかなかった。

 それでも。
 そういう暴力が似合ってしまうのがEというDomだった。野性的というよりはむしろ都会的に洗練されていて、危ないものに手を伸ばさずにいられない者を惹きつける。

 Aは改めてEを見つめた。
 出会った頃、まだふたりは十代の子供だった。Eだけが大人の深みを増している。それはきっと歳の差や、仕立ての良いスーツのせいだけのせいではない。

「前から考えていたことなんだが」

 酷薄そうな薄い造りの唇が声音を改めた。
 空気が変わる。

 ザワっ、とAは首筋の産毛が逆立つのを感じた。
 とてつもなく嫌な予感がする。
 目の前の男は、とても面倒なことを切り出そうとしている。
 事務所に用があると逃げ出して籠城を決め込んでしまおうか。そう考えて、実際に腰を浮かそうとした。

 それより早く、というか、完全にAの勢いを殺すタイミングを狙いすまして、Eは意味深に両手を組み合させた。ぎらり、と刻印のあるリングが威圧感たっぷりに光る。

「風俗店より、こういう需要を取り込んでいった方が良いんじゃないか?」
「こ、こういう、とは」
「清潔なクリニックで、二性持ちを相手にしたカウンセリングや、プレイのレクチャーを商品にしろと言っている。
 一等区は無理でも、二等区の物件なら買えないこともないだろう?」

 三等区の赤いネオンの下で、コカインの染みついた金から手を引け、と言っているのだった。

「…………え、」

 突然の申し出にAは頭が回らなかった。
 レッドライト地区のある三等区はクソだ。生まれ育った場所だからそれは理解している。けれどそこから出ていくという選択肢は、何故かAの中に存在していなかった。
 見知らぬ世界に出ることを恐れているのかもしれない。Eの言う清潔なクリニックも、そこで働く自分の姿も全く想像できないのだ。

「俺とNはここヴォルテールが軌道に乗るまでの約束だった筈だ。そろそろ頃合いだろう。
 だがお前にその気があるなら、そっちに移ってやっても構わない。どうだ」

 どうだと言われても、Aはまるで頭が働かなかった。ただでさえ出来の悪い脳みそが石になって回転を止めてしまったようだ。

 ただ、EとNに出ていかれると困ることだけは明白だった。
 ヴィクトルやセラフィムだってある程度のことは出来る。だけど、客が求めているのは専門分野に特化したプロの仕事だ。固定客を維持するにはムリがある。

「……だ、旦那ァ、そりゃあ無茶ですぜ」

 芝居がかったセリフでも言って誤魔化さなければ、Eの本気を孕んだ重圧に耐えられなかった。
 Eは笑わない。無言のまま、イエスかノーかを待っている。その冷徹な眼差し。

 UsualであるAには、DomのGlareはさほど影響がない。だが堅気ではない様相の人間から睨まれれば、そいつがUsualであってもDomであっても恐いのと変わりはない。
 押されるようにしてAは口を開いた。

「……分かった。
 でもオープンして数か月だし、二等区の店舗が買えるかは調べないと分からない。ちゃんと数字を出して決めたい。
 今ムリでも、いずれ時期を見て検討する」

 どう? と上目遣いに窺うと、Eは桃花眼を僅かに細めた。
 納得してくれたらしい。

 どっと交渉の疲れが肩に圧し掛かってくる。Aは深く息をついた。
 そのおかげか室内の空気も大分、軽くなっている。

「──ああ、そうだ。抑制剤。何本要る?」

 Aはコーヒーカップを脇に避けて、カバンを乗せた。

「俺は五本、Nはそれぞれ二本だ」

 言われた通りパッケージの数をローテーブルに広げると、Eはそれを艶を消した黒のアタッシュケースにしまい込む。御多分に漏れず、パートナーの抑制剤は自分で管理したいタイプらしい。

「……あのぅ……飾り窓の方は……、」
「立つさ。その為に来たんだ。」

 恐る恐るのお伺いをあっさりと首肯されて、Aはまたもや驚かされた。クレーム処理はしてくれるわ、客寄せパンダを引き受けてくれるわ、大サービスすぎて返って恐くなってしまう。セラフィムのように、一度はゴネてくれた方がよっぽど気が楽だ。
 冷や汗が止まらないAに、Eが鼻を鳴らした。

「そろそろNが限界らしくてな。しばらくこっちに顔を出せなくなる」

 Nのスイッチを切り替える、ということだ。そうすると数か月はSubのままになってしまう。それはそれで困るが、体質というか因果関係なのだから飲み込むより他にない。
 やはり第二性なんて面倒な代物だ。

「分かった。どうにか都合をつける」

 ここは気持ちよく承諾したいところだが、煮え切らなさが態度に出てしまった。まったく自分の器の小ささを再確認するのは辛い行為だ。

 Eが控え室を出てから、少しの時間をおいてAはいつもの飾り窓へ向かった。
 あの偉そうな──いや、実際に偉いのだが──Eがどんな顔をして、飾り窓に収まっているのか。下世話な野次馬根性に突き動かされたのだ。あとは、急にクリニックの話など持ち出されたことに対する可愛い復讐だった。

「……あー……」

 建物に半身を隠して様子を窺うと、思ったとおり、その窓の前だけがエアポケットのようになっていた。昨日が雨だったこともあって反動で人通りは多いのに、全員が遠巻きにしている。
 そのくせ周囲の視線の数と温度が、妙な空気を作っていた。

 Eはその視線が鬱陶しかったのか背凭れの高い黒革張りの椅子を反転させて、つれなく背を向けてしまった。
 誰のものとも知れない残念そうな溜息が、さざ波のように重なり、広がって空気に溶けていく。

 Eは一見して分かるDomらしいDomだ。ポルシェといったら911シリーズ。それくらいアイコニックな存在だ。Subがどんなに細分化された趣向を持っていようと、一度は足元に跪いてみたいと憧れる。とはいえ、並の人間はそう簡単にポルシェには手が出ないだろう。

 結局、ポケットのショップカードは減らないまま、Aはコートの前を掻き合わせて店に戻ることにした。その足取りは重い。
 クリニック。クリニック。口に出さないまま反芻する。Aもまた二等区という高級車に手を出しあぐねている人間のひとりだ。
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