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七,隔たり
しおりを挟む『チッ! この風じゃ舵がきかない!』
『高波だ! 飲み込まれるぞ!』
瞼に……頭に……父の姿が映し出される。
それだけでなく、マテウス自身がその場にいるような緊迫感があった。
やはり父も、己のように波に襲われていたのか――。
そう思った次の瞬間、父の船は波に飲み込まれ、船体も、乗り組員も、荷物も……なにもかもが海中でばらばらになっていく。
――父さん!
マテウスは思わず声を出す。手を伸ばす。
しかし、海を人形のようにたゆたう父には、到底届かなかった。
父が沈んでいく……そう思った刹那、影がよぎり、父を抱きかかえると水面へと浮かんだ。
小さな入り江に父を運んだ影は、やはり人魚であった。それは父こそが探し求めていた存在だ。
……目を覚ました父は難破の衝撃か、一切の記憶を失っていた。
目を開き、茫然とする父に向って、人魚は優しく微笑む。
クラルテとは異なり、鎖骨から少し下に乳房がついている。女性の人魚なのだろう。
父は新たな記憶を構築するとともに、人魚と心を通わせていった。
かつての父とは異なり、笑顔は柔和なもので、それを人魚に向ける度に彼は幸せそうであった。
人と人魚の隔てなど、かけらも感じられない。
やがてそれは、――愛と呼べるものに育っていく。
添い遂げよう。父が人魚に告げると、彼女は幸福な涙を零して喜んだ。
(父さん……僕も知りました。あなたが敵視していた人魚とは、かくも優しいのだと)
とはいえ、人間と人魚が共に生きる道が険しいことを、彼らは自覚していた。
父と人魚は二人静かな安住の地を目指し、旅立っていく。
これが父にとって、本当に最後の船旅になるのだろう。
そう、マテウスは察した。
ただただ、夕陽に向かって旅立つ父の船を、マテウスは見守っていた。
「……っ」
『マテウス?』
はっと目を開いたマテウスは、元の通り、小さな岸辺にクラルテと在った。
ほんの一瞬目を閉ざしていただけだが、どっと疲弊する。
『マテウス? 大丈夫?』
「…………うん……」
なんとも言いようがない。マテウスはクラルテを不安にさせないよう、むりやりに唇を笑ませた。
けれど、やはりその気落ちは伝わってしまったようで、クラルテの腕がそっと背中に回される。
海に棲んでいるにも関わらず、クラルテの体は冷たすぎず、生きていることを感じさせた。
胸元に触れる赤い心臓が、ゆっくりと動いている。
(ああ。もしかしたら僕だって同じような道をたどって……)
透明なクラルテの体を、マテウスもそっと抱き寄せる。
肩口に額をつけ、そっと目を閉ざしたところで、はたと気付いた。
――え?
同じ、ような……?
『マテウス?』
「あ……」
『悲しい、記憶だった?』
「……ううん。そんなこと、ないよ」
クラルテの指先が、後頭部をあやすように撫でる。柔らかいその手櫛は、まるですべてを包み込むようだ。
「少し、唄ってくれるかい? 君の歌が聴きたい」
そうリクエストをすると、クラルテが頷く気配がした。そうして胸に直接響くあの声で、マテウスのために歌い始める。
――天の真珠、波に揺れて……
何も違わない、人間も人魚も。
住む場所、姿かたち……それらが違うからといって、先入観や偏見をもって見ている。
「君は、人間が恐くないのかい?」
『……はじめは、少し。大地の子らは海を荒らすと聞いていたから。でも」
マテウスが顔を上げると、クラルテは美しく微笑んでいた。
『きっと人というのは、本当は優しいのでしょう? マテウスみたいに』
「クラルテ……」
波の音に耳を撫でられながら、彼らはもう一度、強く強く抱き締めあった。
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