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四,哀願
しおりを挟むとにかく、生き延びるために身のまわりを整えなければならない。
痛みが増しはじめた左肩を庇いつつ、帆柱の根元を蹴りつける。足を振るう度、体に振動が伝わり、うめき声が漏れた。
「ぐ……うう……っ」
さきほどまでもう少し、痛みはましだったはずだ。やはり目が覚めてから動き回ったせいか、それとも――。
「人魚の、呪いか……」
マテウスは独り言ち、強く帆柱を蹴った。めりめりと木材が音を立て、傾いていく。既に半壊状態の舟にとっては、そんな衝撃でも充分だった。
二枚のスループが浜へ落ちる。かなり強引ではあるが、この陰に入れば日差しとにわか雨くらいは耐えられるだろう。夜を越すためのあなぐらがわりにもなる。
「ふう、ふう……だめだ、こんなところで死ぬわけには」
体の痛みに加えて、熱が上がってきたようだ。
水を保存した甕を乱雑に開けると、動く右手を突っ込んで二、三口飲む。
息が荒くなっていく。視界がゆらぐ。
舟に載せていた毛布は潮風に湿っているが、ないよりは幾分かいいかもしれない。
それに包まるとスループの下に潜り込み、じっと目を閉じた。
次に瞼を開いたとき、回復していることを願って。
視界の端、いや、瞼の向こうで何かが動いている。
けれどあまりのだるさに、確認しようという気すら湧かない。
(このまま、眠っていたい……)
額に、心地よい冷たさを覚える。体の熱を吸い取るような、ひんやりとした温度。
そして次に、左肩にも同様の心地よさが感じられた。骨が折れたことによる腫れと痛みが、不思議と引いていく。
(あれ……もしかして僕、死ぬのかな……)
そう思った刹那、再びあの歌声が胸に響いた。
――大地の子らよ
母なる海に抱かれて
――――。
「……っ!」
瞼を持ち上げるのと、咄嗟にそれを掴んだのはほぼ同時であった。
『あ……!』
マテウスの五指は、確かに掴んでいた。あの透明な人魚の、透き通る手首を掴んでいる。
被膜に包まれた手首を掴む己の指が、ゆらゆらと透けるように見える。なんとも不可思議なことだ。
「お前、また――!」
言いかけたところで、体が楽になっていることに気付く。そしてやはり先ほどと同じように、人魚のヒレを枕にさせられていることにも。
『待って、聞いて。お願い』
人魚の唇から聞こえるようで、聞こえない声。
『あなたに、悪いことはしない』
同時に耳の遠いところで、クゥ、という鳴き声がする。
『助けさせて。お願い――』
透明な顔に、夕陽が差し始める。それは陽炎のように透過し、マテウスの瞳を捉えて離さなかった。
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