8 / 10
八,最後の甘毒
しおりを挟む
つい先ほどまで体を包んでいた熱が、夜風を受けて連れ去られていく。
「鶴皙、寒くはないか?」
「……はい。ご心配には及びません」
どちらのものとも分からなくなった衣を敷いて、裸体の彼らは身を寄せ合う。そうは言いつつも身じろぐ鶴皙を案じて、竺董は一層肌を引き寄せる。
「本当は手順を踏んでそなたを王宮へ迎えるつもりであったが……そうも言っていられないな」
「竺董様……」
「明朝、迎えにこよう。俺の我慢が出来そうにない。……ずっと、俺の傍にいてほしい」
「そんな……嬉しい……」
鶴皙の瞳から、玻璃《ガラス》のような涙が零れおちていく。重力に逆らえないそれは、つ、と美しく流れた。
そうして鶴皙は竺董を見送り、その背中にそっと微笑む。それはあまりにも妖艶で、そして邪悪な笑みであった。
「ふん。本当に暗愚だな、あの太子様は」
竺董が抱き、未来を誓ったのは鶴皙――を装った彼の弟・鶴黛であった。
顔も声も体つきも瓜二つの彼らは、こうも暗ければ見分けもつかない。
寝乱れた髪を手櫛で整えると、草叢へ控えさせていた輿に乗り込み、竺董とかち合わないよう自らも王宮へ戻っていく。
明日迎えると言われた、まさにその王宮だ。
「太子の迎えには断りを入れておけばいい。きっと失望するだろうから」
ことがうまく進んだということを『主』へ報せるべく、鶴黛はその人のもとへ向かう。
王宮の敷地のなか、西の端で控え目にたたずむ羅針宮。しかしその主《ぬし》とて、建物のように控え目で無欲というわけではない。
――心の奥底に沈めた、王位への恋慕。
それを叶えるべく、鶴黛は自ら駒となり動く。ただ女の衣服を整えるだけの役回りであった自分を、寵愛《あい》してくれる王弟のため。
「羅針公、ただいま戻りました」
勝手知ったる、主の私室の戸を開く。室内の灯りが線を描くように足元へ伸びた。
「――!」
「なにごとだ!」
鶴黛が息をのんだのと、羅針公が声を荒げたのとほぼ同時であった。
羅針公は宵に茶を飲む習慣がある。いまも円卓の前に座し、茶を並べていた。
しかしそれはいつも鶴黛が用意するものと決まっている。
では、なぜ。だれが。
「ああ! お助けください!」
茶器ががちゃりと取りこぼされる音が響く。
羅針公の隣には、鶴黛の衣に身を包んだ鶴皙が、まるで己のように立っていた。
(どうして、どうしてここに兄さんが!)
そうしてたっぷりと怯えた双眸をして、偽の主にすがりついた。
「お助けください、いま都で噂になっている妖が、わたくしを殺そうとしております!」
「なんと、これが妖と!?」
悲痛な鶴皙の声を聞き入れ、王弟は床に立てていた剣を手に取る。
「噂では……取り殺す者と瓜二つの顔をして現れると聞き及んでおります! どうか!」
「なっ……! にいさ――!」
ひらり、灯りを受けた夕陽色の剣がひらめいた。
ほんの一瞬のことであった。弁明すらできず、鶴黛はあっという間に絶命する。愛していたはずの男の手によって。
「……ああ、本当に恐ろしゅうございました」
「鶴黛よ、今宵は我から離れるでないぞ」
「……嬉しい。さあ、お休み前の茶を、どうぞ」
「うむ」
安眠のため煎じた茶を、いつものように飲み干す。ほどなくして、卓へ戻そうとされる茶碗がころりと床に転がった。
王弟の体からは力が抜け、両の手が重りのように空中を揺らいだ。
「……おやすみなさい、羅針公。あなたが王位を望むなど、あってはならないのです」
開いたままの瞼をそっと閉じると、深く深くその遺体に頭を下げた。
そうして王弟の宮を出ると、慣れた足取りで丹頂殿へと向かう。
「――瑞鳥の計、無事完遂いたしました」
「おお、鶴皙よ……やってくれたか」
王の目前に、鶴皙は恭しく侍った。
「このような大役を、感謝いたします。……ただの洗衣房であったわたくしを召し抱えていただき、諜報の任まで」
鶴皙は術後の体に鞭打って、正規の出仕から一年ののち、後宮へ入った。その頃には鶴黛は王弟に目をかけられており、彼らが後宮で顔を合わせることはついになかったのだ。
そして鶴皙はというと、そのたおやかな所作から王の寵愛を受け、更には駒として手練手管を教え込まれていた。
――瑞鳥の計。
それは鶴の名を持つ双子を利用した、王による一手であった。
「太子殿下はわたくしに信頼をお寄せです。あとは――」
そこで鶴皙は口を閉ざした。視界が真っ赤になったような気がしたのだ。
背後から受けた痛打に振り返りかけたが、再び赤い衝撃が脳天を貫いた。微かに目の端に入ったのは、護衛兵長の甲《よろい》。
「陛、下……?」
「我が弟、その手駒の鶴黛……そして、この王宮の、最後の毒を取り除こう」
「わたくしも……、毒であった、と……?」
膝から崩れ落ちた鶴皙の体は、最後までしなやかで美しささえ感じさせる。
「……そなたは良き懐刀であったが、その美しさがゆえ、やがて竺董を狂わせるだろう」
王の声が重重しく、丹頂殿の中、静かに寂しく響いた。
「鶴皙、寒くはないか?」
「……はい。ご心配には及びません」
どちらのものとも分からなくなった衣を敷いて、裸体の彼らは身を寄せ合う。そうは言いつつも身じろぐ鶴皙を案じて、竺董は一層肌を引き寄せる。
「本当は手順を踏んでそなたを王宮へ迎えるつもりであったが……そうも言っていられないな」
「竺董様……」
「明朝、迎えにこよう。俺の我慢が出来そうにない。……ずっと、俺の傍にいてほしい」
「そんな……嬉しい……」
鶴皙の瞳から、玻璃《ガラス》のような涙が零れおちていく。重力に逆らえないそれは、つ、と美しく流れた。
そうして鶴皙は竺董を見送り、その背中にそっと微笑む。それはあまりにも妖艶で、そして邪悪な笑みであった。
「ふん。本当に暗愚だな、あの太子様は」
竺董が抱き、未来を誓ったのは鶴皙――を装った彼の弟・鶴黛であった。
顔も声も体つきも瓜二つの彼らは、こうも暗ければ見分けもつかない。
寝乱れた髪を手櫛で整えると、草叢へ控えさせていた輿に乗り込み、竺董とかち合わないよう自らも王宮へ戻っていく。
明日迎えると言われた、まさにその王宮だ。
「太子の迎えには断りを入れておけばいい。きっと失望するだろうから」
ことがうまく進んだということを『主』へ報せるべく、鶴黛はその人のもとへ向かう。
王宮の敷地のなか、西の端で控え目にたたずむ羅針宮。しかしその主《ぬし》とて、建物のように控え目で無欲というわけではない。
――心の奥底に沈めた、王位への恋慕。
それを叶えるべく、鶴黛は自ら駒となり動く。ただ女の衣服を整えるだけの役回りであった自分を、寵愛《あい》してくれる王弟のため。
「羅針公、ただいま戻りました」
勝手知ったる、主の私室の戸を開く。室内の灯りが線を描くように足元へ伸びた。
「――!」
「なにごとだ!」
鶴黛が息をのんだのと、羅針公が声を荒げたのとほぼ同時であった。
羅針公は宵に茶を飲む習慣がある。いまも円卓の前に座し、茶を並べていた。
しかしそれはいつも鶴黛が用意するものと決まっている。
では、なぜ。だれが。
「ああ! お助けください!」
茶器ががちゃりと取りこぼされる音が響く。
羅針公の隣には、鶴黛の衣に身を包んだ鶴皙が、まるで己のように立っていた。
(どうして、どうしてここに兄さんが!)
そうしてたっぷりと怯えた双眸をして、偽の主にすがりついた。
「お助けください、いま都で噂になっている妖が、わたくしを殺そうとしております!」
「なんと、これが妖と!?」
悲痛な鶴皙の声を聞き入れ、王弟は床に立てていた剣を手に取る。
「噂では……取り殺す者と瓜二つの顔をして現れると聞き及んでおります! どうか!」
「なっ……! にいさ――!」
ひらり、灯りを受けた夕陽色の剣がひらめいた。
ほんの一瞬のことであった。弁明すらできず、鶴黛はあっという間に絶命する。愛していたはずの男の手によって。
「……ああ、本当に恐ろしゅうございました」
「鶴黛よ、今宵は我から離れるでないぞ」
「……嬉しい。さあ、お休み前の茶を、どうぞ」
「うむ」
安眠のため煎じた茶を、いつものように飲み干す。ほどなくして、卓へ戻そうとされる茶碗がころりと床に転がった。
王弟の体からは力が抜け、両の手が重りのように空中を揺らいだ。
「……おやすみなさい、羅針公。あなたが王位を望むなど、あってはならないのです」
開いたままの瞼をそっと閉じると、深く深くその遺体に頭を下げた。
そうして王弟の宮を出ると、慣れた足取りで丹頂殿へと向かう。
「――瑞鳥の計、無事完遂いたしました」
「おお、鶴皙よ……やってくれたか」
王の目前に、鶴皙は恭しく侍った。
「このような大役を、感謝いたします。……ただの洗衣房であったわたくしを召し抱えていただき、諜報の任まで」
鶴皙は術後の体に鞭打って、正規の出仕から一年ののち、後宮へ入った。その頃には鶴黛は王弟に目をかけられており、彼らが後宮で顔を合わせることはついになかったのだ。
そして鶴皙はというと、そのたおやかな所作から王の寵愛を受け、更には駒として手練手管を教え込まれていた。
――瑞鳥の計。
それは鶴の名を持つ双子を利用した、王による一手であった。
「太子殿下はわたくしに信頼をお寄せです。あとは――」
そこで鶴皙は口を閉ざした。視界が真っ赤になったような気がしたのだ。
背後から受けた痛打に振り返りかけたが、再び赤い衝撃が脳天を貫いた。微かに目の端に入ったのは、護衛兵長の甲《よろい》。
「陛、下……?」
「我が弟、その手駒の鶴黛……そして、この王宮の、最後の毒を取り除こう」
「わたくしも……、毒であった、と……?」
膝から崩れ落ちた鶴皙の体は、最後までしなやかで美しささえ感じさせる。
「……そなたは良き懐刀であったが、その美しさがゆえ、やがて竺董を狂わせるだろう」
王の声が重重しく、丹頂殿の中、静かに寂しく響いた。
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
十七歳の心模様
須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない…
ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん
柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、
葵は初めての恋に溺れていた。
付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。
告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、
その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。
※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。

【完結】義兄に十年片想いしているけれど、もう諦めます
夏ノ宮萄玄
BL
オレには、親の再婚によってできた義兄がいる。彼に対しオレが長年抱き続けてきた想いとは。
――どうしてオレは、この不毛な恋心を捨て去ることができないのだろう。
懊悩する義弟の桧理(かいり)に訪れた終わり。
義兄×義弟。美形で穏やかな社会人義兄と、つい先日まで高校生だった少しマイナス思考の義弟の話。短編小説です。

思い込み激しめな友人の恋愛相談を、仕方なく聞いていただけのはずだった
たけむら
BL
「思い込み激しめな友人の恋愛相談を、仕方なく聞いていただけのはずだった」
大学の同期・仁島くんのことが好きになってしまった、と友人・佐倉から世紀の大暴露を押し付けられた名和 正人(なわ まさと)は、その後も幾度となく呼び出されては、恋愛相談をされている。あまりのしつこさに、八つ当たりだと分かっていながらも、友人が好きになってしまったというお相手への怒りが次第に募っていく正人だったが…?
【完結】『ルカ』
瀬川香夜子
BL
―――目が覚めた時、自分の中は空っぽだった。
倒れていたところを一人の老人に拾われ、目覚めた時には記憶を無くしていた。
クロと名付けられ、親切な老人―ソニーの家に置いて貰うことに。しかし、記憶は一向に戻る気配を見せない。
そんなある日、クロを知る青年が現れ……?
貴族の青年×記憶喪失の青年です。
※自サイトでも掲載しています。
2021年6月28日 本編完結
完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました
美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!

美人に告白されたがまたいつもの嫌がらせかと思ったので適当にOKした
亜桜黄身
BL
俺の学校では俺に付き合ってほしいと言う罰ゲームが流行ってる。
カースト底辺の卑屈くんがカースト頂点の強気ド美人敬語攻めと付き合う話。
(悪役モブ♀が出てきます)
(他サイトに2021年〜掲載済)

繋がれた絆はどこまでも
mahiro
BL
生存率の低いベイリー家。
そんな家に生まれたライトは、次期当主はお前であるのだと父親である国王は言った。
ただし、それは公表せず表では双子の弟であるメイソンが次期当主であるのだと公表するのだという。
当主交代となるそのとき、正式にライトが当主であるのだと公表するのだとか。
それまでは国を離れ、当主となるべく教育を受けてくるようにと指示をされ、国を出ることになったライト。
次期当主が発表される数週間前、ライトはお忍びで国を訪れ、屋敷を訪れた。
そこは昔と大きく異なり、明るく温かな空気が流れていた。
その事に疑問を抱きつつも中へ中へと突き進めば、メイソンと従者であるイザヤが突然抱き合ったのだ。
それを見たライトは、ある決意をし……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる