瑞鳥湖―鶴舞う湖のほとりで―

佐竹梅子

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四,鶴の舞い

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 今宵は月が明るい。灯りがなくとも差し込む真珠色の光は、眩しいほどだ。

(……そうだ)

 ――湖の妖。弱き民らが恐れるという、不確かな存在。

 噂の妖を討伐でもしたら、周りの目も変わるのではないだろうか。民を守る勇ましさ。それはきっと、いままでの王族にないもののはずだ。

 暗愚が英雄に。悪くない筋書きに思える。
 
 どうせみな宴の騒ぎに夢中である。主役である己がいなくともいっそ気が付かないだろう……竺董は祝い酒をあおる友人たちに声をかけ、くだんの湖へ連れ立った。
 しかし、彼らはどれも、すっかり酔いが回っており妖狩りの使い物にはなりそうもない。
 結局、竺董は友人らを道中へ寝転がして、ただひとり湖のほとりへ向かった。

 眠りについた合歓の木の、細い葉の狭間を通して、月明かりが煌煌と落つる。月光の差し込む湖は宝玉のように輝いて、おどろおどろしい妖の噂とは正反対であった。

「やはり、ただの迷信に過ぎないのだろう」

 樹木をすり抜ける夜風が肌に気持ちいい。こんな心地のよい場所に妖が現れるなど、見当違いに過ぎる。
 竺董は王宮の喧騒から離れた気安さもあり、ほとりに腰を下ろした。空を見上げれば、牛の乳色の月がぽっかりと夜空に穴を開けている。
 そうしてしばらく、再び湖面に視線を落とした竺董は、思いがけず息を詰まらせた。

 ゆらりゆらりと、揺れる影が水の上を撫でていく。白い……踊るような何か。
 ――ゆっくりと視線を、湖面から地上へ滑らせていく。

「ああ……」

 竺董は安堵の吐息を漏らしていた。そこにいたのは一羽の鶴であった。
 真っ白な羽と、黒い尾羽を闇夜に揺らしながら、ゆったりと歩いている。

 月明かりの差す湖のほとりと、雪の羽を揺らす鶴。まるで墨絵のような光景を、ずっと見ていたい。しかし竺董の望みなどつゆ知らず、やがて鳥は深い木陰へ入ってしまった。
 夜更けの森で、月明かりを失う陰は恐ろしいほどに黒い。

 それにしても、宵に見る鶴とはかくも美しいのか。
 いま一度その姿が見たいと草陰を見つめるうちに、鶴が戻ったようだ。ふわりと真っ白なものが、闇を裂くように現れる。

「――!」

 それは、喪に服したような真っ白な衣を着て、あまりにも美しく踊る人であった。

(まるで……鶴が人になったような)

 彼の人が腕を振り上げる度に、羽のような袂が揺れる。尾羽のごとく漆黒の黒髪は背中で艶めかしく揺れて、その舞踏に色を添えた。
 竺董の足は吸い寄せられるように進む。ふと、足元で小枝がぱちんと音を立てて折れた。

「っ……誰?」
「あっ……、すまない! 怪しい者ではないのだ」

舞いをやめ、後ずさるその人に向かい、竺董は両手と首を振る。

「恐ろしいのなら、武器はおろそう!」

背に携えていた弓矢、そして腰の剣を地面に置く。

「危害を加えるつもりはない。まことに、そなたの踊りがあまりにも美しく……」

 夜風にはらはらと黒い絹糸が揺れる。それは真珠の月光を受けて、ますます輝いていた。
 しかしその表情は、怯えに歪む。ああ、どうにかして誤解をとかなければ。

「本当に、これ以上はもうなにも持っていないのだ」

 なにもないことを証明しようと、竺董は衣の帯にまで手をかけようと慌てる。

「ふふっ……ああ、ごめんなさい。そこまでされるのであれば、わたくしも応じましょう」

 思わず、といった様子で笑顔をこぼすその人はあまりにも美しくて、ますます目が離せそうになかった。
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