手放したくない理由

ねむたん

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王宮の空気は変わらないはずだった。エリスが去っても、日々の政務は続き、貴族たちは相変わらず彼に忠誠を誓い、侍従たちは滞りなく仕事をこなしていた。

それなのに——何かが違った。

アドリアンは、無意識に視線を彷徨わせている自分に気づいた。

「殿下?」

呼びかけに我に返る。目の前にはレイナがいた。

「ああ……すまない」

レイナは、いつものように微笑んでいる。何も変わらないはずだった。だが、何かがしっくりこない。

「最近、なんだか様子が変ね」

「そうか?」

「ええ、なんというか……ぼんやりしていることが多いわ」

アドリアンは、すぐに否定しようとした。だが、その言葉は口から出てこなかった。

確かに、気づけば視線を窓の外へ向けていた。気づけば、何か物足りなさを感じていた。

——何を探している?

そこにいるはずのない人の姿を?

「……エリスがいなくなったから、では?」

レイナが、まるで彼の思考を読んだかのように言った。

アドリアンは反射的に眉をひそめた。

「そんなはずはない」

「そう?」

レイナは少し首をかしげたが、それ以上は何も言わず、微笑んだままそっと歩み寄った。

「ねえ、アドリアン。あなた、エリスのこと、本当に何とも思っていなかったの?」

「……何を言っているんだ」

「だって、エリスが婚約解消を申し出たとき、あなた、とても動揺していたわ」

「それは——」

何と言えばいいのか、自分でもわからなかった。

エリスとの婚約は義務だった。彼女は王太子妃として、完璧に役割を果たしていた。それは当然のことであり、何の疑問もなかったはずだ。

しかし、彼女が去った今、何かが欠けたような感覚がある。

「あなた、彼女が当然そこにいると思っていたのよね?」

レイナの言葉が、胸に突き刺さる。

当然——そうだ、エリスはいつもそこにいた。彼がどんな状況であれ、静かに、冷静に、すべてを受け止め、王太子妃としての務めを果たしていた。

彼が何も言わずとも、必要な書類を揃え、的確な助言をし、王宮での立ち振る舞いに乱れはなかった。彼がレイナと気軽に話している間も、彼女は黙々とその役割をこなしていた。

「……お前は、俺がエリスをどう思っていると?」

「それは、アドリアン自身が考えることよ」

レイナは優しく微笑みながら、そっと距離を取った。

「私ね、あなたが私を特別に思ってくれていたのだと思っていたの。でも、違ったのね」

「……レイナ?」

「気づいてしまったの。あなたが求めていたのは、私ではなかったのよ」

アドリアンは言葉を失った。

レイナは、幼い頃からの友人だった。彼にとって気の置けない存在であり、唯一、肩の力を抜いて話せる相手だった。だから、無意識のうちに彼女を優先していた。

だが、それが本当に「恋」だったのか?

——エリスがいなくなった今、彼は初めて、自分の胸に空いたものが何なのかを考え始めていた。
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