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翌日、カスパルはいつも以上に意気込んだ様子でエステラ家を訪れた。彼の中でミーシャへの執着ともいえる感情は日に日に強まっていた。彼女の殻をこじ開け、感情を引き出したいという欲望。それが自分自身をも苦しめていることに気づきながらも、引き返す気はなかった。
庭園では、いつものようにミーシャが刺繍をしていた。淡い日差しに照らされながら、彼女は無表情で針を動かしている。カスパルはその光景に足を止め、しばらくの間、彼女を見つめていた。冷たい空気を纏う彼女の姿は、どこか美しさすら感じさせた。
「また刺繍かい?君って本当にそればかりだよな」カスパルは軽口を叩きながら近づいた。
ミーシャは針を止めることなく、静かに答えた。「それしかすることがないので」
「本当に、それだけか?」カスパルは彼女の隣に腰を下ろし、じっと顔を覗き込んだ。「君はそれで満足しているつもりなんだろうけど、僕にはどうしてもそうは見えない」
ミーシャは短く息をつき、彼に目を向けた。「私がどう見えようと、あなたには関係ありません」
その冷たい言葉に、カスパルは微かに笑った。「そう言われると、ますます興味が湧くんだよ。君が何を考えているのか、何を感じているのか。それが見えないから、僕は君を放っておけない」
ミーシャが再び刺繍に集中しようとしたそのとき、カスパルは彼女の手元から布を取り上げた。彼女は驚いたように顔を上げたが、すぐに冷静な表情に戻った。
「何をしているんですか?」
「君が刺繍ばかりしているから、僕も少し退屈になってきたんだよ。だから、今日はこれをやめて、僕と話をしてもらおうと思ってね」
「話すことなどありません」
「そうかもしれない。でも、僕はあるんだ」カスパルは布を手に持ったまま、彼女の目をじっと見つめた。「君は何も感じないふりをしてるけど、本当は違う。君の中には怒りも悲しみも残ってるはずだ。それをただ閉じ込めているだけだ」
ミーシャは視線をそらし、静かに言った。「何も感じていないのなら、それで終わりです」
「終わり?君はそれでいいのか?」カスパルの声が少しだけ低くなった。「本当に、それでいいのか?」
彼の言葉に、ミーシャは一瞬だけ動きを止めた。その問いは、彼女がこれまで自分自身に向き合わないようにしていたものだった。
「…どうして、そんなことを言うんですか?」ミーシャの声は小さく、そしてかすかに震えていた。その反応を見たカスパルは、彼女の心の殻に小さなひびが入ったことを感じた。
「君を揺さぶりたいんだ。君が本当に何も感じていないというのなら、それを壊してみせたい。もし君が本当に何もない人間なら、それを確かめたいんだ」
その言葉に、ミーシャは視線を伏せた。そして、いつもの無表情の奥に隠された何かが、少しだけ揺れているのを感じた。
「私は壊れています。それを直そうなんて、無駄なことです」
「壊れたままでもいい。でも、その中にまだ君自身が残っているなら、僕はそれを見つけたいと思ってる」
カスパルの言葉には、これまでにない真剣さがあった。ミーシャはその瞳を見て、かつてヴィクターの冷たい瞳を見たときには感じなかった何かを覚えた。それが何なのかは分からない。ただ、その瞬間、自分が僅かに揺れていることだけは自覚していた。
その夜、カスパルはエステラ家を後にした後も、庭園でのやり取りを思い返していた。彼がミーシャを揺さぶりたいという欲望は、もはや単なる好奇心ではなかった。彼女の心を掴み、壊れた殻の中から本当の彼女を引き出したいという強い執着に変わりつつあった。
「壊れた彼女をそのまま放っておくなんて、僕にはできない。彼女が感じる痛みも怒りも悲しみも、全て引きずり出してみせる。それがどんな結果を招こうとも」
カスパルはそう胸に誓った。その歪んだ恋心が、自分の中で制御不能なまでに膨れ上がりつつあることを感じながらも、彼はその道を進むことを決めていた。
庭園では、いつものようにミーシャが刺繍をしていた。淡い日差しに照らされながら、彼女は無表情で針を動かしている。カスパルはその光景に足を止め、しばらくの間、彼女を見つめていた。冷たい空気を纏う彼女の姿は、どこか美しさすら感じさせた。
「また刺繍かい?君って本当にそればかりだよな」カスパルは軽口を叩きながら近づいた。
ミーシャは針を止めることなく、静かに答えた。「それしかすることがないので」
「本当に、それだけか?」カスパルは彼女の隣に腰を下ろし、じっと顔を覗き込んだ。「君はそれで満足しているつもりなんだろうけど、僕にはどうしてもそうは見えない」
ミーシャは短く息をつき、彼に目を向けた。「私がどう見えようと、あなたには関係ありません」
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「何をしているんですか?」
「君が刺繍ばかりしているから、僕も少し退屈になってきたんだよ。だから、今日はこれをやめて、僕と話をしてもらおうと思ってね」
「話すことなどありません」
「そうかもしれない。でも、僕はあるんだ」カスパルは布を手に持ったまま、彼女の目をじっと見つめた。「君は何も感じないふりをしてるけど、本当は違う。君の中には怒りも悲しみも残ってるはずだ。それをただ閉じ込めているだけだ」
ミーシャは視線をそらし、静かに言った。「何も感じていないのなら、それで終わりです」
「終わり?君はそれでいいのか?」カスパルの声が少しだけ低くなった。「本当に、それでいいのか?」
彼の言葉に、ミーシャは一瞬だけ動きを止めた。その問いは、彼女がこれまで自分自身に向き合わないようにしていたものだった。
「…どうして、そんなことを言うんですか?」ミーシャの声は小さく、そしてかすかに震えていた。その反応を見たカスパルは、彼女の心の殻に小さなひびが入ったことを感じた。
「君を揺さぶりたいんだ。君が本当に何も感じていないというのなら、それを壊してみせたい。もし君が本当に何もない人間なら、それを確かめたいんだ」
その言葉に、ミーシャは視線を伏せた。そして、いつもの無表情の奥に隠された何かが、少しだけ揺れているのを感じた。
「私は壊れています。それを直そうなんて、無駄なことです」
「壊れたままでもいい。でも、その中にまだ君自身が残っているなら、僕はそれを見つけたいと思ってる」
カスパルの言葉には、これまでにない真剣さがあった。ミーシャはその瞳を見て、かつてヴィクターの冷たい瞳を見たときには感じなかった何かを覚えた。それが何なのかは分からない。ただ、その瞬間、自分が僅かに揺れていることだけは自覚していた。
その夜、カスパルはエステラ家を後にした後も、庭園でのやり取りを思い返していた。彼がミーシャを揺さぶりたいという欲望は、もはや単なる好奇心ではなかった。彼女の心を掴み、壊れた殻の中から本当の彼女を引き出したいという強い執着に変わりつつあった。
「壊れた彼女をそのまま放っておくなんて、僕にはできない。彼女が感じる痛みも怒りも悲しみも、全て引きずり出してみせる。それがどんな結果を招こうとも」
カスパルはそう胸に誓った。その歪んだ恋心が、自分の中で制御不能なまでに膨れ上がりつつあることを感じながらも、彼はその道を進むことを決めていた。
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