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23 当主グランドリー
しおりを挟むアーサーの様子が多少おかしいという事は、少々気になるものの……。
最近のアーサーは前よりも楽しそうというのが私の見解である。
猫役、もといカウンセリング役として雇われている私としては止める道理は無い。そんな風に考えて日々を送っていた。
「おお、ミーシャか」
「ミーシャ様。お疲れ様です」
「あ。ハイネさん、殿下、お疲れ様です!」
ある日廊下に出ると、そこにはハイネさんとアーサーがいた。何か立ち話をしていたようだ。
ハイネさんは私に会釈をした上で、アーサーに向けて零す。
「……殿下。先程お話されていた事は本気なのでしょうか」
「ああ。ミーシャには少々負担がかかる事かもしれないが……俺としては是非連れていきたいと思う」
「え?……あの、何のお話でしょうか?」
神妙な顔をしたハイネさんを見て、私は首を傾げた。アーサーは私に向き直り、手をぐっと握って口を開いた。
*************************
「わあ……」
控室を出て会場についた私は、その賑やかな様子に思わず声を出した。
アーサーに出て欲しいと頼まれたのは、舞踏会だった。
音楽に合わせて豪華絢爛な衣装を身に纏った男女が踊り、ある場所では食事に舌鼓を打ち、ある場所では歓談している。
――ここの舞踏会は単純に踊りや音楽を楽しむ場では無く、政治的な思惑も働いている場所である。
事前にハイネさんとアーサーにはそう説明されていた。
王宮のパーティホールで開かれる舞踏会では、数々の若い男女が顔を合わせる。また、若者だけではなく、時にはその親族や従者も参加するのだ。
これは、舞踏会が婚姻に相応しい人間を見繕う場所であるという事を示している。
王宮の舞踏会に参加するような貴族にとって、一般的には婚姻というのはその当人同士だけの問題ではない。成婚までに家柄や結婚相手に要求する条件が大いに絡むものなのだ。条件に添わない相手と交際して時間を無駄にしない為、こういう場がある――そう説明された。
それはそれでいいとして――問題は何故私が参加するように乞われたかという事である。
私はこのような舞踏会に用は無い。前述の通りこういう舞踏会に参加するには家柄が必要で、私にはそれが欠けていた。そして、今のところ結婚をしようという気持ちは私には無い。将来的に必要かもしれないけれど、今は自分の食い扶持を稼ぎたいという気持ちでいっぱいいっぱいだったからである。
だから辞退しようとしたんだけど、アーサーは頑なに私にいて欲しいと説得した。
「……な、何故ですか。殿下は私にお見合いさせたい貴族の知り合いでもいるんでしょうか?」
「何をいうか!それは無い。……そもそも、君は俺のカウンセリング担当だろう?」
「え。それはそうですが」
「今、ここで宣言しておこう。君が見合いを希望するなら、舞踏会には出させないように取り計らう。雇い主たる俺にはその権限があるからな」
「そ、そうなのですか。どうしてそんな……」
アーサーが未だかつてない程私に圧をかけてくる。多少奇妙な行動をする事もあるとはいえ、基本的には彼はいつも優しかったから、私は困惑してしまう。
そんな私に、ハイネさんがそっと耳打ちしてきた。
「ミーシャ様。平民出身だと実感が薄いかもしれませぬが、貴族界では結婚したら家庭を妻として守る生活に専念する者が多数です。稀に平民出身の者を娶る貴族もいますが、その場合は平民時代の仕事は辞してもらう場合が殆どなのです」
「な、なるほど……」
つまり、アーサーは私が誰かと結婚する事になった場合、カウンセリング業を辞める事になるのを案じているという事か。
……私のアーサーへのカウンセリングは三ヶ月という期間を設けているのだ。それが多少早まったとして、そこまでアーサーにダメージがいくものかはわからない。そもそも、私を見初めるような貴族などいないだろうに。
……やはり、あれか。猫飼いにとっては自分の猫こそが世界一可愛いと認識出来るみたいな、あれだろうか。
そう考えると何だか微笑ましくなってくる。
……でも、それならそれで、わからない事がある。
「……殿下。それなら、尚更私が舞踏会に出る必要は無いのでは?」
「そんな事は無い。俺の方は舞踏会に出る必要があるから、君も同行して欲しいんだ」
その話を聞いて、私は考えながら答える。
「つまり、殿下も結婚相手を探すという事ですね。そのお付きの者のような存在として私も出ると……」
「いや。それは違う」
「違うのですか?」
「舞踏会というのは数々の有力貴族が顔を出す場だからな。俺も挨拶回りをする必要がある。……今までは務めと思って果たしてきたが、今回はミーシャにも同席してほしいんだ」
「私に……ですか?」
私が戸惑いつつも答えると、ハイネさんがアーサーに質問をする。
「しかしながら、殿下。ミーシャ様に発言力が無いというのは確かな事です。連れ回したら負担になるのでは?」
「……舞踏会では社交を断りたい人間はそれがわかるような印をつける。ミーシャにもそれを付けてもらおう。それなら無闇に話しかける人間はいなくなる筈だ。ミーシャは無理に話さずとも、会場で過ごしたいように過ごしてくれるだけでいい。挨拶は俺が進める。それならいいか?」
「……はあ。それなら構いませんが……。どうしてそこまで……」
「君をきちんと紹介したいと思ったからだ。君はいつも俺の助けになってくれるのに、いつだって王宮の隅にいたがる素振りを見せる。今まではそのままにしていたが、このままではいけないと思う。だから、この機会に今一度皆に君を紹介したいと思ったんだ。俺の大事な人間として――な」
「…………」
「ハイネの事は王宮の人間は皆見知っていて、知り合いも多い。声をかければ助けてくれる者も多くいる。出来ればミーシャもそういう状態になって欲しい――そう思ったんだ」
「……そ、そんな。そこまでしなくても……私は大丈夫ですよ」
私は苦笑しながら手を振る。
私の仕事は皆に手伝ってもらわないといけない類のものではないし、ハイネさんだけでも私の事情を知っている人がいるからそこまで思い詰めて過ごしている訳ではない。
そう伝えてみたものの、アーサーは真剣な表情で説得を続けてくる。
「これはミーシャにとってだけではなく、俺にとっても大いに意味があるんだ。だから、そうだな……カウンセリングの仕事の一環だと思ってくれたらいい。歌や踊りといった催しもあって、珍しい食事も沢山出されるという事だし、退屈する事は無いと思う」
……正直なところ、そこまでして私を会場にいさせようとする意味はわからない。
わからないが――、繰り返し私にお願いをするアーサーを見ていると、彼の願いを叶えたいと思ってしまったのだ。
私は舞踏会に出る事を承諾した。
*************************
過去の事を思い出しつつ、私は目の前の喧騒を見つめている。
このようなパーティの場で、自分のような人間はどこにいるべきか。
答えは、会食の場所である。
私には舞踏会で踊るような心得も無く、政治の場に人脈を作ろうという気概も無かった。かといって会場で棒立ちしているのも悪目立ちする。よって、パーティで出される料理を楽しむ事に専念しようとした。
アーサーは舞踏会前に寄らなければいけない場所があるから、まだここの会場では姿を見ていない。
――会場に着いたら、一緒に食事を楽しもう。
そんな事を言っていたけれど、正直なところ、その時に食事を一緒に楽しめるかどうかは怪しかった。
何故かというと、食事がどれも美味しくて、ご飯を取る手が止まらないからである。
(美味しい……)
(なんという滑らかな舌触り)
(神も驚く芳醇な味わい!)
(ベルリッツの外交にこの料理をお出しすれば世界は平和になるのでは?)
会食の料理をつまんでは、走馬灯のように様々な感想が頭を駆け巡る。
美味しすぎるのだ。
今まで王宮で過ごしていてもその料理のレベルの高さには舌を巻いたものだが、ここは貴族をもてなすという場所でもあるだけあって、出てくる料理の何もかもが美味しい。パンの上にチーズとオリーブを乗せるというシンプルな前菜さえ、パンの甘みとチーズの塩気とオリーブの酸味の絡みつきが秀逸で、これだけでお腹を満たしたくなるくらいだ。人の目があるから実際には出来ないけれど、容器を持ってきて詰めて持って帰っていつまでも食べたいくらいだと思ってしまう。
会場では歓談している人が多いけど、私は人気のないテーブルの一角に行って、更に料理を味わおうと意気込んでいた。
が――そんな私をぬうっと覆う影がある。
「おや、おやおやおや。――貴女が噂の殿下お付きの者ですか。お会いしたかったですよ」
「――?」
不意に話しかけられた私は、ばっと顔を上げる。
そこにいたのは、貴族の男性だ。オールバックの黒髪を後ろに撫で付け、口髭を蓄えている。その顔には仮面を付けている。自分の顔を晒したくない理由があるのだろうか。彼は笑みを浮かべているものの、老獪という言葉が似合うような含みのあるものだ。
――この男とは初対面の筈だ。
だが、何故だろう。
この男に会った事がある気がするというか、よく似た人間を私は知っているような気がするというか……。
私はその疑問を確認する事にした。
「……えっと。もしかして、貴方にはお子様がいますか?」
「ああ!よくわかりましたね。私の娘、リズリー・フォンテーヌ。お転婆な娘ですが、フォンテーヌ家の自慢の娘に育ってくれたと自負しておりますよ。私は、グランドリー・フォンテーヌと申します」
……やはり、そうか。
この人の話し方は、初対面の時のリズリーにそっくりだと思ったのだ。という事は、この人はリズリーの父親なのか。
幼いリズリーを育てるこの人の姿を脳裏で想像する。以前からリズリーは猫みたいだと思っていた私の頭では猫の姿で再生された。
ワインを飲むグラスよりも小さくてぱやぱやしたリズリーを舐めるグランドリー。黒い毛玉が小さめの黒い毛玉を触ったり舐めたりして、しきりに機嫌を取っている。リズリーの方もグランドリーを慕って、何かあるごとにふみふみしている……。
かわいい……。
――いかんいかん。勝手な想像で和んでいる場合じゃなかった。
リズリーや家族の言っていた事を思い出せ。
この男は、フォンテーヌ家の当主だ。莫大な財力を持ち、王家にも口出し出来る力がある権力者だ。
――下手な事を言って、アーサーに不利益を被らせる訳にはいかない。
グランドリーは料理を持っている私の手を見つめた上で、私に提案してくる。
「貴女は……ミーシャ・アルストロイア様。お間違いありませんね?」
「は……はい」
「紋章から判断すると、貴女は舞踏会で社交目的で参加した訳ではないようですね。という事は、今は一人で待機しているという事ですね?人を待っているという事ですか?」
「はい。そうです」
「……どうですか?折角なので、私とお話しませんか?珍しい茶の付け合せくらいは教えられますよ」
――グランドリーにはなるべく穏便に対応するようにしないといけない。
そう思っていた私は、彼の言葉に従う事にした。
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