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一章 変態紳士登場

弟夫妻

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 アイには五歳年下の弟がいる。スタンバーグ家の嫡男として、幼かったアイから親の愛情を奪った憎き弟が──と言うわけでもなく二人の仲は良好であった。

 ラムレッダとジェシカの二人と別れたアイは、元々父親が使っていた書斎の扉をノックする。

「どうぞ」

 書斎の中から低い声が聞こえて、アイは黒茶色の重厚な趣のある扉を開いた。

「なんだ、姉さんか」
「随分とご挨拶ね、レヴィ」

 書斎の奥に置かれた大きなデスクと椅子。レヴィと呼んだ男性は、その椅子に座りながら顔を上げて、少しだけ顔が綻んだ。

 凛々しく太い眉に、アイとは違い父親に似た茶髪の男性こそ、アイの弟であるレヴィ・スタンバーグであった。

「どうぞ、座って。姉さん」
「別にここでいいわよ」

 扉を開いたその場所で凭れかかるアイを、立ち上がったレヴィは、少し強引にソファーへと座らせた。

「相変わらず、大きいわね。また伸びたんじゃないの?」
「もう、流石に変わらないよ」

 立ち上がったレヴィは、百六十ちょっとのアイと比べても頭二つほど抜きん出るほど背丈が大きい。側に来られると、アイが真上に見上げねばならないほど。

「それで、何か用?」
「ん……ゼファーから引き継ぎはどう? 困ったことない?」
「特には……あ、そうだ、姉さん! どうしてぶどう酒を商会に一任にしたのさ。特に負担が大きい訳じゃないだろう?」

 先ほどジェシカに話をした上納金の話だろう。今後、納めなくていいとアイはジェシカに伝えたばかりだが、恐らくゼファー辺りから聞いたものだと思われた。

 アイはレヴィを向かいのソファーに座るように促すと、諭すように理由を話始めた。

「レヴィ。まず私と貴方とでは立場が違う事を自覚しなさい」と、アイはレヴィを真っ直ぐに見据える。

「貴方はやがて伯爵家を継ぐ身。私は一経営者。貴方の目的は、この家を潤すことではなく、スタンバーグ領に住む全ての住民が豊かになることでなくて? そして、スタンバーグ家は伯爵という地位でありながら末席に甘んじている状況を打破する役目ではなくて? 貴方の役目は、自分が思っているより大きい事を知りなさい。私が辺境伯に嫁ぐというのも、その為でもあるのだから……」
「姉さん……。その、姉さんさえ良ければ、いつまでもこの家に居てくれても──!」

 アイは、それ以上発言しないように制止させ、首を横に振る。

「そういう訳にもいかないでしょう? 全く……。これからは貴方が領民を支えなければならないのよ。だから、ゼファーを置いていくの。何かあれば彼に相談しなさい。本当なら私が連れて行きたいのだけど……」と、アイは話の続きを考えた素振りを見せた結果──「いや、別にゼファーは要らないわ。ラムだけでいい。あの冷徹眼鏡は貴方にあげる」とオチをつけた。

「何を勝手な事を言っているのですか、お嬢様は」
「あら、いたの? ゼファー」

 書斎の棚を整理していたゼファーが振り返る。これからはレヴィを支えるのだから、今度からはここが彼の仕事場となるので、居て当然といえば当然であった。

「さっきから居ましたよ。それより人を持ち上げて、落とすとはどういう了見ですか。そもそも、ラムだけ連れて行くって」
「ダメ? 別れるつもりは?」
「ありませんよ」

 キラリと銀縁眼鏡の奥の瞳を光らせたゼファーは、二人掛けのソファーの真ん中に座っていたアイを押し退け隣に強引に座る。

「レヴィ様。俺も話しましたが、ぶどう酒の件はお嬢様のレヴィ様に対する鞭です。そして、魔晶ランプの売上を残すのは、レヴィ様に対する愛ですよ、愛。ねぇ、お嬢様?」

 顔から火が出そうなほどアイは顔を真っ赤にしていた。ゼファーの言うことが事実であると、それが本意であると、丸わかりであった。

「な、な、何で言うのよ、ゼファーーっ!!」
「姉さん……」

 急にばつが悪くなり、アイはプイッと部屋の入り口の方に顔を向けてしまった。すると、アイの視界に書斎の扉がノックも無しに開かれるのが映る。

「あら、お義姉様いらっしゃったの?」
「こら、サビーヌ。ノックくらいしたらどうだ」

 レヴィは扉が開き入って来た女性に注意をする。それでもサビーヌは反省の色などおくびにも出さず、レヴィの側へと、やって来た。

「ねぇ、アナタ。今夜のフリードマン公爵のパーティーなんですけど、こっちの赤い宝石のネックレスか、それともこちらのぎょくが連なるネックレスにするか、どちらが良いと思いますか?」

 サビーヌはアイやゼファーの前にも関わらず、背後からソファーに座っているレヴィの首に抱きつき、腕を回して二つのネックレスを見せ始めた。

「うーん、相手が公爵だから、此方の地味な玉の方が──じゃなくて、姉さん達の前だぞ。控えなさい」
「はーい」

 サビーヌは不満気にレヴィから離れるとカールされた金髪を揺らしながら扉の方に戻って行く。

「あ、お義姉様。ご結婚決まったそうで、おめでとうございます」と、サビーヌは、少しつり上がった目を流すようにアイを見る。

「まだ、婚約だけどね。良かったらレヴィと二人で遊びに来たらいいわ」
「それは、それは。是非」

 サビーヌは扉を開いて出て行く直前、アイの方へ振り向きニコリと微笑んでから出て行った。

「姉さん、ご免なさい。サビーヌが」
「奔放というか、なんというか。良くも悪くも貴族の娘って感じよね。ウインスター子爵邸で初めて会った時から変わらないわね」

 弟レヴィの妻であるサビーヌ・ウインスターと出会った頃を思い出したのか、アイは「ふぅ~」っと、ため息混じりに息を吐く。正直、自分には真似が出来ない、いかにも貴族を絵にかいたような女性だと。

 頭の中には、領地経営など全く感心なく、自分を着飾ることばかり。しかし、それが悪いわけではなく、貴族の妻としては当たり前の話であり、アイが特殊なだけであった。

「それじゃ、私もそろそろ……色々準備しなくっちゃ」
「そう……姉さんが居なくなるって、淋しくなるな……」

 アイは立ち上がり、レヴィの額を指で軽く押すと「なーに、言ってるの。しっかりしなさい」と、微笑んでみせた。

 書斎をあとにしたアイは突然、ゼファーに腕を掴まれると、階段隅の周囲から死角になった場所へと連れ込まれる。

「ちょっとどうしたの、ゼファー? はっ……まさか!? 実は私に惚れていたとか!? ダメよ! ラムに悪いわ!」
「そんなわけあるか」

 一人芝居を始めたアイの額に、ゼファーのチョップが直撃する。主従を越え、友人としてのいつもの光景。アイは「冗談よ」と笑いながらも、もうこんなやり取りが出来なくなってしまうのかと、淋しさが笑顔に混ざる。

「それで、何? どうしたの?」

 ゼファーは辺りを伺い誰も居ないことを確認すると、小声で「サビーヌ様のことで」と切り出す。

「サビーヌがどうかした?」
「いえ。サビーヌ様が出ていく時見せた最後の笑み、気になりませんか? あれはお嬢様に向けられたものではなく、俺に向けられたものなのですよ」

 確かにゼファーはアイの隣に座っていたのだから、サビーヌの視線の直線上には居る。しかし、アイは「自信過剰」とゼファーをからかう。

「一度、二度じゃないのですよ。それに問題は、それをレヴィ様が気づかれたら、どう思われるか……被害が俺だけで済めばいいのですが……」

 アイは考えを巡らせる。ゼファーをクビにするだけならともかく、万が一、ラムレッダに、そしてラムレッダの実家のスカーレット子爵にまで迷惑が。弟が、そんなことをするとはあり得ないと思いたい一方で、予想外な事が起こるのが貴族の世の常。

「わかったわ。然り気無くスカーレット子爵にラムレッダの周辺の警護を頼んでおくわ。心配要らないわよ、スカーレット子爵は特に孫のラムレッダに甘々ですもの」
「すいません、お嬢様」
「もう! 殊勝なゼファーなんて、ゼファーじゃないわ。それじゃ、私は準備があるから」

 ゼファーと別れたアイは、階段を上がり自室へ向かう。途中、サビーヌとすれ違うも、会釈するも無視された。

「まさかね……」

 アイの胸中に一抹の不安が過るのであった。
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