長い「ありがとう」

長い「ありがとう」

　あなたの前だからこそ、私は普段通りでいたい。あなたの負担にはなりたくないから。そして何より、私はあなたのそばにいられるだけで十分幸せだから。

　あの人に会うのは6年ぶりだった。すっかり忘れていたと思ってたのに、街で見かけたらすぐに気づいた。
　会うのが6年ぶりだと即答した私に、あの人は困ったような笑いを浮かべた。あぁ、やっぱり変わってなかったんだ。あの人は昔から本当に優しくて温かくて、そして私なんかよりずっとずっと強かった。今だって、あの人はこうやって私に優しく微笑んでくれている。
　色々な考えが頭を駆け回って、結局何も考えていないのと同じ。でもそんなごちゃごちゃの頭の中で、これだけは妙にはっきりとわかった。
(まだ、好きなんだなぁ……)
　あの頃の思い出、あの頃悩んだこと、あの頃の気持ち、全てが一瞬にしてよみがえってきた。懐かしさと切なさと、それからほんの少しの期待が私の胸を埋めていた。
　でも、私はあの人の隣にはいられない。それはよくわかっていた。それはあの人のため、そして私のため。だから、私は今できる精一杯の笑顔で言った。
「あの時、出会ってくれてありがとう」
　その先は言葉にできなかった。でも、あの人が笑顔で応えてくれたから、きっとそれでよかったんだと思う。
　昔と変わらないその笑顔を見て、私は逃げるようにあの人と別れた。
　もしかしたらあの人は気付いていたかもしれない。私の声はきっと少し震えていたんじゃないかと思う。
　でも、昔みたいにあの人の前で泣いちゃだめなんだ。私が泣き出したら、あの人はきっと優しく慰めてくれる。でも今の私は、そんなあなたに甘えるような、あの頃の私じゃない。
　あの人の隣にいたい。あの人を抱きしめたい。でもそれはもう叶わない願いだし、叶えたいとも思わない。
　でも、あの頃伝えられなかった「ありがとう」が言えた。それだけで十分。
　そう思うと、私の置き時計をあの人の好きな色にしたことや、私が勝手にあの人と飼う妄想をした猫のことなんかも、透き通るような良い想い出になった気がした。
　今ならきっと続きを言えるんじゃないかな。
　あの時、出会ってくれてありがとう。私はあなたのことが大好きです。今でも大好きです。あなたが幸せでありますように。あなたが笑顔でいられますように。それだけを、私は心から祈っています。
　さようなら。