39 / 45
第五章
六、あの日の残響。
しおりを挟む茶梅は目の前の凄惨な光景に全身が震え、身動きができないでいた。それは一瞬の出来事で、何が起こったか正直理解不能であった。運よく櫻花はこの場におらず、この惨状を見せずに済んだことだけが幸いと言える。
目の前に広がるのは、九十八人の花の精たちの骸。それもすべてバラバラにされていて面影すらない。真白い石楠花の花は皆の血で赤く染まっている。血に染まった花々に交じって咲き誇っている一輪の赤い曼珠沙華が、そのすべての元凶だった。
皆を殺したのは、間違いなく目の前にいる者。
月神、嫦娥があの子の耳元でなにかを囁いたその途端、あの子の様子が一変し、禍々しい力が発動したかと思った矢先、反射的に茶梅の前に飛び出した花の精たちの身体がバラバラに引き裂かれた。
血飛沫が舞うその光景を、嫦娥は高笑いをしながら眺めていた。他の神官たちは彼女の機嫌を損ねないように引きつった笑みを浮かべ、花の精たちが散っていく様を遠目で眺めているのだった。
(····花楓、この宴に訪れた時から様子がおかしいとは思っていたけれど、)
この宴は、嫦娥が主催となり開かれた。この広く豪華な邸は彼女のモノで、その宴に花神である櫻花が招かれることは今までにないことだった。なぜなら彼女は、櫻花を一方的に嫌っていたからだ。
そもそもあの子は、嫦娥が下界から連れて来たという鬼神《おにがみ》だった。それを櫻花に押し付け、数年間音沙汰もなかったのに、ある日、この宴への招待状を持って使いの者が現れたのだ。
その時点で櫻花も茶梅も警戒したが、始まってみれば特に何の変哲もない宴だったのだ。
(櫻花様、戻って来てはなりません····これは、罠です)
頭を抱え込み、花楓はよろめきながらこちらに近付いて来る。その眼は虚ろで、何か見えない意思に操られているようにも見えるし、歪んだ表情は抗っているようにも見えた。
「嫦娥様、こんなことが天帝に知れれば、あなたは天界を追われるどころが、大罪人となるでしょう」
天界での殺生は禁じられている。たとえ大罪を犯しても、それだけは天帝でも与えてはならないとされている。それなのに、この月神は花の精を花楓に殺させた。その事実は変わらない。
「口の減らない愚かな花の精よ。何か勘違いをしていないか? 追われるのは私ではない。この危険な鬼神を所有していた、あの者よ」
「は? それは、どういう····まさか、最初からそのつもりで」
「お前こそ何を言っているのか理解に苦しむ。この惨状を招いたのは櫻花とそこの忌々しい鬼神だ。ああ、違うか。そもそも、その不吉な花をこの庭で咲かせたお前たち花の精の落ち度であろう。配下の不手際はその主の罪。花の精を管理していた、お前の罪でもある」
この者は、本気でそんな戯言が通ると思っているのだろうか。
いや、通るのだろう。だからこそ、揺るぎのない自信のある表情で嘘を並べ立てているのだ。そもそも、あの花は不吉な花でも縁起の悪い花でもない。その真の意味も知らない無知な女の言いがかりこそ、理不尽であり、理解に苦しむ。だから、あえて茶梅は口を開く。
「まさかとは思いますが、石楠花に混じっていた曼珠沙華の意味をご存じではないのですか?」
「口を慎めと言ったであろう? そんな真っ赤な毒花、不吉以外の何物でもない。その花を咲かせたお前たちの罪は重い。いい訳など無用だ」
「あなたは、本当に可哀想なひとですね。あなたが不吉と言ったその花は、吉兆の前触れを示す花。それを毒花などとは····天界の神がそのようでは、聞いて呆れますね」
茶梅はもはや、自分の首が飛ぶことなど当に覚悟している。
曼珠沙華は確かに見た目は赤く不吉で、毒もある。花のある時期には葉がなく、葉のある時期に花がないという特徴から、"葉見ず花見ず"と呼ばれる。普通の植物とは真逆の生長を繰り返すその様も。死人花などと呼ばれてもおかしくないだろう。
しかし、真の意味は"天界に咲く花"である。
「この花を咲かせたことが罪であるわけがない。そもそも、その種をこの庭に潜ませていたのはご自身でしょうに。私たちはあなたの命でこの庭の花を咲かせたにすぎません。あなたがこの花を罪というのなら、その罪深き花を庭に埋めたあなたの罪はどう裁くのです?」
嫦娥は眉間に皺を寄せ、血の海の上に跪く茶梅を睨みつける。そしてひそひそと後ろで囁かれる声に一瞥し黙らせると、再び皮肉な笑みを浮かべて茶梅を見下ろす。
「言いたいことはそれだけか?」
嫦娥と茶梅のちょうど真ん中に、ゆらりと花楓が立ち塞がった。
赤い瞳と眼が合った。
その瞳は揺らいでいた。
顔は涙でぐしゃぐしゃになり、歪んでいた。
しかしそれに反して、彼の周りには赤黒い色をした触手が蠢いており、その先端は、大きな斧のような形をしていた。その斧には血が滴っており、ここで散った花の精たちの血が染み込んでいるように見えた。
『花楓、聞こえていますか? もし聞こえていたら、どうか忘れないで。私たち花の精は――――、』
次の瞬間、身体の奥深くに突き刺さった鈍い音と共に、茶梅の視界は赤で染まった。
(····櫻花、さま····の、声、)
悲痛な悲鳴が耳に届いた。それは、紛れもなく、主の声だった。
しかしもはや答えることは叶わない。身体から引き抜かれた触手はそのまま鋭い刃と形を変え、茶梅に止めを刺す。胴から離れた首が勢いよく宙へ舞い上がり地面に落ちると、ころころと転がっていった。
それは、ある者の足元まで転がりきると、それを知っているかのように止まった。
0
お気に入りに追加
33
あなたにおすすめの小説
虐げられている魔術師少年、悪魔召喚に成功したところ国家転覆にも成功する
あかのゆりこ
BL
主人公のグレン・クランストンは天才魔術師だ。ある日、失われた魔術の復活に成功し、悪魔を召喚する。その悪魔は愛と性の悪魔「ドーヴィ」と名乗り、グレンに契約の代償としてまさかの「口づけ」を提示してきた。
領民を守るため、王家に囚われた姉を救うため、グレンは致し方なく自分の唇(もちろん未使用)を差し出すことになる。
***
王家に虐げられて不遇な立場のトラウマ持ち不幸属性主人公がスパダリ系悪魔に溺愛されて幸せになるコメディの皮を被ったそこそこシリアスなお話です。
・ハピエン
・CP左右固定(リバありません)
・三角関係及び当て馬キャラなし(相手違いありません)
です。
べろちゅーすらないキスだけの健全ピュアピュアなお付き合いをお楽しみください。
***
2024.10.18 第二章開幕にあたり、第一章の2話~3話の間に加筆を行いました。小数点付きの話が追加分ですが、別に読まなくても問題はありません。
今世はメシウマ召喚獣
片里 狛
BL
オーバーワークが原因でうっかり命を落としたはずの最上春伊25歳。召喚獣として呼び出された世界で、娼館の料理人として働くことになって!?的なBL小説です。
最終的に溺愛系娼館主人様×全般的にふつーの日本人青年。
※女の子もゴリゴリ出てきます。
※設定ふんわりとしか考えてないので穴があってもスルーしてください。お約束等には疎いので優しい気持ちで読んでくださると幸い。
※誤字脱字の報告は不要です。いつか直したい。
※なるべくさくさく更新したい。

【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。
【完結】冷血孤高と噂に聞く竜人は、俺の前じゃどうも言動が伴わない様子。
N2O
BL
愛想皆無の竜人 × 竜の言葉がわかる人間
ファンタジーしてます。
攻めが出てくるのは中盤から。
結局執着を抑えられなくなっちゃう竜人の話です。
表紙絵
⇨ろくずやこ 様 X(@Us4kBPHU0m63101)
挿絵『0 琥』
⇨からさね 様 X (@karasane03)
挿絵『34 森』
⇨くすなし 様 X(@cuth_masi)
◎独自設定、ご都合主義、素人作品です。
完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました
美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!
【完結】守護霊さん、それは余計なお世話です。
N2O
BL
番のことが好きすぎる第二王子(熊の獣人/実は割と可愛い)
×
期間限定で心の声が聞こえるようになった黒髪青年(人間/番/実は割と逞しい)
Special thanks
illustration by 白鯨堂こち
※ご都合主義です。
※素人作品です。温かな目で見ていただけると助かります。
【完結】後宮に舞うオメガは華より甘い蜜で誘う
亜沙美多郎
BL
後宮で針房として働いている青蝶(チンディエ)は、発情期の度に背中全体に牡丹の華の絵が現れる。それは一見美しいが、実は精気を吸収する「百花瘴気」という難病であった。背中に華が咲き乱れる代わりに、顔の肌は枯れ、痣が広がったように見えている。
見た目の醜さから、後宮の隠れた殿舎に幽居させられている青蝶だが、実は別の顔がある。それは祭祀で舞を披露する踊り子だ。
踊っている青蝶に熱い視線を送るのは皇太子・飛龍(ヒェイロン)。一目見た時から青蝶が運命の番だと確信していた。
しかしどんなに探しても、青蝶に辿り着けない飛龍。やっとの思いで青蝶を探し当てたが、そこから次々と隠されていた事実が明らかになる。
⭐︎オメガバースの独自設定があります。
⭐︎登場する設定は全て史実とは異なります。
⭐︎作者のご都合主義作品ですので、ご了承ください。
☆ホットランキング入り!ありがとうございます☆
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる