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第五章
二、知らぬ間に、巻き込まれていました。
しおりを挟む七、八歳くらいの見た目の幼子の身なりは、お世辞にもこの宴には相応しいとは言えない、上から下まで薄汚れた漆黒の衣を纏っており、その黒髪も赤い瞳を隠すように前髪を垂らしていて、暗くて陰湿な印象を与える。逆に嫦娥は派手な青色の上衣に、銀の糸で描かれた模様の入った紫色の下裳。それから金色の装飾や宝石で首や指を飾っていた。
まるで月と闇のようなそのふたりを避けるように、大きな円ができていたのだった。そうとは知らずに、櫻花はその円の内側に入ってしまっていたため、周りの神仙や精霊たちがざわざわと騒ぎ出す。
「花神、櫻花。私の道を妨げるとは、なんと恥知らずな。天帝に愛されているからって、調子に乗っているのではなくて?」
「申し訳ございません。嫦娥様がいらっしゃるとは知らず、愚かな私をお許しください。天帝にとって、私のような位の低い花神など、数多いる配下のひとりとしか思われていないでしょう」
地面に跪き、櫻花は深く頭を下げた。実際、嫦娥《チャング》は櫻花などと比べるには恐れ多いほど、ずっと上の位の神なのだ。
ふん、と嫦娥はわざと地面を蹴り、土埃を櫻花の顔にかかるように起こすと、そのまま立ち去って行った。
その後ろを慌てた様子で幼子が追う。ちらちらと櫻花の方を見ながら何か言いたげだったが、口を開くことすら赦されていないのか、開いた唇を噛み締め、ぎゅっと瞼を閉じて横を通り過ぎていく。幼子はどうやら嫦娥の従者か配下のようだ。
足音が遠のいた後、櫻花はふうと顔を上げた。かけられた土埃を適当に袖で拭って、そのまま立ち上がる。そんな櫻花の周りに、あの光景を傍観するしかなかった者たちが、申し訳なさそうな顔をしながら一斉に駆け寄って来た。
「まったく、なんなんだあのひとは。本当に上位の神なのか? 品がなさすぎる」
「花神は皆に好かれているから、気に食わないのだろう。あの者の取り巻き以外は、皆、あの者の態度が苦手だ。先程もちょっとした騒ぎを起こして、西王母様に退席を命じられたのだ。どう考えても自業自得だろう」
口々に彼女の悪口を言い出すので、櫻花は困って頬を掻いた。
「私は大丈夫ですよ。ご心配には及びません」
櫻花は別に何とも思っていなかった。そもそもいつもの如くぼんやりとしていて、あろうことか彼女の行く道に立ち塞がってしまったのが悪いのだ。
「それにしても、あの言い方はないだろう。君は確かに天帝のお気に入りだが、調子になど乗っていないし、恥知らずでもない」
「私のために言って下さっているなら、もう十分ですよ。さあ、楽しい宴の席ですから、皆さんもどうぞ気を取り直して、」
言って、櫻花は少し大げさな素振りでお辞儀をすると、笑顔を見せて去って行った。あのまま留まっていたら、彼ら彼女らは日頃の恨みつらみを話し出すに違いなかった。
はあ、と嘆息して、櫻花は疎らになった庭園の先、西王母のいる邸へと辿り着く。酒や花の香りに交じって、蟠桃の甘い香りが漂ってくる。神仙たちに囲まれ、静かに笑みを湛えているその者こそ、すべての女仙を支配する最上位の女神。この宴の主催である西王母そのひとであった。
「櫻花、来たのね」
「お久しぶりです。本日は宴に招いていただき、ありがとうございました」
「ふふ。皆、あなたの花舞が楽しみで、毎回集まって来るのよ? 私もそのひとりなのだけれど」
西王母はその名の通り、おっとりとした穏やかな女性で、話し方も品があり、傍にいるだけで癒される。そんな独特な雰囲気を纏っているひとだった。なので、そんな彼女が嫦娥を退席させたのには、きっと理由があるはずだ。
「表でひと悶着あったようだけれど、大丈夫だった? あのひとは誰にでもああいう感じだから、気にすることはないわ」
すでに耳に届いていたようで、お恥ずかしいと櫻花は頬を掻いた。
「すみません。私がぼんやりしてたせいです。あの方は悪くありませんので、お気になさらず」
「あなたは、本当に穏やかで素敵な花神ね。そんなあなただから、皆、あなたを愛してやまない」
「私などには、勿体ないお言葉です。西王母様のお人柄には、誰も敵いませんし、天界広しと言えど、誰もが慕う神は、あなたくらいでしょう」
お互いを褒め合い、最近の近況などを語り合うと、西王母は本来話したかったのだろう、本題を切り出し始めた。
「あなたに話すようなことではないのだけれど、聞いてくれるかしら?」
座って頂戴、と椅子をすすめられ、櫻花は西王母が腰を下ろしたのを確認してから、自分も腰掛けた。人払いをして、部屋にはふたりだけになった。
「彼女を退席させた理由は、耳に入っている?」
彼女、とは誰と問わずとも月神、嫦娥のことだろう。しかしなぜ自分に聞かせるのかと不思議に思ったが、その理由はすぐに判明する。
主宰である西王母に挨拶をするため、邸に集まっていた神仙の誰かが、嫦娥の前で何の気なしに櫻花の話をしたのが、騒動のきっかけだったからだ。自分の知らないところでそんなことが起こっていたとは、露知らず。
「それとは、別に、彼女が連れていた者にも問題があって、」
「あの幼子ですか? 赤い瞳の、」
「あれは鬼子よ。ただ、普通の鬼子ならば問題はないのだけれど、あの子は違ったわ。あの子は、鬼神だったのよ」
鬼神も鬼神も全く同じ字を使うが、言い方で全く違う存在となる。鬼神であれば、天地万物の霊魂あるいは神々を意味するが、それが鬼神となれば、精霊ではあるが荒々しく恐ろしい神の類となる。
「とにかく、彼女はあなたの事が特に気に入らないみたいなの。なるべく関わらない方が身のためよ。それに····彼女は自分の目的のためなら、なんでもすると聞くわ。あの鬼神も、きっとそのために連れているのでしょう」
それを聞き、櫻花は改めてあの少年を思い出していた。
(····あの子は、そんなに悪いモノには思えなかったのですが、)
確かにあの血のように赤い瞳には驚いたが、大人しそうだった。なにより、荒々しく恐ろしい神にも思えなかったのだ。
(今度会ったら、少しでもいいから話をしてみましょう、)
櫻花は西王母の心配をよそに、そんなことをひとり、心の中で思うのだった。
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