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第四章
五、寝言は寝て言え!
しおりを挟む白藍と黑藍は、天帝直々の命で、ある事件をこの数年間ずっと追って来た。それは、"ある存在"が関わっている案件だったが、その度に良い結果は得られず······。
これまでも何十回と空振りしていて、行ってみても何もないという事がずっと続いていただけに、今回は完全に"当たり"のようだ。しかも運が良いのか悪いのか、櫻花が先に見つけてしまったということも知り、白藍は口には出さなかったが、心配で仕方がなかった。
しかし、村に着いて目にしたのは、予想に反していつも通りの櫻花と、その傍に立つ白髪の青年、もとい精霊の化身であった。自らも本体の分身であるため、その化身の本性はすぐに解った。
(あの白蛇······櫻花を穢した)
唇を噛み、白藍は顔を歪める。自分たちの櫻花を、名も知らぬ者に奪われたのだ。この事を知ったら、紅藍は激昂するだろうし、蒼藍は卒倒するだろう。鷹藍は知己に好いひとができたと喜ぶかもしれない。
「あの白蛇野郎! 腹が立つ! なんならあの時、踏み潰しとけばよかったっ」
「黑藍、君、たまには良いこと言う」
白藍が珍しく自分を褒めてくれたので、黑藍は思わず間抜けな顔をしてしまう。
「なんだ? お前、あいつの味方じゃなかったのかよ。白蛇はお前の眷属でもあるだろう? 直属ではないにしろ、あっちの味方かと思った」
「別に。櫻花の傍にいるのが気に入らないだけ。けどあの白蛇は、確か弁財天の所にいた使いのはず。黑藍、潰さなくて良かったね。知らずに止めてくれた櫻花に感謝しなよ」
先程とは打って変わって、黑藍の顔が固まった。
「え? 今、なんて言った? 弁財天の使い?」
「知らなかったの?」
やれやれと肩を竦めて、白藍は馬鹿にしたように鼻で笑った。足が止まり、後ろでひとりで騒ぎ立てて、あたふたしている黑藍を無視し、前へと進む。薄暗い森の中から、血の臭いが漂ってくる。
(この禍々しい気配、まさか本当に、)
村からだいぶ距離が離れた場所にあるその森は、薄暗く、まだ昼前だというのに陰鬱としている。雪で覆われた地面を駆け、白藍は眉を顰めた。
「なんだ、この異様な気配」
今更真実を知り、だいぶ動揺していた黑藍が思わず我に返るほど、その気配は禍々しいものだった。ギャーギャーと人のような声で鳴く、無数の鴉の声が急に頭上で響き渡ったかと思えば、一斉にバサバサと木々から逃げるように飛び去って行く姿を目にする。それは気配に敏感な動物だからこそ、本能的ななにかがそうさせたのだろう。
「気を付けて、来るよ」
白藍がそう呟いた矢先、なにか鋭いモノが、暗い森の奥からものすごい速さでふたりに襲いかかって来た! 左右に散る形で、白藍と黑藍は分断される。雪と抉れた地面の欠片が宙に舞い、ふたりの視界を一時的に奪った。ぱらぱらと音を立てて辺りに転がったその欠片たちと共に、自分たちを襲ったモノの正体も判明する。
それは赤黒い色をした触手で、地面にめり込んでいる先端は、大きな斧のような形をしていた。その破壊力は凄まじく、地面は亀裂が入り、大きく陥没していた。
「まさか、本当に"あれ"がここにいるのか!? あいつらは運が良かったな! あの地仙と白蛇には荷が重い相手だ」
「それが本当なら、僕たちはだいぶ運が悪いことになるよ、」
気配がどんどん近づいて来る。どうやら、噂は本当だったようだ。
「ふん。運が悪いって? 馬鹿を言うな、逆だろう? 天界が数百年手を焼いている、お尋ね者が相手なんだ。やっとその面が拝めるんだから、運が良いってことさ」
底知れない闇を纏ったその姿は、一体どれほどの人間を殺し、喰らった者であるかがすぐに解るほどだ。森の気配が一変するほどの重たい邪気に、神聖な竜であるふたりは吐き気を覚える。
先程まで強がりを言っていた黑藍の頬に、汗がつたった。
目の前に現れたのは、あの気色の悪い触手を操っていたとは思えないほど美しい容貌をした、鬼神。天界が長年追っていた、"災禍の鬼"と呼ばれる存在。
背中に垂らしたままの、長い黒髪。血のように赤い瞳。漆黒の外套を纏ったその者は、ふたりをその視界に捉えると、馬鹿にするような笑みを浮かべて口元を歪めた。
「また、竜の分身ですか」
黑藍は怪訝そうに眉を顰めた。自分たち以外にも、災禍の鬼を追っている竜がいるのだろうか?天界が追っているのだから、ありえない話でもないが。
(また? 俺たち以外にも、奴に出遭ってしまった竜の分身がいるってことか? それともただの聞き間違いか?)
まるで死人のように色のない肌。その身体の周りに纏わりつくかのように、悍ましい黒い靄がぐるぐると廻っていた。
「まあ、いい。それより、あのひとはどこです? 贈り物を用意しておいたのですが、気に入ってもらえたでしょうか?」
それを聞いて、ふたりは察する。この災禍の鬼が欲していた者、その者のためにあの村人たちは虐殺されたのだと。
「それに、良い香りの花を喰らうはずが、なぜ生臭い竜がここに?」
「生臭くて悪かったな!」
黑藍は心外だとでも言うように吐き捨てる。奴が"花"と口にした時、思い浮かんだのはあの地仙だった。紅藍が言っていた。あの地仙、もとい櫻花は、天界を追放された花神だと。それを聞いたすぐ後、その経緯をこっそりと調べた。それは予想以上に重たく、まったく笑えない話だった。
「あいつを喰らうだと? 寝言は寝て言えっての! あいつの命は俺が握ってんだよ! お前みたいな奴に渡すわけないだろっ」
びしっと人差し指を突き付けて、黑藍は目の前の鬼神に言い放つ。
「黑藍のくせに良いこと言う」
言って、白藍は黑藍の横で小さく笑った。強張っていた感情が緩む。こんな時に黑藍の無謀さが役に立つとは、と白藍は心の中で褒めてやる。
それくらい、この災禍の鬼が纏う邪気は、圧倒的なものだった。
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