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序章
四、仕方がないので、天仙になります。
しおりを挟む黒竜と喧嘩をし、呪いをかけられてしまった櫻花は、蓬莱山から離れ、人間界に身を寄せていた。一応、地仙ではあるので、人の世に降りれば「仙人様」とか「道士様」などと呼ばれ、その度に曖昧な返事を返すのが日常となっていた。
天に昇っていない仙人を、天仙たちや神と名の付く者たちは仙人とは認めてはいないようで、地仙は仙人と言ってもだいぶ下の存在として扱われている。だが、人の世では仙人は仙人であり、地も天も関係ないのだ。
そもそも、神と名の付く者たちの考えがどれだけ神基準で尊かろうと、櫻花にはどうでも良かった。
目の前の小さき命さえ救えないで、"神"といえるだろうか。
「さて、と。私は私の道を行くことにしましょう」
完全なる独り言だが、誰も聞いていないし気にすることもない。なんなら鳥すらいない。平原が続くその道の先は、さらなる平原であったが、その先にきっと村か町かはあるだろう。
「それにしても、この手の甲の紋様は目立ってしようがないですね、」
白い道袍の広袖を漁って細い布を取り出すと、くるくると左手に巻いていくのだが、かなり歪になっている。最後に口を使ってきゅっと結び、よし、と頷いた。
その紋様は、余命があとどのくらい残っているかを示しているのだろう。手の甲を覆うかように刻まれたその墨色の紋様は、太陽のような月のような抽象的な紋様だった。
数日前、蓬莱山から去る前に、紅藍と蒼藍が櫻花の前に現れた。事情は筒抜けのようで、大いに心配されてしまった。
「櫻花ちゃんっ!! こうなったら、天仙になるしかないわっ」
「····天仙ですか? 私はできればのらりくらりと、今まで通り地上でのんびりと人助けをしたいと思っています」
両肩に手を置き、指に力を入れてくる紅藍の勢いに反して、苦笑いを浮かべながら櫻花はゆったりとした口調で答える。
「なに言ってるの!? 十年なんてあっという間よ! 黑藍はああいう子だから、絶対に折れないでしょうし、櫻花ちゃんだってそうでしょう? 呪われたまま死んじゃうなんてただの馬鹿よ!」
「····はあ。でも、もう十分長生きしましたし、死ぬなら死ぬでもいいかな、と」
「それは駄目です!」
先程まで傍観者だった蒼藍が、青い顔をしてふたりの間に割って入って来た。
「いいですか、櫻花様、あなたが黒竜の呪いで死んだなんてことになれば、今度は天帝が出てきてしまいますよ! そうなったら、責任問題で応竜様がどんな罰を受けるか! それに、別に天仙になるくらいいいじゃないですか。そもそも、あなたならとっくになっているはずでしょう? なぜ未だ地仙のままなのです?」
ああ、それは····と櫻花は頬を掻く。
(うーん。天仙にならないように、ある程度功徳が溜まったらちょとした悪いことをして、わざと御破算にしていたんですけど。言ったらきっと、蒼藍も紅藍も怒りますよね?)
櫻花の思い付く悪事などたかが知れており、堂の供物をつまみ食いする程度だが、その程度でも十分御破算になることを知ってからはそれが一番楽だと思い、毎回功徳が溜まる前にその"悪事"を働くのだった。
「とりあえず天仙になって、それからまた地仙に戻ればいいのよ!」
「それはそれでどうかと思いますけど····」
「····とにかく。どちらも譲る気がないのはよくわかりました。なんにせよ、呪いを解かないことには始まりません。あなたは嫌かもしれませんが、天仙になるのが唯一の解決方法でしょう」
その後も散々言いたいことを言い、ふたりは蓬莱山に戻って行った。
そんな数日前のことを思い出しながら、櫻花は再び布が巻かれた左手を見つめる。うーんと首を傾げ、数日同じようなことを繰り返している。
(鷹藍が罰を受けるのも、黑藍が虐められるのも、私は望んでいません。今回は仕方ないですね、)
ぐっと拳を握り締め、決意する。
「千二百の功徳ですか。ついこの前、御破算にしたばかりですから、あと、」
ほぼ千二百ですね! と、遠い目をして最先不穏な曇り空を見上げる。
しかし、この櫻花という地仙は、この世の誰よりも強運の持ち主である。今までもその運が彼の味方となって、大凶も大吉に転じて来た。
そんな強運が齎す運命の出会いまで、あと――――――。
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