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第二章 朱に交われば赤くなる
番外編④ 飛星と飛月 後編
しおりを挟む手を引かれ、翠雪を真ん中にして、ふたりは楼閣に招かれた。階段を上り切った先に門の前で立っていた、自分たちと同じ狐鬼面の少年に首を傾げる。綺麗な白い衣を纏った十五歳くらいの少年は、やれやれと肩を竦めた。
「谷主、おかえりなさい。で、その子たちはどうするんです?」
先程まで一緒に楼閣の二階から外の様子を眺めていたが、この双子はどうやら特別な鬼子のようだ。普通なら、あの人数相手に逃げ切れるわけがなかった。すばしっこいだけでなく、鬼子となって得た力が大きく、能力も高いとわかる。
「もちろん、私の許でその能力を活かします。それにこの子たちには、頼れるお兄ちゃんが必要だと思いませんか?」
それは谷主自身ではなく、自分の事だろうと少年はますます背を丸める。どうやら拒否権などなく、双子たちの面倒を看る羽目になりそうだ。
「この子は陽。あなたちより少し前に鬼谷にやって来た鬼子で、私のお手伝いをしてくれています」
「陽兄ちゃん?」
「鬼子ってなに?」
素直な反応に、翠雪は眼を細めて微笑を浮かべる。それはどこか悲しげでもあったが、ふたりにはその意味がこの時点ではよくわかっていなかった。
「いずれわかることなので、はっきり言いますが、君たちはもう生きてはいません。ひとは強い想いを残した状態で亡くなると、稀に鬼となります。それは幽鬼とも呼ばれていて、肉体は死に、魂だけがあの世に逝けない状態になってしまった者のことを言います。つまり、未練を残して幽霊になった存在、鬼。この鬼谷は、そんな行き場を失った鬼たちの住む谷なのです」
「俺たち死んじゃったの?」
「もうお母さんに逢えないの?」
不安げな声で翠雪を見上げてくるふたりの頭を、少し屈んで撫でる。それはふたりの不安を消すことはなかったが、なんだか胸の辺りがあたたかかった。指先は冷たかったのに、あたたかいと思うなんて不思議だ。
「君たちのことは後で天雨に調べさせます。どうしてここに来ることになったのか。でも君たちはそれを知りたいですか?」
「······わかんない」
「········俺も、」
「では、知りたいと思ったら、いつでも私に訊いてください」
うん、とふたりは頷く。これはこの子たちの素直な反応だろう。自分たちは死んだと言われ、捜していた母親にもおそらくもう逢えないかもしれない。幼いながらにその現実を受け入れても、実際問題、どうしていいかはわからないのだ。
「陽、この子たちの身なりを整えてあげてください。終わったら私の所へ」
わかりました、とやる気がなさそうな返事をし、陽は双子たちに「ついて来て」とひと言だけ言うと、ひとり歩き出した。翠雪はふたりの肩に手を置き、また後でね、と微笑んだ。
それに安堵したのか、ふたりは陽の後ろに駆け足でついて行く。それを見送り、翠雪も門の奥へと進むが、楼閣の前に立つ人物を視界に入れると、口元を袖から取り出した大扇で覆って隠し、その奥であからさまに嫌な顔をした。
その青年は顔の上半分だけの仮面を付けていて、隠していてもその容貌は端正なのがよくわかる。この鬼谷にいる鬼の中でも、翠雪に近い存在。
長い黒髪を高い位置で括って背中に垂らしており、広袖の衣は道士のよう。立ち姿は物差しでも背中に差しているかのように真っすぐで、神経質そうな印象がある。
纏う衣も上質で、白と黒が左右半分ずつの長い上衣に白い下衣を纏い、腰には異国の宝刀を佩いていた。背は翠雪より高く、いつも見上げ見下ろされる形になる。
「天雨、また小言でも言いに来たんです?」
「当たり前だ。また性懲りもなく鬼子を拾って来たな?先に言っておくが、俺は面倒など看ないぞ」
「あの子たちは修練をすれば力を制御できるでしょうし、才能もあります。つまり、いずれ私の役に立つ存在となるわけです」
翠雪は自慢げにそんなことを言うが、天雨はますます不機嫌そうに至近距離で見下ろしてくる。
「素直に放っておけないと言えばいいだろう?あなたはいつもそうだ」
なぜか自分の前では、このように回りくどい言い方で本音を隠す。その大扇で顔を隠すように。
じっと真剣な眼差しで見下ろしてくる天雨に対して、はあ、と翠雪は面倒くさそうに顔を背け、大扇を扇ぎ始める。
「別にあなたには関係ないでしょう?それより、あの子たちの死の原因を調べてください。ついでに母親の事も」
「母親?なんのために?」
「後々知るよりも先に知っておいた方が良いでしょう。私の予想が正しければ、おそらく、あの子たちの母親は······、」
天雨は眉を顰める。わかっている結果をどうして知りたいと思うのか。確かめたいだけ?それとも違っていればいいという期待?
(そんな顔をするのなら、止めればいいのに)
そう思ったが、谷主のお願いは結局断れなかった。天雨はそのまま無言で姿を晦ます。
それを確認し、翠雪は扉に触れ、その奥へと消えていった。
******
飛星と飛月は、陽と一緒の部屋で暮らすことになった。鬼たちの中でも谷主が選んだ者だけがこの楼閣で暮らせるらしく、その条件として谷主の"お願い"を叶えることが役割だと聞いた。
「陽兄ちゃん、谷主の"お願い"ってどんなの?」
「俺たちでもできること?」
ねえねえと、座って書物を読んでいるのに両方から挟まれ、肩を揺らされ、邪魔をされる。
今まで静かに過ごしていたはずの部屋は、この双子のせいで終始喧しい。しかも左右からほぼ同じ声がやって来るので、頭が痛くなる。
「谷主は頭の良いひとだから、できないことはさせない。お前たちはまだなにもできないどころか、まずその力を制御できるようにならないと」
「俺たち、役立たず?」
「せいぎょってなに?」
あ~····もう、本当に面倒くさい、と陽は狐鬼面の奥でうんざりとした表情を浮かべ、猫背になって書物にずいと顔を近づける。
もしかしてこれが毎日続くのだろうか?いや、いつかは質問が尽きて厭きるだろうし、そうなれば勝手にふたりで遊びだすだろう。
それまではがまんがまん、と陽はなんとか心を落ち着かせる。
「谷主がお前たちを連れて来たってことは、この鬼谷にいる鬼たちの中でも、なにか秀でているものがあったということだろうけど。鬼子っていうのは、大人たちよりずっと強い力を秘めてるんだ。だけど力の使い方もわからないから、無駄に物を壊したり、さっきみたいに騒ぎを起こしてしまう」
うんうん、とふたりは同時に頷く。
力を使った自覚もないが、あの大勢の鬼たちと大立ち回りをしたことを思うと、なぜ捕まらなかったか不思議である。
「俺もそうだったけど、修練をして力を上手く使えるようになると、色々と便利なんだ。できることも増えるし、谷主の手伝いをたくさんできて、その褒美として紙銭も貰える。あ、紙銭っていうのは、谷の屋台で使える共通のお金の事だよ」
質問が来る前に潰そうと、陽は紙銭の事を教えてやる。
「たくさん貯めて好きなものを買ってもいいし、好きにしていいお金なんだ」
「お金、たくさん貯めれば、お母さん喜ぶかも!」
「だね、いつもお金がなくて困ってたもんね。俺たちがたくさんお手伝いすれば、いっぱいお金を貰えるってことだね!」
その言葉に、陽は無言になる。この双子の母親のことは知らないが、ふたりが鬼子になっている時点で、それは叶わないだろう。しかし、何も知らない双子たちにその現実を話すのもどうかと思った。
だから、その問いに対して陽は肯定も否定もしなかった。飛星と飛月は目的ができて嬉しいのか、やる気満々になっていた。
こうして、三人は翠雪の様々な"お願い"を聞きつつ、同じ部屋で暮らし始める。時に蔵書閣の整理だったり、谷の鬼たちの要望を伝えたり、天雨に怒られたりしながら、過ごしていく。
三人でまた一緒に暮らせる日々を夢見ながら、今日も谷主の"お願い"を待つ。
それがふたりの"夢"となり、その"夢"をいつまでも見続ける。
色んなことに気付かないふりをして、無邪気に笑う。大好きな谷主の傍にいられるなら、なんでもいい。谷主は自分たちを大切にしてくれるし、絶対に裏切らない。
だから、あの時のように簡単に捨てられることもない。
あの時、"お母さん"はふたりを抱きしめ、谷から身を投げた。三人は"お父さん"に捨てられたのだ。いらないから捨てられた。なら、必要なら捨てられない?
「たくさんお手伝いをして、谷主の役に立とう」
「うん、一緒に頑張ろう」
ふたりの頭の中に、大好きな谷主の声が響く。
「行こう、谷主が呼んでる!」
「うん、行こう!それで、たくさん"お願い"もらおう!」
ふたり、手を取って駆けて行く。
ずっと一緒。永遠に一緒。
さあ今日も、永遠に終わることのない、ふたりの"夢"を叶えに行こう――――。
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