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第二章 朱に交われば赤くなる
2-12 解呪の陣
しおりを挟む陽も落ちかけた頃。庭の灯篭や吊るされている提灯に、使用人たちが順番に火を入れていき、辺りを仄かに照らし始める。
暁狼は内心どうして自分が彼らに協力する必要が?とずっと思っていた。しかしどちらも最終的な目的は慶螢を救うこと。しかもあまり時間がない中、無駄に喧嘩腰でいても仕方がないと無理矢理自分を納得させたわけだが······。
(だからって、なぜ俺がこんなことをする必要が?絶対にまた、あの仙人もどきの嫌がらせだろう!)
イライラ。翠雪から貰った符を使い、周りに姿を見えないようにしてある少女を尾行している暁狼の表情は、目に見えて苛立っていた。
(だが、妖魔が関わっているだろうという考えは、確かなようだ)
外出から戻って来た少女は、しばらく女中の仕事を大人しくしていた。それが終わり、他の使用人たちの姿も疎らになった頃。
こっそりと使用人たちが共同生活をしている部屋を抜け出した少女が、闇夜に紛れて邸を探索し始める。その胸には例の箱が大事そうに抱かれており、暁狼は少し離れてその様子を見ていた。
足がとある場所で止まり、大事に胸に抱えていた箱を少女がやっと手放す。適当な石を使って穴を掘り、大胆にも、呪詛の箱を慶螢の自室の軒下に埋め始めたのだ。
しかもそれは、翠雪が予想した場所のひとつだったのも驚きだ。
彼はわざと慶螢の自室の見張りの従者を少なくさせただけでなく、ここに上手く誘導するような配置に変えたため、置く場所の選択肢が狭まったのだろう。万が一見失っても、特定しやすくするためだと言っていたが、ここまで上手く引っかかるとは思わなかった。
石を放り投げ、汚れた指など全く気にする様子もなく、少女は何度か周りを確認すると、何かをやり遂げたという誇らしげな笑みを浮かべた。
(これから人ひとり呪い殺そう思っている奴が、普通あんな笑みを浮かべるか?まるで、自分が正しいことをしているとでも言いたいのか?)
怪訝そうに眉を顰め、その鋭い瞳で去って行く少女の後ろ姿を刺すように睨むと、暁狼は拳を握り締める。
やはり微かに妖魔の気配がした。それはすぐに消えてしまったのだが、絶対に逃がしはしない。このままあれの思うようにはさせない。あの少女が喰われているか否かさえ、関係ない。
符を破り姿を現した暁狼は、さっさと仕事を終わらせようと、軒下に埋められた物を腰に差していた短剣の鞘を使って掘り起すと、忌々しそうに視線を落とす。
纏わりつく黒い靄が、箱全体をぐるぐると螺旋のように渦巻いているのが見える。
触れている事すら嫌悪感を覚えたが、懐から取り出した黄色い符を貼り付けて一時的に封じると、そのまま無言で庭から邸の通路に上がり、慶螢の自室の扉の前に立った。
「おい、ここに隠すとわかっていたなら、俺があの女を尾行する必要があったか?」
扉が開き、そこに立つ者がくすりと笑みを浮かべていた。部屋の燈が外に滲むように広がり、漆黒を纏う暁狼をも明るく染め上げる。
中にはすでに皆が揃っており、趙螢と華夫人、それから身なりの良い令嬢もいた。まだ幼さを感じさせる令嬢は、慶螢の婚約者の麗花だろう。
「もちろん。あなたは元は有名な門派の道士ですから、適切な処理もできますし、いざとなれば妖魔とも戦えます。まあ、その必要はなかったようですが。事は慎重に進める性格なもので、」
はあ、と嘆息して暁狼は翠雪に箱を抛った。
「それで?呪詛の解呪は可能なんだろうな?」
「すでに陣は敷いてあります。手を貸していただけますか?」
本来なら、お前がやればいいだろう、と突っぱねるところだが、趙螢たちが期待の眼差しで自分たちを見ており、暁狼はちっと舌打ちだけして翠雪の横に並んだ。
「兄さん、協力してくれてありがとう」
囁くように背中に投げかけられた声を無視したかったが、煩い黙ってろ、と毒づく。ごめんなさい、と紅玉が軽い声で謝ってきたが、そちらを振り向くことはなかった。
「どうか、息子を、慶螢を、救ってください」
「お願いします、仙人様、道士様」
「私からも、お願いします」
祈るように願う三人に応えるように、翠雪と暁狼は同じ印を結び、文字を描くように指を動かすと、懐から符を取り出して自身の正面に翳す。
「ここに集いしすべての怨念を断ち切り、負を断ち切り、要らぬ縁を断ち切る」
澄んだ声音と低い声音が綺麗に重なり合い、言霊に意味を持たせる。彼の敷いた陣は、百数十年前、彼が道士だった頃に自身が作った独自の陣。
しかし暁狼はこの陣の事、発動するための詠唱や手順も知っていた。なぜならそれは、今やさまざまな門派で使われている解呪の陣だったので、間違うはずがなかったのだ。
翠雪の死後、彼の様々な研究が門派を越えて奪い合いとなり、一時期、各門派の間で物凄く険悪な空気になっていたことを彼自身は知らない。
なぜなら翠雪は、研究をするのは好きだったが、それが完成するとぱたりと関心がなくなり、次の研究に取りかかってしまうような飽き性だったからだ。なので、自分が作り出したものを誰がどうしようがどうでも良かったのだ。
しかし自身が殺される原因となった、丹薬の秘伝書は別物だった。陣や術が趣味の合間の息抜きだとしたら、丹薬の研究は人生を懸けて取り組むと決めたものだった。
(あの時渡した書物は、ただの漢方薬の調合を書き記した書物で、本物はもちろん渡すわけがないでしょう?しかし、私の部屋に残して来た他のものはこうやって後世に引き継がれているなんて、皮肉以外のなんだというんです?)
隣で陣を発動させるための手順を手本通りに熟していく暁狼を一瞥し、はあと人知れず嘆息する。そして最後の仕上げに符を同時に投げると、薄緑色の光が慶螢の身体を優しく包み込むように覆った。
「見て、首の黒い痣が薄くなっていく」
左の首の付け根の辺りにあった黒い染みのような痣が少しずつ消えていくのを、紅玉は嬉しそうに指差した。それには趙螢と華夫人も思わず声を上げて喜んだ。
「あんたが仙人だっていうのは認めないが、優れた道士だってことは認めてやってもいい」
「別に構いませんよ。あんな陣くらいで仙人かどうかなんて、誰にもわかりはしませんからね」
大扇を広げて口元を隠し、ふっと不敵な笑みを浮かべる翠雪に、イラっと暁狼は鋭い目付きで見下ろすように睨みつける。
あの画期的で万能な陣が、まさか目の前の者が作ったものだなどと知らない暁狼は、怒鳴りたい気持ちでいっぱいだったが、なんとか抑える。
「さて、皆さん、喜んでいるところ申し訳ないのですが、ここからはこの呪詛事件の犯人を追い詰める番です。先に言っておきますが、この事件には妖魔が関わっているため、結末は犯人を問い詰めて終わり、とはならないでしょう。多少の犠牲は覚悟していただきたい。もちろん、最小限に抑えるつもりではいますが」
「はい、こうなれば最後までお付き合いします!」
趙螢の言葉に、華夫人と麗花がこくこくと頷く。
あの女中にここに来るように、とすでに違う使用人には伝えてあり、彼女がここに来ないという選択肢はないのだ。
今は自分の呪詛が完成し、慶螢がいつ死ぬかと心待ちにしているはずだ。
「ここにいる皆は、僕たちが必ず守るから、心配しなくても大丈夫だよ!」
そのひと言で、底知れない不安が心のどこかに残っていた華夫人や麗花の表情が和らぐ。
紅玉の明るい声や人懐っこい笑みは、まるで春の陽射しのように優しく、あたたかい気持ちにしてくれた。
しばらくして、扉を叩く音が部屋に響き渡る。
少女にとっては破滅の音。
今夜、そのすべてに終止符を――――。
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