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第二章 朱に交われば赤くなる

2-11 理想と現実

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 翠雪ツェイシュエがひとりで趙螢ヂャオインや夫人と話をしている間、紅玉ホンユー碧雲ビーユンはある少女を尾行していた。右脚を引きずりながら歩く姿は痛ましいが、その原因を想うと同情するのも難しくなる。

 空が赤く染まる頃。彼女は仕事を抜け出し、どこかへ向かっていた。その行先に心当たりがあった紅玉ホンユーは、近づいていくにつれ暗い顔になっていく。そんな主を想いながら、碧雲ビーユンは少し後ろを歩く。

藍玉ランユー様、訊いてもいいですか?」

紅玉ホンユー、だよ。碧雲ビーユンは、以降、様付けも敬語もなし。藍玉ランユーはもうこの世にいないと思って?」

紅玉ホンユーさ······紅玉ホンユー、あなたはそもそもどうして趙螢ヂャオイン殿と関わったんだ?」

 紅玉ホンユーに対してはまったく慣れない話し方に、碧雲ビーユンは、むず痒さを感じる。この十八年間、忠義を尽くし、唯一の主と仰いできた紅玉ホンユーにそれをするのはかなり違和感で、翠雪ツェイシュエとの会話のようにはなかなかいかない。

 もちろん、紅玉ホンユーの予期せぬ行動に対して、時に叱ったり怒鳴る事もあったが、改めて命じられると戸惑う。

「あの林檎のくだり、本当は最初からこうなることを予想してたのか?市井を回っている時に、彼の息子が病に臥せていることなど、誰も口にしていなかっただろう?」

 数日前、あの場所で偶然出会ったはずの出来事は、紅玉ホンユーの中では最初から決まっていたこと、だったのだろうか?

「そんな都合の良い能力、僕にはないよ、」

「では、なぜ妖魔退治をしようなんて言った?」

 ひとを知るための旅。平穏に生きるための旅のはずだ。それなのに、どうして自ら首を突っ込む前提でそんなことを言ったのか。たとえ妖魔であっても魔物であっても、本来の紅玉ホンユーの性格ならば、関わらず避けていたはず。

「まさかとは思いますが、この大陸中を脅かしている魔族や妖魔を、ひとりずつ説得して回ろうなんて考えていませんよね?」

 碧雲ビーユンは自分でも気付かずに、いつもの紅玉ホンユーに対する話し方に変わっていた。退治と言いながら、説得し、無理ならその行為を止めさせる。結局は力で解決しなければならないと、思い知るだろう。

 あまり妖魔や魔物と関わっていない紅玉ホンユーは、その本質を解っていなかった。奴らは自分の躰を得るため、ひとを狩る。魔物は魔物を喰らうことで妖魔となり、妖魔はひとを喰らうことで躰を手に入れる。醜い姿の魔物や妖魔は、美しい姿の魔族たちに焦がれているのだ。

 しかしどう足掻いても、妖魔は魔族にはなれない。なぜなら魔物や妖魔は、魔界の穢れが生み出した垢のような存在だからだ。それを知らない紅玉ホンユーは、なぜ奴らがひとを甘い言葉でたぶらかし、喰らうのかわかっていなかった。

「元々ひとだった鬼とは違い、奴らは穢れの象徴。あなたが同情する必要はない。悲しむ必要もない。奴らの基準は、常に自分のため、ひとにとってはただの理不尽な存在でしかないんです」

 妖魔によって両親と引き離され、幼い頃に魔界に連れて来られた碧雲ビーユン。あの魔窟の中で、壮絶な生存競争を目の当たりにした。己が生きるために、相手を喰らい成長する。その姿は悍ましいなどという、生易しいものではなかった。

 結果、ひとではなくなった自分。しかし今は感謝している。生き残った代償は大きかったが、第七皇子であった藍玉ランユーの護衛官として過ごした日々は、失った時間を取り戻しているようだった。

「うん、わかってる。でも、もしまだ言葉が通じるなら、まずは話したいと思う。それで傷付いたとしても、僕の責任だし、戦わずに済むならそれに越したことはないと思わない?」

「思いません。今回の件、翠雪ツェイシュエが言っていた通り妖魔が関わっているようです。あの影を見てください。今は自身の意識があるようですが、いずれは奴に浸食されてしまうでしょう」

 碧雲ビーユンは顔は動かさず、視線だけ前を歩く少女の影に向ける。その気配は微かに妖魔の気配を纏っており、隠しているのかひけらかしているのか、どちらとも言えない。妖魔でもある程度力を付ければ、魔族の使い魔となって喰うに事欠かなくなる。

 奴らは自分のためだけに生きる強欲な存在。
 そのためならどんなモノでも利用する。

「奴らの愚行に対してあなたが苦しむのは、俺は嫌です。そんなことになる前に、目の前の塵を迷わず処分します」

 瞼を閉じて拱手礼をし、碧雲ビーユン紅玉ホンユーに頭を下げる。それは、その時が来たら言った通りにするという事前報告だろうか。紅玉ホンユーはそれを見て悲し気に笑みを浮かべる。自分を想うが故の、言動であると知っていた。

(ごめん、碧雲ビーユン。それでも僕は······、諦めたくないんだ)

 ひとつずつ解決していけば、きっとわかり合える。この時の紅玉ホンユーは、本気でそう信じていたのだ。

「あの子があの店に入って行きました。やはり、最後の呪詛を完成させるつもりでしょう。自分がどうなるか、わかっていないのでは?」

「どうだろう?彼女はなにを代償に妖魔と契約したと思う?」

 あの右脚は単純に呪詛返しによる代償だろう。それとは別に、妖魔はなにを代償に願いを叶えたのか。いや、願いを叶えるというのは口実でしかない。結局のところ、ひとを喰らう、ただそれだけの目的のために動いているはずだ。

「願いさえ叶わなければ、まだ望みはある?」

「どうでしょう。そんな抜け穴を用意しているとは思えませんが」

 紅玉ホンユー一縷いちるの望みを断ち切るように、碧雲ビーユンは首を振る。そもそも、願いを叶えるなどと言う崇高なことを、妖魔が考えているわけがないのだ。その現実を知る碧雲ビーユンは、あえてその希望をへし折る。

「出てきましたよ。確定ですね」

 その胸に大事そうに抱えている箱を、紅玉ホンユーは行き交うひとの中で目にした。少女の表情は、これから誰かを呪うなどと言う陰気な色はまったくなく、晴れ晴れとした明るく楽しそうな色を浮かべている。

 その違和感に、紅玉ホンユーは鳶色の眼を細めた。ひとを装うためのその瞳の色は、物悲し気に曇っている。これ以上、尾行する必要はないだろう。後は暁狼シャオランが邸で待機しているので、任せればいい。

碧雲ビーユン、」

 紅玉ホンユーが真剣な眼差しで碧雲ビーユンを見上げて来たので、思わず背筋をぴんと伸ばしてその場に立った。視線がじっとこちらに向けられるので、碧雲ビーユンは負けじとその瞳を覗き込む。

「敬語禁止って言った」

 がく、と気が抜けたように碧雲ビーユンは背を丸める。気付けばいつも通りの会話に戻っていたらしい。しかし、この十八年にも及ぶ習慣を、今更変えるなど無理だ。なので譲歩を訴えることにする。

「呼び方はなんとか、します、が!無理なものは無理なんです!」

 急に大声を出した碧雲ビーユンに、市井を歩いていた者たちが「なんだ、なんだ?」と足を止め始める。まずい、と碧雲ビーユンは思わず、

「あ、ああ、えっと、甘味系は苦手なので、無理という、」

 なんだかよくわからない理由を付け足した。「そんなことか、大袈裟だな」という声が耳に入ってくるが、それに対して笑いを堪えている紅玉ホンユーを連れ、さっさとその場を立ち去るのだった。

翠雪ツェイシュエが言うように、いつかこの現実を知って傷付く前に、俺たちがなんとかしないと、)

 その考えは、思想は、確かに間違ってはいない。

 しかし、そんなものが通じていたなら、こんな風にひとと魔族が争い合うことなどなかっただろう。その根源が曖昧な今、どちらもお互いが諸悪の根源と叫び合っているような世の中なのだ。


 願わくば、なににも関わることなく、旅を終えられたらと思う。
 だが、そんなことにはならないだろう。
 それでも、少しでもそれを回避できるなら、自分たちが盾になる。

 それが、何ひとつ合わないあの翠雪ツェイシュエと合致した、唯一の答えだった。


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