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第二章 朱に交われば赤くなる
2-10 裏工作は抜かりなく
しおりを挟むその日の夕刻。趙螢の自室。話を終えた翠雪は、それでもやはり信じられないというふたりに対して、心底呆れていた。
(本当に、この者たちはできた人間のようです。まだ心のどこかで、ありもしない希望を抱いているのでしょう)
自分の息子をあんな目に遭わせたかもしれない事実から目を背け、自分たちが信じてきた、自分たちのために働いてくれる"感謝すべき存在"を疑う怖さに、心が軋むのだろう。
そんな感情を微塵も持たない翠雪は、煮え切らないふたりの態度を動かすため、彼らに必要な言葉を尽くすことに務める。
「信じられないのは仕方のないこと。あなたたちの真心が、その者には通じなかったのでしょう。これは、万人が皆、同じ考えではないという現実として受け止めるしかありません。あなた方が悪いわけでもありません。だからこそ、真実は明らかにすべきなのです」
婚約者である麗花にこの事を告げ、協力してもらう。それが翠雪の本来の目的で、その言葉は彼の演技によって抑揚がはっきりとしており、誰もが本当の気持ちを言っていると思うことだろう。
正直な話、もうこの件に特に興味はなかった。犯人はもうわかっていて、あとは捕まえてその口から真相を語らせるだけなのだから。
その者がなぜこんなことをしたのか。その理由など本当にどうでも良い。身勝手な感情で作り上げた、相手に対する理想と、妄想と、虚構。
「それとも、彼女が呪詛を完成させて慶螢殿が手遅れになってから、その重い腰を上げますか?彼に残された時間は、あと二日あるかどうか。最後の呪詛の効果が付け加えられたら、取り返しが付かなくなることでしょう」
「そんな······しかし、どうして最後の呪詛を彼女が行うまで、待つ必要があるのですか?今、呪詛を解除してもらうことはできないのです?」
華夫人が、思わず声を荒げて訴えるように訊ねてくる。もちろんできなくもないが、それではこちらもただでは済まなくなる。この呪詛がたとえ素人が行っている遊びのようなものでも、途中で止めるという行為自体が危険なものだった。
まだ彼女が人間であったのなら、余計に厄介なことになるだろう。
「安全に事を進めるには、まずは彼女に呪詛を完成させたと思い込ませることが重要です。その先に待つのは相手の確定した"死"なので、それ以上呪うことがなくなるからです。怨恨の念が、彼女の中で一旦完結する。そうなれば、呪詛を断ち切りやすくなり、他に与える影響も減ると考えられます」
逆に途中で邪魔されたと気付けば、邪魔をした者へもその恨みを分散させてしまうだろう。そうなれば、関わった者たちすべてを呪いだし、収拾がつかなくなる。そんな面倒なことは御免だった。そもそも、そこまで面倒を看る義理もないのだ。
「······わかりました。麗花様には、私の方からお願いしてみます。慶螢のことも、すべて話します。その上で、協力をしてもらえないか、頼んでみることにしましょう」
時間が惜しいと、趙螢はすぐに行動することを決めてくれたようだ。外出する用意をし、華夫人も戸惑いながらも手伝っていた。翠雪は麗花をこの邸に連れて来るための段取りも、ちゃんとふたりに説明する。
彼女に麗花の存在を悟られないようにする必要があった。それには"あの符"が役に立つだろう。翠雪が魔界を訪れた時に使っていたその符は、ひとの目から自分の存在を隠すことができた。しかし、符を使う前にこの邸の誰かに見つかれば、その効果がなくなってしまう。
なので、符の使い方と使う時を細かく書いた紙も一緒に渡した。
不安そうな華夫人に対して特に関心もない翠雪は、「では私はこれで失礼します」と丁寧にお辞儀をして部屋を出る。
「お手伝いある?」
「お仕事ちょうだい!」
途端、双子の鬼子たちがどこからともなく現れ、翠雪の膝の辺りに突進してきた。白い衣を纏った狐鬼面の幼子たちは、きゃっきゃっとはしゃいで楽しそうに見上げてくる。表情はもちろん面で全く見えないのだが、その振る舞いや声は確かに楽しげなのだ。
「おやおや。仕事熱心なのか、紙銭目当てか。調子の良い子たちですね」
くすくすと翠雪は笑う。この双子は谷主である翠雪の役に立ちたいという純粋な気持ちももちろんあるが、自分たちの目的のために日々おねだりをしているのだ。
「だってお金大事だもん!」
「いっぱいお金を貯めて、ふたりの夢を叶えるんだもん!」
はいはい、と身を屈めて翠雪は双子たちの頭を撫でる。彼らは自分に正直で、嘘を付かない。お金のために仕事をする。
お金を貯めて自分たちの生前の未練を晴らそうとしているのだ。故に、彼らが貰う仕事に対してずるをしたり、手を抜いたりしないと知っている。
しかし、彼らの願いは、いつまでも叶わないことも知っている。
鬼になってしまった時点で、それが永遠に報われないことも。
ちなみに、呪詛の残りの箱を見つけてきたのも彼らなのだが、暁狼には自分たちが邸中を歩き回って見つけてきたかのように発言した。彼らの存在は道士である暁狼にとって敵のようなもの。
それを従える翠雪が何者か問われるのは、より話をややこしくするので、あえて言わなかったというのが正解だろう。
「いいでしょう。では、君たちには重要な任務を与えます」
飛星、飛月は顔を見合わせてから、やった~と万歳をした。重要な任務、というキラキラした響きに対して、子供らしく純粋に喜んでいるようだ。
「ふたりとも、私が言った最初の"お願い"は憶えていますか?」
「犯人と追いかけっこ~?」
「えっと、犯人を見つけること!」
小さな手を顎に当てて、うーんと考えているふりをする双子たち。
「まあ、どちらも正解のようなものですけど、ちょっと当初と予定が変わったので、これから話すことが新しい重要任務となります」
翠雪は自分の唇に人差し指を当てて、ふたりに対して「みんなには内緒ですよ?」と囁く。三人は輪になってごにょごにょと内緒話をし、話が終わると双子たちはその場でくるくると回り出した。
「ぼく、頑張る~」
「ぼくも、頑張る~」
飛星、飛月はそう言うと、翠雪が瞬きをしている間にその場から姿を消した。
「谷主、頼まれていた件、調べがつきました」
双子たちと入れ替わるように、十五歳くらいの鬼の少年、陽が姿を見せた。同じ狐鬼面で顔を覆っている彼は、どこかだるそうな雰囲気を纏っている。
主である翠雪に対して、双子たちとはまた違った理由で彼に従う陽もまた、自分の目的のために動いている。
「谷主の嫌な予感は当たっていたようです。やはり、あの道士は――――、」
その言葉の続きに、翠雪は珍しく眉を顰めた。そうですか、と何か考えるような素振りを見せ、すぐにいつもの笑みを浮かべた。
「他になにかやることあります?」
「そうですね······では、ひとつお願いを聞いてもらえますか?」
ひとつと言わずいくらでも、と陽は気だるそうな口調で肩を竦めた。いつもこのようなやる気皆無な態度だが、彼の目的は自分の記憶を取り戻すこと。鬼になってしまった理由を知ること、なのだが。
鬼になった時点で消えてしまっていることから、おそらく良いものではないだろう。自分を知るため、なんでもやる。
そのなにかが糸口になって、いつか何かを思い出すかもしれないと信じているからだ。気長に、と思っているところもあるので、こんな一見やる気のない態度なのだ。
「谷主も気を付けてくださいね。さっきの件は、あんまり首を突っ込まない方がよさそうだから。間違っても煽ったりしたら駄目ですからね?」
陽の言う"さっきの件"とは、あの道士の正体の件だろう。
翠雪はどちらとも言えない笑みを浮かべて、陽を困惑させる。それを目の当たりにして、これはまたひと悶着起こす気だな、と心の中で呟く。
そして、着々と舞台の裏で準備が進む中、遂に彼女が動き出す――――。
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