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第二章 朱に交われば赤くなる
2-3 迷惑だった?
しおりを挟む暁狼は紅玉のことなど無視して、どんどん先へ進んで行く。商家や民家が建ち並ぶ、居住区を抜けた先にある商業区は、相変わらず人で賑わっており、さまざまな店が軒を連ねている。
他の地から商人たちが買い付けに来たり、旅の者たちの物資の補給にも役立っている市井は、水路が複雑に通っており、町の周りにはいくつもの広い田畑があった。
綺麗に整備された水路はその田畑にも繋がっており、地産物も豊かな町のようだ。それを統治するのはこの町の領主、陳佩芳。世襲制なのか、この町はこの陳家が代々領主を務めているらしい。
紅玉は昨日さんざんこの辺りは通ったのだが、興味が尽きることはなかった。背の高い暁狼は目立つので、もし見失うとすれば、彼が故意に自分の前から姿を消した時だろう。
(嫌われてはないと思うけど、好かれてもいないよね?でも、やっぱり優しいひとだと思うな)
うんうん、と紅玉は頷き、離れてしまった距離分を駆け足で縮める。
そう思うのは、確かに後ろも見ずにどんどん先に行ってしまうのだが、紅玉とある程度の距離が離れると、歩む歩幅を緩めてくれるのだ。
上機嫌に鼻歌を歌い、ぴょんと弾んで暁狼の左横に追いつくと、紅玉は頭ひとつ分は背の高い彼の横顔をこっそり見上げる。
(どうしてこのひとは野良の道士なんてしてるんだろう?訊いたら嫌な思いをするかな?僕も話したくないことを話すの、あんまり気が進まないし。やっぱり話してくれたら聞くのが正解かな?)
じっと見すぎていたせいか、視線が重なる。その瞳は切れ長で一見怖そうに見えるが、紅玉は睨まれても怯むこともなく、むしろ笑顔で返す。それには暁狼が耐えられないのか、せっかく重なった視線が外された。
しかし紅玉の興味はコロコロ変わるので、次に目に付いたものを指差して、暁狼の漆黒の衣の袖をくいくいと遠慮なく引いた。
「兄さん、見て!僕、あれが気になる!ねえ、話を聞きに行こう?」
指を差した先にある店の看板を見つけると、暁狼は眼を細めた。そこはさまざまな箱が並べられた店で、行商人向けの店のようだった。並べられている箱の値段はピンからキリまであって、人の良さそうな老婆が店番をしていた。
(箱?なぜそんな店が気になる?)
意味が解らず、暁狼はますます表情が曇っていく。しかし紅玉は袖を離してくれなかった。
「時間の無駄だ。あの店と呪詛となんの関係が?」
「うん、僕もわからない」
は?と思わず間の抜けた顔をしてしまったが、すぐにいつもの無に戻す。頭を搔き、なんのつもりか訊ねようとしたが、紅玉の顔を見るなりその気も失せた。彼もなぜ気になったのか、本気でわかっていないようだった。
「でも、僕の"勘"は、けっこう当たるんだよ?ね、行ってみよう!」
「······おい、勝手に決めるな、」
はあ、と嘆息して、暁狼は袖を引かれるままに紅玉に連れられて行く。先程、彼は彼の師に自分の手伝いをするように言われていたはずだ。なのに、なぜ自分が彼の言うことを聞いてやらないといけないのだろう。
(意味が解らない。なんなんだ、こいつは······そもそもなんで俺がこれの面倒をみる羽目になっているんだ?おかしいだろう?さてはあの仙人もどき、厄介者を俺に押しつけやがったな、)
ますます不信感が募ったが、今更どうにもできない。この青年はおそらくどこかの名家の公子。何度も頼まれ仕方なく弟子にしたが、手に余っていたのだろう。昨日今日少し一緒にいるだけで、これを扱う苦労が目に浮かぶ。
まるで何も知らない子供のように、興味があれば右へ左へふらふらする始末。あれでは迷子になっても文句は言えまい。
しかし任されてしまった責任感からか、暁狼は紅玉との距離が離れてしまったら、自ら歩幅を緩める羽目になる。
そんな風に他人に気を遣うなど、何年ぶりだろう。今も袖を掴むその手を振り払えずにいる。
『兄さん』
五年ぶりにそんな風に呼ばれた。もしかしなくても、昨日会ったばかりのこの青年に弟を重ねていたのだろうか?似ても似つかない、この天真爛漫な青年に?
幻影を重ねたことに罪悪感を覚え、暁狼は無意識に首を振った。
(馬鹿か。俺を兄と呼んでいいのは、暁燕だけだ。そういう意味の"兄"でなくとも、他人が呼ぶのをなぜ許した?)
顔がくしゃりと歪む。袖を引いて前を歩く紅玉はそれに気付くことはない。くそ、と唇を噛み締める。もう、とっくに乗り越えたと思っていたのに。込み上げてくるものに吐き気を覚え、ぐっと胸元を握り締める。
「······大丈夫?兄さん。ごめんなさい、もしかして具合が悪かった?」
気付けばその歩が止まり、紅玉が心配そうに見上げて来る。冷や汗をかいている暁狼の頬に手を伸ばそうとしてきたので、思わずその手を掴んでしまう。それには紅玉が驚いて、少し戸惑った表情を浮かべた。
「あ、えっと、僕、なにかあなたの気に障ること、したんだよね?ごめんなさい。自分の事ばかりだったかも」
強く握られた手が好意への拒否だと思ったのか、申し訳なさそうに謝る紅玉に、平静さを取り戻した暁狼はゆっくりとその右手を解放した。
(······俺は、なにがしたいんだ?何を期待してる?失ったものの代わりにでもするつもりなのか?こんなやつを?馬鹿なのか?)
苛立つ感情を抑え込み、一度目を閉じ、ゆっくりと息を吐く。だんだんと戻って来るいつもの虚無を掴むと、冷淡さを装うように冷ややかな笑みを浮かべた。
「俺に触れるな。近づくな。いいか、お前はただの同行者で、この事件が終われば他人だ。それを忘れるな」
突き放す。
少しでも心を許した自分が間抜けだった。
そんなもの、望まない。
いらない。
なにも、要らない。
「わかった。あなたの言う通りにするよ」
そう言って笑った紅玉は、笑っていたがどこか寂しげだった。自分で突き放しておいて、後悔しそうになる。もうずっと忘れていた感情が、目の前の青年といると甦って来る。それが、怖かった。
「僕ね、小さい頃に大好きな兄上が亡くなってしまって。あなたはそのひととは全然似てないんだけど、兄さんって呼ぶのを許してくれて、なんだか嬉しくなっちゃって。そうだよね、普通なら嫌だよね?昨日今日会ったばかりの人間に馴れ馴れしくされるの、迷惑だったよね、」
少し俯いて、はにかんだような笑みを浮かべる紅玉に、その言葉に、暁狼は指先が微かに震えた。兄が亡くなった。そのひと言で、揺らぐ心に自身の弱さを垣間見る。しかし、やはりだからこそ突き放そうと決める。
「俺の弟はただひとりだけだ。お前は違う」
「うん、わかってる。そっか、兄さんにも弟さんがいるんだね。仲も良さそう。僕の他の兄上たちはちょっと特殊だから、そういうのなくて。唯一、亡くなった兄上だけが優しくしてくれたんだ」
顔は笑っているのに、心は泣いている。そんな紅玉に対して、暁狼は同情心もあった。あったが、だからといって自分が何か言うのも違う気がしたのだ。彼は兄を、自分は弟を亡くした。だが、自分が弟を亡くしたことを、殺されたことを、ここで言う必要もない。
「嫌かもしれないけど、この事件が解決するまでは······一緒にいてもいいかな?」
装った仮面が剥がれるのを堪えながら、暁狼はひと言、勝手にしろと呟く。
どうしてこんなにも後ろめたいと思うのだろう。いつもの自分なら絶対にそんな風には思わないし、簡単に突き放せるはずなのに。
「さっさと行くぞ······」
横を通り抜けるのと同時に紅玉の頭を鷲掴みにし、ぐしゃぐしゃと髪の毛を乱暴に撫でると、暁狼はさっさと店の方へと歩いて行った。ぽかんとした顔で佇む紅玉の口元が、その背を目にしてゆっくりと緩む。
触れるなと言ったのに、触れてくれた。
それがなんだか嬉しくて。
「待ってよ兄さん!僕があのおばあちゃんに質問してもいい?」
頭に触れられたその一瞬で、心の中のもやもやが晴れた気がした。
紅玉は明るい声で弾むように駆け出す。暁狼は少しも待っていてはくれなかったけれど、見失うなんてあり得ない。
(僕はやっぱり、このひとのことをもっと知りたい!もう少しだけ、傍にいてもいいよね?)
紅玉はあることを決意する。
走る度に耳元で揺れる紅い玉の付いた耳飾りが、太陽の光に反射してキラキラと不規則に輝く。
この縁を終わらせたくない。
その時、母の言葉がふと頭に過った。
運命の縁。
きっと、この出会いは――――。
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